真名
「なるほど……それで? そちらの暮らしには慣れたか?」
「まあ、何とか。でも、そちらさんの助けになりそうなことは何も……」
「何でもよい、何かないか?」
半兵衛は清栄と、話をしていた。
京よりこの奥州に来る前。
半兵衛は清栄に、紫丸の殺気を纏わせし小刀を渡していた。今の話は、その殺気による繋がりを使ってのものである。
「うん、そうだな……じゃあ」
話は、蝦夷の長との闘いのすぐ後に遡る。
「半兵衛殿、此度もよくぞやってくれた!」
馬にて屋敷へ帰る途にて秀原は、半兵衛を称える。
「いや、そんなことは……つまるところ、此度蝦夷が退いたのは、あの妖が暴れてくれたからだし」
「いやいや! この道より先にあやつらが行くことを食い止めていただけた、それだけで足りる。この先一一金山こそ、この奥州が繁栄を寿ぐ源なのだからな。」
「金山?」
「金を採るための山よ。……そうであるな、では我が祖父の廟をお見せするとしよう。」
秀原は嬉しげに言う。
そのまま、金山を通り過ぎし後に。
そのまま平泉の都の近くの山の中にさしかかる。
「……うん、都の近くの山、か……」
「何かあるか?」
「あ、いや……何も。」
この有様は、あたかも奥州に来る前。
清栄に手を組むよう迫られし時のごとしであるが。
さておき。
そのまま、石段を登って行く。
石段を登る間、半兵衛は問う。
「えっと……この上がお爺様の廟とやらかい?」
「さよう。そして、この奥州の繁栄の源が一目でお分りいただける所でもある。」
「一目で? そいつはどういう」
「それは、いらっしゃれば分かる。」
そう言うや、秀原は石段を登りきる。
半兵衛も、続けて辿り着くや一一
「こ、これは!?」
思わず声を上げる。
それは、金色に輝く小さな堂であった。
「こ、金色の……堂?」
「さよう、この中に祖父の廟がある。これに使われておるのが、あの金山にて数多産み出される金よ。」
秀原は誇らしげに言う。
「こ、金でできているのか……? なるほど、これだけあれば富としては事足りるな!」
「否、金だけではない。駿馬もこの地が産むもの。これらを供物として都に送り帝へ恭順の意を示し、また我らのこの地を支える源とすることで、この奥州の地は繁栄を寿いでこれたということよ!」
「なるほど……な。」
秀原の力の入りし話に耳を傾けつつ、半兵衛は再び金色の堂を見る。
それは秀原の一一ひいては奥州氏原氏の誇りを形で表せしがごとく、輝く。
「まあ、これが……俺が奥州について調べたこと、かな。」
「ううむ、半兵衛よ……それは既に私も知っておること! もう少し他のことはないのか?」
清栄は苦々しく言う。
奥州は金と馬を産する所とは、清栄のみならず、並みの者ならば誰もが知ることでもあった。
「ええ〜……うん、それじゃ」
次に半兵衛は、蝦夷の長との戦いについて話す。
「なるほど……それは、半兵衛自らには大きな傷はなかったことをよしとしよう。……ではない! もう少しないのか!」
「いや、だから言ったじゃないか! 助けになるようなことは何もないって。」
半兵衛は答える。
大きなことといえば、白布らとの誓いのことであるが。
さすがにこれは、清栄にも言うわけにはいくまい。
「……うむ、分かった。今はそれでよい。……ん? 半兵衛、一つ聞いてよいか?」
「え?」
半兵衛の話に呆れ顔であった清栄であるが、ふとこう尋ねる。
「その、蝦夷の長の珍妙な刀……妖に折られし後に、継ぎ合せるよう頼んだと言っておったな。それはもしや」
「ああ、案じなさんな! 妖喰いになるなんてまずあり得ねえから。」
「何? 何故そう言い切れる?」
清栄は訝しむ。
実を言えば、半兵衛もそのことを気にかけていたのであるが。
