二話⑧
報はすぐさま知れ渡った。
旅亭に戻っていたスヴェンは、騒動を聞いたロゼッタが飛んできた事で、顛末を理解する。
血の気が引いた顔の彼女から事情を聞き、思わず立ち上がった。
「何だって!? ソフィーが!?」
「は、はい……! 通行していた馬車と鉢合わせになって……!」
どうやらソフィーは道を飛び出して、街を走っていた馬車と事故を起こしたらしい。
分かるのはそれだけで、正確な被害は見えない。
運ばれた病院で事情を聞かない事には、話は進まない。
スヴェン達は直ぐに病院へと向かった。
別れた後、ソフィーは真っすぐに屋敷に向かった筈だ。
何故そんな場所に一人でいたのか、彼には分からなかった。
だが彼女の考えを読み解くなら、心当たりがない訳でもない。
学院時代の頃、一人で刺繍をしていた姿を思い浮かべる。
靄がかかる心境を抱きつつ、彼は街中の病院に駆け込んだ。
院内は領地のご令嬢のために騒然としていたが、周りに身内の姿はない。
「奥様達は直ぐに来るそうですが……!」
「妹さんはどうしたんだ? 屋敷にいたなら、伝わっている筈だろう?」
「そ、それがカトレアさまは……パーティーの最中らしく……」
ロゼッタは言い難そうに答え、スヴェンは愕然とした。
まさか、この状況でパーティーを続けているのか。
幾ら邪険にしていたとしても、素知らぬ顔などできない筈だ。
そもそもカトレアが、屋敷でパーティーをしていること自体が初耳ではあるのだが。
不意に、診察室から医師の一人が出て来たので、思わず状況を尋ねる。
「か、彼女の容態は?」
「軽傷のように見えますが、正確に判断するにはまだ時間が掛かります。ただ……」
「……ただ?」
「何かを無くしてしまったようで、譫言のように繰り返しているんです。落とし物、でしょうか……?」
「……!」
そこまで話を聞いて、彼は息を呑んだ。
横で耳を傾けていたロゼッタも、思い当たったのか手で口元を抑える。
彼女が大事に持っていたモノは一つしかない。
過去の自分を取り戻すために縫った、家族への思い。
直後、ソフィーの両親が辿り着く。
事故の一件はリーヴロ家の屋敷にまで届いているようだ。
だがやはり、カトレアの姿はない。
彼らはスヴェンが既に来ていた事に気付き、焦燥の中で頭を下げる。
「スヴェン君!? 君も来ていたのか! すまない、こんな事になるとは……!」
「いえ。それよりもリーヴロ卿。申し訳ありませんが、此処はお任せします」
「い、一体何処へ……!?」
スヴェンは一人、踵を返した。
駆け出そうとする彼に向けて、思わずリーヴロ卿が声を掛ける。
何か気になる事があるのかと。
すると彼はもう一度だけ振り返り、答える。
「娘さん達の落とし物を探しに」
そうしてスヴェンは病院から飛び出した。
既に辺りは日が暮れており、街の中では明かりが灯り始めている。
この数日の中で見た、変わらない風景だった。
逸る気持ちに代わり、周りの時間はゆったりと流れていく。
自身と関係なく、無情に過ぎ去っていく。
どうしようもない乖離感には、覚えがあった。
引き止めるような感傷を振り払い、彼は真っ直ぐにその場所へと向かった。
「事故があった場所は……ここか……!」
現場の位置は既に把握していた。
ソフィーと共に街中を歩いた時にも通り掛かった大通りだ。
既に辺りは解散しており、不自然に人が集っている様子はない。
そして一目見ただけでは、何も見つからない。
あるのは石造りの通路と、店で不要になった樽が所々に積み上げられているだけだ。
別の場所に転がっていったのか、誰かに拾われたのか。
スヴェンは腰を落として辺りを探す。
人々から妙なものを見るような視線を向けられるが、構いはしない。
通路に視線を向け、物陰を探っていく。
すると視線の先に、大通りから外れた裏路地があることに気付く。
視線を上げると路地の先、暗くて見え辛いが見知らぬ男達がたむろしていた。
服装を見る限り、街の住人ではない。
その内の一人が掲げる何かを、全員が確かめている。
「おいおい、見ろよコレ」
「これは、ブローチか?」
「結構な代物じゃないか。素人目の俺でも分かるな」
「此処って、さっき事故があったばかりだろ? きっとそれは、事故ったヤツの持ち物だ」
彼らが持っていたのは花のブローチだった。
ライトグレーの花弁を広げる小さな花は、ソフィーが作り上げたものと同じだった。
見間違えようがない。
そんなブローチを、手にしていた男は握り締める。
「構うもんかよ」
「お前、そういう趣味があったのか?」
「馬鹿か。これを売るんだよ。値打ち物のブローチは、結構な金になるんだぜ?」
「んなモン、すぐバレるだろう?」
「此処で売る訳ないだろ。俺達は使いっぱしりで来ただけだ。船で戻って、目利きの良いヤツらに売り飛ばせばいい。バレる訳がない」
