新乱
「清栄様! ……氏原信用が、出頭して参りました。」
「……ほう。」
大乱に決着がつき、幾日か後。
内裏に帝が戻り、都の建て直しも始まりし頃のことである。
「いかがなさいますか?」
「よおし、こちらへ引き立てい!」
「はっ!」
間も無く、縄にて縛られし信用は引き立てられた。
「き、清栄……殿! 先に申し上げる。……私は、そなたに対し叛意など毛頭ない!」
「ほう?」
清栄はその信用の言葉に、低く笑う。
「で、であれば……どうか我が命のみにても、お助けいただきたい! お願いだ、清栄殿! 一度は手を組みし仲ではなかったか!」
信用は強く、訴える。
その言葉は、少々聞苦しい。
「くっ……はっはっは! ……では信用殿。お聞きいたそう。叛意がない? ならば、何故三条の屋敷を攻めた? それにて東宮様とその皇子の掌握に飽き足らず、信東殿を殺しし者が、どの口でそのように抜け抜けと申すのか!」
「なっ……そんな!」
信用の言葉を、清栄は笑い飛ばす。
清栄の笑いは、未だ収まらぬ。
「一度は手を組んだ? ああ、左様であるな。……私には、もはや思い出しとうない汚点であるぞ。」
「き、清栄殿!」
信用は歯ぎしりする。
しかし、悔しいが清栄の言う通りであった。
もはや嫡子が清栄の娘婿であったことなど、とうの昔のことなのだから。
「さあ、もはや睦み合うことはあるまい? ……皆の者、ここにいるは三条のお屋敷を襲いしのみならず、信東殿をもその手にかけし逆賊! せいぜいその最期にふさわしく、弔ってやるがいいぞ。」
「き、清栄殿! あんまりだ!」
信用の足掻きは虚しく、そのまま従者により清栄の前より引き上げられていく。
信用がいなくなり、清栄はもはや隠しきれぬ大笑いをする。
「かーっ、はっはっは! さあて、逆賊はまだいるな……泉義暁はどうした?」
「は、今木の根草の根掻き分け探しております。」
「ふん、愚かな者共よ……この清栄の手より逃げおおせようなどと! はーっはっはっは!」
清栄は笑うたび、自らの中に収まりきらぬほどこみ上げるものを感ずる。
もはや、天下は我が手に落ちしも同じ。
しかし、そのこみ上げるものには、一抹の不安が引っかかる。
「……あれは、何だったのだ?」
清栄の一抹の不安。それは。
大乱にて勝ちし時空を仰いで見た、あの黒雲のごときもの
である。
「……まあよい。して、水上より文や使いは?」
「はっ、それが……」
「……うむ。」
清栄は苛立つ。
戦の召集にも応じぬばかりか、詫びすら寄越さぬとはいかなる腹づもりなのか。
ならば。
「……ただちに、使いを尾張へ! 水上の応じ方によりては……尾張を攻めることも考えねばならぬな。」
「はっ、ははっ!」
従者は命を受け、飛んで行く。
水上などおらずとも、大乱には何ら支障などない。
故に、今となっては些事かもしれぬが、そこは他の侍たちの手前もある。
ここで捨て置けば、その侍たちに示しがつかぬ。
清栄は、腹を決めていた。
「何!? 義常さんたちの叔父貴が!?」
半兵衛の屋敷にて。
にわかに訪ねし刃笹麿の言葉に、妖喰い使いたちは驚く。
「声が大きい! ……私も、この件は立ち聞きに近い。そなたらに漏らししことが分かれば、どうなるか……」
「……すまねえ。」
「!? 広人?」
刃笹麿の話のさなか、夏の言葉にて皆はっとする。
広人が、何やら支度をしていたのである。
「おい、何やってんだよ?」
半兵衛が問いかけるが、広人は答えず支度を続ける。
「広人!」
「半兵衛! ……私は、尾張へ旅立つ。」
