1章2
鈴の音が耳の奥で残響を繰り返していた。
ろうそくの明かりが急に消え、鈴緒、注連縄、が見えなくなる。
刹那。明るくなった頭上には鬱蒼と生い茂る葉。木漏れ日。緑に輝く木々の葉が光を遮っているが、少なくとも夜とは思えない。
僕がながい階段を登りきった時には太陽は沈みきっていたはずだ。当然の様に巫女さんもいなくなっている。
室内ではない。玉砂利もない。神社の境内、鳥居、さっきまで登っていた階段、夜景。どれもない。
マジで? なにこれ? ここ神社じゃないぞ。
ポケットからスマホを取り出し、位置情報を確認する。圏外。Wi-Fiも電波も反応が無かった。
ぐうぅ。腹の虫が鳴いた。そういえば、昼から何も食べてないな。
グルルルルグルルルルグルルルル。
……何だよ。この不吉な重低音は。
恐る恐る、振り返る。
____とてつもなくデカい、虎だった。
動物園で見た虎のサイズなんか比較にならない。一本の前足だけで僕の身長と太さを軽々超えている。勾玉のような文様が毛皮にあり虎ではない可能性のほうが大きいが、ネコ科の巨大獣の細かい分類など知るわけがない。デカいネコ科は全部虎。
両手を広げても収まりきらないような大きな顔が、探るようにゆっくりと眼前に迫ってくる。
意外と長くてふさふさとしたまつげ。ボウリングサイズの大きな瞳と目が合った。瞬きでバチリと小型シャッターのような瞼が閉じられる。
ぎゃあああああああああああああああああっ!
死ぬ気で逃げた。
辺りには屋久杉よりもはるかにデカい、今まで見たことのない大きな樹々が互いに絡まりながら密集している。それらが壁となり行く手を塞いで思うように逃走できない。
走りながら振り返る。
……いるっ!? ヤバイ、めちゃくちゃ近い。
明らかに射程距離だ。周りの草木を盛大に蹴散らして、隠れる気など全くない。全面的に存在感をアピールしてくる。
突然、大きく跳躍した。壁となっている樹木に鋭い爪をがっちりと食い込ませ、直角に上り、飛び上がり、また別の樹にしがみつく。
ずっとこちらを見ながら照準を合わせてきている。全力で走っているが、全く距離を離すことができない。逃げ切れる気がしない。
グルグルグルグルグルグルグルグル!
しかし、上下左右に行った来たり、妙な動きでずっと後をつけてくるに留まっている。
もしかして獲物が逃げる姿を見て楽しんでいるのか、と恐ろしい考えに支配され絶望しそうになるが、気力を振り絞る。
思ったよりも息は長く続いてくれている。日課の運動不足のせいで、僕の脚力は平均高校生に及ばない。
しかし、足元に硬い雑草や根や蔦が繁茂するこんな森の中だというのに、いつもよりも足が軽い。膝は深く沈み込み、太ももが力を伝達する。足裏からは地面からの強い反発を感じ取れる。蹴り出す一歩が自分の想像する距離感を上回る。
だがそんな些細な事はどうでも良い。死にたくないから死ぬ気で走るしかない!
