二話⑦
「責務以前に、俺達は人だろ。人なら思う所だって、感じる所だってある。色々な感情も無視して責任だけを見るなんて、それこそ相手を人だと思ってねぇ証拠だ」
「さ、流石に言い過ぎでは……?」
「実際、こんなモンだぜ。名誉だの不名誉だの、そんな型に縛られた連中を俺は山ほど見てきた。ああいう奴らは、本当に頭が固いんだ。右から左に受け流すくらいの気持ちが、丁度良いんだよ」
スヴェンはやれやれといった様子で首を振る。
今の貴族について取り留めもない話をした結果、彼はそこに縛られる必要はないと語った。
責任は大事だが、そればかりでは見えるものも見えない。
もっと大切なモノがある筈だと、結論付けた。
陸続きの国境を担うヴァンデライト家の次期当主として、思う所があるのかもしれない。
そんな考え方に、責任の板挟みになっていたソフィーは、羨ましさを感じた。
「それで、妹さんに渡す物は決まったか?」
「は、はい。花のブローチを編むつもりです」
「ブローチか。そりゃまた、難しそうな……」
「仰々しいものは作りません。あくまで控えめに表現しようかな、と」
既にソフィーは目的の品を見定めていた。
ブローチは、個人的にはそれ程難しくはない。
以前にもカトレアに同じものを渡した記憶があったからだ。
あの時は、小鳥を縫って彼女に喜ばれたものだ。
妹の笑顔を思い起こし、ソフィーは自嘲気味になる。
「カトレアは、私の刺繍をよく褒めてくれました。だから一歩ずつ、進んでいく気持ちだけは、伝えたいんです」
「そのための刺繍、なんだろう? だったら、その通りにやってみようぜ」
「はい。だからもし、それを受け取ってくれなくても……」
「その時は、俺が預かる」
「え?」
「預かって、その時が来るまで持っておこう。ここの店長が、ソフィーの道具を大事に取っておいたようにな」
「……」
「任せろ。俺はソフィーみたく、落とし物なんてしねぇから」
自信満々に言ってのける。
精一杯、ソフィーをフォローしようとしているのが伺える。
彼女は自嘲していた自分が恥ずかしくなる勢いだった。
そんな考え方が出来れば、きっとあの頃に塞ぎ込んだりもしなかっただろう。
「本当に……小さく見えそう……」
「そりゃあ俺の背丈からすれば、ソフィーは小さめだよな?」
当然のような顔をする。
そういう意味ではないのは分かっている。
もしかして彼は、わざと言っているのだろうか。
一瞬言い掛けたが、ソフィーはその言葉を呑み込んだ。
馬鹿にされているなどとは思わない。
止めてほしい訳でもない。
良く分からなくなって、彼女は視線を落とした。
「……うっかり握りつぶさないで下さいね?」
「う……。な、中々良い返しだな……」
「これも、スヴェンさんのお陰ですよ」
目を合わせられないまま答える。
つい先日までは、会話の中に冗談を入れる余地などなかった。
自分らしさが出ているのか、引っ張られているだけなのか。
すると準備が整ったのだろう。
二人のいる仕立て部屋にロゼッタが入って来た。
「ソフィーさま! スヴェンさま! ご主人さまから、材料が届きましたよ!」
その様子はとても嬉しそうだった。
持って来た籠の中には、新たに注文した刺繍の素材が入っている。
ソフィーが申し出た内容の通りだった。
だが一人だけで縫うには多すぎる。
理由は単純で、一緒に縫う人が隣にいるからだ。
「流石、リーヴロ家の当主は仕事が早いな。だったらお互い、夕方までには終わらせちまおう」
「スヴェンさんも、何を縫うか決めたんですか?」
「おう。俺もアルに縫ってやろうと思ってな。良いネタが浮かんだんだ」
「ちなみに聞きますけど、そのネタって……」
「綿菓子だ。モサモサしてる分、ある程度失敗しても、これなら行けるだろ」
何となく言いたい事は理解できるが、その失敗とは最早、毛玉な気もする。
自然と笑みを見せながら、ソフィーは籠を受け取った。
「行けないので、私も手伝います」
「……そう、か?」
「大丈夫です。一緒に縫えば、夕方までには終わりますから、ね?」
足りない所は補い合う。
二人はそのまま道具を広げ、針を手にした。
いつも通りだ。
針を持った指先は、滑らかに糸を形にしていく。
対するスヴェンも腕が上がっている。
当初の頃のように、針を折ることはなくなった。
刺繍自体はまだまだだが、そこは問題ではない。
良い悪いは関係ない。
一緒に何かをしているだけで気が和らぐような気持ちになる。
せめて彼が楽しんでくれていれば良いのだが。
そう思うも、一生懸命に縫うスヴェンの様子を見ていると、そんな考えは杞憂に終わる。
弟のためと言っていたが、それだけではなく、純粋に刺繍を楽しんでいるように見えた。
嬉しくない筈がない。
だからこそソフィーも手を動かし、時折は行き詰った彼に手を貸すのだった。
「何とか、出来た」
