(38)最終日-7 犯人は私です2
八子黒音は生物学的には女性である。
本人も女性だと認識している。
だがしかし、いつからか、八子の中には男性としての意識を持つ黒音がいた。
元から男性的な要素を持っていてその部分だけが独立したのか、何かの理由で八子の内面の一部分が変質してしまったのか。
八子自身にもわからない。
男性八子が産まれた最初のころ。
2人の八子は上手くやれていた。
普段の生活において男は全く主張せず、女が困った時の良き相談相手になった。
女が対処したがらない場面では男が表に出て、女の嫌がることを肩代わりしもした。
男が表に出る時間が長くなるほど男の主張も強くなる。
最終的に、八子の主人格はどちらかという争いにまで発展してしまった。
互いに強引に相手人格を抑え込もうにも、強さは完全に拮抗。
ピクリとも動かない。
そんな状態に2人格は疲れ果て、賭けをした。
エイトボールで勝敗をつけようと。
だが、普通にエイトボールをするだけではつまらない。
何せ、人格が1つ消える大事件だ。
球を突くだけで決まる勝負で決着がついてはならない気がした。
そこで、ゲーム環境をいじった。
人をビリヤードの球に見立てたのだ。
1週間の期間をかけて行う殺人ゲーム。
それでどちらの人格も8番球に届かなければ、今回の勝負は流れることになる。
殺害対象になる人物には多少申し訳ない気はするが、八子の心の平穏のために仕方がないと割り切る。
実際問題、懇意にしている人物以外はモノと同じだ。
むしろ減ってくれと願うことさえある。
東京に行くたびに経験するあの糞みたいな人口密度には辟易する。
ラッシュ時の電車にすし詰めにされている時、周囲にいるのは人ではない。
自分に害をもたらすかもしれない害獣に等しい。
電車に乗っているほとんどの人が、自分以外の人間消えろと思っているのではないだろうか。
そう考えると、八子は人口対策に貢献しただけだ。
10人少し程度間引いたところで全く効果は無いが、少なくともそれだけは減る。
環境に優しい慈善事業だ。
それに、八子は鬼ではない。
球になっていただく人々は、人生最後に楽しんでいただけるように、ささやかながら無料旅行に招待した。
八子が出資者だとわかりにくくするためにダミー会社を立ち上げ、人を雇い、旅行参加者や関係業者とのやり取りは一任する。
ダミー会社の社長だけでは判断に困る事案が発生した時は、踏み台をいくつか挟んだメール経由で連絡をもらい指示を出した。
幸い八子は学生でありながら企業家だ。
立ち上げたちょっとしたベンチャーが上手くいき、そこそこの小金がある。
そこで稼いだ金を、自分磨きのために使うだけだ。
一般的に言う自分磨きにしては額が大きいだけで。
自分で稼いだ金で何をしようといいではないか。
やっていいことと悪いことがあると世間は言うかもしれない。
けれどだ。
自らの手で直接人の命を刈り取っていくのと、部下や従業員に過酷な労働をさせて鬱に追いやって自殺させるのと。
どちらが悪質だというのだろう?
見方によっては、自らの手を汚している八子の方がマシではないか?
綺麗ごとばかり並べて自らの責任を取らない人間が八子はとても嫌いだ。
そういう、社会的地位だけある人間の屑が、この企画には参加してくれなかった。
参加してくれれば確実に殺害してやったのに。
日本から害虫を1匹駆除してやれたのに。
それだけが残念だ。
周囲の騒がしさがおさまらない。
八子が斬りつけた現場に居合わせた一般客の大半はさっさと逃げ出したのに、騒ぎを聞きつけたヤジウマが後から後からやって来て去らない。
現場に一般人を立ち入らせないため、警察官が体を張ってバリケードを作っている。
ご苦労なことだ。
エレベーターホールから知った声が聞こえてきた。
警察官から体を床に押し付けられている八子ではそちらを確認できないが、二階と白木か。
二階の部屋は2階、この階に用は無いはずだが。
土産でも探しに来たのだろうか。
それなら、この先に土産屋の並ぶ通りがある。
通り抜ければすぐだが、現在は封鎖中。迂回してもらうしかないだろう。
八子の精神統一のためだ。
多少の不便は我慢していただきたい。




