3
今回は間取り付き!
「……ちょっと遠かったか」
潮風が海の匂いを運んでくる。
大井競馬場とは運河を挟んで向かいになる、大井ふ頭中央海浜公園に源大朗、キア、それにミリアはいた。
「向こうが、競馬場」
キアが風に髪を押さえて向き直る。
遠くモノレールの高架の向こうには、観客スタンドやビルがかすかに覗いていた。
ふつうに競馬場へ行くには、東京モノレール・大井競馬場前駅がもっとも近い。
降りてすぐに広い競馬場通りがあり、人の流れとともに進めばいい。
ただしもっとも近いのは警備員のチェックが必要な関係者専用口で、ほぼ反対側の正門までぐるりと回らなくてはならないから、京浜急行の立会川駅からとも、さほど距離的には違わないかもしれない。
「ダービーに出る出走馬……じゃない、出走者か。ケンタウロス選手の宿舎なんかもあるんじゃないのか」
「ああ。ただしレースのある日の二日まえからしか利用できない。それに、いま言い間違えたように、どうしても馬といっしょにされがちでな。新しいジャンルゆえ、すぐになにもかも充実する、というのは難しいようだ」
ミリアの笑いはやや自嘲的だ。
「まぁ、それまでの馬用の設備を改良して、ってことになるか、どうしても。どっちにしろ、改善が早く進むといいんだがな」
「ここからなら近い。そこも、あとで案内してもいい」
「そのケンタウロス用の施設か。そうだな。後学のために見ておくのもいい、か。けど先に」
源大朗も、なびく髪を無造作に押さえつける。
「物件は」
キアがうながし、
「おう。こっちだ。……いや、こっちか。んー、わかった、こっちだ!」
「違う。こっち。……方向音痴な不動産屋って、なに」
結局キアがタブレットPCで指し示し、誘導する。
「んぁ? こっちが北で……、ま、いいか」
まだチラシを見ながらぶつぶつ言っていた源大朗だが、キアの後について歩き出す。並んで歩いていたふたりと一頭? だが、公園を出るとミリアは車道だ。
「そういや、その音楽ってのは」
夷や店内では、例によってマレーヤたちのツッコミやらおしゃべりにまぎれて中途半端になっていたミリアの話だ。
「うむ。言ったとおりだ。いまはケンタウロスダービーの選手だが、いずれは楽器演奏者として生活できればと思う」
「楽器は」
「チューバだ。ケンタウロス族は身体が大きいゆえ、肺活量も多い。大型管楽器には有利だ。とはいえ、チューバ一本でやっていく、というのは難しいのでな。トランペットもやるし、ユーフォニウム、それにサキソフォンもやる。リードが違うので、なかなか難しいが」
難しい、と言いながらミリアの顔は楽し気だ。言葉も弾む。
「どうして、音楽を」
「もともとわれらケンタウロスはお祭り体質というか、酒好き、呑んで騒ぐのが好き、というところがある。その意味では、生まれたときから歌舞音曲には親しんでいるのだが、肝心の楽器をやろうという者がなかなかいない。だがわたしは、向こうの世界にいたころから音楽に惹かれていた。こちらの楽器やその演奏、さまざまな音曲を知るうち、夢中になってな。ぜひともこちらの世界に来たい。いずれは音楽をやっていきたいと思うようになっていたのだ」
まるでずっと堪えていたように、ミリアがいっきにしゃべった。
それは聞いていた源大朗やキアが少し驚くほど。
「いまは、どこかで楽器をやってるのか」
「地域の、市民楽団で吹いている。まだまだ実力が足りない。うまく吹けているかは……。けど、肺活量のおかげで息が続くからな。そこは評価されている。やってよかったと思う。もっとうまくなりたい。……まったく! こっちの世界はいい。すばらしい! あらゆる楽器がある。演奏も、すごい。録音でも聴ける。ずっとこっちで音楽をやりたいんだ。そのためにダービーで、いまはうんと稼いで……、ぁ、んんっ。つまりそういう、ことだ」
しゃべり過ぎた、とミリア、顔を赤らめて言葉を切った。
「聴きに行きたい」
「ぉう、そうだ。オレもだよ。いいね。ダービーを見たかったが、演奏のほうがずっと聴いてみたいって思ったな。いま」
ふたりの言葉に、
「うむ。ありがとう」
ミリアもうなずく。
大きな馬体が、どこかもじもじとはにかむようだ。
「そうとなったら、住むところをバチッ、と決めないとな。うん」
「バチ、っと?」
「おう!」
*
「ここだ」
そう言って源大朗が歩を止めたのは、中央海浜公園を出て東へ、首都高速湾岸線の巨大な高架をくぐった先にある、大きな建物だった。
「ここは、倉庫ではないのか」
ミリアが言うとおり、幹線道路のような広く真っすぐな舗装路に面して、それぞれが大規模マンションに相当するほどの建物が建っている。
マンションと異なるのは、窓もバルコニーもなにもないこと。ほぼ平らな壁で構成されたキューブのような建物群。
倉庫街なのだ。