眼前の景色が急に開けた。
……崖だった。
大きな緑が真下一五メートルほどの足元に広がる。
視界がクリアになる代わりに、絶望感がのしかかる。左右180度フル広角で同じ景色。これ以上前に進めない。ちょうど岩場の切っ先に逃げこんでしまったようだ。
崖は尖った岩石が折り重なるように複雑な層をなしている。落ちている最中に何度も体をぶつけ切り裂かれ三回は殺されるだろう。理論上、致死率300%の凶悪な崖だということだ。
例え、奇跡的に無傷で崖から降りたところで、崖下の景色は視界の奥まで緑が広がっており、この辺り一帯が雄大な森であることを主張していた。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
逃げ回っていた声の主が無視をするな言うように声掛けをする。
前門の崖、後門の虎……。つまり、どう頑張っても逃げ場がなかった。
膝をがくがく震わせながらも懸命に振り返る。
虎が、ゆっくりとした足取りで僕に寄ってきていた。
瞳孔が拡大して目が爛々と輝いて見える。耳が大きく立ってピクピクと動く。尻尾をピンと立たせ、大きな爪が隠れた前足を静々と交差させて忍び寄ってくる。まるでパリコレモデルのキャットウォーク。心なしか嬉しそうなのが、残酷な想像を掻き立て、恐ろしさに拍車をかける。
恐怖で硬直している僕に、ふわふわした毛で覆われた、どデカい顔を近づけ匂いを嗅いでくる。
全身が硬直し、身体から体温が奪われ、痙攣のように震えた。死という概念をこれほどリアルに想像したことがなかった。
怖すぎて直視できない。最後の瞬間と激痛を覚悟して目をぎゅうっとつむる。暗闇が恐怖のイメージを加速させる。
大きな牙が体中に食い込み、肉が引き裂かれ、骨がボキボキと折れ、内臓がミートソーススパゲッティーのようにぐちゃっと……。
想像通り……ふんわりとした感触が、頬を、優しくなで、た。
虎が、ぐるぐるぐると喉を鳴らしながら、頬ずり(・・・)、してきた。
な、なにがおきたんでせうか?
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あれから三日も経ってしまった。
現在僕は異常な状況にいる。
恐怖の対象だった虎くんはどう悪く解釈しても、危険がないことが分かった。延々と喉を鳴らして、じゃれついてくる。頬ずりの時によだれが多少つくことを除けば可愛いものだ。
問題は虎くんだけじゃないってことだ。似たような遭遇が何度もあり、段々と数を増やし、現在、大群になってしまった。
前述のように、細かく分類できないので、見た目でざっくり分ける。
虎くんはネコ系として、それ以外に、クマ、ウシ、イヌ、ネズミ、ウサギ、ウマ、ヘビ、トカゲ、イノシシ、サル、リス、鳥、虫など、色々な系統の大小さまざまな生き物が僕の近くにいる。
共通しているのは、僕になついていて、害はないということだけだ。
だが、数が半端じゃない。各々一匹くらいならばいいのだが、すごい種類と数がいる。
数えていないので正確な数は分からないのだが、百いや千の単位はいるのじゃないだろうか。
僕の一挙手一投足がずっと観察されていて、ちょっと鬱陶しい。
例えば、お腹が空いたと言うジェスチャーをするとどうやら意味するところが伝わったらしく、狐くんがブドウを持ってきて、熊くんがハチミツをふんだんに含んだハチの巣を持ってきた。嬉しくなった僕が軽はずみに、狐くんと熊くんの頭をナデナデしてから状況が一変した。
動物たちは一斉に走り出した。
あっという間に、果物や山菜などの貢物の山が築き上げられた。
動物たちは僕に頭を向けて、ナデナデを催促する。
うん。
お互いが僕へ良い物を持ち寄ろうとしてくれている。やりすぎ感はあるけど、その気持ちは嬉しい。皆にナデナデすると嬉しそうに鳴いて尻尾をぶんぶん振った。
だが、兎くん? 君は何故食べ物として自分を差し出しているのだ?
