04 三島段の日常
雨の音と今から聞こえるテレビの音で目を覚ます。
胃が重い、昨日のストレスが祟っているのだろう。
最悪の目覚めだが、身体は動く。
弟はバスケの朝練に行ったらしい。
お母さんが朝食を居間に運んでいる。
朝のニュースを観ながら朝食を摂っていると陰気で沈痛な幽霊、英助が来た。
「おはよう、絞られたみたいね」
「あぁ、迷惑かけた悪かった!おじさん、おばさんにも心配かけました」
英助は頭を深々と下げている。悲壮感が漏れ出して、爽やかな朝の空気を沈めている。
「もう過ぎた事だから僕は良いけど、身体は大丈夫?」
「ああ、でも心が折れた、もう死にてェよ」
「もう死んでるでしょ」お母さんが追撃ツッコミをする。
「英助君も食べたらどう?食べて元気出して」お父さんがパンを渡す。
「すみません、おじさん」
それを英助が頬張る。
お父さんが微笑む。
お母さんは英助が好きなブラックコーヒーを煎れてきた。
登校の準備をして制服に着替える。
学校までは歩いて二十分くらい。道すがら桜尋様に絞られた内容を聞く。
「このバカ英助、俺はあの家には行くなって言ったろ、何故行った?」
「手柄がほしくて、つい…」
「わからないでもないけど途中で諦めろよ。」
「そんな根性無ぇ事出来ねぇ」
「途中で諦めるのが根性が無いなんて誰が決めたんだ?」
「根性無ぇ奴は何やらせても駄目ですよ中途半端で終われないんですよ」
「今回はさくやが俺と繋がってたから良かったけどな。万が一根性ごときでお前が堕ちたら、俺は堪らないね。」
「墜ちる」というのは地獄へ生まれ変わる事を意味する。
言葉の通りで絶え間無い苦痛、安寧は寸時も無い、逃げ場は無い。
生きている時に無為に頂いた身体を粗末にしたり、死んだ後、頂いた霊魂を粗末にした者。
この贈られた身体や精神を粗末にした者は、もう贈られる事が無くなる。
肉体と精神を選ぶ権利を奪われ、ただ肉体は苦痛に喘ぎ、精神はまともな判断は奪われ、ただ恐怖だけの精神だけを与えられ永劫に苦しみ続けるらしい。
勿論、自分だけでなく周りのあらゆる生命を粗末にしたり悪事を働けば、罪に応じた地獄に生まれ変わる。
これは、閻魔大王が判決を降すというより、自らそこを自分で選んでしまうらしい。
全ての与えられた肉体も、精神も物も時間も、周りのあらゆる命も大切にする気持ちが大切なんだそうだ。
全くピンとこないが俺が色々な事を粗末にしてきたという自覚だけはある。
今回は迷惑をかけ過ぎたからな。
「中途半端が実は終着点なこともある。途中で諦めるのがダメだって言うなら、どこまでやるんだ?」
「はい、反省します」もう、この言葉しか無かった。
「反省しなくていい、成長しろ」
「…」
成長は言葉では表わせない。
「明日、段達に謝ってこいよ」
…みたいな事があったらしい。英助には良い薬になっただろう。
やらかしたら謝りに伺う人が多いからな。
世話役の人達に寺社関係、霊達…今日中に周れるんだろうか、そして皆にいじられて来るんだろうな。
英助が帰って来たらブラックコーヒーでも準備しておこう。
校舎の下駄箱には生徒が集まり始めている。
壁には結露が起きて塗装の溶けた匂いが濃く充満している。
二階階段へ上がると踊り場にいた。魔女がいた。
「あら、おはよう昨日は楽しかったわね」
「おはよう、昨日はお疲れ様」
平静を装う。顔は引きつっていないだろうか。
「しれっとしている顔してるけど、借りがあること忘れていないわよね」
「英助も解放されたし、残りの霊達も成仏したし、もう借りは無効だよ」
「ふーん、そう。それなら私は毎日、外で見かけた霊は手当たり次第捕まえる事にするわ。ゲットだぜー」
「虫籠は、こっちにある。あれが無いと閉じ込められないでしょ」
「あんな物は時代遅れよ、スマートフォンって便利よね。今は霊も捕まえられる時代になったわ」
虫籠にしろスマホにしろ、どうやって霊を閉じ込めているんだ、この魔女は。
「桜尋様とは顔見知りだったみたいだけど、どういう関係?」
「ふーん?気になるの?それは昼休みに話ましょう、理科準備室で良いわね」
「わかった」
水織さんはクラスが違うのでここで別れた。
教室に入ると、ヒカリがこちらに駆け寄ってくる。
鬼雀ヒカリ、十六歳、テニス部所属。
明るい性格で曲がった事が嫌い。幼稚園の頃からの幼馴染み、ゲーム仲間の一人だ。
鬼雀謙三郎の孫で、名士の家の娘だけど、普通に接してくれる。
あと一人、春原ミコトという明るい女子がいるけど、それはまた別の機会で。
「段、知ってる?今日、転校生来るんだって」
「え?期末前のこの時期に?」
「どんな人が来るんだろうね」
予鈴が鳴る。席に座る。
担任の沢部先生が教室に入り、続いて転校が入ってくる。
身長が高くて、目付きが悪い!
