シーン
魔界随一のうどんの名店「うどんやさん」の裏庭にて、シーマ14世殿下一行は、井戸の水質調査を行っていた。
「……よし。水質調査の数値も直したし、緑川さんが計測してくれた水位と水量の数値も入力したから、ここの調査はこれで完了かな?」
シーマが尻尾の先をクニャリと曲げて尋ねると、蘭子はコクリと頷いた。
「はい。あとは、責任者の方に調査結果の報告をして……」
蘭子はそう言うと、作業着のポケットに手を入れ、中から手のひらに収まる大きさをした正方形の紙を取り出した。紙には本日の日付と、合格、という文字が記されている。
「……このシールを井戸に貼れば完了です」
蘭子がシールを見せると、シーマとはつ江は揃って、ほうほう、と頷いた。
「じゃあ、店主はボクが呼んでくるから、はつ江は機材の収納、緑川さんは説明の用意をしておいてくれ!」
シーマが声を掛けると、はつ江はニッコリと笑い、蘭子はペコリと頭を下げた。
「分かっただぁよ!シマちゃん」
「かしこまりました、殿下」
シーマは二人に向かってコクリと頷くと、トコトコとうどんやさんの勝手口に向かっていった。蘭子はその姿を見つめると、小さくため息を漏らした。すると、はつ江がキョトンとした表情で首を傾げた。
「蘭子ちゃんや、どうしたんだい?」
「はい……私も、殿下や森川様のように、物怖じせず人とお話しできるようになりたいな、と思いまして」
肩をすぼめながら蘭子が呟くと、はつ江はカラカラと笑った。
「わはははは!そんなに焦らなくても、ちょっとずつ慣れてきゃいいだぁよ!」
はつ江は蘭子の肩をポンポンと叩くと、調査キットと水位計を指さして、えいっ、とかけ声を発した。すると、調査道具達はシュルシュルとポシェットに吸い込まれていった。はつ江はポシェットをポンポンと叩いてファスナーを閉じると、蘭子に向かってニッコリと微笑んだ。
「まずは、元気よく挨拶するとこから、始めていけばいいさね!」
「そ……そうですね!私、頑張ります!」
はつ江が励ますと、蘭子は目を輝かせながら胸の辺りで手を握りしめた。はつ江は、うんうん、と頷いて笑顔を浮かべていたが、再び不思議そうな表情を浮かべた。
「でもよ、蘭子ちゃん。シマちゃんや私とは普通にお話しできるのに、なんでお客さんの前だと緊張しちゃうんだい?」
はつ江が首を傾げて問いかけると、蘭子はギクリとした表情を浮かべて身を強張らせた。
「えーと……それは……少し、事情がありまして……」
「おーい、店主を呼んできたぞー!」
「皆様ー、お疲れ様でしたー」
蘭子が目を泳がせながら答えあぐねていると、シーマがスキアポデスを連れて勝手口から現れた。はつ江は、ニッコリと微笑み、蘭子は軽く咳払いをしてから姿勢を正した。シーマとスキアポデスが歩みを止めると、蘭子はペコリと頭を下げた。
「本日は、ご協力頂きありがとうございました」
「いえいえー。こちらこそ、いつも助かりますー」
蘭子の言葉に、スキアポデスはのんびりとした口調で応え、ゆっくりとお辞儀をした。
「では、本日の調査結果について報告いたします。水質については、前回の調査から変化はなく、飲料水として全く問題無いという結果でした。水位、水量についても前回の調査から、著しい変化はありません。殿下、記録用端末を貸して頂けますか?」
「ああ、分かったよ」
シーマはそう言うと、手にしていた記録用端末を蘭子に手渡した。蘭子は記録用端末を操作して、調査結果を画面に表示させた。そして、スキアポデスに画面を見せながら、各項目を調査する目的と調査結果について、丁寧に説明する。
「……以上が、調査結果の詳細です」