海にも近い。東へいけばすぐに、運河ではない東京湾の海に出る。その向こうはお台場などの、また別の埋め立て地だ。
「あっち」
キアが指さす。
それこそひと区画まるごとひとつの建物、といった超大型倉庫と違い、中型マンション程度の倉庫がそこにはあった。
といっても道に面した正面は大きな開口で、トラックがそのまま接続し、荷積み、荷下ろしできるようになっている。
小さめとはいえ、まぎれもない倉庫なのだ。
その正面ではなく、横の大きなドアから入る。ドアといっても、これまた車がまるまる一台楽に通れる大きさ。
「このへんは準工業地域でな。こうした倉庫が多いのさ。いちおう民家や商業施設も建てられるが、港への船積みと直結したコンテナ倉庫がほとんどだ」
「冷凍倉庫もいっぱい」
「だな。ここは冷凍じゃないから、安心しな」
入ってすぐ、巨大なエレベーターが出迎える。扉が上下に開く、これもまたターレなどと呼ばれる構内運搬車ごと乗れるものだ。
「乗ってくれ。安心しろ、ケンタウロスが乗っても積載量は余裕だぜ」
「競馬場の施設にもエレベーターがある。同じタイプのようだ」
「閉めるよ」
キアが操作し、エレベーターが動く。意外に静か、スムースに、到着したのは、
「着いたぞ。さぁ降りてくれ」
最上階の四階だった。
「ほお、これは広い。天井も!」
エレベーターを出ると、そこには広大な空間が広がっていた。
「約五十坪。百六十五平米」
「住宅として広過ぎるくらいだろう。ワンルームだしな。それに天井だ。四メートルある。一階はもっと高いけどな。だいたいふつうのマンションなんかの二倍だ。ケンタウロスの身長にも充分だろう」
「ああ。問題ない。とてもいい。とても!」
ミリアが目を輝かせる。
近ごろは古い倉庫を住居に改装して住むのも、一部では人気のトレンドだ。しかしミリアの場合はあくまでも居住性。
高い天井は快適に住むための必須条件なのだ。
内装などはないに等しい。
コンクリートの外壁そのままに、天井部分にはラーメン構造の鉄骨が剥き出しだ。
トイレと洗面スペースだけは石膏ボードで仕切られていたが、壁は天井まではない。ようはついたてで、上部分は開いていた。
「ここにユニットバスやシャワールームと給湯設備を取り付けるのはわりと簡単だ。排気のダクトは……、窓から出すか。現状、競馬場の施設を使うので間に合う、というならこのままでもいいし、トイレだけ替えるのでもいい。多少、金はかかるが、亜人の住居に対する補助制度もあるし、退去時の原状復帰もこれなら難しくないし、な」
「家賃は、いかほどだろう。これだけの広さ、あまりに高くては払えない」
「坪四千九百円」
「四千……?」
キアが告げると、ミリアの顔に「?」が浮かぶ。
「ふつうのアパート、マンションと違ってな、こういう倉庫物件は、ひと坪いくら、てのが多いんだ。ここだとざっと五十坪として、二十五万か、だいたい」
「二十五万……」
「安くはないな。けどこれだけの広さだ。ふつうの賃貸物件なら場所にもよるが四十万、五十万、もっとしても不思議じゃない。それにこの天井高はない」
源大朗の説明に、
「わかった。むしろ安いと思う。広さだけでなく、競馬場への近さなども、わたしには絶好の条件だ。ダービーの収入が、いまは月平均五十万ほどはある。むろん、勝てばもっと増える」
「だな。住処が仕事のモチベーションを上げる、なんてケースはざらにあるよ。ダービーもがんばれるんじゃないか」
ミリアもうなずく。
流れは契約、と見たキアが、タブレットを起動する。正式な契約書作成などは夷やに戻ってからとして、物件を実際に見ながら重要事項をひととおり説明するのは欠かせないからだ。
「海にも近いし、公園もある。楽器の練習だって」
「そうだ。キアの言うとおりだな。海辺で奏でるサックス、最高じゃないか。ああそれと、ここは屋上もあるんだ。専有スペースじゃないが、どうせこの界隈、住んでる人はいないしな」
住宅密集地での騒音苦情、などとは無縁のようだ。
さらに願ってもないポイントが加わった、と言える。
ところが、
「最適ではある。家賃も払えなくはない。払えるだろう。だが……」
ミリアの表情が冴えない。
多少高めの家賃とはいえ、条件の良い物件、自分に合った、気に入った物件ならばテンションも上がり、問題が解決した安ど感などもあるはず。
「もうひとりのこと、か」
とうとつに源大朗が切り出した。
「知っていたのか、なぜ」
ミリア、驚いて顔を見る。それはキアも同じ。
「もうひとり、って」
「ああ、おそらくミリアのパートナーか……」
「妹だ」
「妹なのか。けど、ケンタウロスじゃないな。人間の、か?」
「どういう、こと」
ひとり、わかっていないキアが聞く。
「妹は、ケンタウロスではない。人間でもない。……サテュロスなのだ」
明日も更新予定です。