そうして二人は、予定通りに刺繍を終わらせる。
満足のいく出来栄えだった。
お互いに見せ合いながら、健闘を称え合う。
気持ちの込められた品が、そこにはあった。
夕方になり、ロゼッタに見送られて、ソフィーは屋敷に辿り着いていた。
最近ではよく見ていなかった夕暮れの屋敷が、見上げると大きく見えた。
臆しているのだろうか。
既にカトレアは学院から帰って来ている筈だ。
(軽い気持ちで良いさ。当たってブッ飛ばせってヤツだ)
別れ際にスヴェンはそう助言した。
ブッ飛ばす時点で、軽い気持ちではない気もするが、言いたい事は分かる。
彼女は立ち止まりかけた足を大きく踏み出した。
「大丈夫……軽い、軽い気持ちで……」
息を整え、屋敷の玄関を通る。
出迎えた従者達に挨拶をしつつ、カトレアの姿を探した。
いつもは自室か書斎にいる筈なのだが、何処にも見当たらない。
彼女の馬車はあったので、帰って来ている筈なのだが。
そう思っていると、二階から声が聞こえてきた。
「お父さまとお母さまは、私と姉さま、どちらが大事なんですか?」
「どちらも大切に決まっているだろう?」
「優劣なんて決められる訳がないじゃない。とにかく、落ち着いて……」
詳しい事は、ソフィーには聞こえなかった。
一体、何を話しているのだろう。
険悪なのかも分からないまま、彼女はゆっくりと階段を上っていく。
すると父の執務室から、カトレアが出てくるのが見えた。
「昨日も言った通りです。もう、決めた事なので」
「か、カトレア!?」
「まだ話は……!」
両親の声が聞こえたが、それよりも先に扉が閉められる。
言い争っていたのだろうか。
どうして、などと考える余裕はなかった。
気になってソフィーが近づいていたため、すぐ傍まで互いの距離は縮まっていたのだ。
目線を上げたカトレアは、目の前にいた姉の姿を見て、一瞬たじろいだ。
「っ……!」
「カトレア……その、話があって……」
今しかない。
そう思ってソフィーは妹に声を掛ける。
今までの考えていた事、自分に出来る事を伝えるために。
しかしそれは最後まで続かなかった。
会話を打ち切るように、カトレアは目を逸らして言った。
「今夜は屋敷で、学院の同級生たちとパーティーを行います」
「え? ぱ、パーティー?」
「はい。私には学院での立場があるんです。それを無下には出来ません」
手に汗握る感触が伝わる。
ソフィーが引きこもって数年。
屋敷内でパーティーがなかった訳ではない。
父や母の懇親会、妹達の親睦会。
その時、自分がどうしていたかを思い出した。
「姉さまは、どうしますか?」
「それは……」
「自室に残っていても構いません。でも……同級生とは、会わないようにして下さい」
「……」
「……私には、どちらもなんて出来ないから」
目を逸らしたまま、カトレアは去っていった。
姉に対して後ろめたい気持ちが見え隠れしているようだった。
そんな中で何も言えず、ソフィーはその場に立ち尽くすばかりだった。
怒りなどない。
失望もない。
ただ、少しだけ悲しくなった。
「ソフィーお嬢様? どちらへ?」
「ロゼッタの所へ。忘れ物をしてしまったので……」
「……分かりました。では再び、馬車を用意いたします」
「ありがとう。でも……途中までで良いので」
「途中、ですか?」
屋敷に留まれず、ソフィーは再び街へ向かった。
ロゼッタの元には戻れない。
勿論、スヴェンの所にも。
今は何処かで一人になりたかった。
そうして辿り着いたのは、何処という訳でもない、街中にある川沿いの道路だった。
人の流れを避けながら、意味もなく流れる川に向かい合い、一人で眺める。
そうして渡せなかったブローチを取り出した。
「ダメだな、私……。何も言えなかった……」
また、逃げてしまった。
自分から歩み寄らなければならなかったのに、歩み切れなかった。
これではあの時と同じだと、ソフィーは自責する。
被害者振るつもりはない。
元は自分が不甲斐ないせいだった。
見てくれている人は確かにいたのに、それに気付かなかった。
そのせいで家族にも、辛い思いをさせてしまった。
あの時は自分の事しか考えられなかったが、今はどうだろう。
押し付けがましい感情を吐露するだけでは、何も解決しない。
立ち去る間際の、辛そうなカトレアの表情を見て、一つだけ理解する。
「きっと、本当に言わなくちゃいけないのは……」
突如、強い風が吹き込む。
髪が靡き、思わずソフィーは目を瞑った。
そのせいだろう。
ブローチが手から放れ、通路を転がっていく。
「あ……! 待って!」
彼女にとって刺繍は、思いの代弁。
それを追って、ソフィーは駆け出す。
視線は転がり続けるブローチだけを捉えていた。
いつの間にか通路から飛び出していた事を、気付く猶予はなかった。
一瞬の出来事。
馬車の音と、馬の甲高い鳴き声が、耳の奥に響いた。