貢物の山の中に混ざるな。ちらちらこっち見るな。アピールすんな。あざといっ。デコピンした。
満更でもなさそうで、きゅーんと嬉しそうに鳴いた。
早く森から脱出したいという思いで歩き、僕を中心に大群も動く。そのせいで騒音が半端じゃない。
山の実は取りつくされ、絶えることなく誰かが奇声を発している。
一度喧嘩を止めてからは、犬くんと猿くん、猫くんと鼠くんが仲良く並び、蛇くんは蛙くんを頭に止まらせ、大きなカマキリくんが鳥くんを背中に乗せていた。仲良くするのは面倒がなくていいが、生態ピラミッドはどこに行ったと突っ込みを入れたい。
こんなん異常と言わずに何と言うのだ。
森の中、五日目。
遭難五日目と言っても差し支えない。
食料や水や暖に困ることはなかったが、人間的で堕落した生活が恋しくなってきた。
ラーメン食べたい、ネットしたい、風呂に入りたい、寝ころびながらマンガ読みたい。何とか森から脱出して、早く帰りたかった。
しかし、脱出の糸口は全くと言っていいほど見つからなかった。動物たちに相談しても、皆てんでバラバラな方向に行こうとするため当てにならない。らちが明かないので、高所から森を見渡す。
そんなことを何度も繰り返し、五日目にしてやっと遠くの方に、人工的な施設が見えた。
急いでそっちの方向に走り出す。より正確には虎くんの背中に乗って指示を出した。
あっという間にその施設に着き、近寄ると真っ白な壁であることが分かった。
動物たちの力を借りて壁をよじ登ると、ありえない光景に目を奪われた。
白亜の城だ。
中央にあるのは真っ白な建材で全て統一された総石造り。玄関前には高々と噴水が上がっているのが見える。
城を取り囲むえらく広い見たこともないような花で色とりどりに彩られた花畑。春と夏を一気に凝縮したような一部の隙も無いゴージャスな庭園。現代日本にこんな立派な建物があることに驚きだ。
……まさか制服では入れないイヤラシイお城かな。
ま、まあ一応お風呂くらいならばあるだろうし、やっと遭難から脱出出来た。
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城内は騒がしくなっていた。全ての兵士が動員され持ち場に着く。
強力な魔力波動が観測されたからだ。
発生点の特定と調査を行わなければならない。
ホークウッド城主は即座に派兵を命じた。巡回に特化した歩兵からの報告によると、その発生点は人型生物。
おそらく何らかの強力な魔法によって強制的に使役された、鳥獣類型モンスターの大群の中心にいる。モンスターの種類は一〇〇種前後。数は一〇〇〇以上のためこれ以上の計測が不可能であると判断。モンスター数が異常だ。
派兵された歩兵に危険が及ぶリスクが大のため、観測後、撤退を指示。同時に城内の警備体制を最大レベルに構築した。
情報特化兵との情報交換。
異常な魔力量・膨大な獣兵団となると、文献情報から厄災級悪魔である可能性が非常に高いと想定した。
参考例は、”獣の悪魔 ネロ”人類の二割が奴隷にされ、そのうちの半分は食糧とされた、史上第二厄災。悪魔ネロは”捕食者型”。
使役タイプの悪魔は統計的に捕食者型が多い。そのため今回の発生点も捕食者型である可能性が高い。
”捕食者型”と”情動食型”、どちらのタイプであっても、陸の孤島であるこのホークウッド城の領域内で対処をすればヒトへの被害が少ない。城主はそう判断した。
この辺境の地で防壁になることが、与えられた使命であり、自らの存在意義でもある。
強力な波動は、まっすぐこちらに向かってくる。
臨戦準備が完了した報告を受けた。
同時に、発生点が城内に侵入した報告を受けた。
膝が笑う。胃が痙攣して吐き気がこみ上げる。だがそれでもやらなければならない。
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【第一警告。侵入者よ。立ち去りなさい】
いきなり大きな声が鳴り響いた。
驚いた僕は、壁のふちから転げ落ちた。が、その瞬間、大鷲くんが僕を支えてくれて、ふわりと綺麗に着地する。
あ、危なかった。すっげえドキドキした今。
虎くんが壁の上から飛び降り、内側から門を器用に開いて、城内に動物たちを誘導する。かなり広いようだが、それでも動物たちの数が多すぎて全部は入りきらない。
城門付近では不満の感情がこもった奇声が聞こえた。皆僕を心配そうに鳴いている。
大丈夫だよ、と伝え、さっきの音声がどこから響いたのか探った。
【人間の言葉が分かるならば、立ち去りなさい。分からないならば、実力で排除します】
「ちょっと待ってください!」思わず叫んだが、声の主が見つからない。
【歩兵前進。武装包囲しなさい】
おいおいマジかよ!