「あー、そうなんですねー。分かりやすいご説明でしたー」
調査結果を報告する蘭子対して、スキアポデスはのんびりとした口調で相槌を打った。
「では、こちらの『合格』シールを井戸に貼れば、本日の調査は完了です。何か、ご質問はございますでしょうか?」
「特にないですねー」
スキアポデスの回答を聞くと、蘭子はホッとした表情を浮かべた。二人を見守るシーマとはつ江も、蘭子が問題無く説明できたことに、ホッと胸をなで下ろす。
しかし、不意にスキアポデスが何かに気づいたような表情を浮かべて、胸の前で手をポンと打った。
「あ、そうだー。今日は、上水道の勧誘はないんですかー?」
スキアポデスが尋ねると、途端に蘭子の顔色から血の気が引いていった。そして、若干色の薄くなったクチバシは、小刻みに震えてカチカチと音を立てている。
「カッパさーん!?大丈夫ですかー!?」
「蘭子ちゃん!?大丈夫かね!?」
「どうしたんだ!?緑川さん!?」
急な変化に三人が驚きながらも心配すると、蘭子は震えた声で、大丈夫です、と呟いた。そして、蘭子は大きく息を吸い込むと、勢いよく頭を下げた。
「あ……あの、その件に関しては……まことに申し訳ございませんでした!あのようなことは、二度と起こさないようにいたしますので!」
蘭子が叫ぶように謝罪の言葉を口にすると、スキアポデスは困惑した表情を浮かべた。しかし、すぐに和やかに微笑むと、頭頂部の皿に触れないように蘭子の頭を撫でた。
「大丈夫ですよー。そんなことよりも、今日はありがとうございましたー。皆さんのおかげで、とても助かりましたよー」
スキアポデスが宥めるようにそう言うと、蘭子は涙を堪えながら、ありがとうございます、と呟いた。事情の分からないシーマとはつ江は、キョトンとした表情で蘭子を見つめた。
「じゃあ、私は仕込みに戻りますねー」
スキアポデスは蘭子の肩をポンポンと叩いてそう言うと、トントンと跳ねながら店に戻っていった。しかし、勝手口の扉が閉まっても、蘭子は頭を下げたままだった。
「あー……緑川さん。以前、何かあった……んだな?」
見かねたシーマが、耳をピコピコと動かしながら尻尾の先をクニャリと曲げて尋ねると、蘭子はか細い声で、はい、と呟いた。
「一体、何があったんだい?」
はつ江は蘭子の甲羅をさすりながら、心配そうな表情で問いかけた。
蘭子は涙を落として俯いていたが、涙が落ち着くと意を決したようにクチバシを一文字に結んだ。そして、大きく深呼吸をすると、事情を語り出す。
「実は……前回までの担当者が、井戸の定期調査の後に、皆様に上水道への切り替えを提案していたらしいんです」
「まあ……より安全な水を届ける、という意味では間違ったことではないかな……」
シーマが片耳をピコピコと動かしながら呟くと、蘭子はコクリと頷いた。
「はい……殿下のおっしゃる通り、上水道への切り替えを提案すること自体は間違ったことではないのですが……問題は、その提案の仕方だったんです」
蘭子はそこまで言うと、すぅっと息を吸い込んだ。そして、目を見開いてから、再び言葉を続けた。
「前担当者達は、調査で問題無い数値が出ているにもかかわらず、不安を煽るような言葉を口にして水道への切り替えを勧めていたそうなんです」
蘭子の言葉に、シーマはアーモンド型の目を大きく見開いて、ギョッとした表情を浮かべた。
「それは、井戸の管理者に不正な数値を報告したってことなのか!?だとしたら、大問題だぞ!?」
シーマが驚くと、蘭子は素早く首を左右にふった。
「いいえ!調査結果の数値は、正確に報告していたと聞いております。でも、今は安全な数値だけどいつ汚染されるか分からない、というようなことを大袈裟に伝えていたそうです……」
