乱世
「清栄は今、熊野詣に……?」
「はっ。」
「……さようか。」
氏原信用はにやりと笑う。
半兵衛の屋敷に中宮が久々に来訪してより、一月余り後。
月は師走となっていた。
「さあ、もはやこれまでの遠慮は無用……直ちに出陣する!」
「はっ!」
信用は家臣に命じ、自らも具足を身につけ始める。
かくして、再び京の大乱の火蓋は切られたり。
「い、一大事にございます!」
「何事か?」
帝は、にわかに飛び込みし従者に眉をひそめる。
「ご無礼の程、申し訳ございません。……申し上げます。信用殿が、挙兵を。」
「なっ、何!? どこに。」
「はっ。……信東殿と東宮様(親王)のいらっしゃるお屋敷に……」
「!? な、何!」
続けての従者の言葉に、帝は次は我が耳を疑う。
「おほん! 親王様、信東殿! この氏原信用お迎えに参りましてございます。何卒おとなしく、お出でになられてください。」
親王と信東の御座所・三条の屋敷を取り囲んでいるという穏やかならぬ有様とは裏腹に、信用は努めて穏やかに言う。
「おのれ、親王様のみならず……今や天下を治めるこの信東を捕らえんとするか! 狼藉者共め!」
信東は屋敷の中にて、歯噛みする。
「……出て来ぬな。義暁殿。」
「……はっ。皆乗り込め! 親王様らをお迎えに上がるのじゃ!」
「応!」
信用の言葉を受け、義暁は自らの軍を行かせる。
たちまち屋敷を守る侍らは討ち取られ、中へと兵が入って行く。
「さあさあ……親王様! いずこに!」
兵らは屋敷の中を駆け巡り、親王を探す。
やがて。
「……こちらにいらっしゃいましたか、親王様。」
「くっ……た、頼む! 命だけは」
「何をおっしゃるのですか? 親王様のお身柄をお守りすべく、我らはこうして乗り込みし次第にございます。」
「……さようか。」
そう、親王に関して言えば、それで全てであった。
しかし。
「さあて。……信東殿はどこにいらっしゃる! 出て参られよ!」
兵は親王を外へ連れ出す者と、中を再び探す者に分かれる。
「!? 親王様! よくやった。信東はどこじゃ!」
屋敷の外より親王の連れ出しを確かめし信用は、声を上げる。
「申し訳ございませぬ、屋敷を隈なく探したのですが……」
「ううむ……止むを得まい。屋敷に火をつけよ! 出て来るものは逃さず仕留めよ!」
「はっ!」
ただでは出て来ぬと見て、信用は炙り出す手を使うこととする。
たちまち屋敷に火が放たれ、まだ屋敷に残っていた従者らが数多焼け出され逃げ惑う。
「逃すな!」
「はっ!」
信用は命じ、兵らが数多の焼け出されし従者たちを切り捨てていく。
「信東は!」
「はっ、いませぬ!」
「くっ……」
信用は歯噛みする。
ここまでしても出て来ぬということは一一
「……奴め、素早く逃げたか。」
「いかがいたす、信用殿。」
「ううむ……」
隣の義暁より問われ、信用は。
「……ひとまず、親王様をかような見すぼらしき所に捨て置き申す訳にはいかぬ! 早くお連れせよ。そして……残る兵らは木の根草の根掻き分けても信東一門を探し出せ!」
「応!」
信用の呼びかけに兵らは、力強く応じる。
「ううむ、信用め! いくら信東を討ち取るためとはいえ、我が屋敷に」
走る牛車の中にて、親王は恨めしげに漏らす。
「しかし、親王様。それもあと僅かなことかと。」
「うむ……」
親王は従者の言葉に笑い、しかしすぐに顔を曇らせる。
「信東が始末されるもそう時を要する事ではなかろう。しかし、そうなれば……」
親王の懸念は、無論。
自らの皇子との争いが、再び激しくなることである。
三条の屋敷が攻められ、幾日か後。
山城国(現京都府南部)の田原にて。
「ふうっ、ふう……しばしの、辛抱だ……!」
何やら暗く狭き所にて信東は竹筒より息を吸い、吐く。
が、そこへ。
「!? 馬の……蹄の音か!」
追手の訪れを悟り、信東は息を潜める。
「よおし……皆の者! 信東が郎党に吐かせし居処はこの辺りじゃ! 木の根草の根掻き分けてでも探せとご命が下っておる、命を賭してでも探し出し討ち取れ!」
「はっ!!」
追手らはそのまま、隈なく探し始める。
やがて。
