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京都の王  作者: 宇井九衛門之丞
第6章 泉静(京都大乱編)
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胎動

「はあ、はあ……ち、父上……」

「暁長! ……歩けるか?」

「どう、やら……無理のようです……」


息子・暁長の言葉に、義暁は肩を落とす。

時は大乱の後。


京より脱しし義暁は、頼暁や暁長ら息子たちやわずかな従者らを率い東海道を下るが。


僧兵らによる所謂、落人狩りに遭ってしまう。

それにより、従者らは多く死に、頼暁とは逸れ。


暁長もその時の傷によりもはや、虫の息である。


「父、上……どうか、父上の……手で。」

「……うむ!」


義暁は泣く泣く、暁長を介錯するより他なし。

かくして、息子を失いし悲しみに暮れる暇もなく。


その後馬も失い、裸足でたどり着きし所は。

家人・永田(ながた)のいる所・尾張である。



「義暁様! ……すでに報はお受けしております。さあ、こちらへ。」

「うむ、かたじけない。」


義暁はようやく、腰を落ち着ける。

しかし、その夜のことであった。



「……ふう。」


寒さにより、周りがよく見えぬほどに湯気が立ち上る中。

義暁は湯につかる。


「都での……そして、都を落ち延びる途での……騒ぎが、嘘のようであるな。」


義暁は微睡んでいた。

いつもであれば、気を張っていたやも知れぬ。


しかし、今しがた義暁の口にしし"嘘のような"静けさは、彼より気の張りを奪っていた。


忘れていたのである。

"嵐の前の静けさ"との言葉を。


「!? そなたら……!」


ようやく気がつきしは、周りを囲まれ手詰まりとなりしその時、という訳であった。


「義暁様……申し訳ございませぬ!」

「義暁殿……油断召されましたな!」

「忠峯……? そしてそなた……水上か!」


義暁は声を上げる。

自らを取り囲む中には家人・永田忠峯(ながたただみね)。そして、静氏方の侍・水上夕五だ。


「忠峯殿は、私に力を貸してくれた! 義暁殿よ、私をお忘れではなかったか?」

「くう、図ったな!」


義暁は憤るが、ただ湯につかるためにのみここに来た彼は、鎧どころか争うための太刀の一つすらない。


読んで字のごとく、裸一貫である。


「さあ、では……お覚悟!」

「せめて……木太刀の一つでもあれば……!」


それが義暁の、最期の言葉となった。





そのまま夜が明けし頃。


「たのもう! 水上夕五殿はいらっしゃるか? 我らは静清栄の家中の者に候う、ご在宅ならばお目通りいただきたい!」


まるで狙いしがごとく、清栄の使いが幾名か訪れる。

やや数が多く、ただ言伝の使いというには大げさであるが。


それは清栄の言いし通り、夕五一一ひいては水上に静氏に対する叛意があればすぐ、動けるようにしているためである。


水上方の門番も、そのただならぬ様に驚嘆する中。

やがて門扉が開き、出て来し者は。


「これはこれは清栄様の。……ご機嫌麗しゅう。」


夕五、その人であった。


「虚礼は廃させていただく。……何をしておった!? 命が下ってより既に多くの時は流れておる! しかも召集に応じぬばかりか……そちらより文の一つ、使いの一つも寄越さぬとは! 」


