閑話 帰京
「きょ、京で……大乱だと!」
時は、半兵衛があの土蜘蛛凶道王を退けし日の次の日に、遡る。
使いより報を受けし、氏原秀原は驚く。
いや、驚きしは基原ばかりではない。
「大乱……? まさか……清」
「ん? 半兵衛殿?」
「ああいや! 何でもない!」
半兵衛も驚く。
あやうく清栄(密通相手)の名が口に出かかってしまうほどに。
「さようか……ならば半兵衛殿。取り急ぎ、京へ帰られよ! こちらでご尽力賜りしこと、この身果てるまで忘れぬ。」
「ああ、そう言っていただけて来た甲斐があったと思えるねえ……これから身支度を整える。すぐ出られるようにな。」
「うむ!」
秀原は感謝し、半兵衛と手を取り合う。
「半兵衛様……やはり、行かれるのですね。」
「我ら蝦夷をお救いいただけしこと……誠に言葉を尽くしても」
「ああ、いいんだよ白布ちゃん、刈吉さん!」
自らを前に涙ぐむ白布、礼の言葉を尽くす刈吉に、半兵衛はひらひらと手を振り答える。
平泉の蝦夷の村にて。
半兵衛は挨拶に訪れていた。
「それで……半兵衛様。」
「あっ……ああ。」
白布に熱き眼差しにて話しかけられし半兵衛は、思わず目を逸らしてしまう。
無論、その先の話は。
「……私の思いに、半兵衛様の思いは。」
「……白布ちゃん。それなんだが……」
「た、たのもう! 半兵衛殿、いらっしゃるか!」
「!? あっ、ああ……ここだけど。」
にわかに蝦夷の村に響き渡りしは、秀原の従者の声である。
「い、一大事である……あ、妖が!」
「!? えっ!」
その言葉には半兵衛は無論、刈吉と白布も驚きの声を上げる。
「秀原様、これでは!」
「くっ……怯むでない! 半兵衛殿が来るまで、持ち堪えよ……」
「ぐあっ!」
「くっ……」
平泉の、金山近くにて。
にわかに湧き出ししがごとく数多の妖による害ありとの一報を受け、秀原自ら兵を率いて来れば。
たちまち妖に襲われ、身動きが取れぬ。
「くっ、このままでは!」
秀原は目の前の妖を、切り払っていく。
「くう……何だ、この妖たちは!」
数多の妖が息つく間も与えぬ程に襲い来る中、秀原は歯を食いしばりその攻めを凌ぎつつ。
目を見開き、その妖の姿を見んとする。
やがて。
「なっ、こやつらは……!? くっ……!」
「!? 秀原様! ……くっ、皆! 悔しいが後ろへ下がれ。このままではっ……!」
武将・佐藤基昼が秀原を何とか助け、軍を後ろへ下がらせる。
秀原はその妖の姿に揺らぎ、隙ができてしまったのである。
彼の驚愕しし、その姿は。
「馬鹿な……これはまるで……凶道王ではないか!」
「なっ、何と……」
秀原は再び、驚愕の声を上げる。
従者らもその言葉に妖を見、驚く。
その妖は大きさこそ、秀原の胴ほどしかないが。
鬼面に蜘蛛の如き姿一一それはまさしく、土蜘蛛凶道王を縮めし姿と言ってよい。
「はははは! 思い知ったかいな奥州の王よ! このそれがしが受けし辱しめと、悔しさを! 幾倍にもして返したるさかい、腹括れや!」
「なっ……そなたは!」
秀原は三度、驚愕する。
姿こそ見えぬが、その声はツアンリエウグ一一もとい、鬼神一派こと長門一門に仕える薬売り・向麿であった。
「き、貴様……!」
「ははは……何や? あの刀の妖喰い持った小僧はおらんのかいな! あわよくばここで仲良く葬ったろ思うとったが……もうええ、奥州の王だけでもここでその首、取ったるわ!」
向麿は叫ぶ。
「くう……ツアンリエウグ……!」
「ははは……もうそないな名前ええわ! それがしの名はいくら冥途の土産かて教えられへんが……まあせいぜい、"薬売り"とでも呼んでや!」
「く、薬売りだと! ……ぐっ!」
