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絶望編・真実


「……」


 自分が何かに巻き込まれていると自覚した時、「僕」の体は震えていた。


 背筋が凍るような感覚。人気が無い静寂に包まれた空間の中で、ごくりと唾を飲む音がはっきりと聞こえる。それらを自覚した途端、突然心の奥底から湧きだした‟恐怖”の2文字が、「僕」の体を支配し始めた。


「か、考えててもしょうがない。とにかく家へ帰ろう」


 声を震わせながらも、「僕」は歩き出す。1階ぐらいなら階段を使っても直ぐの距離だ。幸い、恐怖のお陰で疲れはどこかに吹っ飛んだらしい。


 周囲を警戒しながら「僕」は階段のある廊下の方へと戻ってきて……言葉を失った。


「……な、何だ、これ……」


 呆けたような「僕」の目線の先にあるのは、マンションの7階から覗く外の景色だ。地上からそこそこ高い位置から見た都会の風景は――「黒」だった。


「何も、見えない……?」


 乱立していた無数のビルの輪郭も、それらがそびえ立つ広大な大地も、夜空に浮かぶ雲や星々の輝きすらも、何も無い。無限の暗闇がどこまでも広がる虚無の世界だ。しかも、昼夜問わず嫌でも耳にする車の走行音がまったく聞こえてこない。 


 何も聞こえない、動く物も見当たらない、人の「生」が完全に消え失せた静寂。都会中に広がる大規模な停電かとも思ったけど、違うだろう。停電したって車は動くし、デカい騒ぎにもなる筈だ。実際、このマンションからもそういう騒ぎは聞こえてこないし――


「――は?」


 横に広がる光景に目をやった直後、「僕」は再び言葉を失った。そして、同時にある意味、納得もした。


 さっきはちょっとだけしか見なかったから分からなかったが、どうりで廊下に人工の光が無い訳だ。それもその筈。何故なら、一直線に伸びる廊下には、()()()()()()()()()()()()のだから。


 柱と柱の間には小さな凹みがあるとはいえ、ただそれだけ。窓はおろかドアの一つすら無い。このマンションも外の世界と同じく、明滅する薄暗い電灯の光が照らすだけの「生」が感じられない虚無の空間だった。


「ど、どうなってる!? 何が起こってるんだ!?」


 際限なく溢れ出す恐怖で思考がまとまらない。僕は一体何に巻き込まれている? 此処は、本当に僕が住んでいるマンションなのか? そもそも、此処は日本なのか? 此処に居るのは、僕1人だけなのか――


「そうだ、電話ッ!」


 もしマンションに異変が起こっているのなら、僕以外の人間も巻き込まれているかもしれない。家族の無事を確かめるべく、「僕」はいつの間にか曲が止まっていたスマホの電源を入れようとするが――まったく反応が無い。電池残量が無い事を示す警告すら出ない。


「使えない!?」


 出来る限りのあらゆる手段を尽くせど、スマホはうんともすんとも言わない。完全にただの鉄板と化していた。


「はっ、はっ、はっ、とにかく上の階へ、家に帰ろう……!!」


 呼吸は乱れに乱れまくっているのに、何故か苦しさは感じない。これも恐怖が引き起こす作用なのか。様々な感情が混じった形容しがたき複雑な思いに駆られるままに、「僕」は一心不乱に薄暗闇の廊下を駆け出した。



◆◇◆◇◆◇




 ――結論から言えば、8階への階段はなかった。8階へ昇るための階段を探して……いや、実際にはアテなんてなく、「僕」はどこまでも続く薄暗闇の廊下を延々と走り回っていた。


 だが、走り回って唯一分かったのは、この場所には昇りの階段どころか下りの階段も無いという事。恐らく、「階数」の概念なんてものも無いという事だった。


 これまで走り回ってきた廊下の構造はかなりシンプルだが、時々、「僕」が降りてきたエレベーターホールと似たような場所が幾つかあった。どういう目的で使われるのかは分からないけど、少なくともエレベーターは通っていなかった。


 さらに、この場所では体力が減らないようだ。「僕」は生粋のもやしっ子だ。産まれてこの方激しい運動なんてしたことないし、高校の部活は将棋部だった。そんな「僕」が滅茶苦茶に走り回っても息一つ乱していないのは、そうとしか考えられない。


