王位
「改めて。……静清栄! この度の働きにより……太政大臣の位を贈る!」
「ははっ! ……ありがたき幸せ……」
「!? み、帝!」
清涼殿にて。
帝より静清栄に下されし宣旨に、公家らは騒然となる。
二つの大乱のさらに後。
尾張における、水上夕五の乱の後。
二つの大乱に関わり、今や天下を物にしつつあった清栄だが。
太政大臣という官位は、もはや帝に次ぐ物である。
しかし、それはもともと侍に与えられし試しはなかった。
「帝、さような官位を侍などに……」
「今、何とおっしゃった?」
「!?」
苦言を呈さんとする公家らを遮りしは、清栄である。
その声には、抑えられし怒りが滲む。
「すみませぬ、公家の方々よ。しばし……言葉が乱れます。……そなたらは、果たしてこの大乱にて何ができたのか?」
「! なっ……」
清栄は公家らに聞く。
「この大乱に及び、公家の方々よ、そなたらは何をできた? 何をしてくれた? ……逃げるのみではなかったか?
それとも、命がけにて戦われたのか? 所詮戦える訳でもなきそなたらが今こうして命あるのは、そなたらがなどとつける、我ら侍だ! その恩も忘れたか?」
「なっ……」
公家らは黙り込む。
「やめぬか、清栄!」
「……申し訳ございませぬ、帝。」
帝の言葉に、清栄は矛を収める。
「……さて。先日の尾張での一件であるが。」
「はっ、帝! あの逆賊・水上夕五は妖となり、甥・義常殿の手にて討たれけりとのことです。そして、水上義常殿より手土産として……その夕五が先に討ち取りし、泉義暁の首、そして。その子、泉頼暁の身柄でございました。」
「!? な、何と!」
帝は驚く。
そこまで、水上兄弟が戦功を挙げていたとは。
「水上義常殿が、尾張に入りし頼暁を捕らえしとの事です。誠であれば、あの愚かしき叔父めに連座しし疑いもある身にございますが……これらの功にて手打ちにすることも手かと。」
「!? ……め、滅相もございません!」
清栄の後ろより、義常が謙遜する。
しかし。
「うむ。そうであるな。……そして、叔父が死にしことにより、水上の当主にも空きが出たと聞く。水上の兄弟よ、どうかな?」
「!? な、そ、それは……」
帝からの言葉は、思いもよらぬものであった。
水上兄弟はただただ、当惑するばかりである。
「それはそれは! 帝、異存などある訳もございませぬ。」
「し、しかし……」
清栄も背中を押す。
水上兄弟はほとほと、困ってしまう。
水上の当主の座。
それを継げるならば、兄弟の悲願である『父の意を継ぐ』ことになろう。
しかし、よいのか。
既に許されたとはいえ、兄弟は元は罪人。
「いいだろう? あんたたちもそうしたげな顔だぜ?」
「あ、主人様!」
「半兵衛様!」
他ならぬ、半兵衛も背中を押す。
「では、水上義常殿よ。此度の手柄により、水上の当主として、尾張守に任ずる!」
「はっ……ははあ! ありがたき……いえ、言葉に尽くせぬほどの身に余る光栄……!」
義常は深々と、頭を下げる。
隣の頼庵も、続けて頭を下げる。
かくして、清涼殿での話は終わる。
「兄者!」
「どうした? 頼庵……くっ!」
帝への謁見の後、半兵衛の屋敷に戻るなり、義常は弟に殴られる。
「なっ……何を!」
「すまぬ、兄者! ……私は、兄者が父の後を継ぎしことも、兄者にまだこの武、劣ることも……単に、私の至らなさ故であると思う!」
「う、うむ……」
義常は地に腰をつけつつ、弟を見上げる。
「そして! ……治子が、兄者を選びしことも! ……分かっておる、自らの至らなさであると……しかし! そのことだけは!」
「……うむ、頼庵。申し上げよ。」
義常は、言葉に詰まってしまいし弟を促す。
「そのことだけは! ……頭では解していても、心は追いつけぬ! ……私は治子に、幼き頃より惚れていた!」
「……うむ、知っておる。」
「ああ、知っていた! 兄者が私の治子への心に気づきしことも。そして……治子の思いが、兄者に元より向いておったことも!」
「うむ……」
言いつつ、頼庵は義常に覆い被さり。
さらに殴り続ける。
「私は、私は! 治子に惚れていた! ……今も、今もおおお!」
