仔猫と、はつ江さん・その五
真っ赤に染まった空。
真っ黒に立ち昇る煙。
波音をかき消すサイレンと叫喚の声。
ここは海に近い大きな街。
空から降り注いだ炎が、沢山のものを焼いていた。
そんな中をバスケットを抱えた少女が、必死の形相で走っていた。
そのは、深川はつ江。
この街で生まれ育った十四歳の少女だ。
はつ江の抱えるバスケットの中では、仔猫が耳を伏せ、全身の毛を逆立てながら丸まっていた。
その名は、縞。
はつ江が可愛がっているサバトラの仔猫だ。
「はつ江! 早くなさい!」
離れた場所から、母親の叫び声に近い呼び声が響いてくる。
「すぐ行くから! お母さんは先に行ってて!」
そう叫び返したものの、足元も悪く両手も塞がっているためか、いつもよりも早く走ることができない。
それでも、はつ江はバスケットを抱え、必死に走った。
そして、ついに炎を抜け、田の広がる町外れまでたどり着いた。
「これで助か……わっ!?」
しかし、運悪く石に足を取られ、転んでしまった。
「にっ!?」
転んだ拍子に手放してしまったバスケットから、縞の短い鳴き声が響いた。
「縞ちゃん!」
はつ江はすぐに立ち上がると、放ってしまったバスケットに向かって駆け出した。
拾い上げて蓋を少し開けると、震えてはいたが、縞に怪我はない様子だった。
「はつ江! 何してるの!? 早くこっちに来なさい!」
少し離れた竹林から、母親の悲鳴に近い声が響く。
「今行く……」
はつ江は返事をして、竹林に向かおうとした。
まさにそのとき。
空から降ってきた炎が、はつ江の目の前に突き刺さり、飛び散った破片がもんぺの脛に燃え移った。
「あぁぁぁあぁぁー!!!!」
「にぃぃぃ!!」
「はつ江ぇぇぇ!!」
痛みと暑さに悲鳴を上げながらも、はつ江はなんとか炎をかき消し、竹林へ駆け込んだ。
そんな恐ろしい夜が明け、縞は相変わらずバスケットの中で、小さく丸まっていた。
「あんな猫、捨ててきなさい!」
「お母さんなんてこと言うの!?」
外からは、はつ江と母親の声が聞こえてくる。
「縞ちゃんは大事な家族なんだよ!?」
「だって、あの猫のせいで、あなたは、こんな怪我を……!」
「これは縞ちゃんのせいじゃなくて、私がドジしただけで……」
「黙りなさい! それに、猫なんて飼ってる余裕なんて、もうないのよ!」
「それは……、私が働いてなんとかするから……!」
「……!」
「……!」
縞には二人が話している内容までは、理解できなかった。しかし、言い争いをしている、ということは感じ取れた。
昨日はあんなに怖い目にあったし、まだご飯も食べてないから、お腹も空いている。だから、二人とも気が立ってるんだ。
縞はそんなことを考え、バスケットの蓋を押し上げて、恐る恐る顔を出した。
あちらこちらから、色々なものが焼けた臭いはするけれど、もう恐ろしい炎の姿はない。
「んにっ」
縞はバスケットから、トンッと飛び降りた。
きっと、ボクがご飯を見つけてくれば、二人も仲直りするはず。
そんなことを考えながら、縞はまだ煙があちこちから立ち昇る街に向かって、トテトテと歩き出した。
でも、ご飯は全然見つからなかった。
人から分けてもらおうとしても、あっちに行け、って追い払われた。
そのうち、どんどんお腹が空いて、動けなくなった。
はやく、あの子のところにご飯を持って帰らないといけないのに……。
「……に?」
気がつくと、縞は夜空の中にいた。
あたりを見渡すと、色々な形をした赤ん坊を乗せた魚が、無数に飛んでいる。
魚が時折身をくねらせると、背に乗った赤ん坊は光に包まれながら、フワフワと地上に降りていった。
その光景に見入っているうちに、縞の足元がぐにゃりと揺れた。
目を向けると、自分も他の赤ん坊たちと同じように、魚の背に乗っていることが分かった。
魚は再びぐにゃりと身を捩り、シーマも光に包まれて、フワフワと地上に降りて行った。
「そうだ、それから……、兄貴とリッチーに出会って家族になって……、でも、他にも……、ずっと待たせてた家族が……ん?」
自分の寝言と共に、シーマは目を覚ました。
その目に入ったのは……
「いいか! コイツに何かされたくなければ、大人しくこちらの言うことを聞くんだ!」
「……分かった」
……喚き立てる金色ローブのゴルトと、小さくうなずく魔王の姿見だった。
「……っ兄貴!?」
シーマが声を上げると、魔王はビクッと肩を揺らしてから振り向いた。
「良かったシーマ、気が付いたのか。あ、そうだ。今、ちょうど『超・美味しいキャンディー』のレインボー味があるけど、食べる?」
「今、絶対そんなことしてる場合じゃないだろ!?」
「今、絶対そんなことしてる場合じゃないだろ!?」
くしくも、シーマとゴルトは一言一句違わぬ言葉で、魔王にツッコんだ。
「なにも、二人して、瞬間心重ねながら怒らなくてもいいじゃないか……」
部屋の中には魔王のションボリとした言葉と……
「いや……、この状況でアメを勧められたら、瞬間心重ねてツッコむしかないだろ……」
……銀色ローブの、割と律儀な力無いつぶやきが響いた。
かくして、旧村長宅にて、ついに仔猫殿下が目覚めたのだった。




