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二話⑨

朝日が差し込む。

慣れない光を感じ、ソフィーは瞼を開けた。

意識がぼんやりとするが、感覚が戻ってくる。

これまた見慣れない天井が視界に広がり、思わず左右を見渡した。


「……ここ、は? 病院?」


真っ白なベッドの上で、ソフィーは起き上がる。

何故こんな場所にいるのか。

今まで何をしていたのか。

思い出すよりも先に気付く。

妹のカトレアが、ベッドに寄り添うようにして眠っていたのだ。

貴族令嬢としての様子はなく、昔のような年頃の寝顔をしている。

そこでようやく自分が何をしたのかを思い出した。

息を呑み、手を伸ばし、彼女の肩に触れる。


「カトレア……?」

「ん……。あっ……! ね、姉さま!」


触れた直後にカトレアは目覚め、少しの間の後に飛び起きた。

今までの他人行儀な態度はない。

すぐさまソフィーの容態を案じ始める。

内心慌てていた彼女が、気圧される程だった。


「具合に問題はありますか!? 何処か痛みは……!?」

「う、ううん……特には……」

「そう、ですか! あ……すみません……大声を出してしまって……」


安堵するカトレアはハッとして、口ごもった。

言葉通りのためか、柄ではない表情を見せてしまったためか。

お互いに沈黙が訪れる。

しかし妹がこの場にいる理由は、ソフィーも察しがついた。

自惚れではない。

彼女の手には一通の手紙と共に、あの花のブローチが確かに握られていたからだ。


差出人のない手紙を渡されると同時に、カトレアが今までの状況を全て話してくれた。

ショックで気を失っただけで、怪我自体は結果的に殆どなかった。

不幸中の幸いと言うべきか。

数日は様子見で安静にするように、との事らしい。

過失としては不用意に飛び出した此方側なので、両親が馬車側の人と何とか折り合いをつけたとか。

申し訳ない思いだった。

大通りに飛び出すなど、貴族以前の問題だ。

相手方だけでなく、後で周りの人にもしっかり謝罪しなければならない。

ソフィーは自然とそう思っていた。

するとカトレアが言い難そうに続ける。


「ヴァンデライト家の……彼から聞きました。事故について」

「そのブローチ……もしかして、ずっと此処に……?」

「はい……。何と言えば、良いのか……。私は……姉さまに……」


どうにか言葉を振り絞ろうとしていた。

今までの事を謝りたい、そんな思いが見て取れる。

しかし、その必要はなかった。

妹は既に重く受け止めてきた。

塞ぎ込んでしまった姉と、その妹である自身との板挟み。

周囲からの奇異の視線も当然あっただろう。

だからこそ強くあらねばならないと。

姉のようになってはいけないと、思っていたに違いない。

自分が逃げた重荷を、彼女が背負い続けていたのだ。

それは決して、怒る事でも悲しむ事でもない。

だからこそソフィーは震える妹の手に、自身の手を重ねる。

先ず始めに、一番伝えたかった事を伝える。


「ごめんね、カトレア」

「……!」

「貴方に謝る……本当は、一番始めに言わなくちゃいけない事だった。私はただ部屋にこもるだけで、周りを、貴方を見ていなかった。傷ついているのは、私だけじゃないのに……」

