しっかりな一日・その一
赤く染まった空。
奇っ怪な枝振りの木々が生い茂る大地。
絶えず響く叫喚のような怪鳥の声。
悠然と流れる血の大河。
ここは魔界。
魔のモノたちが住まう禁断の土地。
そんな魔界の一角に切り立った岩山が聳えている。
その頂上に築かれた白亜の城の中では――
「ほうほう、ヤギさんはふわふわの玉子焼きを作るのが、とっても上手なんだねぇ」
「ああ。一時期、玉子料理にハマっていて、そのときに腕を磨いたからな」
――老女と青年が朝食のしたくをしていた。
「わはははは、それは今から食べるのが楽しみだぁよ!」
カラカラと笑いながら魚肉ソーセージと猫型に切ったニンジンのスープをかき混ぜるのは、森山はつ江。白髪頭とクラシカルなメイド服がチャーミングな、御年米寿の元気いっぱいばあさんだ。
「ふふ、期待に応えられる仕上がりになると思うから、楽しみにしてくれ……、よっと!」
不敵な微笑みを浮かべながら、器用にオムレツをひっくり返すのは、魔王。赤銅色の髪と堅牢な角、ネコ柄の割烹着が似合う、魔のモノたちを統べる見目麗しい王だ。
そんな二人がテキパキと朝食のしたくを続けていると、台所の扉がゆっくりと開いた。
「ふわぁ、おはよう」
紐ネクタイを締めたシャツとサスペンダー付の半ズボン姿の仔猫は、シーマ十四世殿下。フカフカなのにつややかなサバトラ模様の毛並みと、アーモンド型の青い目と、ピンク色の小さな鼻と、その他もろもろの魅力満載の、キューティーマジカル仔猫ちゃんな魔王の弟だ。
「シマちゃんや、おはよう!」
「おはよう、シーマ」
はつ江と魔王が声をかけると、シーマは尻尾の先をクニャリと曲げた。
「お、今日は兄貴が、はつ江を手伝ってるのか?」
「ああ。今日はちょっと早く目が覚めたからな」
魔王がコクリとうなずいて答えると、はつ江もニッコリと笑った。
「今日はヤギさんが玉子焼きを作ってくれただぁよ!」
はつ江の言葉に、シーマは耳と尻尾をピンと立てた。
「本当か!? 久々に兄貴のオムレツが食べられるのか!」
シーマがウキウキとしながらそう言うと、魔王は穏やかに微笑んだ。
「本当だぞ。あとちょっとでできるから、座って待っててくれ」
「分かった!」
シーマは耳と尻尾をピンと立てて、テコテコとテーブルに向かった。
そんなこんなで朝食が完成し、いつものように三人の朝食が始まった。
「いただきます!」
「いただきます!」
「いただきます……」
三人は声を揃えてそう言うと、オムレツに箸を進めた。
「……うん! ヤギさんの作った玉子焼き、とっても美味しいだぁよ!」
「そうだろ! 兄貴のオムレツは、魔界でも一位二位を争うおいしさなんだぞ!」
「そうかい、そうかい! ヤギさんはお料理上手なんだねぇ!」
はつ江とシーマがほめたたえると、魔王は頬を赤くして背中を丸めた。
「そ、そうか……、それなら腕を磨いたかいがあったよ……」
照れる魔王に向かって、シーマとはつ江はニッコリと微笑んだ。
それから、三人はしばらく黙々と食事を続けたが、不意に、ピーマンとツナの和え物を食べ終えたはつ江が首を傾げた。
「ところでシマちゃんや、今日からまたお仕事かい?」
はつ江の問いに、シーマはスープを飲み込んでコクリとうなずいた。
「ああ。今日はまた、霊魂庁からの仕事なんだ」
「霊魂庁っていうと……、びふろんさんのところだぁね!」
「ああ、そうなんだ」
「それじゃあ、またお化け関係のお仕事なのかい?」
はつ江が再び尋ねると、シーマはトーストを一口かじってから尻尾の先をクニャリと曲げた。
「うーん……、幽霊って言えばそうなのかもしれないけど……、微妙に違うといえば違うような……」
「ほうほう、なんだか難しそうだぁね」
はつ江がコクコクとうなずいていると、スープのニンジンを飲み込んだ魔王が、懐紙で口元を拭いた。
「えーとだな。亡くなった方の魂は、シーマとはつ江たちのおかげで、この間の『トビウオの夜』に全て旅立つことができたんだ」
魔王が説明すると、はつ江はニッコリと微笑んだ。
「そうだったのかい! それは、よかっただぁよ!」
「ああ、そうだな。ただ……、この間ちょっと説明したように、魔界にははつ江が住んでいる世界等から迷い込んでしまう者もいるんだ」
「ほうほう、そういえば、そんなこと教えてもらったねぇ」
魔王の説明にはつ江がコクコクとうなずいていると、シーマが片耳をパタパタと動かした。
「それで、今日依頼があったのは、魂だけ魔界に来ちゃった人を元の世界に戻す、って仕事なんだ」
「ふむふむ、そうなんだぁね」
シーマが説明すると、はつ江はコクコクとうなずいた。
「まあ、その方も魔界の住人として、ちゃんと暮らしてはいるんだが……」
「ビフロン長官が『魂だけっていうはさすがに危ない』って何度言っても、かたくなに肉体の所に戻ろうとしないみたいなんだ」
「いったん肉体を取りに帰って、そのあと正式に魔界に住む手続きしても構わないって話は、こっちに来たときにしたんだがな……」
魔王とシーマはそう言うと、同時に深いため息を吐いた。
「ほうほう、きっと何か事情があるんだぁね」
はつ江はコクコクうなずきながら、オムレツを一口食べた。すると、シーマもオムレツを一口食べてコクリとうなずいた。
「ああ。だから、そのへん事情を聞き出して、元の世界にいったん戻るようにしっかり説得するのが、今日の仕事のメインになるんだろうな。それさえできれば、あとは送り返すだけだから」
「そうなんだぁね」
はつ江が相槌を打つと、シーマも短く、ああ、と答えた。
それからまたしばらく、三人は黙々と食事を続けた。
しかし、不意にシーマとはつ江の視線が、魔王に集まった。自分に視線が集まったことと、その視線の意味に気づき、魔王は箸を置いて何かを探すように辺りをキョロキョロと見回した。
「あー、えーと、その……、あ!」
魔王は首の動きを止めて、胸の辺りで手をポンと打った。
そして――
「この間ボウラック博士が沼になってた所に、囲いができたそうだぞ!」
「へー……」
「カッコいいだぁね!」
「……」
「……」
「……」
――三人の間には、相変わらずの気まずい沈黙が訪れた。
「だ、だから兄貴! ボクたちを巻き込むなって、昨日言っただろ!」
シーマが耳を後ろに反らして、尻尾をパシパシとふりながら、沈黙を打ち破った。
「ご、ごめん……、お兄ちゃん、シーマとはつ江にも楽しんでもらいたくて……」
魔王がシュンとした表情でうなだれると、はつ江がカラカラと笑い出した。
「わははははは! ヤギさんのおかげで、今日も朝から楽しいだぁよ!」
魔王城の台所には、はつ江のフォローの言葉が響いた。
かくして、ダンディー生首のビフロン長官が再登場する流れになりながらも、仔猫殿下とはつ江ばあさんの一日がまた始まっていくのだった。