ざつざつと砂利道を前進してくる団体様。
およそ一〇〇ほど。西洋甲冑に似た全身鎧姿。時代錯誤を感じる物騒な連中。
しかし手には大きな剣を持っており、声の内容もあり、臨戦態勢ということは分かった。
【第二警告。城内への無断侵入は、攻撃対象となります】
「だから、ちょっと待ってください!」
【第三警告。直ちに、撤退か非交戦の意思表示をしなさい。むやみな殺戮はこちらも良しとしません。が、交戦を否定するものではありません】
「武装なんてしていない! 止めてください!」
全身鎧たちが僕たちを取り囲もうとする。
が、彼らの数はせいぜい百単位だ。動物たちの数が多すぎて城を背後に壁を作ることしかできていない。逆にこちらが取り囲んでいるかのような構図になる。
【最終警告! 場内に進入した魔獣、及び、城内を取り囲む魔獣たちを直ちに解散させなさい。繰り返します。これは最終警告です。交戦は望まないが、否定はしない! 歩兵剣を構えなさい!】
絶叫が響く。声は震えている。
魔獣? 虎くんを見るが、真ん丸でチャーミングな目でこちらを見返してきた。
ちょっとサイズが大きくて、見たことがないような模様と、大きな爪と牙もってるけど、コイツの性格、子ネコだぞ?
まあ、他の皆も多少は怖い見た目してるけど、大人しぃ……いや、最初に見た時は相当怖かったから、勘違いする気持ちは分かる。
……ヤバイ。そうだ。大きな勘違いが城内の人に起きている。
「こいつらは魔獣なんかじゃありません! 僕のペットです! 交戦の意思なんてありません! どうか剣を収めてください!」
ぎらついた、明らかに銃刀法をいくつも違反しているどデカい剣をもった鎧姿の人たち。
胴の部分が細身で、胸部と腰部の曲線が丸くカーブしている。女性のような印象を持った。
フルカバーの兜により完全に顔面全部が隠されているため、目がどこにあるか分からない。
だが、目のあたりを見つめ、必死に懇願した。
彼らには彼らの考えがあるだろう。それはこちらも同じことだ。
僕たちは単なる迷子に過ぎない。勘違いでお互いが傷つくことなど望んでいない。
祈りが通じたのか、それとも、ほかの原因か……妙なことが起きた。
ぎくり、とした音が鎧姿の戦士たちから上がり、行進をピタリと止めた。
ぶるぶると剣を持つ手が震えている。兜が周囲を見渡し、膝が笑うように動く。兵たちは一斉に剣を捨てた。体の向きを一八〇度変え、鎧兵たちは、城の方向に向き直立の姿勢をとった。
……なんで?
懇願しておいてなんだが、本当に剣を収めてくれるとは思っていなかったため、びっくりする。
【歩兵! 何故剣を捨てるのっ!?】
うん。僕も同感です。
【もういい! 城兵! 守備を固めなさい! 騎士兵、僧正兵前進! まだ時間がかかる! 時間を稼いで!】
何が何だか。展開が早すぎて訳がわからなかった。
だが、向こうもそれは同じようで明らかに想定外の不具合が起きている。
良くないことに、声が醸し出す異常事態は僕たちにまで伝わってきた。
動物たちが興奮する。
各々が牙を剥き、叫び出し、威嚇を始める。一匹の興奮は隣に伝わる。
それらが連鎖し、膨大な数の動物たちにさざ波のように伝わり、明らかに危険な集団になってしまった。
これでは言い訳のしようがない。
こちらに前進してくる威容も原因の一つだろう。
城兵と呼ばれた20人程が、自身の背丈と同サイズの巨大な盾で城の入り口をビッシリ固める。
更に50人ほどの戦士たち。
半分は、一目で高重量であることがわかる、大きな斧とハンマーの合いの子のような大きな武器。トゲトゲした兜に鉄板を繋ぎ合わせたような無骨で頑丈そうな重鎧装備で全身を包んだ戦士たちが、六つの脚を持つ機械じみたずんぐりした戦車に乗っている。見た目からおそらくこっちが僧正兵。
もう半分の騎士兵。上半身は細身のヒト型の鎧で、下半身は足の長い馬型の鎧に全身が包まれたケンタウロス型、大槍を構えた戦士。冠に鋭利で派手なトサカのようなものがある。馬? それ鎧どうなってるの?