「うむ、そうだな。」
殴りつつ頼庵は、大粒の涙を流す。
「頼庵。……そなた、大きくなったな。」
「な……? くっ!」
兄の言葉に一時手を止めし頼庵は、そのまま兄より、殴られる。
「な、何を!」
「何を? そなたこそ……当主を殴るとは……この謀反人めえ!」
「あ、兄者!」
頼庵は義常に、更に殴られる。
「何じゃ頼庵! 父上の言葉を忘れしか。殴られれば、殴り返せと! それでは及ばぬぞ!」
「兄者ああ!」
頼庵と義常は、そのまま殴り合う。
「まったく……これだから男は!」
「いいのですよ……これで。あの二人は、あの二人の父上と、叔父のようにはならぬでしょう。」
「治子殿……お優しい。」
物陰より、この有様を見て呆れしは。
夏と、治子であった。
「清栄……様。」
「これはこれは……一国半兵衛よ。」
内裏にて。
帝との謁見の後渡殿を歩く清栄と従者らを、半兵衛が呼び止める。
従者らは、半兵衛の姿を認めるや。
たちまち、気色ばむ。
「おおっと! そ、そんな……俺は何も」
おや? 何故ここまで……
そう考えて半兵衛は、すぐに思い当たる。
清栄に尾張へと行く許しを乞いし時の、あの一悶着である。
「ええと……あの時は」
「よいよい! さような昔話など。……そなたらは先に牛車へ。私はしばし、この者と。」
「……はっ。」
従者らは渋々といった様にて、外していく。
「……この前のこと、かたじけないと共に、申し訳なく思う。」
半兵衛は深々と、頭を下げる。
「昔話など、もはやよいと言っておろう? ……それよりも、先の話をしようではないか。」
「? 先の、話?」
半兵衛は首を傾げる。
「此度のこと、私もありがたく思っておる。そなたらがおらねば、私は今ここにおらぬやも知れぬからな。」
「そうか……それはそれは」
清栄の言葉に、半兵衛は随分しおらしいと嫌味を言いたくなるが。
さすがにその言葉は呑み込む。
「さて、これからも……私と私の一門だけのため、この京を守ってほしい。」
「!? な、何だって!」
清栄のこの言葉に、半兵衛はさすがに耳を疑う。
私と私の一門のためだけ?
それは、すなわち。
「すなわち……それより他は見殺しにしろと?」
「そう、取られても構わぬな。」
清栄は半兵衛の問いに、事も無げに返す。
「泉氏一門も……総大将の義暁やその子らが多く死んだ。
暁長は義暁に介錯されしと聞いておるし、義原も生意気にも、京に舞い戻り私を討たんとしし罪にて返り討ちにした。……そして、水上兄弟が捕らえし頼暁も、義暁の妻と逃げし三人の子らも捕らえた!」
「捕らえられた子らは……死んだんだな?」
半兵衛は問いという段階を飛ばし、確認する。
しかし、清栄から返りし言葉は思いの外。
「いいや。」
「……嘘じゃないよな?」
にわかには信じがたき、言葉であった。
「我が継母の進言により、頼暁は伊豆へ配流。残りの三人の子らについても……義暁の妻が我が側室となり、子らが仏門に入ればとの話にて手打ちとした。」
「……なるほど。」
半兵衛は頷く。
それは、あの夕五に近きやり方ではあるが、敢えてここでは言うまい。
さておき。
「よって……もはや天下、すなわちこの京は我が一門の物。我らのためだけにこの京を守ること、よかろう?」
清栄は話を戻す。
ひとまずは、半兵衛の意を窺っているように見せているが。
目には、有無を言わさぬ色が浮かぶ。
しかし半兵衛は、敢えてそれには目をつぶり言う。
「なるほど……お断りすると言ったら?」
「……謀反の罪でも、着せようかのう。」
半兵衛と清栄は、どちらからともなく近づく。
互いに手をかけしは、腰に差しし刀の柄である。
「一つ、申し上げておきたいことがある。」
「……ほう?」
わざとらしく恭しくせんとする言葉遣いが、却って無礼な半兵衛である。
「……その位を得たのは、ただの勿怪の幸いにすぎない。文字通りな。だから、驕ったままでいると……長続きしないかもしれないぞ?」
「……ほう、この太政大臣を恐れもせぬとは!」
半兵衛と清栄は、その刹那離れる。
未だ手は、腰にある刀の柄だ。
