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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

まさかミケ猫 企画・祭り関連作品集

ガイコツ剣士と闇色の怨念

阿井りいあ先生主催「シャッフル短編企画」参加作品です。

 トクン、トクン。

 ぼんやりしていた意識が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。冷たい石の床。カビと埃の臭い。やけに大きく聞こえる自分の鼓動。


 いつの間にこんな薄暗い部屋に寝転がっていてたのか。天井に目を向ければ、這っていたヤモリがピタリと動きを止めた。


(俺ぁ、死んだんじゃなかったか? 不意打ちでぶっ殺されて、誓いも果たせず、怨念になったと思っていたが……)


 彼の脳裏に浮かんだのは、恋人が泣き叫びながら自分の亡骸(なきがら)を胸に抱く姿だった。

 記憶が確かなら、彼は後輩騎士に背中を斬られて命を落としている。そして、死にきれないまま怨念になり、宛もなく冥府を彷徨っていたはずだ。


 長い長い夢の中で、彼は様々な仲間(・・)たちと出会った。

 身に覚えのない罪で処刑された役人。夫の愛人に刺された主婦。決闘の前に毒を盛られた武芸者。魔術の実験台にされ苦悶の末に息絶えた奴隷。みな自分と同じように、この世に未練を残して死んだ怨念であり――


「……ん。成功したか」


 唐突に聞こえてきたのは、まだ幼さの残る女の声だった。彼は思考を中断し、声の方へと視線を向ける。


「ククク。(いにしえ)の騎士よ、我に力を貸せ」


 そこにいたのは、怪しげな衣装を纏った少女だった。

 歳の頃は十五そこそこといったところか。長い黒髪は、前髪の一部にだけ金色が混ざっている。それに合わせるように、黒布のローブには金の刺繍が入っていた。大きな丸眼鏡と、禍々しい気配を放つ魔本。左肩に乗っている大福餅のような魔物は、おそらくスライムだろう。


 彼女は今にも壊れそうな椅子に浅く腰掛け、片手に持ったトマトを(かじ)っていた。無表情のまま彼を見つめるその瞳は、桔梗の花のように青みがかった紫色をしている。


「お前さんは一体……?」

「あぁ、自己紹介がまだだったな」


 彼女は食べかけのトマトを宙に放って立ち上がると、ローブの裾を摘んで一礼した。


「我は冥術師のシズク。お前を冥府から呼び戻した者だ」


 シズクと名乗った少女は、左肩のスライムを手のひらに乗せる。薄い胸を張りながら、それをずいと前に差し出した。


「このスライムは冥魔のノビ子。体がよく伸びる。お前の先輩になるな」

「こんにちはー、ノビ子だよー」


 なんだかユルい雰囲気のスライムを見て、彼はようやく状況を理解した。

 冥術とは、死者の怨念を現世に呼び戻し、魔物に憑依させて使役する術のことである。彼もまた、冥魔として彼女に使役される立場となったのだろう。


「なるほどな。それにしても……ノビ子かぁ。なんつーか、酷ぇネーミングセンスだなぁ」


 彼の言葉に、シズクは手のひらのスライムへと視線を落とした。


「そうか? わかりやすくていいと思うが。名は体を表すと言うだろう。なぁノビ子」

「えー、そこはノーコメントかなー。わたし、主様の悪口は言わない主義だからねー」


 そう言って、ノビ子はぬるりと床におりた。

 這っていった先には、シズクが投げ捨てたトマトがある。全身を薄く伸ばして赤い果実を包み込み、シュワシュワと音を立ててそれを消化し始める。


(……スライムは屍肉を喰らう、か)


 ドロドロに溶けていく赤い果肉を見て、彼はそんなことを思い出していた。

 気色悪いと思う者も少なくないが、スライムは疫病を防ぐ意味では有用な存在だ。また、戦闘力こそ低いものの、様々な術を器用に使う便利な魔物でもある。そのため、スライムを使役して身の回りの世話をさせる術師は多いのだ。


「さてと。蘇って早々すまないが、今夜はさっそく仕事だ。文句を言わず手伝え」

「あぁ。俺ぁどうせ、そのためにあの世から呼ばれたんだろう?」

「ククク……話が早いな。いいぞ、ホネ夫」

「ホネ夫……?」

「お前のことだ。名は体を表すからな」


 そう言われ、彼は初めて自分を見た。


 彼の体はスケルトン……要はガイコツだ。

 薄汚れた剥き出しの骨格。かつて心臓があった場所には、赤黒い「冥核」が脈打っている。半透明の触手が冥核を中心に体中へ張り巡らされ、筋肉のない体を動かしているようだった。