なりはどうでも、本気で僕たちを排除しようとしていることは間違いない。
土埃を巻き上げ、トゲトゲとケンタウロスたちが僕たちに突っ込んで来た。
トゲトゲの繰り出すハンマーが、最前線に躍り出た虎くんをかすめる。
虎くんも姿勢を低くして、かわし、そのまま下から前足をハンマーの柄に叩きつける。
急な力が加わり、ハンマーがトゲトゲの手から弾かれた。
隙を見つけたケンタウロスが虎くんの前足に槍を叩き込む。
オオオオ! 虎くんが叫び、槍を叩き折ってケンタウロスにぶちかましをする。
普段のニャンコ振りからは想像できないほど怖い。まるで猛獣のようだ。
虎くんの咆哮に触発された皆が、戦士たちに襲いかかる。
僕は寝返った歩兵に抱きかかえられて後ろの方に無理やり避難させられた。歩兵たちは、僕を取り囲むように守る。
城内は陣形も何もない乱戦となった。美しい花は無残に踏みしめられ、辺りは動物たちの鳴き声と、金属のぶつかる音で一色になった。
【降伏しなさい! 今なら止められる! 無傷では済まない!】
声が喧しく、がなる。
それはお互い様だろう。動物たちは凶悪な武器に傷つけられていたが、それでも基本スペックとサイズ、そして数の差は大きい。
最初の勢いが完全に潰された戦士たちはどんどん後退していく。
動物たちも流れを掴んだことを把握したのか、連携を見せて攻撃の波を絶やさない。一対多数でボコボコにしている。
蛇くんが絡みつき、牛くんが体当たりして、亀くんが足下を掬う。猫くん犬くんたちが最前の戦士を引きずり出し、蜘蛛くんが強力な糸でぐるぐると簀巻きにする。
一枚一枚丁寧に兵士の壁を薄くする。
猿くん鷲くんカマキリくんが相手から武器を取り上げて、遠くに捨ててしまう。羽の生えた大きなトカゲくんはなんと口から火を吐いた。軽トラサイズの身体中硬い鱗に覆われたモグラくんが戦士たちを落とし穴に落とす。うお、凄いな何メートルあるのその穴、下が見えないけど。
何というか、現実離れしている光景に、僕は完全に置いてきぼりにされてしまう。
あっという間に、一〇〇人以上の兵士たちが無力化されてしまった。
動物たちは嬉しそうに遠吠えをした。
【……信じられない……国内でも最高のスペックを持った最新機なのに……悪魔め】
「聞いてくださいって! 見た目怖いかもしれないけど、コイツらは僕のペットです!」
しかしコイツマジで人の話聞かねえ。……もしかして聞こえてないのか?
「何度も言ってるじゃないですか! 僕たちは危害を加えるつもりはありません! いい加減にして下さい!」
城のほうに手を振り大声で返す。
【騎士兵、僧正兵ごめんなさい。悪魔を抹殺するにはもうこれしかない。厄災だけは引き起こしてはならない。絶対に】
ま、抹殺? ……むちゃくちゃ物騒な響きなんですけど。
【『現界する地獄。神の火。硫黄と灼熱。遍く地を這う虫けらに愛。原始の一本』】
は? ……何だって?
突如、あたりに暗闇が満ちる。
風が止み、気温が急激に下がる。
何かが星のない闇空から空間を切り裂き落ちてくる。
__________どずっ。
大きな音が響き、地面がたゆんで揺れる。
とんでもなくデカい槍が一〇〇メートル程先の庭園に突き刺さっていた。
【『飢える心。欠けた魂。自ら水を差し出せ。錆びついた大河。進化の二本』】
___________ずどっ。
足の裏に衝撃が伝わってくる。
今度は門前に槍が突き刺さっていた。何なんだ?
確かにあんなものが直撃したら、人間サイズなんて跡形も残らないだろう。
が、狙っているにしては遠すぎる。
そんな気持ちとは裏腹に、何か良くないことが起ころうとしている前兆を感じる。
鎧の兵士たちは全員が立ちすくみ、戦意はもはや欠片も感じられない。
【『歯抜けの獅子。熔岩と少女。呪われた祝杯。金色の骨。もはや逃げること能わず。滅びの三本』】
___________ぐづっ。巨大な槍の三本目。
庭園とは真逆の位置。
意味が分からないのが逆に怖い。
大きくて古めかしい槍が、庭園、門前、広場に突き刺っており、僕たちを中心に三角形を作っているように見えた。
突然、三本の槍は子供の悲鳴のような甲高い音を発した。
聞くに耐えない不快な音。耳の奥が痺れ、背骨に氷柱でもぶっ刺されたような強烈な悪寒が走る。思わず耳を塞ぐ。
動物たちが恐怖にかられぎゃあぎゃあ叫び出し、僕を連れて逃げ出そうとする。無理やり襟を咥えられる。
咥えたままの虎くんが走り出そうとするが、ドンっと鈍い音が行く手を阻んだ。
僕は地面に投げ出され、顔を強かに打ち付けた。
見えない壁? 触れると何もない空間に抵抗があった。
離れた槍と槍の間。
槍を支柱とするように見えない壁が出来ている。とてつもなく硬い。
水族館にある分厚い水槽を叩いている感じと言えば伝わるだろうか。
どっしりとした重量感があり、破壊できる気がしない。
壁の外側にいる動物たちが壁にすがりつき、叩くような仕草をしている。が、全く音が響いてこないため聞こえない。
分断されている。もしかして閉じ込められた?
