カシャリ
シーマ十四世殿下と柴崎五郎左衛門は、逃げ出してしまったミミを捜し回っていた。
一方その頃、魔界王立博物館の超絶技巧工芸品展示室では、ウスベニクジャクバッタの自動人形の警備が大詰めを迎えていた。十五時には来場者を全て立ち退かせ代わりに大勢の警備スタッフが展示室に入っていき、展示室はみるみるうちにイヌ科の警備員たちだけになっていく。
そんな中、ウスベニクジャクバッタの自動人形が展示されたガラスケースの前で、マスティフの警備員が隣に立つオオカミの警備員に話しかけた。
「ムーア先輩、そろそろ予告の時間っすね」
ムーアと呼ばれたオオカミは、制服の胸ポケットから懐中時計を取り出し時刻を確認すると、コクリと頷いた。
「そうだな、クーガー。あと五分足らずで犯行予告の時間だ。くれぐれも気を抜くなよ」
クーガーと呼ばれたマスティフは姿勢を正し、了解っす、と返事をした。
「しっかし、ムーア先輩、怪盗はこれだけ厳重な警備の中で、どうやって自動人形を盗み出すつもりなんすかね?」
クーガーが首を傾げて尋ねると、ムーアは口元に手を当てて、そうだなぁ、と呟いた。
「案外、シャロップシュ館長がおっしゃっていたように、窓を突き破って突入してくるかもしれないぞ」
そして、苦笑いを浮かべながら天井を見上げ、ステンドグラスがはめ込まれた天窓を指さした。クーガーも天井を見上げたが、すぐさまムーアに向き直って苦笑いを浮かべた。
「ははは、またまたー。流石にそれはないっすよ」
「はは、まあ、そうだろうな。でも、シャロップシュ館長も案外鋭いところがあるから……ん?」
談笑をしていたムーアだったが、不意に何かに気づき再び天井を見上げた。ムーアの視線の先には、キラキラと輝くステンドグラスに……
室内を覗き込むような黒い人影が映り込んでいた。
「総員!直ちに戦闘態勢に入れ!」
ムーアがそう叫ぶと、クーガーをはじめとした警備員たちは、一斉に尻尾を立てて牙を剥き、グルルとうなり声を上げた。それと同時に、ステンドグラスがガシャンと音を立てながら打ち破られ、館内にビービーという警報音が鳴り響く。
ムーアとクーガーは咄嗟に身をかわし、降り注ぐステンドグラスのかけらを避けた。
「ムーア先輩!大丈夫っすか!?」
「問題ない!それよりも、クーガー!来るぞ!」
ムーアの叫びと同時に、ステンドグラスが割れた天窓から、ガラス製の球体が投げ込まれた。警備員たちが見つめる中、球体は床に打ち付けられカシャリと音を立てて割れた。すると、球体から濛々と白い煙が立ちこめる。
「い、いかん!これは……」
ムーアが焦りながら辺りを見渡すと、警備員たちがよろめきながら次々と倒れていく。
「ム……ムーア……先……輩」
「クーガー!?気をしっかり持……て……」
倒れ込んだクーガーに駆け寄ったムーアだったが、煙を吸い込んでしまいパタリと倒れてしまった。
室内にいた全ての警備員が倒れると、ステンドグラスの割れた天井から一本のロープが垂らされた。そして、ロープから、スルスルと黒尽くめの服を着た人物が降りてくる。黒尽くめの人物は、ロープを半分ほど下ると、ぱっと手を放して床に着地した。
「……よっと!今回も、楽勝、楽勝♪」
黒尽くめの人物は軽快な口調でそう言うと、自動人形が飾られたガラスケースに近づいた。
「えーい♪」
そして、鋭い鉤爪のついた三本の指でガラスケースを割り、キラキラと紅色に輝く自動人形に手を伸ばした。
一方その頃、シーマと五郎左衛門はミミを探して、博物館の中を歩き回っていた。