 床に手を付きゆっくりと立ち上がる。

 人間の体とは違うところが多いが、体を動かす分には不思議と違和感がないらしい。


「出発の準備をしろ。ノビ子、ホネ夫」

「ぷぷっ……ホネ夫だって。変な名前ー」

「ノビ子に笑われてもなぁ。まぁいいか」


 彼は面倒くさそうにため息を漏らし、部屋の隅に転がっている軽鎧を拾いに行くのだった。




 領主の娘レティシアは今年で十八歳。その顔は誰もが振り返るほど美しく、心根も穏やかで慈悲深い。明日にはこの国の王子との結婚式を控えており、表向きは祝福ムード一色であったが……。


 実は数年前から、彼女はとある外法師につけ狙われていた。強力な禁呪を扱う男で、拐われかけたことも一度や二度ではない。


「――で、主サマよ。要はそのレティシアお嬢様とやらを守るのが今回の任務ってわけか」


 闇の中を滑るように駆けながら、シズクの説明に耳を傾ける。

 今宵は新月。外法師の呪術はいつも以上に強化されるため、領主の騎士では太刀打ちできないのだという。


「ホネ夫。お前はひとまず軟弱な騎士どもを手伝ってやれ。必要になったら呼び寄せる」

「あいよ。主サマは?」

「外法師を待ち伏せる。いくつか網を張ってるからな……どれかには掛かるはずだ」


 そんな話をしながら、べったりと湿った空気を切り裂いて領主館へと向かう。


 すると突然、シズクが足を止めた。

 彼女は険しい表情を浮かべたまま、小さくため息を吐く。おそらく何らかの方法で敵の動きを察知したのだろう。


「予想より早いな。ホネ夫、仕事の時間だ」

「そうか」

「ノビ子。ホネ夫を送り届けてやれ」

「はいはーい、かしこまりー」


 気の抜けた返事を一つして、ノビ子は体をグネグネと変形させていく。地面の上に平らに広がると、魔術的に意味を持った紋様を形作った。


土雷門(どらいもん)っ!」


 魔術陣と化したノビ子の体を魔力が巡る。次の瞬間、地面にバチバチと紫電が走り、闇の大穴が生まれた。


「いってらっしゃーい」

「おう、また後でな」


 彼は片手を軽く挙げると、穴の中へひょいと飛び込んだ。




 ヌメリ。

 闇色の塊が、ゆっくりと地面を這う。


「グブゥゥゥ……ゥロオオオオオオオォ」


 それは、巨大なナメクジだった。

 離れていても鼻を刺激する強烈な生臭さ。周囲の草木を腐らせるほどの濃い粘液。くぐもった呻き声を上げるソレの下では、巻き込まれた騎士が今まさに飲み込まれようとしていた。


