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仔猫殿下と、はつ江ばあさん  作者: 鯨井イルカ
第二章 フカフカな日々
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寝坊かな?

 赤く染まった空


 奇っ怪な枝振りの木々が生い茂る大地


 血のように赤い水が悠然と流れる大河


 ここは魔界。

 魔のモノ達が住まう禁断の土地。


 そんな魔界の一角には切り立った岩山が聳え、その頂には白亜の城が築かれている。

 その城のキッチンでは、クラシカルなメイド服を着た老婆が朝食の支度をしていた。


「ふんふんふーんふふんふんふんふふふー♪」


 上機嫌に鼻歌を歌う彼女の名は、森山はつ江。

 御年米寿のウキウキ婆さんだ。


 そんなはつ江が卵焼きを巻いていると、キッチンの扉がぎぃと音を立てて開いた。

 はつ江が顔を向けると、そこには、襟と袖にフリルがついた白いシャツを着て、サスペンダーつきのバミューダパンツをはいた仔猫の姿があった。


「おはよう! はつ江」


 はつ江に向かって元気よく挨拶をしたサバトラ模様をした彼の名は、シーマ十四世。

 魔界を統べる魔王の弟にして、キュートでマジカルな仔猫ちゃんだ。


「おはよう! シマちゃん!」


 シーマの挨拶に、はつ江もニッコリと笑って、元気よく挨拶を返した。

 はつ江はコンロの火を止めて、卵焼きを皿に移すと、トコトコとシーマに近づいた。そして、膝を屈めてシーマの頭をポフポフとなでた。


「昨日は遅かったけど、眠くないかね?」


 はつ江が問いかけると、シーマは凜々しい表情を浮かべた。


「ちょっと眠いけど、これくらいなら大丈夫だ!」


 シーマが答えると、はつ江はさらにポフポフと頭をなでた。


「それならよかっただぁよ! じゃあ、もうすぐ朝ご飯ができるから、ちょっと待ってておくれ」


「ああ! 分かった……ん?」


 はつ江に元気よく返事をしたシーマだったが、ダイニングテーブルに顔を向けると、尻尾の先をクニャリと曲げた。そして、困惑した表情ではつ江の顔を見上げた。


「はつ江、兄貴はまだ来てないのか? 今日も、ちょっとした依頼があるって言われてたんだけど」


 シーマが問いかけると、はつ江はパチリとまばたきをしてダイニングテーブルに目を向けた。それから、再びシーマに顔を向けて、キョトンとした表情を向けた。


「そういえば、まだ来てないねぇ。お仕事がある日は、シマちゃんよりちょっと前に来て、お席に座ってるのにねぇ」


 はつ江が不思議そうにそう言うと、シーマは尻尾の先をピコピコと動かして腕を組んだ。


「うーん、兄貴も昨日一昨日とバタバタしてたから……寝坊かな?」


 シーマが問いかけるようにそう言うと、はつ江は、そうかもねぇ、と相槌を打ちながらコクリと頷いた。


「疲れてるなら寝かしておいてあげたいけど、シマちゃんとのお約束があるんなら、声をかけてきたほうがいいかもしれないね」


「よし! じゃあ、ボクが起こしに行ってくる!」 


 はつ江の言葉を受けて、シーマは凜々しい表情を浮かべて、耳と尻尾をピンと立てた。すると、はつ江はニッコリと笑い、またしてもシーマの頭をポフポフとなでた。


「ありがとうね、シマちゃん。もしも、ヤギさんが疲れてもうちょっと寝てるって言ったら、朝ご飯は冷蔵庫に入れておくから後で温めて食べな、って伝えておくれ」


「ああ! 分かった!」


 シーマははつ江に返事をすると、トコトコと駆け出し、キッチンを出て行った。はつ江はシーマの後ろ姿をニッコリとした笑顔で見守ると、再びコンロの方へ戻っていった。



 一方、城の一角にある薄暗い部屋では、黒尽くめの服を着た青年が作業机に向かっていた。

 赤銅色の長髪に整った顔立ち、側頭部から伸びた堅牢な角が特徴的な彼は、魔王。

 この魔界を統べる、王だ。


「……という、わけなんだ」


 魔王は机に立てられた鏡に向かって、そう呟いた。

 鏡の中では、麦わら帽子を被り、アロハ服を着た骸骨がコクコクと頷いていた。

 骸骨の名は、リッチー・徒野。

 魔王の側近にして、休暇中の一流魔導師だ。


「ははー、昨夜の音楽祭の裏でそんなことがあったとは、ビックリ仰天驚きです!」

 