どちらかが抜けば、戦がーー
しかし。
清栄はふと、柄より手を離す。
「……いいのか?」
「ふん、いくら謀反の罪を着せたとて……内裏の中とあっては示しがつかぬからな。……いずれ、誠にやり合うやもしれぬな、半兵衛。」
「ああ……精々その時まで、お互い死なねえようにしようぜ。」
「……ふっ。」
そのまま清栄と半兵衛は、別れる。
かくして、この戦は持ち越しとなった。
「おや、これはこれは……中宮様。」
「これはこれは……女御殿。」
同じく内裏の、他の渡殿にて。
中宮と女御が、相見えていた。
「戻っていたか。」
「ええ……私、やはり戦は怖くございますれば。尚且、寝込みしさなかの父が気がかりでして。」
「ほう……右大臣殿はいかがであったか?」
中宮は女御に尋ねる。
女御は、表向きには里下りとなっていた。
「ええ……未だに寝込みしままでして。」
「それは……何とも心配であるな。」
中宮は女御に、見舞いの言葉をかける。
「しかし、まさかあの大乱が……あの水上のご兄弟の叔父上の仕業とは。驚きました。」
「そうであるな……そして、その裏で糸を引きしが影の中宮ら鬼神一派とは。」
目の前の私こそ、その影の中宮なのですよーー女御は、その言葉を心の中で言う。
「しかし、私は一矢報いた。……帝を巻き込まんとする計略を知り、帝を外へお連れしたのだ。」
「……はい。」
女御はその中宮の言葉に、眉根を寄せたき心持ちであったが。
すんでの所にて、堪える。
「しかし……氏原のお家も。あの清栄殿が太政大臣になられて、この先が何ともご心配ではないですか?」
「なっ、そなた!」
「ち、中宮様!」
女御の言葉に、中宮は前に出んとして。
側に控えし氏式部に、止められる。
「! ……すまぬ。私とししことが。」
「いえ……おやおや、私とししことが。申し訳ございませぬ、私は単に心配にて申し上げたのですが、お心を」
「いや、よい。……すまぬ、行かせていただく。」
「ええ、ご機嫌よう。」
少し決まりの悪き様の中宮に、女御は一矢報いられしことに、更に一矢報いし心持ちであった。
「全く……世も末ですな! あのような蛮族が、太政大臣などと……」
「ははは、高无よ、それはよい! この世も滅びの時に迫るーー世も末に、文字通り世も末と表すべきことがあったのだから!」
「は、はあ……?」
長門の屋敷にて。
高无の言葉尻を捉え大笑いする伊末に、高无は当惑する。
「しかし兄上……誠に、あの清栄に華を持たせてよかったのでしょうか?」
「何?」
高无の言葉を、伊末は訝る。
「あ、いえ……ただ、あの男に天下を取らせるとは。一時華を持たせるのみにしては、持たせ過ぎではないかと」
「高无……そなた、誠に父上の子なのか?」
「な……何と!」
高无は兄の言葉に、大きく揺らぐ。
「高无兄上……此度ばかりは伊末兄上に同意ですわ。」
「な……冥子!」
長門兄弟の話に、帰って来し冥子が口を挟む。
「これはこれは……既に立ち直れたか? 妹よ。」
伊末は、赤っ恥の腹いせとばかりに冷たく言う。
「ええ、おかげ様で。私としましては、あの女の一門……氏原が力を削がれしことだけでもよいとしますわ。……それにしてもまあ、あの男は高が知れていたようでしたわね。」
冥子は事も無げに返し、その場に座り込む。
「ああ……まあ、元より捨て駒。さて、あの薬売りが戻って来ればまた……新たな策にかからねばならぬな。」
伊末は、空を仰いで言う。
「あ、兄上……私が父上の子でないとは、いかなる意ですか!?」
「! ……ふ、あははは!」
「ほほほほ!」
「な……冥子まで!」
高无は、にわかに笑い出しし兄と妹に、ただただ当惑するばかり。
「高无……まあ、私もからかいが過ぎしようだ。申し訳なかった! 」
「ええ、少し私も戯れが過ぎましたわ……すみませぬ、高无兄上。」
「は、はあ……」
笑われし後には謝られ、高无は当惑を深める。
「 ……しかし、弟よ。そなたはまごう事なき父上の子。であれば、分からねばなるまい? 父上がおっしゃられた、『この世を一度滅ぼし、新たな世を作る』とのお望みを。」
「あっ……!」