「!? ありましたぞ、ここに竹筒が! 信東めは恐らくこちらかと。」
無論、早く見つかることとなる。
そのまま地は、掘り返され始める。
「くっ……! 我よ、先ほどもう少しの辛抱じゃと言うた。……今、楽になろう……!」
信東はその居処一一唐櫃の中にて、目を閉じる。
時同じくして、田原を屋根伝いに飛ぶ二人の人影が。
それは、長門兄弟であった。
「兄上、これは……!」
「ああ、高无! これは千載一遇の好機、あの信東の死となればようやくあれを……」
「あれだって? 信東さんがどうしたって!」
「!? くっ!」
にわかに声と共に轟きし殺気の雷鳴が、長門兄弟を襲う。
間一髪のところにて躱し、事無きを得る。
「一国、半兵衛……!」
伊末は恨めしげに天を仰ぐが、すぐさまやられっぱなしでは済まさぬとばかり。
指を、鳴らす。
「そう来ると思ったよ!」
半兵衛は自らに迫る数多の雷に、自らも紫丸の刃先より雷を放ち抗する。
たちまち空にて雷獣の雷と殺気の雷がぶつかり合い相殺し合う。
「ふうん、中々やるねえ!」
「黙れ、邪魔立てしおって! 此度はそなたごときと戯れている暇はない、失せよ!」
「そう言われて下がる奴はいねえな!」
半兵衛は再び殺気の雷を放つ。
たちまち再び抗せんと雷獣の雷も数多押し寄せるが、ここにて半兵衛は長門兄弟の予期せぬ動きに出る。
何と、自らの放ちし殺気の雷に張り合うかのごとく、雷獣の雷の真ん中へと自らも飛び込んで行く。
「!? あ、兄上!」
「ふん、何を……まあよい、さように死に急ごう心意気ならばそれを、汲み取ってやらぬわけにはいかぬな!」
一時躊躇いつつも、伊末はすぐさまこれを好機と見て攻勢を強める。
たちまち空より、隠れ潜みし雷獣らが数多踊り出る。
今にも半兵衛は、あわや雷獣の網に一一
「攻めこそ、最上の守りってな!」
かからず。
半兵衛は紫丸の刃先より、雷の束を放ち。
それにより自らの周りに弧を、描く。
立ち所に雷獣の雷は、半兵衛の殺気の雷に絡め取られ。
それにより勢いを増し、雷獣の元へと跳ね返される。
雷鳴と共に雷獣の叫びが木霊する中、雷獣は血肉に切り刻まれて果てる。
「!? な、何と!」
「くっ、あれほど支度しし雷獣たちを……」
長門兄弟は恐れ慄くが、自らの面目を潰しし半兵衛への怒りにより、前に出んとする。
しかし。
「……兄上。」
「くっ、放せ! よくも雷獣らを……」
「……兄上、我らは……妖がなければ」
「……くっ。」
伊末は翁面の裏にて歯噛みする。
悔しいが高无の言う通りであった。
そこにて頭を冷やし、ふと脇目にて信東の隠れ家を見やる。
「!? 殿、これは!」
「!? くっ、信東め……自ら命を絶つとは阿呆な……」
追手の侍らが土より掘り起こしし信東の隠れ家一一もとい、唐櫃の中にて。
信東は自ら喉を突き、亡くなりし後であった。
「くっ、おのれ……! 雷獣ばかりか、あれを動かすためのまたとない機まで潰しおって……!」
伊末は歯噛みを強めるが、怒りのみにては何も解決せぬ。
そう自らに言い聞かせ。
「ふふふ……ははは!」
「何だ? 死合うか?」
半兵衛は紫丸を構える。
しかし。
「よい……いずれ余興は終わる! 待っておれその顔、今に吠え面に変えてくれるわ!」
伊末は捨て台詞を残し、高无を連れ。
そのまま小さく土煙を上げる。
「げほっ、げほ! ……くっ、見失ったか!」
半兵衛が土煙に噎せている間に。
長門兄弟は、読んで字の如くドロンする。
「まったく……しかし、はざさんの言う通りだ。やっぱり何か乱れある所に、あいつらがいる。何か企んでいるには違いねえな。……俺たちも、あれをできるようにならなきゃならねえなあ。」
半兵衛は紫丸を鞘に戻し、考えていた。
「では、帝。」
「うむ……こ、此度の手柄により……泉義暁、その子・泉頼暁に、褒美を取らす。」
「はっ、有難き幸せ!」
「この頼暁も、身に余る光栄にございます。」
泉義暁・頼暁親子は共に、頭を下げる。
信東の自害より、翌日。
信用は親王とその皇子の身柄を掌握し、帝に褒美を迫ることで実権をも掌握する。
此度の功労により義暁とその子・頼暁も褒美を与えられた。