【『天空に頂。大きな魂。命の発露。全てが一となり。一が全てとなる。手のひらに透かせ。全てを見透かせ。灯せ。業火の涙』】
内側と外側の動物たちが更に騒ぎ出した。
皆一様に目線は真上……なんだあれっ!? 火の玉!?
逃げないように閉じ込めて、上から超特大火球を落とすってこと?
冗談じゃないぞ!?
【みんなごめんなさい。許さないで良い。直ぐに地獄で謝る。それでも、絶対に、悪魔を世に放つわけにはいかないの】
「待てよ! まだそっちの仲間もいるんだぞ!」何でこっちの声は聞こえないんだ!
考えろ。魔法? 魔法って言った?
動物たちが僕を不安そうに見つめる。
いや、本当に魔法かどうかなんてどうでも良い。それより現状打破だ。
どうすれば良いか考えるんだ。考えろ。考えろ。
三本の槍が見えない壁を作っていて、破壊は出来ない。
ぴっちり隙間なく落ちてくる特大火の玉。中心部は黒く渦巻き、まるで巨大な目玉。
僕、動物たち、無力化された兵士たちが見えない壁の内側に閉じ込められている。
槍を破壊? あの送電塔みたいな巨大なオブジェを? マジ無理。あの火球が落ちてくるまでに壊せるわけ無い。それ以上に、僕たち数百人単位を取り囲むことができる配置。走って辿り着くには距離がある。多分それも計算に入れてる。
……普通の方法じゃ、無理だ。
そうか。
「みんな、聞け!」
閉じ込められた動物たちと歩兵、僧正兵、騎士兵たちが全員がこっちを見る。
「モグラくんの穴だ! あれに飛び込め!」
先ほどの戦闘で、底の見えないくらいかなり深い穴が作られていた。モグラくんは軽トラサイズなので、サイズ面でも大体みんな入る。
熱エネルギーはその性質から上に立ち昇るはずだ。だから、底の見えないくらい深い穴の中に入って直撃さえ避ければ、熱は届かない……はず。
魔法なんて言っていたから物理法則を無視されたら、終わりだ。一か八か。
でも何もやらないよりはマシだ!
だけど……多分、虎くんだけは入れない。
虎くんだけを手で押し留めて、早く入るように急かすと、意味が通じたのか動物たちが駆け込む。
戦士たちは動かない。
「何やってんだ! 早くしろ!」
僕は鎧姿の兵士と戦士たちに怒鳴った。今更、敵味方なんて関係ないだろう。もたつくのがイライラする。兜の下がどうなっているのか分からないが、挙動を見る限り、すでに戦意があるように見えない。
「ワ、ワレワレハ」くぐもった声。ちゃんと聞き取れない。
「話なら後でもできるだろっ!? 今は緊急時なんだっつーの!」
真上、すぐそこに迫る特大火球を指差し叫ぶ。
「デスガ」
「虎くん! やっちまえっ!」
うだうだぐだぐだする時間が無い。火球はすぐそこだ。喧嘩したいなら後!
虎くんが後ろから兵士たちを穴に突き落とす。多少残酷だが、文句も後で!
