后決
「……百鬼夜行と、それは誠か半兵衛!」
駆けつけし半兵衛の話を聞くや、帝は眉をひそめる。
「この目に映りしままを伝えたまでだ。さあ早く逃げねえと!」
半兵衛は帝を促し、自らは再び外へ行かんとする。
「半兵衛! そなたは立ち向かうのか?」
帝は外へ行かんとする半兵衛の背中に、声をかける。
「……帝、お聞きになるまでもないってやつさ。妖を喰い、退けるはこの刀のみ。でありゃあ、俺は行くしかない。」
半兵衛は少し立ち止まり、振り返ってそれだけ申すと、外へ出て行く。
「……頼んだぞ。」
既に出て行きし半兵衛に聞こえぬは知りながら、帝は呟く。そして、道中に促されしままに自らも内裏の外へ出て行く。
「百鬼夜行……とな! 私を狙いし影の中宮が……」
「ほぼ違いねえな。」
先ほどの物陰に戻りし半兵衛は、侍女-に扮した中宮-に声をかける。
「さあ早く、帝もお逃げになった。中宮様も出て行かねえと……」
半兵衛はそう促し、内裏より出でんとして。
中宮はその袖を掴む。
「……中宮様?」
「……私も戦う。戦場に出ればきっとそれのみにて腹も……」
絞り出すかのごとく声を中宮はかけるが。
「……止めておけ、足手まといなだけさ。」
半兵衛は、あしらうのみである。
「ならぬ、そなたのみ戦をさせるなど……とどのつまり、また私は腹を決められは……」
「ああ、できねえ。戦場に出たところで、な。」
二の句を継ごうとする中宮の言葉も、半兵衛に遮られる。
「……そう、決まったわけでは」
「決まってるさ、何せ中宮様、あんたがまた戦場に出て、震え上がるのみにならねえって言い切れるか?」
中宮は尚も食い下がるが、やはり半兵衛は遮る。
「……言ったろ、あんたにはあんたの戦がある。ここで戦場に乗り込んで、犬死にするようなこたああれば、俺は帝やあのお父上には顔向けできねえ。ここでは、あんたが逃げ切るのがあんたの戦だ!」
半兵衛は未だ躊躇う中宮の背を、言葉と手により押す。
「……承知した。私は逃げ切り、勝つとしよう。この、戦に。」
中宮はそういうと、内裏の門へと急ぐ。
「ああ、お元気で。……せいぜい幸せになりな。」
半兵衛は中宮に――恐らく聞こえぬが――そう言葉をかける。
「さあ、内裏が見えてきた! 逃げ隠れし卑怯な中宮よ! 私をそこまで恐れるのであれば、今すぐここに出て参れ。さすれば、まだ楽になれるよう一息のうちに始末をつけてしんぜよう!」
妖の群れを率いながら、影の中宮は高らかに声を上げる。
「いいねえ、それはまず俺にしてくれよ!」
上より声がする。影の中宮が見上ぐや、そこには
「一国、半兵衛……!」
影の中宮には憎き仇である。
「もらう!」
半兵衛はそのまま、刃を振り下ろす。
「そうはいかぬ!」
影の中宮も刃にてこれを防ぐ。
「やはり、剣は上手いな!」
影の中宮にて刃に弾かれながらも、半兵衛は地に足をつける。
「ふん、そのようなゆとり、いつまで続くか……」
影の中宮も刃を構え直す。
見れば、その右腕には刀傷――半兵衛につけられしもの――が。
「やはり傷がまだあるか……しかしおかしい、どうにも刀傷を負った后は見つけられなかったとよ!」
影の中宮に半兵衛は、吼えるがごとく声を上げる。
「ふん、それしきの手がかりにて、この私は暴けはせぬ……」
影の中宮は――またも面に隠れ見えぬが――笑みを浮かべる。
「傷はまだ痛むかい?」
半兵衛は心配げに声をかけるが。
「ふん、自らつけておいてぬけぬけと……言うたはずじゃ、そのようなゆとりいつまで続くか!」
影の中宮は、怒りを声に纏わせ返す。
半兵衛が気付けば、既に周りは妖ばかり。逃げる場などなき様である。
「……あの男は殺し切るな。虫の息ほどにそなたらが弱らせし所で、止めは私が刺そう……!」
周りの妖にそう囁くや、影の中宮は少し後ろに下がる。
妖の群れの後ろより、影の中宮の声が響く。
「どうじゃ、そなたと中宮のためにあつらえし妖の群れよ! 悪くは無かろう?」
「そうだな、しかし百鬼夜行と呼ぶにゃあ数が足りねえようだが?」
半兵衛は顔色一つ変えず、そう言う。
「ふん、多勢に無勢というにそのゆとりか……もはや躊躇いは要らぬな……妖どもよ、一息に潰せ! 死なぬほどにな!」
半兵衛の様に痺れを切らせし影の中宮が、妖どもに命ずる。
「なるほど、多勢に無勢とは粋な言葉知ってんじゃねえか! なら、こちらも言葉をお教えしようか……一騎当千てな!」
迫る妖を前に、半兵衛は尚もゆとりを崩さぬ。
「半兵衛は……あの妖喰い使いは、今ごろ……」
"中宮"――の影武者を務めし侍女・氏式部内侍――は、帝に向け呟く。
「恐らくは戦の只中にある。案ずるな、半兵衛はそう安安と死ぬ男ではない。」
帝は"中宮"を慰める。
帝と"中宮"を乗せし牛車は、都の外へと向かっておる。
その牛車に共に乗るは"侍女"――言うまでもなく、そのなりをせし中宮――である。
「しかし、私のみこのように逃げては……もし妖が来るようなことがあれば……」
「案ずるなと申しておる。……今はただ、半兵衛を信ずるのみである。」
尚も穏やかではない"中宮"を、帝は再び慰める。
「……それに、戦とはもとより、男のするもの。中宮よ、女のそなたが何ら案ずるものではない。」
帝は尚も慰めるが。
「……戦が、男のするもの……?」
声を上げしは"侍女"である。
「さよう、戦では男が戦うものである。女はただちに逃げのびるのみだ。」
帝は続ける。
「(戦が男のもので、女はただ逃げるのみ……?