高无はそこでようやく解す。
「つまり……今、あの清栄めがこの天下を治めしことも、永くはないということですか?」
「それもあろう。しかし、それよりも……清栄が天下を治めしことも、父上が新たな世を打ち立てられし後には『誰が滅びし世を治めしか』という話になる。……それを、些事と言わずして何と言うか?」
「あ……」
高无は兄の言葉に、恥じ入りし様を見せる。
見れば、冥子もこくりと頷いている。
「申し訳ございません! 兄上。兄上の御心も知らず……」
「よいよい! そもそも、これは父上のご意志。私の意はともかくも、父上のご意志は汲み取らねばであろう?」
「はっ!」
高无は頭を下げる。
「そもそも……帝や、太政大臣などというものにこだわることはなくてもよいかと。」
「あ、ああ……そうであるな。所詮は、この滅びゆく世を治める者たち……」
「ええ。まあ、それもございます。」
「?」
高无の言葉に、冥子は含みのある言葉を返す。
先ほどの伊末の言葉と同じである。
つくづく、この妹と兄には頭では及ばぬと自らを恥じる高无であるが。
さておき。
「まあ妹よ、此度ばかりはそなたの言わんとしし通りであるな。……そうだ、帝や太政大臣などと所詮は、与えられし役である。」
「!? あ、与えられし役ですか? 兄上。」
「うむ。」
妹の意を、次は兄が代弁する。
「太政大臣は帝より与えられし役。そして帝さえも、先の帝より与えられし役……所詮与えられし役を果たす者など、高が知れている。父上は新たな世と共に、誰に与えられる訳でもなく御自ら、王の位をお創りになられるであろうなあ。」
「!? お、御自ら王の位を!」
高无は驚く。
自らは、思いつきもせぬ考えであった。
「そうだ、帝などと、太政大臣などと。与えられし役ではない! ……そうだな。この京の都を手中に治めし者がこの国のーー新たな世の、王。……『京都の王』とでも言おうか。」
「!? き、京都の王……?」
「おやおや、何と素敵なお名前……それぞ、新たな王となられる父上にはふさわしくていらっしゃいますわ。」
伊末の言葉は、弟にも妹にも、響く。
「……さあ、此度のこと! ひとまずの目当ては達したとはいえ、次なる手を」
「それなら、もう打ってますわ。」
「……!? く、薬売り!」
「ほほほ……ご無沙汰してまんなあ。」
にわかにしし声の主は、奥州にいたはずの薬売り・向麿であった。
「いつ、そこに……」
「ほほほ、それこそ些事や言いますやろ? ……さあさ、次の手を打ったんは海賊の者共やさかい! 早う行きましょ。」
「ふん、相変わらず勝手に……な、海賊!?」
伊末は、驚く。
海賊だと?
「それは、確か……あの清栄めがかつて、瀬戸内の海を荒らしておりましたのを全て従えたのでは?」
「ほほほ! さすがはお后や!」
「ふ、ふん! 私もそれしきのこと、知っておる! ……しかし、また蛮族か?」
「おや、ご不満ですかい?」
伊末に、向麿はお窺いを立てる。
「蛮族はたしかに、初めこそ動かすは容易かろうが……なかなか御しがたいのだぞ? 動かせるのか?」
「ほほほ……まあ、案じなはりますな。」
向麿は相変わらず慇懃無礼に、伊末を宥める。
「ふう……いやあ、あの清栄様のおかげで! 昔に比べれば瀬戸内の海は、こんなに静かになっただ!」
「何だ? 静様だけにかいな?」
「こら! 静様に!」
軽口を叩きつつ、船頭らは笑い合う。
京へと荷を運ぶ船にて。
先ほどの話通り、海は至って静かであった。
しかし、すぐおかしき様になる。
「ん? ……何だあ、霧だあ。」
「周りが見づらいなあ……気いつけろい!」
「お、親方! あ、あれは」
「ん? ……ありゃあ。」
若い船頭が指差す方を、親方が見れば。
霧の向こうより、屋形を備えし船がいくらか、向かって来る。
「何だ? ちいと、ぶつからんように」
「お、親方あ! あ、ありゃ船でねえ!」
「ん? ……!? あ、あれは!」
荷船の船頭らが、驚きしことには。
屋形船と思われしそれらが、次々と水面より鎌首をもたげ、出していく姿であった。
次回より、第7章 海賊(瀬戸内海賊編)開始。