「百鬼夜行の後に生まれた妖喰いは、確かに元を辿れば妖に折られ継ぎ合された武具さ。しかし、その更に元を辿れば……その折られた武具には最上の魔除けが施されていたんだぜ? 」
「……さようか。」
「ああ、あの蝦夷の刀は、確かに形こそ珍妙だが魔除けの類は少しも感じなかった。そんなものが妖喰いになるたあ、思えはしないがな。」
「……うむ、そなたにしては道理であるな。」
「え?」
半兵衛は、今の清栄の言葉に少し引っかかる。
「おいおい、清栄さん。俺を侮るなよ?」
「否、侮ってなどおらぬ。……戦の腕はな。」
「な……その他は侮ってんのかい!」
「ああ、少々な。」
「うん……くう、なんか落ち込んできたぞ。」
半兵衛はやや心が沈む有様を感ずる。
確かに、学がないことは気に病まぬことでもなかったのだが。
「まあそう落ち込むな。次はより、よい報せを待ち望んでおるぞ半兵衛。」
「え? あ、ちょい」
殺気のつながりは、清栄も刀を鞘に納めれば断てるようにしている。清栄はそれにより、つながりを断った。
「……ったく、清栄さんは俺をそう見てたってか。……まあいいや、さあて次は……」
と、半兵衛が取り出せしは。
刃笹麿より授けられし、あの折鶴の式神である。
「ごっほん! ……あ〜、もしもし? はざさん、聞こえるかい」
「聞こえるかい? ではございませんぞ、主人様! 主人様が奥州に行かれて幾日経ったとお思いでしょうか!?」
「うわ! ……義常さんが何で真っ先に答える?」
半兵衛は、呼びかけに応じし者が義常であったことに驚くが。
さておき。
「ああ、半兵衛……いや、私も申したであろう? 行きてすぐに知らせよと。」
「はざさん……いや、すまないな皆。こっちも着いて早々に色々と厄介事があってさ。」
脇から刃笹麿が話をし。
半兵衛はもごもごと言い訳をする。
しかし、皆の話はそれでは終わらず。
「色々と何があったにせよ……誓いを破らぬことこそ侍たる者の務めではございませんか!? それをこうも遅らせるなどと」
「いや、だから……それは謝って」
「謝ってすむのであれば検非違使などいらぬぞ、半兵衛! まったく、そなたはいつもいつも」
「え? 広人! また我が物顔でうちの屋敷にいんのかい!」
「いやいや、広人殿はもう半兵衛の従者のようなものであろう?」
「さすがは夏殿、よくお分り……でない! 私があのような者の従者などと、誰が」
「だあ! 兄者たちばかりお話しするなどよろしくないぞ!
半兵衛様、そちらのおかずはどうですか?」
「え!? おいおい頼庵、またそれかよ!」
「そうであるぞ頼庵! さようなつまらぬ話を」
「ええい、そなたら一度は黙らぬか!」
好き勝手に半兵衛に話す妖喰い使いたちを、刃笹麿が窘める。
「わ、分かったよはざさん……そんなに」
「いいや、言って然るべきであろう? 半兵衛、今都では……もが」
「へ?」
刃笹麿の言いかけし言葉を、半兵衛は訝しむ。
「都で、何だって?」
「な、何でもありませぬ主人様! ……それよりも、何かないのですか? 楽しいお話しなどは!」
「え、何だよ? にわかにそんな」
「いいではありませぬか! そちらに行って戦、戦ばかりではお疲れと思いますし。」
「ん……なるほどな。」
半兵衛は、ただならぬ様を感じ。
尚も訝るが。
「そうだなあ……白布ちゃんていうかわいい子がいてよ、楽しい話としてはそれかなあ。」
「な、女子のお話しですと! な、何と!」
「あれだけ浮きし話もなき半兵衛様に、女が!」
「な……お、女!? ……待て、早まるな半兵衛! ……話を聞くには、心の支度というものがあってな……」
「くう半兵衛! そなたよくも私より先に!」
「いやいや待ってくれよ! 皆勝手に盛り上がりすぎだぞ!」