ならば、私の今せしことは戦ではないではないか……)」
帝の言葉に"侍女"は、思い巡らす。
「帝、ならば逃げることは、戦ではないのでしょうか?」
"侍女"は、もはや自らの今の姿も忘れ、帝に問うていた。
「……? う、うむ。男が仇を前に逃げるは確かに戦とは言えぬ。しかし、女にとりては、逃げることが戦になることもあろう。」
やや戸惑いながらも、帝は"侍女"に返す。
「こ、これ氏式部。」
"中宮"も、話のすぎる"侍女"を諌める。
「(逃げることは、男にとりては戦にならぬが、女にはなる……?)」
しかし"侍女"はそれに答えず、尚も思い巡らす。
そして再び、帝に問う。
「しかし、影の中宮は女でありながら刀を取り戦をしております! 男なれど女なれど、戦は戦、いざ戦場に出れば戦うのみなのではないでしょうか!」
もはや自らの言葉を取るが帝であれ、"侍女"はまるで恐れぬ様にて声を上げる。
「し、氏式部よ。今日は何とした? いつもとは人の違うようですらあるが。まるで……」
「さ、左様であるぞ氏式部よ!そのような無礼を帝に……」
"中宮"と"侍女"の入れ替わりしを悟られまいと、"中宮"は"侍女"を諌める。
その様に、ようやく事を分かりし"侍女"は、
「……申し訳ございませぬ、言葉が過ぎました。」
そう言い、頭を下げる。
「そして、重ね重ね申し訳ございませぬ……私は行かねばなりませぬ!」
言うが早いか、"侍女"は牛車の御簾を上げ、今にも出て行かんとする。
「ま、待つのだ、氏式部よ! どこへ行くというのじゃ。」
帝もさすがに慌てし様で、"侍女"の背中へと声をかける。
「……私の戦場へ、でございまする。」
そう言うや、"侍女"は牛車より出でて、道を走り行く。
「こ、これ氏式部!」
「帝!……危のうございます。何卒、氏式部の意のままにさせてくださいまし!」
尚も"侍女"を止めんとする帝を、"中宮"が引き止める。
「しかし……」
「今牛車より出るなど、帝の御身の方が危のうございます。きっと氏式部は、あの一国半兵衛が守ってくれましょう。」
尚も引かぬ様の帝を、"中宮"が更に宥める。
「……そうであるな、半兵衛、氏式部。どうか何事も無く……」
帝はせめてもの見送りにと、御簾を少し引き上げる。
既に"侍女"は、その姿が見えぬ。
「半兵衛、ようやく決めたぞ、私の腹を……」
人のなき道を、煩わしいとばかり着物の裾を引き上げ、"侍女"――否、中宮が駆ける。
「やはり逃げるなど戦ではない……今一度、影の中宮に少しでも報いを!」
走り息を切らしながらも中宮が取り出したものは――既に半兵衛に返したはずの、あの刀であった。
「……ここまで傷ついても、尚衰えぬ勢い……悪くはないぞ、一国半兵衛!」
影の中宮が声を上げる。
勇ましくも妖の群れに挑みし半兵衛であるが、いかにこの男といえど数多を相手に取ったがためか、既にその身は傷だらけである。
「ふん、まだやれるぜ!」
刀を構え直し、半兵衛は少しも引かぬ様である。
「やはり昨夜の傷の、早く治りしことと言い……そなた、誠に人か?」
影の中宮が問う。
「……その答え、冥途の土産にしてやろうか?」
半兵衛は笑い、そう返す。
「……ふん、どこまでも口の減らぬ……よかろう、ならばその事言うまでもない、そなた自ら冥途の土産として持ち帰れ!」
影の中宮は怒り心頭に発し、妖に囲まれし半兵衛に斬りかかる。
「……どうか、間に合え!」
着物の裾を引き上げ、尚も中宮が走る。
戦は、未だ終わらぬ――