 荷物を調べたところ、携帯はやはり使えない。背中の学生鞄に入っていた勉強道具一式は何ともなく、教科書から筆箱にいたるまで全て無事だった。


 色々な事を調べ、色々な事を考えて、考えに考えて、そして――


「やっぱりそうだ。この場所は、僕の住んでるマンションじゃないんだッ!!」


 廊下の壁に手を付き、「僕」は声を荒げてそう結論付けた。そんな事、口にしなくてもとっくに分かっている。でも認めたくなかった。認めてしまえば、「僕」が今立っているこの場所は、本当に何なんだという事になるから。


「帰りたい……」


 「僕」が望むのはたった1つだけ、別に大したことのない願いだ。でも、そんな当たり前の願いを悉く邪魔するように、「僕」の前に立ち塞がる数多の異変・怪奇。正直、体は元気でも心は既に限界だった。


「クソッ、どうすりゃ良いんだよ……」


 行く当てを見失い、「僕」が廊下の一角にうずくまって途方に暮れていると、


「何、を、して、いる、の?」

「ひ――ッ!?」


 いつの間にか、その人は「僕」の隣に立っていた。自分以外居ないと思っていた場所で、いきなり知らない人の声がかけられ、「僕」はみっともない悲鳴を上げて座ったまま後退った。


「ひぃッ!? だ、誰……って、あ、アンタは……!」


 どれだけ取り乱しまくるかと思ってたけど……意外にも「僕」のは心は早く落ち着いてくれた。というのも、其処に立っていた女性は、顔を知っている訳では無いけど見知った顔だったからだ。


 この真冬において季節感をガン無視した白い半袖のワンピース、顔がすっぽり隠れる程の長髪、そして何故か裸足……見紛う筈も無い。さっきから散々「僕」の前に現れた、あの謎の女性だ。


「アンタは何なんだ!? 僕に何の用なんだ!?」

「……落ち、着い、て。わたし、を、知って、いる、と、いう、こと、は……そう。あなた、も、迷い、こんで、しまった、の、ね」


 ばっ、と勢いよく立ち上がり様に怒鳴った「僕」に、女性は垂れ下がる黒髪の内側でぼそりと呟く。よく耳を澄まさなければ聞こえない掠れるような声、しかも言葉の節々が途切れ途切れになっている。


 声の感じからして、日本語への不慣れさは感じられない。外国人という訳では無いだろう。どちらかと言うと、長く誰かと言葉を交わすことがなかったから上手く喋れない、コミュ障にありがちな症状に近い。


「お願い。わたし、の、話を、聞い、て?」

「……分かりました」


 ここで理解不能な人外の言語でも喋られたら、かろうじて残っていた正気が吹っ飛びかねないので止めていただきたいのだけど。不気味ではあるが、話が通じることに安堵した「僕」は、改めて女性へ丁寧に応じることを決めた。


「嫌がらせだったのかは知りませんが、これまでの事は全て忘れます。だから教えてください。この場所は何処なんですか?」

「……」


 「僕」の質問に、数秒の沈黙の後、やがて女性は黒髪の切れ目から口を開いた。


「……どこでも、ない、場所。ここ、は、そう、いう、所」

「はい?」


 さっきよりも少し大きな声で返ってきたのは、いまいち要領を得ない答えだった。「どこでもない場所」? もしかしたら、この女性も此処が何なのか分かっていないのだろうか。


「あの、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか?」


 それでも、この女性は「僕」よりも遥かに多くこの場所について知っているような様子。今後の方針を決めるためにも、もっと色々聞いておかなければならない。


 ――思えば、ここで聞いておくのを止めておけばよかったのかもしれない。昔、学校の図書室で読んだ小説に書いていたじゃないか。真実とは、時として希望にも……そして、絶望にもなり得るのだと。


「……今の、『あちら側』、には、無数の、死が、溢れて、いる。それ、は、昔のよう、な、天寿、を、全う、して、土に還り、輪廻に、還る、清らかな、死、じゃなく、そこから、大き、く、外れ、た、不浄なる、死」

「不浄なる、死?」

「そう。沢山、の、人、が、数え、きれ、ない、ほどの、未練、を、抱い、て、死に、汚れ、た、魂、が、増えて、いった」


 唐突な話題転換に、「僕」は困惑した。いきなりこの人は何を言い出すのだろう? ……ただ、話題選択の意図とは別に、初めは意味が分からなかったけど、「僕」にはその言葉の意味が分かるような気がした。


 確かに昔は、今よりもずっと人口が少なかっただろうし、人々の宗教観念も遥かに深かった。この人の言う通り、寿命を迎えて安らかに眠った人の方が多かった筈だ。


 でも、現代はまるで違う。人々は人口問題が起こるまでに増えまくり、民族問題・環境汚染・病気・重犯罪・内戦・戦争、etc.……便利な世の中になった反面、昔より遥かに歪に、殺伐とした世界になったと言えるのかもしれない。 


