(2)2日目-1 叔父と姪
4月27日(土)
10:45 鹿児島県指宿市
温泉旅館白水館の駐車場に車を停め、白木は携帯電話でメールを打った。
送信したら座席を倒し寝の姿勢に入る。
この旅館に宿泊している姪を迎えに来たのだが、彼女が出てくるまでにそこそこ時間がかかるだろうと予想される。
ダラけて待たなければ労力の無駄だ。
「やっほーおじちゃん! 久しぶり~」
しばらく経つと、元気よく挨拶しながら、姪の二階桃子が助手席に乗り込んできた。
うるさい音を立てながらドアを閉めた彼女は、起きようとしていた白木に、手に持っていた紙袋を押し付けてくる。
「これ、父さん達がお土産って」
「ああ、そう。ありがと」
土産と言えば聞こえはいいが、実際は迷惑をかける詫びだろ、と思いながら白木は紙袋を受け取る。
老舗菓子屋の焼き菓子だとだけ確認して、後部座席に土産とやらを置いた。
「で、どこに行きたいわけ?」
「登山! 開聞岳!!」
「その格好で?」
今年高校1年生になった桃子は、女子高校生がよく着ていそうなファストファッションぽいものを着ている。
靴も普通のペタンコ靴だ。
「だーかーらー。おじちゃんに運動用の服と靴を買ってもらってー、それから一緒に登ろうかなって。そんなに高い山じゃないらしいし」
「却下。僕朝飯食べてないし、そうめん流しに行って朝兼昼かな」
「行き先希望訊く意味ないじゃん!」
「むしろ、なぜ、突然登山したいと言ってOKが貰えると思ったのか」
白木は普段運動不足な30代中盤のおっさんなのだ。
外見は20代の頃とそう変わらないつもりだが、最近体力の衰えを地味に感じる。その上運動が特段好きなわけでもない。登山なんてした日には確実に死ぬ。
よって、桃子の希望は却下の一択だ。
これ以上は話すだけ無駄と、白木は車を出した。
行き先はもちろん昼を食べられる場所である。
「砂蒸し温泉で有名な旅館に泊まってるんだから、今日も温泉三昧で良かったんじゃないかと僕は思うんだけどね」
「それなら昨夜入ったよ!」
桃子がバンバンと自分の膝を叩く。
狭い車内なので暴れないで欲しい。
白木の願いが届いたのか、桃子はすぐに大人しくなった。
大人しくなったというか、何かを思い出すようにぽつぽつと話をつなぐ。
「温泉と言えばさー。昨夜お風呂入ってて死んだ人がいたらしくてさ、宿泊者のみなさん入浴時は注意してくださいねってお知らせが回ってきたよ」
「ああ。たまに聞くね。風呂入ってる途中で寝ちゃって窒息とかって。何? 桃ちゃんも風呂入ってる途中で寝るかもって心配で、お昼まで温泉が嫌なわけ?」
「違うよ! お風呂は夜に入れば十分だから、モモは観光に行きたいの!」
「さようですか」
温泉旅館に泊まったら、白木などは温泉に入り浸ってゴロゴロしているだけで1日が終わるものだが。
日中の暇つぶしに登山を選んでくるあたりが若さなのだろうか。
「おじちゃん今日から長期休暇なんでしょ? お父さん達言ってたよ。あいつ1人で休暇だと家でゴロゴロしてるだけで終わるだろうから、あっちこっち連れ回してやりなさいって。モモもさ、せっかくの休みなら普段できないことをやる方が有意義だと思うんだ。それにJKが同行するなんて、美味しい役回りじゃない?」
「幸せ過ぎて涙が出そうだよ」
「でしょー?」
したり顔で桃子が頷く。
白木の皮肉は彼女に通じなかったらしい。
桃子が1人で鹿児島に行くので面倒をみてくれ、と兄夫妻に白木が言われたのは、ひと月ほど前のことだった。
名前に数字と色を持つ人を旅行にタダで招待するという意味不明な企画に桃子が当選したらしい。
タダと言っても、旅行期間1週間の拠点となる宿の宿泊費が無料になるだけで、他に特殊なイベントは特に組まれていない。
補助が出る場合もあるが、遊び代は基本各自、という形らしい。
宿泊場所に指定されている白水館はそれなりに良い温泉なので、宿泊費無料だけでもかなりの大盤振る舞いではある。
通常時であれば、そんな企画に当選した桃子を白木も祝福しただろう。
土日に面倒みてくれと言われても、それくらいの期間ならば快諾した。
白木の不幸は、その企画期間と白木のリフレッシュ休暇2週間が被ってしまったことだ。
正月に兄と会った時に休暇の日程を話していたのがいけなかった。
可愛い姪の世話が嫌だなんて言わないよな? と兄に圧をかけられ、それでも白木がゴネていたら兄嫁から兄以上の圧をかけられ。
白木の長期休暇前半は、姪の子守で潰れることが確定してしまった。
まったくもって面倒くさい。
白木がそんなことを思いながら運転している横で、桃子はご機嫌に昨日のことを話している。
「鹿児島中央駅から白水館行きのマイクロバスが用意されててさ、企画参加者はそれに乗ればオッケーだったんだ。ガイドさん付きでさ。小さなボリュームでBGMまで流れててさ。豪華だよね」
バスでもUSENって契約できるものなのかな、と、そんな疑問が白木の頭に浮かんだ。
「でね、この企画ってほぼずっと自由行動なのにさ、初日の夜は参加者全員集まっての晩餐会があったの。そこでね、誰かが、開聞岳っていう山があるって言いだしてさ」
企画参加者の中に登山好きがいれば、登りたいと言い出すだろうなと、ぼんやりと白木は思う。
「あれよあれよと今日登山に行こうって話になってさ」
当たりだったようだ。
「桃ちゃんもその人達に混ざれば良かったのに」
それなら桃子は開聞岳登山ができ、白木は子守から解放される。2人にとって利しかない。
「だって昨日会ったばっかりの人達だよ? それよりおじちゃんと行く方が気楽で楽しいじゃん?」
「それは光栄の極み。けども、その、知らない人達と仲良くなるために、一緒に行動してみても良かったかもね」
「えー? モモと仲良くなってくれるような人いたかな~? これ、企画参加者の名簿なんだけど、見てよ」
助手席で桃子が手持ち鞄をゴソゴソし始めた。
「いやね。今出されても、僕見れないから」
白木は運転中――というか、企画参加者に興味が無いのだ。