弔戦
「何を……何をする!? 翁面!」
にわかに身体の内へと打ち込まれし妖傀儡の札に、夕五は悶える。
京を騒がせし、二つの大乱。
その糸を影で引きしは、無論長門一門であるが。
その長門一門に乗せられ、良いように使いしように思い込んでいてその実、自らが良いように使われていたのみの間抜けが、この水上夕五である。
この男は事もあろうに、自らの手に余る妖を大乱にて生まれる数多の憎しみにより育て、天下をその手に収めし静清栄をそれにより倒さんとしていたのであるが。
今は、何と。
「いかがですかな、夕五殿? ……自らが妖にならんとする、そのお心持ちは?」
「なっ……何!?」
夕五は驚く。
私が妖? まさか……
「!? なっ……うわああ!!」
夕五は自らの腰より下を見、驚愕する。
それは、先ほど自らが目覚めさせしあれ一一鵺の腰より下に他ならなかったからである。
「わ、私が……私があああ!」
「おやおや、いけませぬなあ……これからそなたは、妖の力を使い京へも攻め込まれるのでしょう?」
騒ぐ夕五の前にて、伊末は事も無げに言う。
「翁面! 主人様らと戦っていたのではないのか!」
伊末の姿を見し、義常が尋ねる。
「ふん、そちらは雑魚たちに任せておる。……こちらの趣向をしし方が、より面白いと踏んでな。」
伊末は声に笑いを、含ませる。
「ふふふ……中々にやってくれるな妖喰い使い共が! よかろう、この鵺の真なる姿でもって……裁きを受けるがよい!」
伊末は半兵衛らに、叫ぶ。
時は、半兵衛らが鵺の真なる姿一一雷にて輝く鵺と相対しし時に遡る。
「なるほど……これはどうするかな!」
半兵衛はその姿に、やや恐れをなす。
「笑っておる場合か! このままでは」
「半兵衛、どうすべきか?」
広人と夏は、半兵衛に尋ねる。
「ひとまず、また雷を打ち鳴らすぞ! 少しでも奴を、近づけないようにするんだ!」
「お、応!!」
半兵衛の言葉に従い、皆妖喰いより殺気の雷を打ち鳴らす。
殺気の雷は、確かに雷の鵺を捉える。
しかし。
「くっ、痛くも痒くもないってか!」
鵺の身体は今、雷になっている。
如何に殺気の雷を放とうとも、その身体へと吸い込まれていく。
「ははは! 鵺の真の姿にさような攻めなど、どうということもない!」
伊末は高笑いする。
先ほどまでの屈辱を、晴らしし模様である。
「……さあて、鵺よ。その者らは先ほどまで、そなたを甚振ってくれし者たち! その礼、しかとここにてさせてもらうがよいぞ!」
伊末の意を受けし鵺が吼える。
たちまち、その脚の長き爪を半兵衛らめがけ突き出す。
「ちい!」
半兵衛らは陣形を崩さぬまま、素早く躱す。
「ははは! 万策尽きて逃げるのみとは、そんなものか!」
伊末は嘲笑う。
「さあて……夕五殿はどうなっているか?」
妖喰い使い共はひとまず鵺に任せ、伊末は密かに夕五を尾けさせし妖越しにその有様を確かめる。
「何がおかしい? ……そうだな、そなたには分かるまい。義常よ! ……だが頼庵、そなたならば分かるやもしれぬな。兄と比べられし弟の、兄への憎しみを!」
「……ほう。」
夕五の言葉に、伊末は少し聞き入る。
なるほど、兄が優れ過ぎているということも、弟にとりては考え物なのか。
ここで、自らの弟・高无もよもや自らに嫉妬しているのではないかと思い悦に入るほどには、伊末も自惚れ屋である。
さておき。
しかし、さような心持ちは、その後の夕五の言葉にて吹き飛んでしまう。
「ふははは! ……よくぞ言った! だかな……弟は、兄を越えんとするものだ! 義常、そなた自らは良き兄であったなどと自惚れていたようだが……精々そこの頼庵に、寝首を掻かれぬようにな!」
弟が、兄を越えんとする?
兄の、寝首を掻かんとする?