「だ、助け、ああああぁぁぁ――」


 想像もしていなかった異形の襲撃。

 騎士たちは足を止めて身構えた。


 だが次の瞬間。

 ナメクジは横一文字に切り裂かれ、ぐらりと揺れて倒れる。そこに立っていたのは、一体のスケルトンだった。


「おいおい。この程度のヤツに、騎士が立ち止まるんじゃねぇ。襲撃はこれからだぜ?」


 彼はそう言うと、灰色の外套をバサリと翻し、片刃の剣を肩に担ぎ直した。その太刀筋を見ることができた者は、この中にどれくらいいるだろうか。


「……助けてくれたのか。アンタは……?」

「冥術師の使役する冥魔だ。名前は……ちぃと言いたかねぇ。領主からの依頼でな。お前さんたちの助太刀ってわけさ」

「あ、ありが、とう……」

「よせよ。それより、敵さんの使役魔はまだまだ来るみたいだぜ? 気ぃ抜くなよ」


 ナメクジを形作っているのは、冥術とは似て非なるモノだった。

 死者の怨念を利用するのは同じだが、その想いを破壊的な方向にのみ増幅し、暴走させ、無差別に人を襲わせる術。


 邪霊術と呼ばれるそれは、古来より禁呪に指定されている危険なものである。


「ったく、外法師って奴も酷ぇことしやがる。好きで怨念になる奴なんていねぇのによぉ。邪霊なんかにしちまいやがって」


 そう言うと、彼はナメクジの残骸へと近づいていき、自らが切り裂いたその体に触れた。


「悪かったな、痛ぇことして。お前さんも俺の中で休んだらいい。さぁ、こっちに来いよ」


 彼の言葉に、ナメクジの体がドクンと脈打った。吹き出した闇色の霧は彼を包み込み、その体へ侵入しようと絡みつく。それは、死者の怨念そのものであった。


「よし。一緒にのんびりやろうぜ。あとで茶でも飲みながら、じっくりお前さんの話を聞かせてもらうからな」


 渦を巻いていた霧は、そのまま彼の中に消えていった。ナメクジの残骸はドロドロに溶け、薄汚れた水溜まりを作っている。

 どうやら彼の中には、冥府で出会った様々な怨念たちが住み着いているらしい。先ほど取り込んだ者も、無事に仲間入りを果たしたようである。彼らとちゃんと話をするのは、もう少し状況が落ち着いてからになるだろうが。


「とりあえず、昔みたいに戦う分には問題ないらしいな。あとは……」


 ボヤきながら周囲を見渡すと、あちこちで騎士の悲鳴が上がっていた。早く助けなければ、少なくない犠牲が出てしまうだろう。


「今の時代の騎士は、こんなんで主を守れんのかねぇ。まぁ、殺されちまった俺が言えた義理じゃねーけどよ」


 彼は吐き捨てるようにそう言うと、頭蓋骨の後ろをポリポリと掻き、悲鳴のする方へ駆け出して行ったのだった。




 目の前に再び闇の大穴が現れたのは、それからしばらくのことだった。厄介な邪霊はあらかた倒し終わり、あとは騎士に任せても問題のない状況だ。


 穴に跳び入ると、一瞬で別の場所に出る。


「来たぜ、主サマ」

「ホネ夫。お前はそこの鎧男の相手をしろ」


 シズクの視線の先を追う。

 そこにいたのは、全身鎧に身を包んだ大男であった。


 男は両手で大剣を構え、外法師らしき者を庇うように立っている。また、すぐそばの地面には年若い女が横たわっていた。おそらくは彼女が護衛対象のお嬢様だ。


 彼らがいるのは、屋敷の庭の隅だ。

 塀には人が通れるほどの穴が空いており、隙を見せればあっという間にお嬢様を連れ去られてしまうだろう。


「絶対に仕留めろ、ホネ夫」

「簡単に言ってくれるなぁ」


 彼は剣を担ぎ、鎧男の前へと躍り出た。

 大きく振りかぶり、一合。


「ほぅ。お前さん……」


 彼は思わず感嘆を漏らした。

 鎧男の剣は、騎士の手本のように実直で歪みのない剣だった。それは決して、つまらない剣という意味ではない。むしろ、重ねた研鑽が滲み出る強い剣と言っていいだろう。少なくとも、先ほど手助けしていた騎士たちとは格が違う。