「うーむ、こちらの方からミミ殿の気配がするのでござるが……」
五郎左衛門が困惑した表情で呟くと、シーマが館内マップを手に片耳をパタパタと動かす。
「五郎左衛門、この調子だともうすぐウスベニクジャクバッタの自動人形が展示されてる部屋についちゃうぞ?」
「なんと!ならば、一刻も早くミミ殿を見つけないとでござるな……ん?」
そのとき、五郎左衛門が何かに気づき、隣の展示室に顔を向けた。五郎左衛門の視線の先には、他の来場者に交じって不安げな表情でとぼとぼと歩くミミの姿があった。
「殿下!ミミ殿がいたでござる!」
「本当だ!ミミじゃないか!」
二人がそう言うと、ミミはその声に気づき足を止めた。そして、二人の方を向くと、ピョコピョコと飛び跳ねた。
「みー!みみみ!みみー!」
そして、手招きをしながら、みーみー、と声を出し、パタパタと走り去ってしまった。
「あ!ミミ殿!待つでござるよ!」
「こっちに来いって言ってるみたいだったけど……」
シーマがそう言った途端、ビービー、という警戒音が鳴り響いた。
「わ!?な、なんだ!?」
シーマと五郎左衛門が全身の毛を逆立たせて辺りを見渡すと、十五時半を示す壁掛け時計が目に入った。
「しまった!もう、犯行予告時間になっていたでござる!早くミミ殿を見つけて安全な場所に……」
五郎左衛門が慌てていると、胸ポケットから尺八の音色が響いた。すると、五郎左衛門はアタフタしながら、胸ポケットを探り二つ折りになった手鏡を取り出した。
「殿下、大変失礼いたしました。通信機の着信音を切り忘れていたようでござる……」
耳を伏せてしょげた表情を浮かべる五郎左衛門に向かって、シーマはふるふると首と横に振った。
「構わないよ。それより、早く出ないと」
シーマの言葉に、五郎左衛門は、はっ、と返事をしてから、手鏡を開いた。手鏡には、ナベリウス一同の姿が映っている。
「柴崎!緊急事態だ!すぐに、ウスベニクジャクバッタの自動人形がある展示室に向かえ!」
「今回は特例として、忍び装束での出動を許可します」
「あと、覆面をするのも忘れないでねー!じゃ、頑張って!」
アハト、シュタイン、シャロップシュがそう言うと通信は切れて、手鏡には困惑した五郎左衛門の顔が写った。しかし五郎左衛門はすぐさま凜々しい表情を浮かべると、手鏡をパタリと閉じて胸ポケットにしまった。
「……殿下、もうしわけござりませぬ。拙者は怪盗のもとに向かわねばならぬことになったでござる」
五郎左衛門がそう伝えると、シーマも真剣な面持ちでコクリと頷いた。
「ああ、分かった。なら、ミミのことは僕に任せて、五郎左衛門は現場に向かってくれ」
「かたじけのうござる」
五郎左衛門はコクリと頷いて返事をすると、制服の襟元に手をかけて一気に脱ぎ去った。すると、制服の下から濃紺色をした忍び装束が姿を現した。五郎左衛門は懐から装束と同じ色をした手ぬぐいを取り出し、手際よく顔に巻いていった。
「では、殿下!いってまいりますでござる!」
五郎左衛門はそう言うと、スタスタと走り出した。その後ろをシーマがパタパタと追いかけるように走り出す。そして、二人が二つ先の展示室に辿り着くと、ミミが耳を伏せながら不安げな表情で立っていた。
「あ、ミミ!」
シーマが声をかけると、ミミは二人の方に顔を向けてピョコピョコと飛び跳ねた。
「みみー!みー!」
五郎左衛門はミミの姿を見ると、コクリと頷いてからシーマの方に振り返った。
「殿下!ミミ殿を頼んだでござるよ!」
「ああ!分かった!」
シーマの返事に五郎左衛門は目を細めてニコリと笑い、速度を上げてミミの横を風のように走り抜けていった。