「なるほど……半兵衛殿、そのお話、私にもお聞かせ願えませぬか?」
「!? この声は!」
半兵衛は、式神の向こうより聞こえし声に驚く。
「中宮、様! ……の、侍女さん……」
危うく口に出かかり、何とかごまかすが。
無論、声の主は氏式部にあらず。
中宮その人である。
「ん? ああ、中宮様もそなたのことは気にかけてくださっているご様子でな。わざわざ氏式部殿を遣わして、こうしてそなたがどんな様か確かめてくれておるという訳よ。」
刃笹麿は半兵衛のただならぬ様に戸惑いつつ、氏式部が屋敷を訪れし訳を話す。
「ああ、そう……えっとな、違うんだよ中宮様! 皆が勝手に騒いでいるだけで、俺は白布ちゃんとどうこうしようなんて下心はない! だから、こっちで帝の顔に泥を塗るようなことはないから!」
「うむ……半兵衛? 中宮様はここにはおらぬが?」
「……と、氏式部さん。中宮様によろしく!」
ついには取り乱し、氏式部が中宮の変わり身であることをばらしかけるも半兵衛は何とか取り繕う。
「さ、さようか……?」
「あ、ああ! そうだ、少し話しすぎたな、じゃあまた」
「あ、主人様」
半兵衛は勝手に、式神を仕舞ってしまう。
「半兵衛、半兵衛!」
刃笹麿は問いかけるが、返る答えはない。
「まったく、主人様は相も変わらず……」
「それはそなたもであるがな、義常殿。」
「……今の都のことについて、主人様にお話ししてどうせよというのかお聞きしたい、阿江殿。」
刃笹麿の言葉に、義常は少々苦々しげに彼を見る。
たちまち場は、ぴりぴりとする。
「兄者、少し」
「阿江殿、今主人様は北の任に付かれておろう? そんなお方にどうせよとおっしゃるのか、帰って来いと?」
「そうであるな……私は、今の都の有様が、そなたらでは手に負えぬと思えば、そう半兵衛に申して連れ戻してもよいと考えておる。」
「!? そこまで言われるか!」
元より危なげであった二人の話は、もはや火のつきしがごとく更に危なげになっていく。
「まあまあ二人とも! ……阿江殿、ここは私も、義常殿のおっしゃる通りだと思うぞ。半兵衛も今の有様を伝えし所でそこまで早く戻って来られるわけではないのだからな。」
「……さようであるな。すまぬ、皆よ。少々取り乱してしまった。」
「……いや、私こそすまぬ。阿江殿。」
広人の仲立ちにより、どうにか危なげな様は脱する。
「……氏式部殿は、もう帰られたか。……中宮様も帝も、今は内裏の中に目を光らせていらっしゃる。さような時に半兵衛を北になど……まさか」
刃笹麿は考え込む。
何者かが、半兵衛をわざと都より遠ざけているとすれば一一
「まったく……中宮様には正しく伝わるといいがな。……あれ? そういやはざさん、都が今何とか言ってたっけな。都が何だろ? ……おおっと、鐘の音か! いけねえ、早く行かねえと。」
翻って、半兵衛は。
都の今の有様など知る由もなく、白布と橋渡しについて話合うために蝦夷の村を目指す。
「……白布ちゃん、俺だ。」
「……お待ちかねでございましたよ、半兵衛様!」
「わっ、すまない!」
戸を開けるや、白布がふくれっ面であることに気づき。
半兵衛は続けて謝る。
しかし、次には白布は笑みを浮かべ。
「戯れでございます、すみませぬ半兵衛様。……さあ、半兵衛様。私、今宵はあなたに大事なことをお伝えせねばなりませぬ。」
「え? 何だい、いきなり。」
半兵衛は、戸惑う。
「半兵衛様。……私の、蝦夷としての真の名を当ててはくれませぬか? 仮の名はお教えいたします故。」
「え? 蝦夷としての名?」
半兵衛は殊更戸惑う。
頭が追いつかぬ。
「ああ、すみませぬ! 何と不躾な」
「いや、まあいきなり何って思いはしたが……蝦夷の名ってのは?」