 二合、三合と剣を交えながら、彼の疑念は徐々に確信へと変わっていく。


「――まさか、な」


 彼は全身から力を抜き、重力に身を任せる。倒れ込みながら一気に体を捻ると、その剣先は音さえも切り裂いた。それは、一歩間違えば自滅する捨て身の一撃。


 秘剣・首刈り風車。

 だが鎧男は、その技を知っているかのごとく丁寧に捌ききる。


「お前さん……やはりザイアンか」


 それは、かつて彼を殺した後輩騎士の名だった。

 毎日のように訓練で打ち合っていれば、剣筋の癖は体が覚えている。必殺の秘剣を難なく防いだことからも、その正体に間違いはないだろう。


「ククククク……あーっははははははッ!」


 鎧男は高笑いを上げると、大剣を大きく振って彼を遠ざけた。そして、おもむろに兜を脱ぎ去る。


――その中身は空洞だった。


 リビングアーマー、生ける鎧の魔物だ。後輩騎士もまた彼と同様に、冥魔として使役される立場になったのだろう。


「はぁ……まったく、気づくのが遅いですよ。テオドール先輩」

「なんだぁ、お前さんまで怨念になってたのかよ……。ってことは結局、俺を殺したところでロクシーは手に入らなかったか」

「ちっ。相変わらず嫌な人です……ねッ!」


 ザイアンは大剣を地面に引っ掛け、ガリガリと擦るようにしてタメを作った。それを一気に振り上げれば、大剣はまるで抜刀術のような速度で襲いかかってくる。


 なんとか受け流したものの、彼は後退を余儀なくされた。


「くっ……地鳴閃。お前さんの得意技だったなぁ」

「えぇ。貴方を殺した技です」


 そうして切り結ぶこと数合。

 彼は見る間に劣勢に立たされていった。


 正確さと凶暴さを兼ね備えたザイアンの剣は、記憶にあるものより数段強力になっていた。逆転の一手を探るが、彼は一方的にジリジリと追い詰められていく。


「ククク……。他の怨念を喰って強くなったのは、何も先輩だけじゃないんですよ」

「喰った、だと……?」


 そこで、戦局に動きがあった。


 悲痛な叫び声に目を向ければ、外法師は地に伏しており、触手のような(うごめ)く縄に巻かれていた。どうやらシズクの方が一枚上手だったようだ。


 それを見たザイアンは、外法師を助けることなく壁の穴へと向かう。


「ロクサーヌ様は必ず僕のものにする。もう誰にも譲らない。邪魔するなら、もう一度殺してあげますよ。テオドール先輩」


 そう言い残し、そのまま壁の向こうへと消えていった。


「僕のものに……? あいつぁ何言ってんだ」


 ザイアンの捨て台詞に疑問を覚える。

 彼らが生きていたのは、もうずっと昔のこと。当然、想い人のロクサーヌも既にこの世を去っているはずだ。


 ふと彼の視界に、倒れているお嬢様が映る。

 そして、雷のような衝撃が背筋を走った。


――護衛対象のレティシアは、彼の生前の恋人に瓜二つであったのだ。




 二百年ほど昔の話になるだろうか。

 まだ彼が怨念になる前。領主直属の騎士として働いていた時のことだった。


 領主の末娘の結婚式を明日に控え、領主館は慌ただしい雰囲気に包まれていた。そんな中、彼は花嫁となる娘の居室にこっそり呼びだされた。


『騎士テオドールよ。領主の娘として命じます。今すぐわたくしを連れて逃げなさい』


 彼女はその美しい顔に悲壮感を漂わせ、困った顔をする彼の体へとしがみついた。


 彼は小さく息を吐きながら、ゆっくりと彼女を引き剥がす。


『それはなりません。ロクサーヌ様』

『じゃあ幼馴染としてお願いするわ、テオ。私と駆け落ちしましょう?』

『おいおいロクシー。領主様が泣くぞ』

『泣かせとけばいいのよ、あのバカ親父』


 そう話す彼女は、この結婚に不満を持っているらしい。

 貴族家に生まれれば、諦めねばならないことも多い。政略結婚はその最たるものだろう。彼女自身それは分かっていたのだが……。


『どうしてこの美しい私が、五十も年上のお爺さんに嫁がなきゃいけないわけ? モノには限度ってものがあるわよ』

『まぁ、とりあえず落ち着け。ものは考えようだろう。ほら、そんな爺さんなら、夜の生活を無理に迫られることもねぇだろうし……。そこはある意味安心なんじゃねぇか?』


 彼の言葉に、ロクサーヌはため息をついて俯く。


『それが……そうでもないらしくてね』

『うぇ。まさか……まだ元気なのか?』

『聞きたい?』

『やめとく。昼飯食ったばっかりだからな』


 彼は口を歪めて視線をそらした。

 聞くところによると、相手の貴族は最近かなり羽振りがいいらしい。今回の結婚にも相当の金銭を積んだようで、この貧乏領地でも既にその金をあてにした公共事業の計画が始まっていた。