秀原が声を上げるが、妖らは無論待つ心はなく。
その間にも、群れて襲いかかる。
「かーっははは! では早よう……逝けや!」
「お、のれ!」
向麿の叫びと共に、小さな凶道王らがさらに早く多く、秀原らに襲いかかる。
「くっ、まだか!」
「半兵衛殿! 金山まではまだ」
「くっ……秀原さん!」
時同じくして、半兵衛らは秀原の元へと馬を走らせる。
しかし、いかんせん中々辿り着けぬ。
「半兵衛様、今は……ひた向きに馬を走らせるほかありませぬ!」
「うん、そうだな白布ちゃ……ん!?」
半兵衛は驚く。
さりげなく、白布も軍に混じっていた。
いや、白布ばかりではない。
「我らも!」
「お忘れなく!」
「おいおい刈吉さん、森丸! あんたたちまでかい。」
半兵衛は、ため息を吐く。
ようく見れば、さらにそれだけではなく。
「kyxemu……kyxarxan ixe in!」
「uximyxun! nyxeuxa!」
「げっ! 蝦夷の大将さん! えっと……」
「イエフオウハウング殿です! 半兵衛様!」
「あ、ああ……えっと、今あの人たちはなんて……」
「はっ! "皆、行くぞ!" "はっ! 主人様!" と。」
「は……ははは」
半兵衛は苦笑いする。
蝦夷の軍までいるとは。
ヌムアンがいないだけ、まだよいか。
「えっと……ヌムアンちゃん、だっけ?」
「ああ、あの子は」
「あの子は、"iyxamyxun uxafu sunwxon fxagxehyxun ixoruu nukifxaku fxaixomyxun! ixusxo iyxarxetu hyxa iyxagxehyxu!" と申しておりましたので、
"tsxaku utxo sunwxon nukifxaku yitu hyxa ixufu utu turxon tsxanwxu ywxo!"と追い返しました。」
「いや、分からん!」
蝦夷の言葉では無論、分からぬ。
かいつまんで言うならば、ヌムアンが私も戦をできる歳なのだから、連れて行けとせがむのを、刈吉がお前は戦をするにはまだ早いと追い返したという。
そうこうするうち、ようやく。
「!? あれは!」
「秀原様……の軍でございますね。……!? あれは!」
「なっ……小さな、凶道王!?」
ようやく見えし戦場の妖たちの姿に、半兵衛らは面食らう。
「なんてこった……! まずいぞ、秀原さんたち!」
半兵衛はより一層馬を急かす。
秀原の軍は、妖喰いを擁さぬ者たちとしてはよく耐えていると言えるが、それもあまり長くは続かぬであろう。
そうとなれば、急ぐしかないのであるが。
「くそっ! 如何にこの馬が奥州の誇る駿馬でも、間に合わないのか……!」
「半兵衛様、私たちに合わせますとおそらく遅れます……早く先へ!」
「ああ、かたじけない……でも!」
半兵衛は軍より飛び出し、馬上にて歯噛みする。
このままでは、半兵衛らが辿り着く前に秀原らは一一
「だったら……!」
半兵衛は意を決し、紫丸を引き抜く。
刃にたちまち蒼き殺気がまとわりつき、殺気の刃が伸びる。
「届け!!」
半兵衛はそのまま刃先を、秀原らに迫る妖たちに向けんとするが。
いかんせんまだ遠く、届くに及ばず。
「くそ……! こんな時こそ電光石火のごとく駆けつけられれば……ん?」
半兵衛はふと思い着く。
電光石火一一
「そうだ……こいつだ!」
半兵衛は念じる。
頭に思い浮かぶは、本来憎き仇。
あの、鬼神である。
しかし、その心にあるは怒りではない。
「ちょいと癪だが……仇だろうが何だろうが、鬼神さんの技はいいものだった! ちと盗ませてもらうぜ!」
それは一一