「姉さま……」

「貴方は今のままで良いの。私のようにならないで、学友の皆を大切にしてあげて。私も、少しずつだけど、歩いていくから」


未だ道は長い。

歩く程度、誰でも出来る。

迷惑をかけてばかりで、そんな事で誇った気になるなと、笑われるかもしれない。

それでも見てくれている人達のために歩き続ける。

そうすれば、いつかこの罪悪感は過去になっていく筈だ。

カトレアは涙を堪えるように俯いた。


「ごめんなさい、姉さま……! 私は、自分の事ばかり……!」

「ううん。私も、本当にごめんね……」


変わって欲しいなどとは思わない。

妹には、妹の未来がある。

ただほんの少しだけ、分かり合えたことを噛み締める。

そして手にしていた手紙の感触を思い出す。

折り畳まれていたそれを広げると、そこには達筆な字で簡潔に記されていた。


『落とし物癖が変わらないから、先に渡しておいた』


事故の件は全く触れていない。

差出人は書かれていなかったが、誰のものかは直ぐに分かった。

胸の内で手紙を握り締める。

勝手な話だ。

仲を取り持とうとしただけで、深い意味はないのかもしれない。

だが、ソフィーには見えていた。

彼は糸を紡いでいる。

心の糸を紡ぎ、繋ぎ止める。

どうしてそこまでの事をしてくれるのかと、聞くのは怖い。

ただ、自分の気持ちは既に傾いている。

糸に引き寄せられるように、手繰り寄せられるように惹かれているのだと、気付くのだった。







陽の光を浴びてスヴェンは目を細める。

動乱とも言える一晩が明けた訳だが、疲れてはいない。

寧ろ心持は軽く、戦いを終えた後の朝日を見るような感慨深さがあった。

今頃、彼女は妹と和解しただろう。

実際には見ていないが、そう確信していた。

そして旅亭の前に止まる、二つの馬車に目を向ける。

一つは自身が乗るもの、もう一つは貨物用に用意されたものだ。


「まさか、リーヴロ卿からこんなにお礼の品を貰うなんてな。ったく、これじゃあ俺の方が得したみたいじゃないか」


特産品などが多く積まれた状況、そして手にしていたイチゴの綿菓子を見て、スヴェンは苦笑する。

結構な大立ち回りをした自覚はあるが、礼を言われる事ではない。

寧ろ勝手に行った手前、やってしまったかと危惧した位だ。

だと言うのに、ソフィーの両親はその行動にいたく感謝していた。

彼らが思い悩んでいた姉妹の関係と、本来は自分達が補うべき令嬢達への体裁を整えた点を重く見ていたようだ。


彼は昨晩のパーティーを思い出す。

少々手間取りはしたが、やることに変わりはなかった。

かつて王族達に振る舞った時と同じように、丁重にもてなす。

従事していた従者達も、彼の要望に応えるように動いてくれた。

それが功を奏したのか。

終わり際のご令嬢達に、不満そうな表情はなかった。


(今日の一件は、不問に致します。私達も、試すような真似をしてしまったのは事実。先人を敬うという言葉の意味を、忘れていましたわ)

(不躾な態度を取ってしまった事、後に謝罪の封をお送りします)

(その、ヴァンデライト式のおもてなしも、中々なものでしたよ?)


実際は彼女達も、多少の罪悪感があったのかもしれない。

話を聞いた限り、カトレアとの亀裂は見られなかった。

彼女の面目もある程度は保たれたのだろう。

世話の焼けるお嬢様方だと思いつつ、スヴェンは振り返る。

彼の従者とは別に、少し距離を置いた所で、ロゼッタが複雑な表情で見送りに来ていた。


「宜しいのですか? ソフィーさまやカトレアさまに、何も言わず……」

「手紙は渡しておいた。それにこれで終わりじゃない。そこにいるなら、また会えるさ」


彼女は一度会ってはどうかと進言したが、わざわざ病室に向かって、気を遣わせるつもりはない。

いらぬ世話になってしまう。

安静にしろと診断されたのなら、安静にしておくべきだ。

続いて持っていた綿菓子を口にする。

そこに次期当主の風格はなく、食を楽しむ一人の青年がいるだけだった。


「ん。やっぱりこの綿菓子、美味いな」


帰り際にアルの分も買ってやろう。

そうスヴェンは思い、名残惜し半分に馬車へと乗り込む。

仕事の山から離れた、貴族の責とは異なる5日間は、瞬く間に終わりを告げるのだった。

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