伊末はその言葉に、激しき怒りを覚える。
しかし、その怒りと共に思い浮かべしは、夕五の言葉通り自らの弟・高无ではない。
兄を、越えんとする。
兄の、寝首を掻かんとする。
その言葉が似合うは、むしろ。
「……あの忌々しき妹め!」
女御・冥子である。
先ほど、自らへの忠誠の言葉を素直に返ししこととて、却ってこちらが赤っ恥ではないかと、屈辱に塗れた。
なるほど、夕五一一もとよりただの捨て駒と思っていたが。
考え方は、あの妹と同じなのか。
捨て駒のくせしおって。
伊末の心に、更に怒りが刻まれた。
「ふん……あの男め!」
このまま、始末するだけでは腹の虫が治らぬ。
どうしてくれようか。
と、その刹那。
にわかに響き渡りし鵺の鳴き声にて、はっと我に返る。
「うおりゃあ!」
「半兵衛、ま、誠にやるのか!?」
「ああっ、妖が溢れ出す雷纏ってやがるんじゃ、こちとらも妖喰いの刃先に目一杯の雷研ぎ澄ませて突っ込むだけよ!」
「男は度胸だ、広人!」
「お、おお……な、夏殿がそう言うのならば!」
半兵衛らはいつの間にやら、逃げ回ることを止め。
たちまちより鬼陣形を固め、その妖喰いの刃先に雷を集め鵺に突っ込まんとしていた。
「くっ……鵺! こうなればせめてもの八つ当たりをさせていただくまでよ!」
伊末は夕五への怒りのままに、鵺に命じる。
たちまち鵺は、大きく口を開き半兵衛らを飲み込まんとする。
しかし。
「おうりゃあああ!!!」
半兵衛らは迷いなく、突っ込んでいく。
鵺の口へとたちまち、入り込んだと思えば。
その殺気の雷と鵺の身体を形作る雷が触れ合い、弦楽には程遠きみすぼらしき音を奏でる。
「くっ、このままあの鵺を倒さんというのか! ……ん?」
その有様を苦々しく見つめし伊末であったが、自らの言葉にふと、何かを思いつく。
「そうか……ははは! これは使えよう、あの男を労う趣向に!」
たちまち伊末は、鵺に命じる。
「!? な、何だ!」
雷鳴の鵺と争いしさなかの半兵衛らは、おかしき様を感じる。
なんと、鵺の攻めより手応えがなくなっていくのだ。
「な、何だ!?」
「は、半兵衛……これは」
「侮るな! 罠かもしれない。」
しかし、さような半兵衛の懸念を嘲笑うかがごとく。
たちまち鵺より、雷が失われしと思えば。
次には、血肉が弾け飛ぶ。
「!? さ、殺気が届きしか!」
「いや、そんなはずは」
と、思えば。
さらにその次には、たちまち血肉はいくつかの塊を成し。
やがてそれらは雷雲を纏い、猫のごとき形へと仕上げられていく。
「ら、雷獣!?」
「くっ、まだ生き残ってたか! ……鵺はどこに行った?」
半兵衛は、辺りを見渡す。
雷獣らが出て来たとなれば、元締めたる鵺もいようものであるが。
見当たらぬ。
いや、そればかりではない。
「半兵衛、あの翁面も!」
「……あっ!」
妖を操りし翁面一一伊末も見当たらぬ。
「何をしておる!? 鵺を使い、その強き力をもって! 京を、ひいては静清栄を焼き尽くし天下を掠め取る! それぞ、我らが策ではなかったか?」
再び、夕五と水上兄弟の戦場にて。
夕五は悶えつつ、尚も言う。
しかし。
「はははは! いけませぬと申しておりましょうに。さように、自らは手を汚さずに何もかも得られるなどと……この世は甘えていては生きていられませぬぞ!」
「くっ……お、おのれえ!」
伊末の言葉と妖に蝕まれし痛みにて、夕五は死にも勝る屈辱に塗れる。
もはやその心は、自らのこの運命を呪う気でのみ満たされていた。
「同じことを……言うなあ。」
「ん? 何と?」
「そなたも! あの忌まわしき甥と同じことを言うか!」
夕五は伊末に、食ってかかる。
この世は甘くはない一一それは先ほど、あの義常に言われしことと同じである。
「何故だ……何故! 皆私を見捨てる!」
「それは、そなたが世を舐めているから……ではなかろうか?」
「くっ、おのれえ!」
再びの言葉。
兄といい甥といい一一この男まで。
もはや何もかも、思いし通りにはならぬか。
ならば。
「ならば、よかろう。……天下が我が物にならぬのであれば! 誰にも渡さぬ、この手で焼き尽くす!」
「ふふふ……捨て駒にしては、時たまいいことを言うな!」
夕五の言葉に、伊末はせめてもの賛辞を贈る。
夕五は破れかぶれに、自らの運命を受け入れる。
