しっかりな一日・その十三
都会の一角にあるとある古びたビルの一室にて、葉河瀨明とその父の創が、小さなガラス製のテーブルを挟み向かい合って座っていた。
明の隣には、もたれ掛かるようにして、気を失った姫子が座っている。
「……それで、本当は自分の命を絶って、母さんのところに行こうと考えていたわけですか」
明が姫子の肩を抱きしめながら、深いため息を吐いた。
「ああ。できる限り明に罪悪感を抱かせたくなかったから、今回の計画を実行した」
「気づかいの方向性が、面白いくらい派手にズレてますよ。それに、仮に俺に罪悪感を抱かせずに命を絶つことに成功したとしても……、姫子が目を覚ました時点で、結局全部バレることになりますよね?」
「……あ」
「『……あ』って……、本当にその可能性について、なにも考えてなかったんですか?」
「……ふむ。やはり明の言うとおり、睡眠を取らずに立てた計画は、ろくなものじゃないな」
「……まったくですよ」
明は再び姫子を抱きしめながら、深いため息を吐いた。そんな明を前にして、創は小さく咳払いをしてから、テーブルに肘をついて指を組んだ。
「まあ、その点に関しては……、巻き込んでしまった方々にも改めて謝罪と補償しよう。もともと、それなりの補償は、用意していたから」
「俺も、一緒に頭を下げますよ」
「すまないな、明。それで、絵美里の件だが……、お前もあの歌が聞こえたんだろう?」
「はい。まあ、聞こえたというか、ピアノを演奏する母さんと、リングベルとカスタネットを鳴らす二足歩行の仔猫と、タンバリンを叩くしらないおばあさんの姿が見えました」
「そうか……。ところで明、あのタイミングであの歌が流れたのは、偶然だと思うか?」
創が尋ねると、明は口元に指を当てて眉をひそめた。
「いえ、偶然にしては……、出来すぎていますよね」
「ああ、そうだな……、ん?」
そのとき、創のポケットの中で、スマートフォンが震えだした。
「どうぞ、出ててください」
明が促すと、創は軽く頭を下げ、通話に出た。
「はい、葉河瀨です……、そうですか、分かりました……、あ、はい、そうだったんですか……、ではすぐに」
創は冷静な調子でそう告げると、通話を切りスマートフォンをポケットにしまった。
「……じゃあ、歌の件が偶然かどうかは、本人に確認することにしようか」
「分かりまし……、は? 本人?」
問い返す明に、創はコクリとうなずいた。
「ああ。今しがた目を覚ましたそうだ。しかも、いつの間にかベッドサイドにお見舞いの品が、大量に置かれていたそうだ」
「そう、ですか……」
「では、私は病院に向かう。明も、姫子さんが目を覚ましたら、一緒に来なさい」
「あ……、ちょっと、待ってください!」
引き止める明の言葉も聞かずに、創は立ち上がりスタスタと部屋を出て行った。
そうこうしていると、姫子が、うん、と声を漏らしながら、身じろぎをし、ゆっくりと目を開いた。
「明……、さん?」
「……おはよう、姫子」
明が微笑みながら頭をなでると、姫子はうとうととした表情で、再び眠りにつこうとした。しかし、すぐに自分の置かれた状況を思い出し、カッと目を見開いた。
「あ、あの、明さん! お義父様は、明さんや私を傷つけたかったわけじゃないんです! でも、すぐに止めないといけなくて……」
取り乱す姫子を見て、明はぷっと吹き出した。
「な、なにを笑ってるんですか!?」
「あははは、すみません。慌ててる姿が、可愛くて」
「そんなこと言っている場合ですか!?」
「ええ、大丈夫ですよ。ついさっき全てにかたがつきましたから。わりと、円満な形で」
「……へ?」
姫子が首をかしげると、明が頭をポンポンとなでた。
「……母が目を覚まし、父は病院へ向かいました」
「そう、ですか……、あ、なら、すぐに明さんも病院に向かわないと!」
姫子の言葉に、明は悲しそうに目を伏せた。
「俺が行っても、いいんでしょうか……」
明の様子に、姫子は困惑した。しかし、すぐに意を決した表情を浮かべ、手を伸ばしてポンポンと頭をなでた。
「……きっと、お義母様も、明さんやお義父様にもう一度会いたいと、強く願ったから帰ってこられたんですよ。あのときの、私のように」
姫子の言葉に、明は軽く目を見開いた。
「だから、早く顔を見せに行きましょう?」
姫子が微笑んで問いかけると、明も薄く微笑んでうなずいた。
「……そう、ですね」
それから二人は立ち上がると、手を繋いで部屋を出て行った。
一方その頃魔界では――
「はつ江、あの星座がバラ座だ! 初代魔王がお妃様にプロポーズしたときに渡したバラの花束を星座にしたものなんだ!」
「ほうほう、そうなのかい! それはろまんちっくだねぇ」
――魔王城のバルコニーで、はつ江がシーマから魔界の星座についてのレクチャーを受けていた。
辺りに見える星座の説明を一通り終えると、シーマは小さくため息を吐いた。それから、遠くの空を見つめて、尻尾の先をピコピコと動かした。
「絵美里さん、ちゃんと旦那さんとお子さんに会えたかなぁ……」
シーマが呟くと、はつ江はニッコリと笑って、ポフポフと頭をなでた。
「きっと大丈夫だぁよ! もう一度会いたいとお互い思ってりゃ、いつかはかならず会えるんだから……ね、縞ちゃん」
その言葉とともに、シーマの目には、微笑むおさげ頭の少女の姿が映った。
「……え?」
戸惑いながら目を擦ると、少女の姿は消え、白髪頭のはつ江がニッコリと微笑んでいた。
「シマちゃんや、どうかしたのかい?」
「あ、いや……、多分気のせいだから、大丈夫……」
「それなら、良かっただぁよ。ところでシマちゃん、あの緑色の綺麗なお星様は、一体なんだい?」
「ああ、あれは女神の瞳星っていってな……」
こうして二人は、また天体観測を続けた。
かくして、魔界でも人間界でも色々とあった一日も、穏やかに終わっていくのだった。