「……確かに、その言い方なら、嘘とまでは言えないか」
シーマはそう言うと、耳を伏せてヒゲを垂らしながら、フカフカの頬を掻いた。蘭子も力なく、そうなんです、と呟いてから、さらに話を続けた。
「それで、何人かの管理者の方々は水道に切り替えたのですが……切り替えの提案に応じない管理者の方には、暴言を吐いたりしたそうです……」
そこまで話すと、蘭子は深いため息を吐いた。
「そのせいで、ここ半年、私達魔界水道局局員への風当たりが強くなっていたんですよ……」
「そうかい、そうかい。だから、あんなに緊張してたんだね?」
はつ江が甲羅をさすりながら問いかけると、蘭子は力なく、はい、と答えた。
「今までは理由が分からなかったのですが……先週久しぶりに開催された飲み会で、酔った前担当者達がまるで武勇伝を語るように、そのことを話し出したんです。それで……私……頭にきてしまって……」
「前担当者達を病院送りにしちゃったのか……」
シーマがヒゲをダラリと垂らして困惑した様子で呟くと、蘭子はコクリと頷いた。
「はい……安全な水をお届けすることによって、皆様の生活を守るのが私達の仕事です。それなのに、信頼を裏切るようなことをして、しかも誇らしげにそれを語るということが、どうしても許せなくて……」
蘭子はそう言うと、俯いたまま再び黙り込んでしまった。
辺りには、シーンとした静寂が訪れる。
「わははははは!」
しかし、その静寂をはつ江の笑い声が打ち破った。急な笑い声にシーマは尻尾の毛を逆立て、蘭子は目を丸くしながら驚いた。
「そんならよ!今日はお仕事を頑張って、汚名を返上しないといけないねぇ!」
はつ江がそう言うと、シーマは顔を洗う仕草をしてから、不敵な笑みを浮かべた。
「そうだな!しっかりとした調査と報告をして、魔界水道局の信頼を回復しないとな!」
シーマは、耳と尻尾をピンと立てて胸を張った。二人の姿を見て、蘭子は軽く目元を拭ってから、ニッコリと微笑んだ。
「はい、おっしゃる通りですね」
蘭子の笑顔を見て、シーマとはつ江は安心した表情を浮かべた。
「でも、蘭子ちゃんや。怪我させちまった子達には、ちゃんと謝らなきゃだめだぁよ」
はつ江がウィンクをしながらそう言うと、蘭子は頭を掻きながら苦笑を浮かべて頷いた。
「そうですね。彼ら、ハーゲンティ局長からもかなり本気のお叱りを受けて反省していましたから、今日のお仕事が終わったら、報告がてら謝罪とお見舞いにいってきます」
蘭子の言葉に、シーマは全身の毛を逆立てた。
「あ……あの、ハーゲンティ局長が本気で怒ったんだ……」
「ええ……私も、入局してからはじめて見ましたが、それはもう凄まじかったです……」
シーマと蘭子が身震いをすると、はつ江はキョトンとした顔で首を傾げた。
「はーげんちーさんは、怒るとそんなに怖いのかい?」
はつ江の問いかけに、シーマは耳を伏せて尻尾をダラリと垂らしながら口を開いた。
「怖いも何も……あの人、先代魔王の時代、十以上の軍団を指揮する総裁だったんだぞ……」
シーマの言葉を受け、蘭子も再び身震いをしてコクリと頷いた。
「今でもその気になれば、相手の血液を全て砂糖醤油に代えてしまうくらいのお力はあるそうです……」
「あれまぁよ!人は見かけによらないんだねぇ!」
二人の発言に、はつ江は目を丸くして驚いた。
一方そのころ、魔界水道局中央本部の会議室では、ハーゲンティが水源の管理に関するミーティング中に、クシュン、と小さなクシャミをしていた。そして、窓の外にチラリと目を向けて、うふふ、と笑ったが、三人はそれを知る由もなかった。