夕五に、使いからの怒声が浴びせられる。

側にて控える従者らも、皆怯えている。


まさに、一触即発である。

しかし、当の夕五は。


「申し訳ございませぬ! ……大変にお待たせいたしました。しかし、私が命を無視いたしましたのは……この通りにございます。」

「!? こ、これは!」


夕五は、その腕にぶら下げし包みを差し出す。

その下からは、血が滴る。


使いらは、息を呑む。


「ま、まさか……!」

「はい。……我らが仇敵、泉義暁。その首にございます。」

「う、うむ……でかした。」


戸惑いながらも、使いらは夕五を褒め称える。

しかし。


「しかし、これによりそなたの落とし前が全てつけられる訳ではない! 一度我らについて都に来られよ。さすれば、詫びのみならず、恩賞も」

「ああ、申し訳ございませぬ! ……つかぬことをお聞きしますが。……今や天下は、清栄様が?」


使いらが話す中、夕五はその話を遮る。


「? あ、ああ……これからは清栄様が帝や東宮を助けていかれる世に、変わっていくことであろう!」

「なるほど……ならば参りましょう。ですが……」

「?」


使いらが尚、混乱ししことには。

にわかに夕五は天を仰ぎ、なんと叫び始めたのである。


「いよいよ機は熟した! さあ、()()を解き放つぞ!」


場はたちまち、静まり返る。


「? ……水上殿、戯れが過ぎる! これ以上は」

「!? な、何じゃあれは!? 」

「!? あ、あれは!」


使いらが、再び驚きしことには。

なんとどこからともなく、空に途方もなく大きな暗雲が立ち込めたのである。


「ふふふ……ふはははは!!」


夕五は高らかに、笑う。







「ふふふ……なるほど妹よ。そなたの策はしくじったか……!」


伊末は声に、堪えきれぬ笑いを含ませながら言う。

尾張にて、夕五と清栄の使いらが相見えし頃。

ここは、とある島である。


ここは伊末の、()()を動かす上で欠かせぬものがあった。


万に一つ女御の策がしくじるようであれば、その埋め合わせをできるだけの策が伊末にあり。


その万が一に備え来ていたのであるが。


「ええ……兄上。……申し訳ございませぬが、どうか」

「ううむ、いかんな! 妹よ、そなた兄に尻拭いさせようという魂胆でありながら、そのような有様では足りぬ。」


伊末は、鼻をふんと鳴らす。

妖気を介しての話であるため、いやそもそも互いに面をつけているため互いに顔は見えぬが。


それでも尚、その顔がしたり顔であることは嫌でも伝わる。


「……申し訳ございませぬ、兄上。……どうか」

「足りぬな! ……さあ、申してみよ? 『親愛なる伊末兄上、私めが日頃より至らぬ故にこうなりましたこと、誠に申し開きの次第もございませぬ。……いけ図々しきお願いですが、我が尻を拭っていただきたく存じます! どうか』……とな。」


暫し、沈黙が流れる。

さぞあの妹めは、屈辱に顔を塗れさせているに違いない。


尚も追い討ちをかけんとした、その刹那である。


「親愛なる伊末兄上、私めが日頃より至らぬ故にこうなりましたこと、誠に申し開きの次第もございませぬ。……いけ図々しきお願いですが、我が尻を拭っていただきたく存じます! どうか!」

「う、うむ……」


それは、伊末の望みし物を超える、非の打ち所もない願い方であった。


「兄上! ……すみませぬ、このような妹で。しかし」

「くっ! もうよい。……そこまで頼まれては、この兄も頼まれてやらぬこともない。」

「!? ま、誠に……ありがたき幸せ!」

「くっ、既に承知しておる! 泣くな!」


涙声にまでなりし女御である。

思いの外妹が素直であったため、面を喰らいしは伊末のようであった。


「案ずるな! 私があれを動かせるだけの憎しみを用立ててやる。」

「はっ。何とお優しい……」


女御との話は、これにて終わる。


「くっ! つくづく忌々しき妹め! ……却ってこちらが赤っ恥ではないか!」


女御を自らの思い通りにできたにもかかわらず、伊末は却ってやり込められし心持ちである。


と、その刹那。

伊末は海の向こうより、何者かの意を感ずる。


無論それは、夕五の意である。


たちまち伊末は、心を落ち着ける。


今は、女御への憤りなど些事。

もう、時もそこまでない。


「ふう……私とししことが。……しかし、侍共め。所詮は蛮族なればなまじ戦の掟など、大義名分などと面倒なことは考えず、ただただ野蛮の限りを尽くし殺し合っておればよかったものを! おかげで我らは、ここまで待たされることになったのだからな……」