クラス中が第一印象『ヤンキー』で統一された。
今は髪は黒いが数日後には金髪になっているに違いない。
「名古屋から転校してきました金原剛です、よろしくお願いします。両親の転勤の都合で、こちらに転校しました、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」二回言った!
緊張してるんだな、周りもクスクス笑ってる。
あだ名は当分『リピート』だろうなと予感した。
「三島君の隣が空いてるから席はそこで、みんな金原君と仲良くしてあげてね」
金原くんは僕の隣に座る
「よろしく」と声は穏やかなんだけど、相変わらず目付きは悪かった。
一限目が終わり、金原くんは早速、皆に囲まれていた。
当然、僕もヒカリも混ざる。
話をすると見た目とは違い、金原くんは普通だった。
鱈聞町からバスで通学している事。
うちの高校では美術部に入ろうと思っているという事。
前の学校でも目付きの悪さをいじられてていた事。
色々と話してくれるのはヒカリの質問能力とコミュ力によるものが大きい。
金原くんへの質問コーナーに盛り上がっているとチャイムが鳴る。
「困ったら何でも聞いてね」
「うん、ありがとう」
昼休みになり、ヒカリとタカシ、健一、金原くんと昼食を摂る。
僕の弁当は昨日の余りのお好み焼き弁当。
金原くんをクラスのSNSグループに招待して、連絡先も交換する。
三十分程、経って平和な昼食は終わり。
魔女との昼休みが始まる。
適当な理由をつけて、理科準備室へ向かう。
準備室の鍵は開いており、水織さんが待っている。
「女の子を待たせるものではないわ」
「待たせて悪かったね」
「昼休みも短いし、手短に、私と桜尋様の関係だけど…子供の頃からの付き合い」
「霊を閉じ込める虫籠は桜尋様に貰ったものよ」
「桜尋様が水織さんと裏では繋がってて水織さんが霊を成仏させていた事。何で桜尋様は隠していたの?」
「私、幽霊が嫌いなの。この糸が出る能力も嫌い。だから桜尋様と話し合ってそうしたの。大体あの人(神)、人使いが荒いじゃない?ちょっと距離を置いておきたいというのもあるわ」
「私の家に侵入してくる霊は私が成仏させていた功績があるから、桜尋様が黙認していたっていうのもあるんじゃないかしら」
「なるほどね、これからも水織さんは、そうしていくわけだ」
「いいえ、それはまた話が別。私子供の頃から三島くんの事、好きだった。だから積極的に関わっていく事にしたわ。」
「ん?さらっとなんて言った?」
「三島くんが私と似た様な能力を持っているって聞いた時、震えたわ。もうこれは運命なんだって感じた。高校卒業したら結婚しましょう、子供は四人は欲しいわ」
一方的な求婚をされてツッコミたいけど、何からツッコんでいいのかわからない。
胃痛と頭痛が同時にきた!
「桜尋様もお似合いだって。神の祝福を受けてるのよ私達」
(あのバカ(神)なんて事言いやがる!)