「み?」
走り去っていった五郎左衛門の姿を見て、ミミはキョトンとした表情で首を傾げた。すると、シーマがパタパタと駆け寄り、ミミの小さな手を掴んだ。
「こら、ミミ。折角お家が分かったのに、逃げ出したりしたらダメじゃないか」
シーマが尻尾の先をピコピコと動かしながらそう言うと、ミミはしょげた表情を浮かべてペコリと頭を下げた。
「みー……」
「うん。分かってくれたみたいなら、それで良いんだ。さ、モロコシと一緒にお家に帰ろうな?」
シーマは優しげに微笑むと、ミミの頭をポフポフと撫でた。すると、ミミは目を見開いて、シーマの手をグイグイと引っ張った。
「みー!みみみみー!みみー!」
「えーと……ごめん、何て言ってるか分からないんだけど……どうしよう……」
シーマが困惑していると、ミミは手を更に強く引っ張り……
「みー!」
「うわぁっ!?ちょ、待ってくれよ!」
五郎左衛門が走り去った方向に向かって、パタパタと走り出した。
シーマがミミに引っ張られていた頃、警戒音が鳴り響く研修室の中で、はつ江とモロコシが困惑した表情を浮かべていた。
「あれまぁよ!泥棒さんが出たみたいだね!」
「え!?今日、ドロボウさんが来てるの!?」
はつ江が驚きの声を上げると、モロコシもボタンのように丸い目を見開いて、全身の毛を逆立てながら驚いた。
「そうだぁよ!シマちゃん、ゴロちゃん、ミミちゃんは大丈夫かねぇ……」
「大丈夫だよ、はつ江おばあちゃん!殿下も五郎左衛門さんもすごく強いから!」
心配そうにするはつ江に向かって、モロコシは自信に満ちあふれた表情でそう告げた。しかし、すぐにハッとした表情を浮かべると、ヒゲと尻尾をダラリと垂らした。
「でも、ミミちゃんはちょっと心配だな……バービーさんが一緒なら、安心なんだけど……」
心配そうにするモロコシに向かって、はつ江がキョトンとした表情で首を傾げた。
「ばーびーさん?」
「うん!ミミちゃんのお母さんなんだ!すっごく足が速くて強いんだよ!前に、森でバッタさんと遊んでたら、魔獣に襲われそうになったことがあるんだけど、そのとき魔獣をやっつけて助けてくれたの!」
モロコシが目を輝かせながら答えると、はつ江は、ほうほう、と呟きながらコクコクと頷いた。
「そうなのかい!モロコシちゃんが無事でよかっただぁよ。でも、ばーびーさんってのは、随分と強いネコさんなんだねぇ」
はつ江がシミジミとそう言うと、今度はモロコシがキョトンとした表情で首を傾げた。
「バービーさんは、ネコじゃないよ?」
「あれまぁよ!そうなのかい!でも、ミミちゃんのお母さんなんだろ?」
はつ江が問い返すと、モロコシは困惑した表情で、うーん、と呟いた。しかし、すぐにハッとした表情を浮かべて、胸の前でフカフカの手をポフリと打った。
「えーとね、はつ江おばあちゃん。魔界にはね、お父さんお母さんから生まれる子と、トビウオの夜に魔界に生まれる子がいるの!」
「トビウオの夜?」
はつ江が首を傾げながら問い返すと、モロコシは元気よく、うん、と返事をした。
「お空にトビウオが飛んできてね!すごくキラキラするの!それで、どこか別の世界から来た魂が降ってきてね、朝になると子供が欲しい人のお家に、赤ちゃんがいるの!」
「あれまぁよ!そうなのかい!」
モロコシの説明に、はつ江は目を丸くして驚いた。
かくして、ようやく異世界転生っぽい話題が出ながら、シーマ殿下とはつ江ばあさんの博物館お手伝い大作戦は大詰めを迎えていくのであった。




