(4)2日目-3 開聞岳登山
開聞岳に登り始めてすぐ、橙山十令三は登山になんて参加しなければ良かったと後悔した。
昨日の夕食会で開聞岳登山の話題を出したのは誰だっただろうか。
女性の誰かだったと思うのだが――。
いや、それ以前に、運営が、この山を登ることを観光案内に入れていたのがいけないのだ。
登山に行く者が10名以上いればマイクロバスを用意してくれると言うから。
そのバスが、登山用の服装やリュック、昼食購入のために近くのホームセンターへ寄ってくれると言うから。
しかも、そこでの支払いは、旅館に届け出れば後日運営が清算してくれると言うから。
お金をかけずに遊べる、むしろ色々買ってもらえると言われたら、ほとんどの人は飛び付くに決まってるじゃん、と十令三は今更ながらに愚痴る。
実際、比較的フットワークが軽そうな者が10人参加した。
企画参加者20人中10人参加とは、登山がキツイものだという印象がある中では健闘したと思う。
登山に参加したのは、
青島未紗十、阿二青人、御茶屋伊十五朗、九之坪眞白、黒澤五十鈴、紫尾十二愛、橙山十令三、小緑十四郎、七海茶和子、六斉堂美緑
55歳の御茶屋を除き、10~40代までの比較的若い層だけが参加しているのは、当たり前というべきか。
この10人の一時的なまとめ役は、30代後半である小緑十四郎がやってくれている。
今も登山隊の先頭にいるはずだ。
登り始めの頃は十令三と十二愛も彼と一緒に登れていたのだが、次第に置いていかれるようになった。
今は十二愛と共に、先頭グループから少し遅れているくらいのポジションで登っているような感じだ。
「なんかさ、この山、頂上に近付くにつれてキツクなってきてるよね?」
十令三のすぐ後ろを登っている十二愛が息を切らしながら言う。
同意と、十令三は小声で返した。
最初はなだらかな上り坂だった開聞岳だけれど、頂上に近付くにつれて、岩の階段や崖のような場所を登らないとならない場所が増えてきた。
体力が尽きてくる後半になるほどキツクなるとは、かなり意地が悪い。
そんな山なのに、標高が低いから登山初心者にも簡単! ハイキングに最適! なんてオススメレビューをしないで欲しい。
いや、してもいいが、ネットにあげないで欲しい。
「これさ。ハイキングの域なんてとっくに超えちゃって、ガチ登山だよね」
「だよね~」
「今晩ぜったい筋肉痛だよー」
「あたしとか普段運動してないから、遅れてくるかもー」
「筋肉痛が遅れてくるって年よりじゃん。うけるー」
あまり笑えた話ではないのだが、皮肉でも言いながらの方が疲労が紛れるのだ。
そんなこんなしていたら、樹木のカーテンが開けることが増えてきた。
頂上はもうすぐだろう。
こんな苦労ともお別れだ。
帰りは下るだけなのだから、楽にポンポンと行けるはず。
ついに森が切れた。
360度、どの方向を見回しても空と岩しかなくなる。
いびつな火山岩ばかりがゴロゴロしているここが、この山の頂上らしい。
不安定な足元に注意しながら岩の上を歩く。
そうしていると、どこからか悲鳴が上がった。
声の方を見てみれば、足場の岩の淵ギリギリへと何人かが慌てた様子で移動していっている。
その横を七海茶和子がふらふら歩いていき、躊躇することなく中空にまで足を踏み出した。
中空だ。
足場なんてない。
当たり前のように七海は岩肌を転げ落ちていった。
周囲では新たな悲鳴があがる。
何がなんだかわからなくて、十令三は悲鳴すらあげられなかった。
「おいちょっと待て!」
九之坪眞白が六斉堂美緑の腕を掴んで怒鳴っている。
何を待てと言っているのだろう?
ひょっとして、これ以上動くなと言っているのだろうか。
六斉堂の目は虚ろで、心ここにあらずといった感じだ。
仲良く登山してきた七海が飛び降りたショックで理性が飛んだのだろうか?
「飛ばないと」
六斉堂の口がわずかに動いた。
「飛ばないと飛ばないと飛ばないと飛ばないと飛ばないと」
壊れた電化製品のように彼女は同じ言葉を繰り返す。
「何を――」
「飛ばないと」
それほど力が強いようには見えない六斉堂であったが、九之坪を突き飛ばした。
足場が悪いのもあって、九之坪が体勢を整え直すのに手間取る。その間に、六斉堂は七海が歩んだのと同じコースを辿って姿を消した。
周囲はもう、ただただ唖然とするばかりである。
「十令三ちゃん、これ、何?」
十二愛が訊ねてきたけれど、そんなこと十令三だってわからない。
「わかんないよそんなの」
3時間半もかけて辿りついた頂上で待っていたものがこれだなんて、あんまりだ。