「魂消祭にも関わるの?」
「勿論、未来の夫を支えるのは、妻の務めですもの」
「話はわかった。追々、話しあって決めようね…」
恐怖の余り手が震えてきている。
初めての女子からの告白が…。
女子からの告白がここまで精神に来るものだとは思わなかった。
予鈴が鳴る、この時間から解放される。
昼休みが終わる。
「じゃあ、また今度」
「まだ、話は終わってないわ」
「予鈴鳴ったから、じゃ」
逃げるのは今しか無い。
水織さんにどう接して良いのかわからない。
廊下に差し掛かった所から全力で逃げた。
「逃げなくてもいいじゃない」そう呟くと丸椅子の上の小さな弁当箱を持ち教室へ向かった。
放課後、桜尋神社に直行すると業太が境内で剣を振っていた。
剣で雨を斬る動作と雨を避ける動作を同時行なっている。
最初はずぶ濡れになるが、練度が上がるにつれ徐々に濡れなくなる。
僕は全く濡れなくなるまでには至らなかったが、合格点までは貰った。
業太はほとんど濡れてない。
この梅雨が終わる頃には更に動きが精緻になるだろう。
黒国 業太、同級生幼馴染み。
父は県会議員。
先祖代々、七夜河の豪族の出自。
先祖が地元の町史に乗っている。
大蛇殺しの英雄『黒国 業光』の子孫。
地元で紙芝居にもなっている。
今年の春、魔龍にお母さんを目の前で殺され、その怨念で二本角の鬼になった。
桜尋様に保護され、その角を隠す術が安定する力量になるまで、人間界には戻らず、桜尋様の保護の元、下働きや修行に明け暮れているらしい。
以前の業太は近寄り難くて氷の様だったが、今は桜尋様のお陰で少しだけ明るくなった。桜尋様のゲーム三昧を注意している姿を見ていると、兄弟の様に見える。
いや、兄妹かな。
七夜河高校には休学中で隠蔽は世話役の僕らが行い、入院している事になっている。
今日、金原くんが座った席は元々、業太の席だった。
業太に声を掛けると笑顔で迎えてくれる。
「桜尋様に用か?少し待ってろ」
社内に入ると空間が変異し、長い廊下を通り客間に案内される。
業太が抹茶と茶菓子を持ってくると、桜尋様が笑顔で登場、上座に座る。
「昨日はお疲れ様、学校でさくやと会ったろ、話の内容はビー玉から聞いてる。まさか結婚にまで話がいくとは思わなかったけどな」
桜尋様は堪えている笑いが吹き出している。
「もう!だいぶ困ってるんですからね、こっちは!」
「えー?さくやの何が不満なんだ?確かに思い込みは相当烈しいけど、根は良い娘だぞ」
「さくやと結婚したら幸せになれるぞ、保証する、俺って神だからな」
「僕はまだ高校生ですからね、結婚なんて決められないですよ」
「だから、禁忌の家のお姫様に手を出すのか、それとも出さないのか、お前に任せるって言ったろ。お姫様を目覚めさせたのは、お前なんだよ」
「でも英助は助けないといけなかったでしょう?」
「そりゃそうだよな。でも助けないのも、お前の自由だったんだよ。この場合、英助はキューピットって事になるのかな?それとも開けてはいけない箱を開けたパンドーラー?いずれにしても英助を助けちまったんだ、責任はお前に与えられている。」
抹茶茶碗を回しながら微笑んでいる。
「お茶立て上手くなったな業太」
業太はそういうのはいいから…段の相談にちゃんと向き合って下さいと、桜尋様に目配せしている。
「因みに今後、段が何かの切っ掛けでさくやに手にかけたところで俺はお前を責めないよ。お前に『魔女であるさくや』も『お姫様であるさくや』も全部引っくるめて任せたんだ」
…荷が重い話だ。この件については、先任であるお父さんに相談しよう。
この神もうダメだ。
「更に情報を与えとくと、お前がさくやと結ばれるのをどうしても拒むんだったら、ここからは戦場だ。情報、兵站、メディア、七夜河の霊達のコミュニティーも学校の中の人間関係にも気を配れ。じゃないと、いつの間にか公認のカップル扱いを受けるからな。優しくする時も、冷たくする時も気を付けろ、魔女なんだからな」
元、西国の軍神だった頃の桜尋 須多羅の四つ目が朱く光る。
戦備えの算段に血が湧いている。
「鉄十字の扇動者と戦うくらいの覚悟は出来たか?出来ないんだったら、早々にくっついた方が被害は最小限で収まるぞ」
只々、僕は生唾を飲むことしか出来なかった。
業太は気の毒そうな顔でこちらを見ている。
「段、俺も相談くらいなら乗るからな」
業太の目がそう言っている。優しくなったなお前。
「では桜尋様失礼します」
「おう、気をつけて帰れよ」
そう言って二人は帰りを見送ってくれる。
桜尋神社の階段を降り切った段の後姿を見ながら業太は須多羅に質問する。
「お社様、段が困ってます。何故そこまで二人を取り持とうとするんですか?」
業太は段が哀れでしかたなくなった。
そろそろ説明しておくかといった風に須多羅は語る。
「さくやってさ、魔女とか呼ばれてるけどピッタリだろ?そりゃそうだよ。アイツはとんでもない魔王になれる素質があるんだよ。魔王じゃなくても、歴史に残る独裁者、傾国どころじゃない世界中に戦火を飛び火させる大悪女になってしまうんだな。」
「だけど、段ならそれを止められる。さくやを普通の幸せなお嫁さん、幸せなお母さん、幸せなお婆ちゃんになって生涯を終えさせる事が出来る。」
「これが俺の計画なんだけど…誰にも言うなよ?」