あっという間に、この場には僕と虎くんだけになった。……さて。
「ゴメン。虎くん」頭を撫でる。
それに応えるように虎くんは頬ずりをしてくる。
「君デカすぎだよ。穴の中に入れない」
虎くんは、体のサイズが大きすぎて、穴の中に入るのは無理だ。
しかも虎くんサイズを収納できるようなものなど、目の届く範囲内にない。
「……だから、虎くんは外で待機」
キュウンと悲しそうな声で鳴く。
「大丈夫。僕も一緒だから」
ギュウっと抱きしめる。
ぐるぐるぐる、と虎くんは喉を鳴らして甘えてきた。
一番付き合い長いし、一番よく懐いてたし、一番近くにいたし。理由は沢山ある。
だけど、こんないい奴を見た目だけで凶悪そうだと決めつけ、焼き殺そうなんて酷すぎる。
親友が言っていたこと。
人は見た目なんかじゃない。
今なら言える。その通りだ。虎くんは人じゃないけど、そんなことどうでもいい。
断じてっ! 見た目なんかじゃないっ!
もう火球はすぐそこだ。怖い。
轟音を立てながら眼前に火が迫る。熱い。チリチリと髪の焦げる音と匂い。
だけど目を見開き、火球を睨みつける。これが僕の精一杯。
覚悟が決まった瞬間。火球が落ち切り、弾け、辺りは火の海となった。生き物の存在を許さない黄金色は、ねっとりと舐りつくすように、辺り一面を輝かせる。炎渦巻く、灼熱の地獄。
轟音が全ての音を塗りつぶす。
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……え、っと、何これ?
……すっげえ熱そうだなこれ。
熱そうなだけで、何も感じなかった。
ただただ、熱そうなだけの光景が、三六〇度で見えているだけだ。
僕は拍子抜けして、虎くんと見つめ合う。ぐるぐると嬉しそうに頬ずりしてくる。
何なの、一体どういう……あぁ、そういうこと。
っざけんな! かんっぜんにだまされた!
多分ここは何かのテーマパークなのだ。そのアトラクションがこれ。妙に中世ヨーロッパチックなわざとらしいくらいファンタジー要素たっぷりなのに、言葉がわかる。物々しいセリフも含めて、全部ハッタリだ。
VRとかプロジェクションマッピングとか、多分そういうものなんだろう。
あんな巨大な火球、作り出せるわけがない。
大体こんな森の中。万が一延焼したら大火事だ。そもそも味方がいるのにぶっ放すわけない。
しかし、そういう納得出来る理屈とは裏腹に疑問も多々ある。
いつから? という疑問だ。
もしかして神社の巫女からだったら、虎くんたちもアトラクション?
対象は? ほかのお客さんの姿が見えない。誰に対してのアトラクションなのだろうか?
そうこう考えているうちに、突然目の前の火が消えた。
地面は白熱を通り越しガラス状に溶けている箇所すらあった。美しい庭園や広場は見る影もない。
僕と虎くんがいる場所だけは完全に無傷で、青々とした芝生が残っている。
穴の中が気になり、声を掛ける。
動物たちの鳴き声と、兵士の返事が返ってきた。無事のようだが、テーマパークのキャストさんならば、台本にないような特殊なことをしてしまった。ケガもさせてしまったかもしれない。後で謝らなくてはならない。
ぞろぞろと出て来る。
歩兵、城兵、僧正兵、騎士兵などと呼ばれていた二〇〇人前後という全身鎧兜衣装を身にまとった人たち。
動物。こちらは数えていないので数はわからないが、とにかく沢山。
元広場には、多少の怪我はしていたようだが、全員の無事が確認できた。
兵たちが僕の前に傅く。
「ワレワレノヨウナモノヘノ、オココロヅカイ、ココロヨリ、カンプクイタシマシタ」
「あの、すいません、穴に落としちゃって」
「ワレラ、アナタサマニ、チュウセイヲ、チカイマス」
「えーともうお腹いっぱいなんですがそういうの」
兵たちと動物たちの目線が僕の後ろ、すなわち城の方へと向けられた。
____ピッチリとしたお辞儀姿。女の子がいた。
緊張からだろうか、手が震えていた。
ピンときた。
さっきから一方通行的に散々叫んでいた声の主だろう。
文句を言おうと頭の中に百単語ほど罵詈雑言の言葉が生まれたが、少女が顔を上げた瞬間に霧散した。
とんでもない美少女だったからだ。