どんな場所にも、治安の悪い所はあるものだ。
夜になると、こういう隙を狙って掠め取ろうとする輩が現れる。
今スヴェンが見ている光景は、その最たるものだろう。
故に、彼は男達の前に立ちはだかる。
大柄な体格に見合わない忍び足で、即座に手を伸ばす所まで近づいた。
そうして言ってのける。
「そうは問屋が卸さないだろ」
「な、何だお前!?」
「いつの間に……!」
男達は驚き、身構える。
突然現れた見知らぬ男に、威圧的な気配すら放ってくる。
分かってはいるが、警戒される謂れはない。
どこぞの輩が手にして良い代物でもない。
スヴェンは威圧感を押し返し、手を差し出した。
「それは彼女達の物だ。返してもらおうか」
「っ!? そ、そうか! お前もこのブローチが目当てなんだな!?」
「折角手に入れた値打ちものだ! 横取りなんて許すかよ!」
どうやら譲る気はないらしい。
偶然見つけたブローチを、幸運か何かだと勘違いしているようだ。
スヴェンは少しだけ視線を鋭くする。
小遣い気分で弄び、横取りと豪語する図々しさは、中々なものだ。
遠慮する必要はなさそうだ。
差し出していた手をゆっくりと握りしめる。
「悪いな。今ちょっと虫の居所が悪いんだ。返す気がねぇなら……」
「……!?」
「力尽くで、奪い取る」
瞬間、スヴェンの身体は動いた。
数分後。
路地裏では騒ぎが起きる気配すらなく、男達が脱兎の如く逃げ出す瞬間を、街の住人が目撃していた。
●
リーヴロ邸では学院の同級生が集まり、パーティーを続けていた。
貴族に相応しい厚遇を受けつつ、話に花を咲かせている。
その中には無論、カトレアもいた。
彼女達との体裁や建前を保ったまま、にこやかに笑みを浮かべている。
そんな時だった。
外から何者かの声が聞こえ始め、令嬢たちは顔を見合わせる。
「何だか外が騒がしいですわね」
「えぇ。何かあったのかしら?」
関係者以外は会場には立ち入らない。
外部で何が起きていようと、関係のない話ではあった。
しかしいきなり会場の扉が解放され、一人の青年が足を踏み入れた。
驚く令嬢たちを前に、彼は慌てた様子なく、ゆっくりと頭を下げる。
「パーティー中に失礼致します」
「な、何者ですか!? 会場に立ち入るなど!」
「お、お待ちなさい! この方は……!」
口々に非難の声を上げようとしたが、中心にいたバーバラが思わず引き止める。
自信あり気だった表情には、一種の怯えすら浮かんでいた。
そして令嬢たちは彼の姿をもう一度見返し、ようやく息を呑む。
「ヴァンデライト家の御子息……!?」
「ど、どうして此処に!?」
かつて同じ貴族令息と暴力沙汰を起こし、問題児と呼ばれた人物。
学院に通う者ならば誰もが知っている有名人だ。
無論、悪い意味での話だが。
スヴェンは令嬢の視線を受けつつ、誰かを探すように辺りを見回す。
するとそんな彼に歩み寄る人物がいた。
パーティーを主催するカトレアだ。
彼女は彼が両親から招待されていた事を知っていたため、憮然とした態度で相対する。
あくまでパーティーを邪魔しようとする無法者として。
「父がご招待をしていた事は存じております。しかし、少々無作法ではありませんか。私達は学院の旧知として、親睦を深めている所です。幾らヴァンデライト家の方であろうとも、このような無礼は許されません」
「父から……? つまり貴方が、カトレア嬢ですね?」
「……そうですが」
「貴方は何も聞かされていないのですか?」
「……? 何の話です?」
カトレアは怪訝な表情をする。
知らない振りをしている訳ではない。
本当に何も知らないのだ。
これが貴族への体裁か。
パーティーという場を崩さないためにも、ソフィーの一件は伝えられていなかったのだ。
辿り着いたスヴェンは少しだけ嫌気が差した。
彼女に対してではない。
あくまで立場を優先する貴族の在り方に対してだ。
だからこそ、彼は真実を告げる。
「貴方のご令姉が事故に遭いました」
「え!?」
「繁華街に出ていた所、馬車と出合い頭になったそうです。確かな容態は分かりませんでしたが、今は病院へ運ばれています」
「ど、どうして屋敷の外に!?」
「……事故が起きる前、貴方はご令姉に会いましたか?」
流石のカトレアも驚きを隠せなかった。
周囲の令嬢達も、どよめきの声を上げる。
スヴェンが探るような問いを投げ掛けると、彼女は姉に対して言い放った言葉を思い出した。
部屋に居ても構わない。
ただ同級生には会わないようにしてくれ、と。
カトレアの目線は徐々に下がっていった。
「わ、私は屋敷から出て行けなんて……一言、も……」
「事情は分かりかねます。貴方が貴族のご令嬢として、取らなければならない立場があることも承知の上です。ですが貴方は、自身のご家族を見ていましたか?」