「鳴り響け、殺気の雷鳴よお!」
半兵衛は再び、殺気の刃を伸ばす。
たちまちその刃先は雷となり、より広がりて妖らに達する。
妖らは自らに起こりしことが恐らく呑み込めぬまま、雷に呑まれ、妖喰いに喰われていく。
「おお! これは、もしや……」
「基昼よ、皆よ! 半兵衛殿がようやくおいでなすったぞ!」
「エイエイオー!」
自らを苛みし妖の群れが退き、俄然秀原の軍は活気づく。
「おお、何や、何やこれは! 鬼神様の使うとった殺気の雷鳴を、小僧ごときが!」
向麿は慄きつつ、すぐに心を怒りで満たす。
鬼神一派一一もとい、長門一門。我らに仇なす者はここにて葬れば儲け物。
向麿の意を受けし妖らが再び、湧き出す。
「くっ、きりがない!」
「案ずるな! どれだけ湧いて出ようとあんな凶道王擬き、この一国半兵衛が片付けてやらあ!」
半兵衛は引き続き馬で駆けつつ、尚も殺気の雷鳴を放つ。
妖らは湧く度に雷にて撃たれ、血肉と化す。
「おお、さすがは半兵衛様! 行こう、皆!」
「uximyxun!」
その半兵衛の姿に活気づきしは刈吉や白布、蝦夷の軍も同じであった。
たちまち先ほどとは比べ物にならぬ速さで、半兵衛に追いつかんとする。
しかし、活気づく奥州の軍勢とは裏腹に、冷ややかに狙いを定める目が。
「(もう少しや、もう少し……今や!)」
無論、向麿の目である。
たちまちその意を再び受けし妖たちは、次には数多空高く飛び跳ねる。
「なっ、何じゃ!」
「妖がにわかに」
「案ずるな、これも……ぐっ!」
半兵衛の言い切りを待たず、たちまち秀原の軍と援軍の間に居し彼の上に妖が、凄まじき速さで数多落ちる。
「半兵衛殿!」
「くっ、何のこれしきさ!」
「はっははは! 強がりばかり言いおって!」
「!? くっ、この声は!」
やがて積み重なりし妖が、円陣を組むがごとく広がり。
中を守らんとして、外へ睨みを利かせる。
「半兵衛様!」
「半兵衛殿を返せ!」
妖の円陣を、更に取り囲むは奥州の軍勢であるが。
勢いづきしはいいものの、妖たちは牙をギチギチと鳴らし、近づくことすら容易ではない。
「白布、あれは!」
「そんな、半兵衛様が蜘蛛の巣に!」
刈吉に促され、白布が見しは。
妖の円陣の中に張られし蜘蛛の巣に捕らえられたる半兵衛。
「くっ、これは厄介な……! でも、悪いことばかりじゃない……なるほどこいつらは、凶道王の置き土産か。」
半兵衛が目を閉じ妖気を辿り、見出ししは。
凶道王の魂より、その恨み辛みのみ濾し取りし物。
まさしく、凶道王の残滓そのものである。
「はーっははは! 聞こえとるやろ奥州の王よ、蝦夷共よ! あんたら昔の水に流せもせんようなことをよくもそんな容易く流しおって! だがなあ、ようく見るんや! この土蜘蛛凶道王の子蜘蛛らは、大和の奴らに殺された蝦夷の恨み辛みそのものや! それがあるやいうにあんたら、誠に仲良しこよしなぞできるんかいな!」
向麿の嘲笑う声が響く。
大和の言葉であるが、何らかの術により蝦夷の軍にも分かるようであり。
たちまち奥州の軍勢は、色を失う。
「うむ、それは……」
「はははは!」
「!?」
場にそぐわぬ、高らかな笑い声。
それは向麿ではない。
半兵衛である。
「何だよ、皆? もとより分かりきってるだろうがよ! 今すぐお互いに仲良しこよしとはいかなくても、どんなに永くなってもきっと分かり合うって! 今からそんなザマじゃ、先が思いやられるぞ?」
「半兵衛殿……」
「半兵衛様……」
たちまち、ざわざわと奥州の軍勢より声が漏れる。
「おのれえ……やい妖喰い使いの小僧! きっと分かり合うや? ははは、馬鹿も休み休み言えやっちゅうねん! ……ええわ。ほんならこの地に染み渡る蝦夷の怨念、骨の髄まで味わせたるわ!」