頭を切り替えし伊末は、怒りの矛先を侍たちに向ける。

しかし。


「まあよい……しかし今こそご覧に入れよう、天下よ! この二つの大乱が無駄ではなかったことをなあ!」


伊末は面を整える。

これより相見える相手が相手であれば、やはり身支度は清くせねばなるまい。


その相手は、かつては帝であったのだから。

そう、ここは。


かつての大乱にて大義名分の一つであった先の帝一一上院。その配流の地たる、讃岐(現香川県)である。


「これはこれは、お初にお目にかかります上院様。」

「!? な、何じゃそなたは!」


にわかに現れし、翁の面を被りし男。

上院が訝しむも、止むを得まい。


「だ、誰か! 曲者じゃ!」

「お呼びしようとも誰も、来ませぬぞ?」

「な……!?」


上院は周りを見渡す。

気がつけば、周りは霧一一否、雲のようなものに囲まれていた。


時折その雲より雷が、光る。


「恐れられることはない。私はあなた様を救いに来たのですから。」

「私を、救いにだと? ……ふん、私を都に戻してくれると?」

「ええ、場合によっては。」

「!? ま、誠か!」


上院の顔に、僅かな望みへの喜びが浮かぶ。


「上院様。……あなた様は自らをかような所に追いやりし者たちが憎くありませぬか?」

「さようなこと……言うまでもない! 幾ら殺しても飽き足らぬ程だ!」

「ふふふ……ええ、あなた様はそれでよいのです。」


伊末は笑う。

翁の面越しに。


「!? こ、ここは!」


いつの間にか、雲はまだ周りを囲むようであるが。

上院たちは、屋敷の中にいた。


目の前には、屏風が。


「さあ、上院様。……その憎しみに染まりきりし御心、解き放たれよ!」

「うむ……くっ、ぐっ!」


伊末の煽りに応え、上院は何やら口を広げて舌を伸ばす。

刹那。


思い切り歯を噛み合わせる。

たちまち口の中より血が、迸る。


「上院様、よくぞ」

「ふ、ん……なはんの、ほれしき……」


伊末の言葉に上院は、痛みと噛み切りしが舌のためにうまく口が回らぬまま、屏風へと歩み寄る。


「ぐっ……さは! この血(ほのし)が、わが(わは)大願(たひはん)を……!」

上院は迸る血を指につけ、屏風に字を書き殴る。


願わくは我大魔王となって天下を悩乱せん


「お見事……! さあ上院様、その御心しかと受け取りましてございます! 無駄にはしませぬ!」


伊末が言うや、たちまち。

屏風より赤黒き雨雲のごとき塊が抜け出て、空へとそのまま登っていく。


それは途方もなく大きな暗雲となり、どこか一一尾張へと流れて行く。






「!? あ、兄者……あれは!?」

「あ、あれは……?」


場は再び、尾張にて。

夕五より待つよう命じられ、自らの部屋にいた水上兄弟は。


空に浮かぶ、暗雲を見る。

同じく、そこより漂う"寒気"も。


「あれは、まさか……」

「妖、か……」


水上兄弟は息を呑む。

と、暗雲よりたちまち、太き雷が屋敷の一角に落ちるや。


引き裂くがごとき轟音と共に、()()が這い出る。


たちまち()()は、暗雲へと登り。

幾筋もの雷を、帯びる。


猿のごとき頭、虎のごとき四つ足、狸のごとき胴、蛇のごとき尾一一そして。


虎のごとき足が備えしその爪は、義常らが知る虎の爪より遥かに長い。


いや、この形は虎にあらず。

この平たさはむしろ、手入れされておらぬ人の爪である。


さらに。

猿のごとき頭も、長髪を振り乱す。


その目はギラギラと光り、獲物の一つの動きも見逃すまいという気迫に満ちている。


その妖の、名は。


「ふはははは!! ……さあ、(ぬえ)よ! 今こそ静清栄の手にある天下、その力にて掠め取ってくれようぞ!」


夕五は高らかな笑いを、より高める。

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