「っ……!」
「……これをどうぞ」
そうしてスヴェンは、花のブローチを取り出した。
部屋の明かりを受けて僅かに輝くそれは、カトレアの視線を奪うには十分だった。
ソフィーが取り落とした思いを掬い上げ、手にすべき者へ伝える。
「これは彼女が、貴方のために縫ったものです。自分が一歩でも前に踏み出すための、覚悟の証として」
本来それは、スヴェンの役目ではない。
思いの丈は自分で伝えなければ伝わらない。
だが、このままでは伝えることすら出来ない距離まで離れてしまう。
彼にはその予感があった。
カトレアはブローチを受け取り、目を伏せる。
自分より遥かに優れた刺繍を見て、純粋に楽しんでいた頃の情景が浮かんだ。
「姉さま……」
「直ぐに向かうべきでしょう。今寄り添うべきは、部外者の私ではない。家族である貴方の筈です」
無理矢理手を引く訳でもなく、言葉で訴えかける。
確かに今のカトレアにとって、ソフィーは目の上の瘤なのかもしれない。
しかし、だからと言って歩みを妨げていい道理はない。
カトレアの視線が開け放たれた扉の向こうへと移る。
するとそこへ、立ちはだかる人物がいた。
令嬢達の中心人物でもあるバーバラだ。
「お、お待ちなさい! 主催である貴方がこの場を去るという事は、パーティーの中止に繋がるのですよ!? そのような事は……!」
「無礼、だと仰りますか? ご令嬢がた?」
スヴェンは口を挟む。
貴族が集うこの場を中止すれば、それは自分達への軽視に値する。
礼を失すると、そう言いたいのだろう。
あくまで貴族としての立場に拘る令嬢達を、彼は諭すように見据えた。
「名誉や義務よりも、守るべきモノがある筈です。私にも、貴方達にも」
それは以前、彼がソフィーに語った持論だった。
大切なものは何なのか。
ハッとしたカトレアは耐えかねたように、ゆっくりと口を開く。
「っ……分かりました……。パーティーは、中止にします……」
「な!? カトレアさん! 何を言っているのか、分かっていますの!? 折角、私達が来たというのに……!」
「承知しています。ですが……!」
思わず責めようとするバーバラを、カトレアは真っすぐに見つめる。
両手には花のブローチがしっかりと握られていた。
「身内の事故を知った上で楽しんでいられる程、私は無作法ではありません」
優等生らしい立ち振る舞いと共に、力強い言葉が会場に響く。
貴族との親睦よりも、身内の安否を取ったのだ。
堂々とした反論に、令嬢達は言葉を失った。
代わりにそれを聞いていたスヴェンが微かに笑う。
「……言えるじゃないか」
「え……?」
「でしたら、後は貴方にお任せしましょう」
聞き慣れない言葉にカトレアは振り向いたが、スヴェンは扉への道を譲るだけだった。
これ以上、彼女の歩みを妨げるつもりはない。
自分の出る幕は終わったと、身を引き始める。
そこへバーバラが、もう一度だけ彼女を引き止めようとした。
「お、お待ちなさい! 私達はまだ、納得など……!」
「……納得できないのであれば、私がお相手するまで」
「っ!? 殿方が私達に手を上げると言うの!?」
「何か誤解されているようですね。お相手というのは、私が彼女に取って代わるという意味です」
身構える令嬢は、言葉の意味が理解できずに呆気に取られる。
改めて、彼はパーティーそのものを打ち壊しに来たつもりはない。
パーティーは続行する。
カトレアもこの場から離れさせる。
そのために最も有効なのは、ヴァンデライト家という地位を利用する事だった。
スヴェンは立ち尽くす彼女らではなく、奥で控えていたリーヴロ家の従者達に対して視線を向ける。
すると瞬時にその意味を理解したのか、彼らは互いに頷き合った。
そう。
貴族としての立場は誇るものではなく、利用するためにある。
小さく頷いたスヴェンは、洗練された紳士のように令嬢達へ向け、お辞儀をしてみせた。
「ご令嬢のおもてなしは心得ております。王家にも認められた、ヴァンデライト式歓待術をお見せしましょう」
「えぇ……!?」
「さぁ、パーティーの続きを始めましょうか」
矢継ぎ早に提案されたパーティーの再開に、令嬢達は戸惑うばかりだった。
問題児ではあるが、それは過去の話。
次期当主かつ国防の経験もある彼を、邪険には出来ない。
力づくで来られるなら正当性はあったが、歓迎されるならば尚更だ。
邪険にするような無礼は、彼女達には出来ない。
家名を背負う立場が許さない。
加えて彼らの言い分も、少しは理解できたのだろう。
息を荒げつつあったバーバラも、口を噤むだけだった。
それを見て、彼に小さく頭を下げたカトレアは、逸る気持ちのまま屋敷から駆け出した。




