戦場
「法皇様、お身体は」
「私はもはや永くはなかろう……それよりも、これを。」
自らの病床を見舞う従者に、法皇は文を渡す。
「これに書かれしこと、しかと侍たちに伝えよ。」
「はっ……これは!?」
「我らに、誓えと?」
「さよう、法皇様のご命に候えば。」
静清栄・泉民義は困惑する。
「しかし……如何に法皇様のご意思と申せども」
「……頼む! 法皇様はもはや、生きておられるうちに心休まることはなかろう。であれば、せめて冥土での後顧の憂いがなくお過ごしになられるよう取り計らいたいのだ!」
「……承知した。」
この言葉には、清栄・民義は頭を縦に振る。
「法皇様が?」
義常は、刃笹麿に尋ねる。
「ああ、既に危き様と聞いている……そのためか、内裏の警護の侍らより、幾人かは親王様、法皇様のそれぞれの御殿の守りに入られたとのことだ。」
刃笹麿は肩をすくめる。
法皇危篤の報を伝えるため、刃笹麿は半兵衛の屋敷を訪れていた。
「うむ……私もそれについては既に風の噂に聞いておる。何でも、法皇様は武士らに、親王様に従うよう文を書かせたとか。」
「……既に知っていたか。」
刃笹麿はため息をつく。
「帝からも、お言伝を賜わった。……『ゆめゆめ、妖のことより他は手出しせぬように』と。」
「……やはり、そうなるか……」
この言葉には、その場に居合わせる広人、夏、頼庵は大きく腰を曲げ、身体で落ち込みを表す。
義常も、広人らほどではないが頭を抱えてため息を吐き。
落ち込みを表す。
妖喰いがそもそもこの百年あまり封じられし訳は、妖が出なかったからである。
それはすなわち、妖の他に妖喰いは振るってはならぬことをも表していた。
義常らも、それは百も承知であったのだが。
「阿江殿、万に一つこのまま戦になれば……?」
「……妖喰いを使うそなたらに、出る幕はない。」
刃笹麿はいっそ躊躇わず、告げる。
「……やはり、主人様にお伝えすべきだったのでは」
「いや、それは要らぬ。」
義常はかつて自らが止めた、半兵衛へこのことを伝えることを言いかけるが、此度は刃笹麿が止める。
「何故じゃ?」
「言っておろう? これに妖喰いは、関われぬと。」
その言葉には、皆が黙りこくる。
しかし、法皇が倒れ一月が経つ頃。
ついにというべきか、法皇が身罷りしとの報せが内裏を、京を駆け巡る。
いや、そればかりではない。
「何? 頼中叔父上が!?」
中宮は氏式部の話に、思わず立ち眩む。
「中宮様!」
「いや、よい……しかし、真偽はともかくも少なくとも噂はあるのだな? 『上皇(先の帝)左府(頼中)同心して軍を発し、国家を傾け奉らんと欲す』と。」
「……はい。」
中宮は頭を抱える。
これではもはや一一
「もはや、戦乱は避けられぬようになりつつある。しかし、徒らな足掻きとは知りつつも、何とか事を荒立て過ぎぬよう計らいたい。」
帝は力強く、告げる。
所は清涼殿にて。
先の帝と頼中の謀叛の噂を受け、帝も手を打つべく侍たちを集めていた。
「帝、まずはご安心を。既に京中の侍らの動きは押さえましてございます。」
「うむ……大儀である、基栄よ。」
帝の目の先には召集に応じし侍の一人・静基栄が跪く。
かの清栄の、子である。
「そして、内覧殿のご命にて京に潜んでいた容疑にて、内覧殿の手の内の者も捕らえましてございます。」
「うむ……重ね重ね大儀である。」
しかし、それだけではなかった。
「頼もう! ……内覧殿はいらっしゃるか?」
「? ……内覧様は今ご不在であるが……そなたらは何者じゃ?」
朝早く、内覧の屋敷の一つにて訪問者があり。
従者はその出迎えに当たるが。
「申し遅れた。……我が名、下野守泉太郎義暁と申す。帝のご命にてこの内覧殿のお屋敷、没収に上がりし次第である。」
従者は訪問者一一泉義暁の言葉に息を呑む。
「な、何!? ぼっ、没収などと」
「この通り書状も帝より頂いておる! ……さあ、神妙にしてもらわねばな。」
「ま、待て!」
慌てる従者らを尻目に、義暁は下につく侍らを促し屋敷をせしめる。
「下野守殿による屋敷の没収、既に。」
「うむ。」
基栄がその報せを読み上げる相手は帝ではない。
父一一静清栄である。
「信東殿も、これでお喜びになりましょう。」
「……そうであるな。」
「父上?」
顔を曇らせる父を、基栄は訝るが。
「基栄。我ら侍の力を示すに、これはまたとなき好機やもしれぬ。……決して機は、逃すでないぞ。」
「……はっ、父上。」
清栄の静かではあるが強き語気に、基栄は恭しく頭を下げる。
父の意は全て汲めしわけではないが、そこは父のこと。
恐らく、自らの考えの及ばぬ所にその真意はあるのだろうと自らに言い聞かせ、黙ってついていくのみである。
