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仔猫殿下と、はつ江ばあさん  作者: 鯨井イルカ
第一章 シマシマな日常
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ガーン

 赤い空の下、炭焼き職人樫村の玄関口で、シーマ十四世殿下一行はチョロの話に耳を傾けていた。チョロは、すーっと息を吸い込んで凜々しい表情を浮かべた。


「時は一ヶ月前でございやす。アッシらバッタ屋さんは、スナモグリチャバッタを捕りに、砂漠地帯まで遠征していやした」


 チョロの言葉に、モロコシが緑色の目を見開いて驚いた。


「あの、見つけるのが凄く難しい、スナモグリチャバッタさんを捕りに行ったの!?大変だったでしょ!?」


 すると、チョロは腕を組みながらしみじみとした表情で、コクリと頷いた。


「モロコシの坊ちゃんが言うとおりでございやす。そん時はとある国のお貴族様からのご依頼でございやしたが、それがもう、見つからねぇのなんのって。ようやく依頼された数を捕まえた時にゃ、用意してきた水も食いもんもギリギリ残ってるかいねぇかって具合でございやした。しかも、そん時は途中で財布をすられちまってたんで、追加で手に入れることもできねぇありさまで」


「あれまぁよ!それは、災難だったねぇ……」

「ああ、一歩間違えれば命に関わってたな……」


 はつ江とシーマが気の毒そうに声を漏らすと、チョロは再びコクリと頷いた。


「そうなんでございやすよ!でもまあ、スられた財布は親方が色々と手ぇ回して、半月後にゃ戻ってきやしたが……でも、そんときゃ一文無しだったもんで、スナモグリチャバッタが手に入ったら、馬ぁ飛ばして、一目散にアッシらの小屋まで向かいやした。んで、小屋に着いた頃にゃ、水もスッカラカンになっていやした」


「お前ら、えらい目に遭ったんだな……」


 樫村が気後れ気味にそう呟くと、チョロはニッコリとした笑みを浮かべた。


「へい!親方はのびるわ、忠一と忠二は珍しく大人しくなるわ、アッシもお肌がガサガサになるわで、えれぇ焦りやしたが、なんとか全員生きていやした!んで、全員で這いつくばりながら、小屋に入って水場の蛇口を捻ったんでございやすが……」


 そう言うと、チョロはガーンとショックを受けた表情を浮かべた。


「なんと!水が一滴もでねぇのでございやす!こりゃ大変!とんでもねぇ!ってことになって、水道局に連絡しようと思ったんでございやすが、時計を見りゃ営業終了時間の二分前でございやす!下手すりゃ、対応は明日になっちまうかもしれやせん。でも、街まで出て飲みもん買ってくる余裕もございやせん。そこで、イチかバチか水道局に連絡を入れやした」 


「そこで、音声連絡に対応したのが、私だったんです……よね?」


 蘭子がおずおずとそう言うと、チョロは目を輝かせて頷いた。


「へい!連絡がつながったときゃ、干からびる寸前だってのに、目から涙がちょちょぎれるかと思いやしたよ!そんで、事情を説明すると、緑川のお嬢は嫌そうな声一つ出さずに、そりゃあてぇへんだ!、とすぐに小屋の辺りの水道の情報を調べてくだすって」


「あ、えーと……みなさん?大変焦りましたが、そりゃてぇへんだ!という口調では、ありませんでしたからね?」


 蘭子が再びおずおずとした口調で訂正すると、四人は、大丈夫わかってるよ、と言いたげな表情を浮かべて、同時に頷いた。蘭子がホッとした表情で胸をなで下ろしていると、チョロは目を輝かせたまま話を続けた。


「細けぇことはいいんでございやすよ、緑川のお嬢!ともかく、緑川のお嬢、ちょいと待って下せぇ、と言うと、すぐさま色々と調べてくだすって、戻ってきてくだすったんでさぁ!」


「ただ、システムを確認したんですが、その時は、バッタ屋さんがある地域の水道網に異常は見られず……」


 蘭子が言葉を付け足すと、チョロはしみじみとした表情をしながら、うんうんと頷いた。


「そうだったんでございやす。んで、時計にチロっと目をやると、営業終了時間はとっくに過ぎていやした。こりゃあ、原因がわかんねぇんで明日にでも調べやす、っつーことを言われて通信を切られっと思ったんでございやすよ」


 チョロの言葉に、蘭子は気まずそうな表情を浮かべて、頬を掻いた。


「確かに、終了時間ギリギリの連絡は早めに切り上げて翌日に回す、という局員も少なくはないですね……」


「……まあ、水道屋には水道屋の事情もあるだろうからな」


 蘭子の言葉に、樫村が頭をボリボリと掻きながら、ぼそりとした声でフォローを入れた。すると、チョロも、そのとおりでございやす、と頷いてから、円らな目をカッと見開いた。


「ところが!緑川のお嬢は、通信を切らずに、最後に水道を使ったのはいつでござやすか?とか、最後に使った時に何か変わったことは起こりやせんでしたか?と、聞いてくだすったんです!そんで、アッシもここまで付き合ってくだすった方にゃ、これ以上迷惑かけられねぇと、スットコドッコイながら、うんうんと考えたんでございやすよ。そしたら!思い出したんでございやす!」