向麿の燃え上がらん意を形にししがごとく、此度は大水のごとく妖が湧いて出る。
そのまま妖たちは一一
「くっ、ここまで数多!」
「これでは……ん?」
狙うは、半兵衛ただ一人である。
数多の凶道王の子蜘蛛らは、奥州の軍勢には見向きもせず、蜘蛛の巣まっしぐらである。
「怨念か……たしかにそれもある。でもな」
数多の妖に迫られても、半兵衛は動じぬ。
既に半兵衛は、"ある意"を受け取っていた。
そして一一
「半兵衛様!」
白布が叫び、携えし蕨手刀を妖の群れへと投げ込む。
すると、蕨手刀の鍔と鞘の間より黄金色の殺気が漏れ出し一一
「でもな、まんざら怨念だけでもなさそうなんだよ!」
半兵衛が叫ぶ。
すると、たちまち蒼と黄金色の雷が鳴り響き、迫る妖を粉微塵に砕く。
「ななんと!」
「半兵衛様……」
瞬き光の中、半兵衛はその身を捕らえし蜘蛛の巣より、起き上がる。
光の中に二刀を携えし半兵衛の姿が、浮かぶ。
「くう……ならば! 遠慮は無用や! 容赦なくいかせてもらうでえ!」
向麿は、残る全ての子蜘蛛たちを引き出し、差し向ける。
たちまち妖の大群勢が、半兵衛のみならず奥州の軍勢にも襲いかかる。
「怯むな、皆!」
「応、半兵衛殿! もはや妖など幾ら数多来ようと恐るるに足らぬ! 一息に押し返せ!」
「エイエイオー!」
半兵衛はそのまま、奥州の軍勢を守りつつ自らも奮戦する。やがて一一
「ふん……もはや手は尽きたわ、こんな辺境にもう用ない! 早う京へ帰ったるさかい!」
向麿は終いに吐き捨てる。
たちまち、妖気が消える。
「はあ、はあ……皆、大事ないか……?」
「言うに及ばず! 半兵衛殿こそ」
「ははは……なあに、大事ないさ!」
半兵衛は、二刀を鞘に戻し胸を張る。
かくして、奥州より妖の害はなくなったのである。
「誠に、誠に……何とお礼を」
「いや、お礼はこっちさ。白布ちゃん。」
「えっ……」
床に臥せる白布に、半兵衛は礼を言う。
戦で疲れてしまいし白布を、半兵衛は帰る前に見舞っていた。
「あの時、白布ちゃんが黄金丸を持って来てくれたおかげで、俺はまだ残っていた、野代さんの残した力を使うことができたのさ……かたじけない!」
「半兵衛様……そうですね。私も、野代の意を感じました……」
「ああ、この黄金丸はきっと……これからもこの奥州の大和と、蝦夷の架け橋になってくれるさ。」
「……はい。」
黄金丸とは、この蕨手刀の名である。
半兵衛の命名だ。
力を取り戻ししはあの時のみのようであり、もう妖喰いとしては使えぬようである。
それは、半兵衛には好都合であった。
野代の形見を、こうして白布の近くに置くことができるのだから。
「……そういえば、刈吉さんは」
「ああ……心遣いのつもりでしょうか、半兵衛様のご来訪を感じるやそそくさと。」
半兵衛は心遣い、という言葉に引っかかるものが。
それは、無論。
「白布ちゃん。あの、ことなんだが」
半兵衛はそっぽを向きつつ、白布に言わんとするが。
白布は寝入っていた。
白布の祖母も、隣の部屋にて既に寝ている。
「……すまない、白布ちゃん。」
半兵衛は白布の頭をひと撫ですると、家より出る。
「半兵衛様。」
呼び止める声に、ぎくりとし振り向くと。
刈吉であった。
「……すまないと、白布ちゃんに伝えてくれ。」
「……あいつには何も言わず、行かれるのですね。」
「ああ……」
半兵衛はそのまま、歩き出す。
刈吉は、それより先は何も言わずじまいであった。
そのまま、夜も明けぬ内に。
半兵衛は馬を駆り、奥州平泉を後にする。