「何!? 屋敷が没収だと! さような勝手なことは」
「内覧様! それだけではございませぬ。……これを。」
怒鳴り散らす頼中に、従者は一つ紙を見せる。
「これは……帝からの御教書だと! ……私が荘園より軍兵を集めることを禁ず!? くっ、まさか」
「……はい。」
頼中は御教書をくしゃりと握りしめ、わなわなと震える。
「……おのれ、親王様……いや兄上、でもなく……帝の側近の信東か! 私の動きを封じようというのか!」
頼中の怒りは、もはやこの上なきほどである。
「な、内覧様……」
「……もはや止むを得ぬ。やってくれたなあ、どいつもこいつも! だが、やられ損ではすますまいぞ! どうせ謀叛人の汚名を被るこの身、今こそあるだけの兵を動かし一矢でも報いてくれる!」
頼中は猛る。
「兄上が、どこにもおらぬと?」
「はっ、お住まいの屋敷は既にもぬけの殻であったと。」
帝に、信東は深々と頭を下げる。
清涼殿にて。
側近たる信東は、事のあらましを帝に語る。
「先の帝はどこかへお逃げになられしものかと……帝、このままでは。」
「……やはり、戦は避けられぬか。」
信東は頷く。
「軍兵動員を禁ずるとのご命が下ってよりまだ日も浅くございます。……このままでは、内覧殿が近々何らかの動きに出られるものかと。帝、もはや迷う猶予はございませぬ。一刻も早く、こちらも。」
「……やむを得まい。」
「なるほど、帝も内覧殿も、互いに戦の支度を始められましたか。」
「ああ。……これで我らの図りし通りに事は進むな。」
「戻ったぞ。」
「!? 兄上、よくぞ」
長門邸にて。
話す冥子と高无の部屋に、伊末が入る。
「兄上、これはこれは」
「白々しき礼など要らぬ。……さて、要件を済まさねばな。」
妹には目もくれず、伊末はその場に腰を下ろす。
「……あの男は、まんまと乗ったぞ。」
「! それは、誠ですか?」
「嘘など言う訳なかろう? もう、彼奴は京に入っておるわ。静清栄に呼ばれてな。」
その言葉に冥子も、高无も笑みを浮かべる。
「……まあ、やはりと言うべきでしょうか。これで事は進みますね。」
「さすがは兄上。」
「ふふふ……さあ、前祝いの杯と行こうではないか。」
伊末は杯を四つ取り出し、酒を全てに注ぐ。
そのまま自ら持ち、高无が残りのうち二つを持つと一つを冥子に持たせる。
「我ら、長門一門に栄えあらんことを。」
兄妹は、杯を交わす。
「……しかし、先の帝と親王様とでは戦は長続きしませぬでしょう。」
「ああ、先の帝と……内覧殿で動かせる兵は、高が知れている。」
「え、ええ?」
冥子と伊末の話に、高无は戸惑う。
「そうであろう? 内覧殿には軍兵動員を禁ずる命も出ておる。さような中で兵をいかに集められるか……」
「な……では、我らはどうすれば」
「兄上、お落ち着きください。」
慌てる兄を、妹が宥める。
「それならば……再び次の種を芽吹かせればよいでしょう?」
冥子は、不敵な笑みを浮かべる。
「そればかりは妹よ、そなたの言う通りであるな。……その通り。これはまだ、下ごしらえに過ぎぬ。この後にようやく仕上げにかかり、真にこの天下を悩乱させてこそ」
伊末は、手をつけられていない杯を見、その後で自らの後ろの御簾に目を向ける。
「……父上がお喜びになるというものであろうなあ。」
「上院様、よくぞ」
「頼中、そなたもよく来てくれた。」
白河の屋敷にて。
上院と頼中は合流していた。
「ご存じやも知れませぬが、今私が動かせる兵は泉民義をはじめとするごく少数のみでして……」
「分かっておる。……しかし、案ずるな。清栄が味方してくれるやも知れぬ。」
「!? 何と!」
上院の言葉に、頼中は驚く。
「清栄の父はわが皇子の後見を務めておった。清栄は今、最も多くの兵力を有しておる。……清栄が味方してくれれば鬼に金棒よ。」
「は、ははあ! それはこの頼中も、死中に活を求められるというものでございます!」
頼中は笑みを浮かべる。
しかし。
「まだ早いぞ、頼中よ。……果たして、清栄は味方してくれるかどうか……」
「清栄様、よくぞ」
「よい、さあ水上殿。話とは何か?」
頭を下げる夕五に、部屋へ入りし清栄は虚礼は無用とばかり、御座に腰をどしりと落ち着けつつ聞く。
「此度の戦、我ら水上のような田舎者にも手柄を上げる機をお与え頂けましたこと、誠にありがたく存じます。それで、差し出がましいとは知りつつもお願いがもう一つございます。」
「何だ? 何なりと申せ。」
「はっ。」
夕五は頭を上げ、清栄にこう告げる。
「我が亡き兄、水上義夕が子、水上太郎義常・水上次郎頼庵を軍に加えさせていただきたく存じます。」