 今さらそれを、個人の感情でひっくり返すことなど許されないだろう。


『とりあえず、純潔をさっさと捨てておいたのだけは正解だったわね。ナイス私』

『ちっ……。俺ぁゴミ箱かなんかかよ』

『似たようなものじゃない。私を連れ去る度胸もないくせに。あんたなんか、ゴミを食ってウンコを出すだけの無駄魔導機械よ』

『ったく、またバカなことを言って……』


 彼は不器用に顔を歪め、笑うフリをする。

 本当は彼女を連れ去ってしまいたい。その想いを殺して、恋人の顔から目をそらした。




 古い記憶に思いを馳せながら、彼はボロ屋の中で小さくため息をついた。丁寧に淹れたお茶を啜り、気持ちを落ち着ける。


 ザイアンはロクサーヌに横恋慕していた。そしてその想いを、顔貌のよく似たレティシアで果たそうとしているのだろう。


「ホネ夫ー、本当にひとりで行く気ー?」

「仕方ねぇだろ。主サマがぶっ倒れちまってんだからよぉ。ザイアンの奴は必ず来る」

「でもー、依頼のとおり外法師は捕らえて報酬ももらったしさー、これ以上はタダ働きだよー?」


 冥術を使いすぎた影響か、シズクは現在深い眠りについている。本来であれば、独断で行動すべきではない状況なのだが。


「……さすがに放ってはおけねぇよ」


 主のことをノビ子に任せると、彼はボロ屋をあとにした。



 晴れ渡った空。

 今日はまさに結婚式日和と言っていいだろう。


 神殿を見下ろす丘の上で、彼は肩に担いだ剣の柄をグッと握る。生ぬるい風が若草をサラサラと揺らした。


 ザイアンは良く出来た後輩であった。

 少し融通の効かないところはあったが、剣に対して実直で、弱者に優しく、仲間からの信頼も厚い。ロクサーヌに好意を持っていたことには、多少なりともやきもきさせられたが……。