 リッチーが軽快な口調でそう言うと、魔王は深いため息を吐いた。


「お前が不在のときに限って、こういうことが起こるんだもんな……」


「まあまあ! なんだかんだで、音楽会も無事に開催されて、反乱分子だった者も改心して、殿下やはつ江様にも害がなかったなら、それでいいではありませんか!」


 リッチーが陽気に言葉を返すと、魔王は再び深いため息を吐いた。


「まったく、気楽なことを言ってくれる……」


 魔王がぼやくと、リッチーはカラカラと笑い出した。


「はははは! なにせ、私はバカンス中ですからね! しかし……」


 リッチーはそこで言葉を止めると、眼窩の奥をキラリと光らせた。


「『超・魔導機☆』の件が事実だとすると、あまり楽観できないのも事実ですね」


 リッチーが言葉を続けると、魔王はコクリと頷いた。


「ああ。黒君と灰色君には、実験は失敗だった、と向こうのリーダーに伝えてもらったが……そんなに長くは誤魔化せないだろうな。だから、お前の力も借りたいんだ」


 魔王が重々しい口調でそう言うと、リッチーもコクリと頷いた。


「かしこまりました魔王様。それでは、私は、魔王様のご命令を成功させるため……」


 リッチーはそこで大きく息を吸い込んだ。そして……



「残りのバカンスを精一杯楽しんでこようと思います!」



 ……力強く、バカンスを途中で止めるつもりはない旨の宣言をした。宣言を受けた魔王は、脱力した表情で盛大にため息を吐いた。


「……まあ、お前なら、そう言うよな」


 魔王がどこか諦めたように呟くと、リッチーはニッコリと笑った。


「ええ! 休暇でしっかりと身体を休めて、魔力と生命力を回復してくることも、一流魔導師の大切なお仕事ですからね!」


「生命力云々については、特にツッコまないぞ。ともかく、バカンスでしっかりと休んで、戻ったら色々と頼むよ」


「はーい! 魔王様のおおせのままにー!」


 リッチーが軽快な口調で返事をすると、魔王の表情に若干の苛立ちの色が浮かんだ。


「まったく、いっつも返事の勢いだけはいいんだよな……」


 魔王は、またしてもため息を吐きながらぼやいた。

 そのとき、部屋の扉をトントンとノックする音が聞こえた。


「兄貴ー、起きてるかー? 朝ご飯ができたぞー」


 魔王が顔を向けると、ドアの向こうからシーマの声が響いた。


「起きている。もうすぐそっちに行くと、はつ江に伝えてくれ」


「分かった! ご飯が冷める前に来るんだぞ!」


「ああ、そうするよ。教えに来てくれて、ありがとうな」


 魔王がお礼を言うと、扉の向こうからはシーマのどこか嬉しそうな、ふん、という声が聞こえた。それに続いて、トコトコという足音が聞こえ、段々と小さくなっていった。

 魔王は扉に向かって、微笑みながらコクリと頷くと、再び机の上の鏡に顔を向けた。


「……それじゃあ、俺は朝食をとってくるから」


「はい! どうぞ行ってらっしゃいませ! 食卓にニンジンが出ても、好き嫌いせずにちゃんと召し上がるんですよ!」


「さ、最近は頑張ってちゃんと食べてるもん!」


「それならば、よろしい! それでは、私も朝風呂にまいりますので、この辺で!」


 リッチーが軽快な口調でそう言うと、魔王はどこか淋しそうに微笑んだ。


「ああ。これから忙しくなりそうだから、今はゆっくり休んでくれ」


「……ありがたき、幸せ」


 微笑む魔王に、リッチーはうやうやしく頭を下げた。そうしているうちに、鏡の中のリッチーの姿は縦に引き伸ばされ、段々と渦を巻き、いつのまにか鏡に映っているのは、淋しげな魔王の顔だけになった。

 魔王は鏡を机の上に伏せると、椅子からゆっくりと立ち上がって、目を閉じながら伸びをした。


「……さて、今日の朝食も楽しみだ。厚揚げの煮物があるといいな……」


 それから、魔王は朝食についての願望を口にしながら、のそのそと部屋を出て行った。 

 

 こうして、本日も魔王城の一日が始まるのだった。

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