「ほうほう、何をだい?」

「なーに、なーに?」


 はつ江とモロコシが興味津々といった表情で続きをせがむと、チョロは、フフ、と不敵な笑みを浮かべた。そして、胸の辺りで拳を握りしめ、凜々しい表情を浮かべた。


「砂漠地帯に出かける前に、水漏れすっといけねぇからと、水道の元栓を閉めてたことをでございやす!」


「そ……そうだったのか……」


 得意げな表情のチョロに向かって、シーマは片耳をパタパタと動かして、気まずそうな表情を浮かべながら声を掛けた。すると、チョロは恥ずかしそうに頭を掻いて、苦笑いを浮かべた。


「へい。で、流石にこっちの手落ちでこんな時間まで付き合わせちまったからにゃ大目玉を食っても仕方ねぇ、と思いながらも、ありのままを伝えたんでさぁ」


「……確かに、兄貴が同じようなことしたら、ボクならもの凄く怒るだろうな」

「ぼくも、同じことしたら、お母さんに叱られちゃいそうだ……」


 チョロの言葉に、シーマとモロコシは逆方向の想像をして、尻尾の先をピコピコと動かしながらフカフカの頬を掻いた。すると、チョロは再び不敵な笑みを浮かべてから、口を開いた。


「ところがどっこい!緑川のお嬢は、怒りもしねぇで、心底嬉しそうに、よかった!これで解決しましたね!と言ってくだすったうえに、何かあっちゃいけねぇ、と水がちゃんと出るか確かめるところまで、通信をきらねぇでいてくれたんでさぁ!それで、バッタ屋さん一同、無事に水にありつけて、事なきを得たんでございやす!」


「ほうほう、蘭子ちゃんは優しいんだねぇ」


 はつ江が感心したようにそう言うと、チョロも腕を組みながら頷いた。


「まったくでございやすよ。親方にいきさつを伝えてたら、まぁなんて義理堅い方なのかしら、と目を輝かせて褒めていやしたから。ま、アッシは、そんな方にご迷惑おかけしちゃだめでしょ、と叱られちまいやしたが」


 そう言ってチョロがしみじみとした表情を浮かべると、蘭子は頬を赤らめて俯いてしまった。


「あの……私は、その……かなり声を枯らしてご連絡いただいたので……万が一のことがあってはいけないと、無我夢中で対応していただけで……あまり、お気になさらずとも……」


 蘭子がしどろもどろになりながらも謙遜すると、チョロはニッコリとした笑顔を向けた。


「そんなご謙遜なさらねぇでくだせぇよ!あん時、緑川のお嬢が見捨てずに対応してくだすったおかげで、アッシらは今日も元気にバッタ屋さんを続けられてるんでございやすから!」


「蘭子さん!憧れのバッタ屋さんを助けてくれてありがとうございます!」


 チョロに続いて、モロコシもヒゲと尻尾をピンと立ててニッコリと笑った。


「い、いえ……恐縮です……」


 蘭子は頬を赤らめてそう言うと、ペコリと頭を下げた。

 その様子をシーマとはつ江は微笑ましく見つめ、樫村はボリボリと掻きながら眺めた。そして、樫村は顎に手を置くと、ふぅと深いため息を吐いた。


「まあ、人のいい性格ってのは確かみたいだな。それに、あのバッタ屋には若い頃から色々と世話になってるからな……その恩人を無下に追い返すってわけにも行かねぇか……」


 樫村はそう言うと、蘭子に顔を向けた。


「おい、カッパの嬢ちゃん」


 不意に声を掛けられた蘭子は、驚いてピョンと跳び上がった。そして、慌ててペコリと頭を下げてから、樫村の顔を見上げた。


「は、はい!何でしょうか?樫村様」


 緊張した面持ちの蘭子に対して、樫村はふんと鼻を鳴らしてから口を開いた。


「井戸に案内するから、ついてこい。だだし、雑な仕事したら承知しねぇからな」


 樫村はそう言うとクルリと振り返り、部屋の奥にのしのしと足を進めた。蘭子はしばらく呆然としていたが、ハッとした表情を浮かべると、目を輝かせて勢いよく頭を下げた。


「あ、ありがとうございます!」


 その姿を見て、シーマとはつ江とモロコシは顔を見合わせてから、蘭子に向かってニッコリと笑いかけた。


「よかったな、緑川さん!」

「蘭子ちゃん、よかっただぁね!」

「やったね!蘭子さん!」


 声を掛ける三人に向かって、蘭子は目を輝かせながら、はい、と答えた。そして、チョロに顔を向けると、嬉しそうに目を細めて笑顔を浮かべた。


「チョロさんのおかげで、樫村様にご協力いただくことができました!本当に、ありがとうございます!」


 そう言って蘭子が頭を下げると、チョロは目を見開いて驚いた。そして、照れくさそうにはにかむと、細長い指で頬をポリポリと掻いた。


「いやぁ、事情はよく分かりやせんが、緑川のお嬢のお役に立てたのなら、何よりでございやすよ!」


 五人がそんなやり取りをしていると、のしのしという足音はピタリと止まった。


「お前ら!モタモタしてると、置いてくぞ!」


 そして、部屋の中から樫村の大声が響いた。


「す、すみません!ただいま参ります!」

「すまない!今から向かう!」

「はいよ!今行くだぁよ!」

「はーい!今行きまーす!」

「へい!ただいま参りやす!」


 五人が声を揃えて返事をすると、部屋の奥から、ふん、という鼻の鳴らす音が聞こた。そして、再びのしのしという足音も響きだした。五人は、パタパタと足音を立てながら樫村を追いかけていった。

 かくして、チョロのおっちょこちょいエピソードのおかげで、シーマ十四世殿下一行は無事に井戸の定期検査にたどり着けたのだった。

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