それはすなわち、妖の力をも受け入れるということであった。
たちまち、それまで滞っていたと思われる妖の力が、一息に夕五へと流れ込む。
「ぐっ、ぐああ! ……なるほど、これが妖の力か! 悪く、ないのう……!」
それが夕五の、最期の言葉となる。
たちまち夕五は、その身を爛れし肉のごときものにされ。
そのまま土をこねるがごとく、形を整えられる。
それは、見るも悍ましき鵺一一の姿をしし肉の塊である。
「ははは! さあ水上兄弟よ。さぞかしいい気味であろう? 仇の叔父貴の、惨たらしき最期は!」
伊末は水上兄弟を、煽る。
「……頼庵。しばし治子や子供らを頼む。」
「……承知した。」
義常は、先ほどの悍ましき様を子供らに見せぬよう二人を抱きしめている治子を、頼庵に任せ。
自らは、進み出る。
「夕五よ! ……そなたはそこまでは、醜くなかったはずであるが?」
「おや?」
義常のこの言葉は、伊末にとりて思いの外であった。
「何じゃ? この期に及んで、情けなど」
「先ほど言ったな? これがさぞかしいい気味であろうと。……戯れにもならぬな、かように悍ましき様は。」
「ほう?」
義常は伊末に、返す。
「……さように見すぼらしき姿になってまで、自らのくだらぬ志のために邁進しようと言うのか! ならば……せめて、花と散れ!」
義常は、次には夕五の変じし鵺に言う。
「ははは! ……未だ妖喰いの力は戻っておらぬようだな? 主人が来てくれたというのに、受け取りを拒んだか! なんと命知らずな!」
伊末は鵺に命じる。
たちまち鵺は、そのまま義常へと迫る。
「兄者!」
と、その刹那である。
にわかに殺気の雷鳴が、空より轟き。
鵺に当たる。
「!? くっ、これは。」
伊末は後ろへと退く。
「ふう、間に合ったな!」
「あ、主人様!」
「半兵衛様!」
空より、半兵衛・夏・広人が陣形を組みしままに降りてくる。
「ほう……やはり雑魚共では足止めにもならぬか!」
伊末は歯ぎしりする。
「義常さん、ほうらよ!」
「!? 翡翠を!」
半兵衛は妖喰い・翡翠を義常に投げて寄越す。
「いくら妖に変じたとはいえ、仮にも叔父貴にこいつを向けるは気が進まんだろうが……妖喰いじゃねえと、あいつは仕留められねえだろ?」
「はい……そうなりましょうな。」
義常は、鵺を睨む。
先ほどの雷を受け痛がってはいるが、首をいやいやと振り、鵺も義常を睨む。
「あ、兄者!」
頼庵は、義常を憂う。
「頼庵……案ずるな。今に往生させてくれる!」
義常は翡翠を構える。
たちまち、緑の殺気が矢の形を成し番えられる。
狙うは、鵺だ。
鵺も義常めがけ、迫る。
すでに人としては死んでいるとはいえ、未だ義常ら甥への未練を引きずっているのか。
「どこまでも哀れの一言に尽きるな、夕五よ。……せめて、花と散れ。」
義常は叫ぶ訳でもなく、諭すがごとく呟く。
たちまち番えし殺気の矢を、放つ。
矢はそのまま、鵺の鼻っ柱を捉え一一
刹那、鵺は血肉の雨となる。
たちまち赤き雨粒は、一つ一つが緑の光となり消えていく。
「ふん、まあ……捨て駒にしてはよくやった物か。」
伊末はそう呟き、去る。
「兄、者!」
頼庵が、義常へ駆け寄る。
いや、頼庵だけではない。
「ちちうえ!」
「義常様!」
初姫と、竹若を抱く治子も駆け寄る。
「初よ! 大きくなったな。」
「ち、ちちうえ!」
初姫は義常の腰にしがみつき、泣く。
「……治子よ、息子も産んでくれていたのだな。」
「ええ、お別れしましたすぐ後に懐妊が分かりまして。……さあ、竹若。あなたの父上ですよ。」
「……ち、ちちうえ!」
治子に抱かれし竹若は、初めて父・義常と相見える。
「うむ、我が息子よ……よくぞ!」
義常は、竹若の頭を撫でる。
「おお……何と! ああ、涙が……」
「お会いできたのだな……義常殿!」
夏・広人は涙ぐむ。
「ああ、そうだな……頼庵、あんたはどうだ?」
「はっ、半兵衛様。……私も、治子に会えて嬉しく存じます……」
頼庵は涙ぐみつつ、少し悲しげに義常ら親子を見つめる。
「なあ、頼庵。」
「はっ。」
「……思うことがあるのなら、後で兄者にきちんとぶつけろ。じゃねえと……あの叔父貴みたいになっちまうぞ?」
「!? ……はっ、分かりました。」
心の内を見透かされ、頼庵は戸惑いつつ返す。
「親子か……」
半兵衛は、天を仰ぐ。
雷雲は、既に消えていた。