「で、でも! それがこの状況とどう関係してるって言うんですか!?」

 

 そう、この状況においてはまったく関係の無い話だ。死とか魂とか輪廻とか、「僕」は宗教談義をするためにこんな場所へ迷い込んだんじゃない。だというのに、女性は「僕」の抗議を無視して話を続けた。


「不浄なる、死の、積み重ね、で、『あちら側』と『こちら側』、『この世』と『あの世』の、境界が、酷く、揺らいで、いる。そのせい、で、まったく、関係の、ない、場所、で、『あの世』、への、『門』が、開くよう、に、なって、しまった」

「……ちょっと待ってください。今、『あの世』って言いませんでしたか?」


 その時。「僕」は女性が呟いた言葉の中から、聞き捨てならない文言を拾った。もし、意味をそのまま解釈するとしたら……考えたくもない最悪の可能性が、「僕」の頭を過ぎる。


「『あの世』? 『こちら側』? ほんと、さっきからあなた、何を言っているんですか? それってまるで……」


 すると、「僕」の明らかな動揺を見て取ったか、 


「気付いて、ない、の?」

「え?」


 女性は、綺麗を通り越して生気が感じられない程に真っ白な腕を上げて「僕」を指差す。そして、それが道理、それが当たり前であるかのように――


「あなたは、()()()()()()()のよ?」


 「僕」に、文字通りの()を宣告した。


「……は?」


 女性が告げた言葉の意味を、「僕」は理解出来なかった。唐突過ぎる上に、意味不明過ぎて理解不能……いや、理解してしまえば、頭がおかしくなってしまいそうだったが故に、本能が理解を拒んだ。


「ぼ、僕が死んでる? は、ははっ、面白い冗談ですね。でもまったく笑えませんよ?」

「嘘じゃ、ない。二つの、世界を繋ぐ、あの『門』を、超えた時点で、あなたの魂は、体から、乖離した。今の、あなたは、魂、だけとなって、この、生と、死の、世界の、狭間を、彷徨って、いるに、過ぎない」


 狼狽し、引き()り笑いをする「僕」の言葉を、女性は感情のまったく籠っていない声音で、極めて冷静に否定した。「門」、というのは……あのエレベーターのドアの事を言っているのか?


 女性の言う事が正しければ――この場所は天国でも地獄でも、現実世界でもない場所? 僕がもう死んでる? 何の変哲もないエレベーターのドアをくぐっただけで? 三流作家が書いたホラー小説でも、もうちょっとマシな設定を思いつくってものだろう。


 そんなクソふざけた理由で、「僕」の命はあっけなく失われた? まだたったの18歳で大学にも行っていないのに? まだ彼女も作っていないのに? まだ何もやりたい事をやり遂げられてもいないのに? まだ家族に何も思いを伝えられていないのに?   


「ふざけんなッ!!」


 認めない、認めてなるものか!! 認められる訳が無いだろう!? 「僕」は感情のままに激しく吼えた。


「おいアンタ! 人を騙すならもうちょっとマシな嘘を吐きやがれ!!」

「落ち、着い、て。わたし、の、話を、聞い――」

「うるさい! 黙って聞いてりゃ、生だ死だの、僕が死んでるだの、ふざけた理屈をずらずらと並べてきやがって。人をおちょくるのも大概にしろやッ!!」


 そうして「僕」は、女性から……いや、真実から逃げるように背を向けて走り出した。


「はっ! はっ! はっ……!」


 薄暗闇が照らす廊下を、「僕」は一心不乱に走り続けた。どうしてずっと走ってるのに一向に息が切れないのか、今なら分かる。そりゃそうだ、とっくに死んでれば体力なんて関係な――駄目だ駄目だ!! 考えるな!!


「はっ、はっ、はっ……!!」


 風なんて吹いてないけど、風を切るように走る「僕」の頬から涙が零れ、背後に流れていく。いつの間にか「僕」は泣いていた。どうやら、死んでいても涙は出るら――考えるな!!


「はっ、はっ、はっ……!!!」


 どうして……どうしてこうなった!? 僕は、ただ帰りたいだけだというのに! それをごちゃごちゃと後付け情報で雁字搦めにして、こんな事があって良いのか!? こんな死に方、理不尽にも程があるだろう!?


 やり場のない‟何か”への怒りと、どうしようもない絶望で心をぐちゃぐちゃに擦り切らせながら、「僕」は永遠に続く廊下を走り続けた。



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