泉頼暁一一この更に後、侍による"幕府"を打ち立て国を背負い立つ英傑である。
が、それはこの時はまだまだ先のこと。
「ふふふ……義暁殿、めでたいのう。」
「信用殿、もはや言葉に尽くせぬほどの恩義、かたじけない。……それではあるがこの義暁、一つ進言したきことがある。」
「ううむ、何なりと申せ。」
内裏の渡殿を我が子頼暁、信用と進みつつ、義暁は信用に言う。
「……恐れながら、静清栄。あの者は熊野詣の途より間も無く、この京に引き返して来よう。ならばその帰路にて、討ち取るべきと」
「いや、要らぬ。」
「!? な、何と。」
義暁の進言を、思いの外信用はすげなく断る。
「何故か、あの男は」
「確かに、仇になれば恐ろしき男。しかし、我が嫡子の嫁はあの男の娘。……もう、お分りであろう?」
「……あの男が、我らに味方すると。」
「その通り!」
信用ははたと手を打ち、義暁の正答を讃える。
「であれば、案ずるな。それに……今はまだ、戦勝の喜びに浸ろうぞ。」
「うむ。」
信用の言葉に、義暁は頷きを返す。
信用も、満ち溢れし顔である。
しかし。
「(清栄……やはり味方とは思えぬ。)」
義暁の心には、やはり憂いが残っていた。
「此度ばかりは……兄上方のおしくじりにございますわね。」
「こ、これ冥子! あ、兄上は」
「よい、高无。……妹よ、ならばその汚名すぐに雪ぐまでよ。」
長門の屋敷にて、珍しくくつろぎし有様の冥子の嫌味に、伊末は立ち上がる。
既に信東の自害より幾日か経っている。
冥子が責めるは無論、信東の自害の場に兄二人が立会いし時のことである。
「あら、何をご勝手に? ここは、父上ならば」
「勝手にとは何か! ……つくづく兄の立て方を知らぬ妹めが。」
冥子の言葉に怒りし伊末が、妹を睨みつける。
冥子は澄ましし顔を崩さぬ。
その様が火に油を注ぎしか、伊末の青筋が更に大きくなるを感じし高无は。
「お、お待ち下さいませ兄上! ……冥子も。兄上はよく努めておられた! それを何という言い草か」
「よいと言っておろう、高无も! ……まったく、誠に使えぬ弟妹よ……!」
「へ、へ!? あ、兄上!」
諍いに割って入るが。
場を宥めんとして兄より八つ当たりを受け、高无は慌てる。
「も、申し訳ございませぬ兄上! この愚鈍な弟をいつも導いてくださり」
「……いや、よい。私も少し言いすぎたやもしれぬ。……妹よ、なっておらぬそなたに教えてやろう。ここは兄が自ら汚名を雪ぐと言っているのだ! ならばその通りさせてこそ、兄を立てるというものであろう?」
「……さようにございますね。申し訳ございませぬ。」
高无に返しし伊末は、そのまま妹にも言葉を返す。
冥子は、にこりと笑い頭を下げる。
尤も、下げつつあるその目には穏やかならぬ光が宿っており、伊末もそれを見逃さず剣呑な有様は変わらぬが。
「……ふん、それしきのこと最初から分かっておればよいものを。……高无、この兄はしばし京を空ける。嫌であろうがこの妹と共に自らの努めを果たせ。」
「はっ、ははあ! 兄上、いってらっしゃいませ!」
「……いってらっしゃいませ。」
「……ふん。」
弟と妹の頭を下げての見送りに、満更でもなき様を顔に浮かべ。
そのまま急ぎ、屋敷を後にする。
「ふう、お互い多難でございますね。ああも賑やかな兄上を持つと。」
「ああ、そうであるな……って! ではなかろう、兄上に何という」
「……まあまあ、高无兄上。」
冥子はにこりと、笑いかける。
高无はその顔を、少し愛らしく思い心が鎮まる。
やがて。
「め、冥子よ。私はな……そなたと兄上・私は腹違いとはいえ、父上の血を分けし兄弟として」
「ええ、おそらく同じ心にございますわ。……きっと、伊末兄上も。」
冥子は妖しく、微笑む。
「さあ、次こそ……より大きな戦となりましょう。」
「ああ、そうであるな……」
「父上!」
「うむ、重栄よ……今こそ逆賊・氏原信用、泉義暁を討ち! 命をかける戦もせず私腹を肥やし自らこそこの世を治めているなどと抜かす公家共を駆逐する、絶好の機である! 皆、馬を早めよ!」
「応!」
果たして、義暁の憂いし通りに。
清栄はその牙を、彼らに剥かんとしていた。