「ザイアン。俺ぁ、お前さんのことが嫌いじゃなかったんだがなぁ」


 そう言って振り返る。


 目の前にいたのは、中身のない鎧だ。

 彼にとっては可愛い後輩であり、自分を殺した者であり……そして知らぬ間に、厄介な恋敵にもなっていたらしい男である。


 ザイアンは、古びた大剣を地面に突き立てる。


「僕は昔からテオドール先輩が大嫌いでしたよ。どっちつかずの八方美人。笑いながらお茶を啜ってばかりで……それなのに、みんなに慕われて」

「騎士っぽくはなかったかもなぁ。出世街道からも外れてたしよ……。真面目なお前さんのほうが、上からは気に入られてたろう?」

「その余裕の態度が――」


 襲い来る大剣。

 彼は全力で横に飛ぶ。


 地面が爆ぜる。


「なぜロクサーヌ様はあんたなんかに……!」

「知るか。俺ぁただのゴミ箱よ」

「わけの分からないことをッ!」


 激昂するザイアン。

 その鎧から、禍々しい闘気が吹き出し始めた。




 二百年前、ロクサーヌの結婚式の日は、朝から雨が降っていた。


 領主館の庭にある小さな森。

 子どもの頃からの遊び場で、彼女はうずくまって頬を濡らしていた。


『ロクシー、花嫁が結婚式当日に風邪でも引いたらどうする。みんな探してるぞ。屋敷に戻れ』

『……テオ。私、やっぱり』

『ったく……。これじゃあ、俺がなんのために領主様に頭下げたのか分からねぇだろ』

『えっ……?』


 彼はロクサーヌの横に腰を下ろし、彼女の濡れた頭をポンポンと撫でる。


『実はな。嫁入り道具として、俺もロクシーについていくことになったんだ。ついさっき、ようやく許可が下りてなぁ』

『それって……』


 静寂の中、葉に落ちる雨粒の音だけがその場に響いていた。


 貴族家の当主という立場は、時として親の情とは相反する選択を強いられる。なんのことはない、領主もまた心を痛めていたのだ。


 目を丸くする彼女に、彼は柔らかく微笑みかけた。


『大貴族サマとの結婚で、情夫連れなんて珍しくもねぇだろ。ちぃと外聞は悪ぃがな。俺も騎士じゃなくなっちまうし、肩身は狭くなるが――』


 話し終わる前に、ロクサーヌは彼の胸に飛び込んできた。

 顔を埋めたまま、小声で彼を罵倒する。ニヤニヤと笑って答えると、力ない拳でポコポコと彼を叩いてくる。


 彼女のことは自分が守り続けよう。

 彼が心に誓った、まさにその時。


――無防備な背中へ衝撃が走り、燃えるような痛みが彼を襲った。


『テオドール……! 僕はあんたを――』




「――あんたを、許さないッ!」


 地面ごと斬り裂く大剣の一撃。

 スケルトンの軽い体は、その衝撃に容易く跳ね飛ばされた。


 背中から地面に激突する。


「ロクサーヌ様は僕のものだ……ッ!」

「……今日結婚するのは、ロクシーじゃねぇ」

「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」


 片刃の剣を支えに、彼は立ち上がった。

 足元はフラつき、体の骨はあちこちひび割れている。それでも、今ここで倒れるわけにはいかない。


「お前さんがそんなに強ぇのは、他の怨念を喰ったから……か」

「それはあんたも同じだろうがッ!」


 暴風のように振るわれる大剣。

 邪念を纏い襲い来る鉄塊を――


 彼は、片手で受け止めた。


「その……その力は……ッ!」

「俺は怨念なんて喰ってねぇんだよなぁ。確かに体の中に取り込んではいるけどよ」

「馬鹿なッ! そんなはずがッ!」

「そんでな。俺の中のみんなが、なんだか力を貸してくれるって言うんだよ。喰っちまうのはお断りだが、ちぃっと助力してもらう分には良いかと思ってな」

「あんたは何を言って――」


 次の瞬間。彼の体から漏れ出たのは、金色の光の粒だった。それは次第に眩く光り、骨のヒビを修復し、彼の四肢に力を与える。


 ザイアンは体勢を整えようとするが……片手で掴まれたままの大剣は、ピクリとも動かない。


「テオドール……ッ!」

「それはもう、死んだ名さ」


 肩に担いだ剣が、光を纏う。

 彼はそれを片手で構え――。


「俺の名はホネ夫ってんだ。覚えとけ」


 ザイアンの胴を、真っ二つに斬り裂いた。




 神殿の鐘の音が大きく鳴り響く。

 扉から出てきた新婦は純白のドレスを身に纏っていた。隣を歩く新郎と見つめ合い、幸せそうに笑っている。


「いい笑顔じゃねぇか。なぁ、ザイアン」


 彼の言葉の先には、上半身だけになったリビングアーマーが転がっていた。二人は丘の上に並び、歓声を上げる民衆を眺めている。


 新郎新婦は皆に手を振って微笑む。

 その様子に、ザイアンは憂鬱そうな声を漏らした。


「あんたは……誰かの幸せを憎まないのか。悔しく思ったり、嫉妬で狂いそうになったり、しないのかよ……?」


 鎧の継ぎ目をギシギシと軋ませながら、ザイアンは首を少し動かして彼をまっすぐ見る。


 彼はぷっと吹き出し、


「あーするする。めちゃくちゃするぞ。俺ぁ聖人君子の類いじゃねぇ。お前さんは昔っから、俺なんかを特別視しすぎなんだよ」


 そう言って、ザイアンの鎧をガンと叩いた。クツクツと可笑しそうに肩を揺らすと、吸い込まれるような青い空を見上げる。


 湿気を帯びた草の匂いに、鳥の鳴き声。

 彼らにはまったく関係のないところで、世界は平和に回っていた。


「でもまぁ。あんな顔で笑う女を、俺たちのような怨念にはしたくねぇがよ」

「ふふ。相変わらずだなぁ、先輩は」


 しばしの沈黙。

 闘いの熱はすっかり霧散し、楽しそうな民衆の声はどこか遠くに聞こえていた。


 いつまでも明るい日の下にいるのは、彼らのような怨念に似つかわしくない。


「なぁ、本当に俺の中に入らねぇのか。別に喰らいやしねぇぞ。一緒に行こうぜ」

「やめてくださいよ。僕はあなたが大嫌いなんですから」


 そう言うと、ザイアンの体から力が抜ける。

 中身のない兜がガシャンと音を立て、無機質に転がった。


 その口元が、弱々しく動く。


「知って……ましたか? ロクサーヌ様の腹の中には……あなたの子が、いたんですよ」

「は?」

「孫に囲まれて、天寿を全うした……そうです。悔しいでしょう……子どもの顔を……見られなく……て……」

「おいおい、マジかよ。すっげぇ悔しいぞ。お前このやろう、よくも俺を殺しやがったな」


 彼の言葉を聞き、ザイアンは大きく笑いながら、だんだんとその影を消して空気に溶けていく。その場には、脈動を止めて冷え固まった冥核が転がっていた。


「はぁ。ったく……勝手に満足して、勝手に消えちまいやがってよ……」


 そう言って立ち上がったスケルトン――ホネ夫は、灰色の外套をさっと整えて片刃の剣を肩に担ぎ、振り返ることなく丘の上をあとにした。


 風が通り抜け、木々の若葉が揺れる。

 花粉に乗って命は巡る。


 神殿の鐘の柔らかい音は、蒸れた土の匂いに乗って、どこまでも大きく響いていった。


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