「……は?」
広人のこの言葉に、半兵衛は首をかしげる。
「なっ……何故分からぬ! 義常殿と頼庵殿が危ういのだぞ、今すぐ」
「待て、広人! ……帝からその許し、もらってんだよな?」
「……ああ。」
「……嘘はやめろ。」
半兵衛は広人の肩を押さえる。
しかし、広人はすぐに振り解く。
「広人!」
「半兵衛、そなたは……よくもいても立ってもいられるものであるな! 義常殿らは命すら危ういのだぞ? それを分からぬか!」
「分かっているさ、そんぐらい!」
「……くっ。」
半兵衛は広人の言葉に、悔しげに顔を歪める。
しかし、すぐ広人に向き直る。
「広人、俺たちには……妖から都を守る任が、そう帝から仰せつかった任がある。それを、自分一人の心赴くままに捨てちゃあよくねえのは、あんただってわかっているよな?」
広人ははっとする。
先ほどの半兵衛の顔。
見れば夏も、刃笹麿も、同じ顔をしている。
「……すまぬ、そう思うは私だけではなきことぐらい、知っていたというのに……」
広人は支度の手を、止める。
「……しかし、我らは尾張に行き、あの兄弟を救いたいという志においては同じようであるな。ならば、帝……いや。静清栄殿に、そうお願いしてみねばな。」
「ああ。そう、だな……」
「ん? 半兵衛?」
刃笹麿の言葉に、半兵衛はやや歯切れ悪く答える。
どうしたのか。
「(清栄さん、またの機にはきちんと話してもらうぜ……!)」
半兵衛は、自らが奥州にいる間に起こりし上院の大乱について、清栄と話していなかったことを心残りにしていた。
半兵衛は一時迷うが、水上兄弟を救うためには致し方ないと踏ん切りをつける。
「何でもない。……さあ、行こうか。尾張へ行く、お許しを乞いに!」
半兵衛は刃笹麿に答え、意気揚々と立ち上がる。
「治子……殿よ。何をお考えか?」
かつての妻、治子を前に義常は、尋ねる。
時は、清栄が熊野詣に出し頃に遡る。
兄弟の叔父・夕五が治子と夫婦になると聞き。
思いもよらぬことに兄弟は、訝しむ。
しかし、治子の答えは。
「おっしゃっている意がよく分かりませぬ。義常殿。」
冷ややかなものであった。
それが先の夫に向けし物とは思えぬほどに。
「治子。そなたは……どうしたのだ!」
頼庵は堪らず、叫ぶ。
かつては、兄・義常にとっては可愛らしき妹のごとく。
弟・頼庵にとっては優しき姉のごとくであった治子は。
今やその時の影を、見ることができない。
「お話はすみましたか? ……では、私は。」
そのまま治子は、いそいそと離れへ行ってしまう。
「待て、治子!」
「待てはお前じゃ、待たぬか頼庵!」
「!? 兄者!」
治子を追いかけんとする頼庵を、義常が制す。
「しかし、兄者!」
「今あのお方は、叔父上の奥方となられるお方! ……我らに出る幕はない。」
「兄者……それでよいのか!」
思いの外素直すぎる兄を、頼庵は咎める。
しかし。
「待てと言っておろう! ……今はな。」
「!? 兄者。」
頼庵は兄に、何か考えがあると見て止まる。
その時、はたと気がつく。
いや、むしろなぜ今まで気がつかなかったか。
「兄者……娘はどこじゃ?」
「んっ……んん」
「いかんであろう? ……わしの奥となるものが。」
その夜。
離れにて夕五は、治子に迫る。
「なあに、案ずるな。……あの忌まわしき甥もまもなく滅びるが、そなたが我が奥となれば、せめてその娘の命ばかりは許そう。それとも……娘の居所を吐くか?」
「め、滅相もございませぬ……」
「ふふふ……ははは」
夕五は治子を抱きしめ。
そのまま弄ばんとした、その刹那である。
「申し訳ございませぬ、夕五様! ……清栄様より、使いが。」
「!? ……ふん、今行こう! ……まったく。」
月に叢雲花に風、とばかりに。
すっかり興が削がれし有様にて夕五は、立ち上がる。
「奥よ。……後で可愛がってやるぞ。」
「はっ、はい……」
夕五は気味悪く笑うと、離れを出る。
「……兄者。」
「……うむ、頼庵。」
離れのすぐ外の、茂みにて。
この有様を聞いていた水上兄弟は、驚く。
何か裏があると思えば、そんなことが。
「何と……叔父は、もしや……まだ、鬼神一派と繋がっているのやもしれぬ!」
「な……? 兄者、どういうことか?」
「初姫。……私がうっかりそのことを漏らしてしまいしが、此度の元であろう。しかし……それを知る者は?」
「あっ……!?」
頼庵は兄の言葉に、合点する。
確かに初めてそのことを話ししは、あの鬼神一派一一翁の面の男たちの前であった。
夕五にそのことを知る由があったとするならば、もはやそ奴らから聞いたとしか考えられまい。
「兄者、早く治子を」
「待て! ……我らも今は、身動きできまい?」
「……くっ。」
兄の言葉に、頼庵はようやく自らの今の有様に気がつく。
今は、妖喰いも封じられ。
尚かつ、治子は今身柄を抑えられているも同じこと。
下手は打てまい。
と、その時である。
「夕五様!」
「ただちに、甥らを呼べ。……話がある。」
「はっ!」
夕五と、その命を受けし従者の声が聞こえた。
今、部屋を空けて勘ぐられてはまずい。
「兄者。」
「戻らねばな。」
「すまぬ、かように遅き時に。」
夕五が進めるがままに、義常・頼庵は座る。
「いえ! ……叔父上、何が」
「うむ。……先ほど、清栄様より使いが参った。京で再び、乱があると。」
「!? な、何と!」
兄弟は驚く。
芝居ではない。よもや、また戦があろうとは。
しかし、夕五の次の言葉は更に驚嘆を呼んだ。
「しかし、我ら水上は京へは行かぬ。……この尾張に、止まる。」
「!? な、何と!」
兄弟は訝る。
如何なる腹づもりか。
果たして夕五は、その腹の内を述べる。
「うむ。……此度戦う相手は、泉義暁殿らしい。そして、この尾張にはその家人がいるとのことだ。……ここは、我らは動かず。義暁殿が清栄様に敗れ、落ち延びて来るであろう時を狙おうぞ。……さすれば、我らは敵将の首により褒美にありつけよう!」
「は、はあ……」
夕五の言葉に、義常・頼庵はどうも夢見がちといった懸念を抱く。
果たして、そうそううまくいくものか。
しかし、兄弟の懸念をよそに。
夕五はその策に、すでに確かな手ごたえを感じているようである。
「何はともあれ! ……兵らにも動かぬよう、伝える。清栄様にもそのようにお伝えするから、そのつもりでおれ。」
「は、ははあ!」
夕五の言葉に、兄弟は頭を下げる。
「兄者。夕五は何を企んでいるのか?」
部屋に戻り。
頼庵は、兄に尋ねる。
義常は、考えていた。
「うむ……あれがもし、鬼神一派と組んでのことであったならば……?」
確かにそれならば、義暁をこの尾張まで連れて来ることはできよう。
しかし、分からぬ。
義暁を討ち取り、褒美を取るつもりか。
それだけのために、鬼神一派と手を?
手立てと目当てが、どうも不釣り合いである。
「兄者?」
頼庵が声をかける。
考えあぐぬく兄を、案じているようである。
「頼庵。……今は、夕五を泳がせよう。」
「……うむ。」
兄のひねり出しし答えを、頼庵はひとまずそのまま呑み込むこととした。