半兵衛はようやく落ち着き、白布に問い返す。
「ああ、さようでございますね。まずはそこからお話しせぬば。……私たちは、元々蝦夷の言葉による仮の名と、真の名の二つの名を持っておりました。しかし、それも今この村では……我が祖母に名をもらった私や野代、刈吉をはじめとする若いものたちしか、持っておりませぬ。」
白布の言葉に、半兵衛は頷く。
考えてみれば、自らの言葉を持つ者たちはその言葉による名付け方を持つものであろう。
それに気づかなかったとは、半兵衛は自らの不徳を誹りたくなる。
「なるほど、蝦夷の言葉による名前は、白布ちゃんたちにとってかけがえのないものなんだな。それを言い当ててくれっていうのは、大事過ぎてすんなりとは教えられないってことだろう。」
「い、いえすみませぬ! さような意では……とにかく、ひとまず言い当ててほしいのです!」
白布は慌てつつも、強く言う。
半兵衛もそれには、居ずまいを正し。
向き合う。
「分かった。……しかし、その真の名っていうのは、仮の名が分かれば分かるものなのか?」
「はい。仮の名は、真の名を遠回しに表せしものが多いですから。」
「……承知した。では白布ちゃん。」
「はい。……ixennusirufu。ixennusirufuという意です。」
「なるほど……うーむ」
半兵衛は、頭を抱えるが。
さっぱり思い浮かばぬ。
「うーむ……すまん白布ちゃん、分からない。」
「はい……それでよいのです。」
「へ?」
白布からは、思いがけぬ言葉が返る。
それでよい、とは?
「すみませぬ、試すかのごとき差しでがましき真似を……しかし、これは我ら蝦夷が初めて名を教え合う時の儀ゆえ、どうぞもう少し」
「ああ、いや! そんな無礼とか思っちゃいないよ。……ただ、どういうことなんだい?」
半兵衛の問いに、白布は尚も続ける。
「はい。真の名は、仮の名より推し量り言い当ててはなりませぬ。……真の名は、名の持ち主がその口と心を持って教えぬ限り、力ある言霊を持たぬのです。」
「なるほど……てことは、言い当てなかった俺は?」
「はい。……私の真の名を、お教えいたします。」
白布は半兵衛の耳元へ、口を持っていく。
「し、白布ちゃん!?」
「無礼な真似、お許しください。」
「い、いや無礼とかじゃ……た、ただ」
半兵衛はひどく戸惑う。
耳元に、女の吐息が一一
「……半兵衛様。」
「……は、はい。」
「txatukxi。txatukxi、それが私の真の名です。」
「あ、ああ……ありがとう。」
白布は半兵衛の耳元より、そっと口を離す。
それにより、ようやく半兵衛も落ち着き払う。
「半兵衛様。……終いにもう一つお願いなのですが、私のこの真の名、黙っていてくださいますか? ……まあ、野代や刈吉、この村の人は大方知っておりますが。少なくとも、和人のお方でお教えした方は半兵衛様だけです。」
「お、おう! 何だ、俺は白布ちゃんの珍しい人になれたのか、そいつはいい!」
半兵衛は先ほどの白布の吐息に当てられしことを少し思い出し、落ち着きを装わんとあえて強く言う。
心なしか、白布も少し顔を赤らめておる。
「はい。……珍しい人、ですか……」
「え、え? 何だい?」
「い、いえ、何も!」
「そ、そうかい! ……ん?」
「? ……半兵衛様。」
半兵衛は少しおかしき様を感じ、紫丸を鞘より持ち上げ。
刃を見る。
が、さして変わりし様ではない。
「いや、すまない……とにかく、白布ちゃんとはまたお近づきになれたってことだ! いやー、よかったよかった!」
「いえ、そんな……お喜びいただけて光栄ですわ。」
白布の顔はまだ、少し赤い。
さような、白布の家の中をよそに。
家の外では、先ほどまで聞き耳を立てる者が。
「くう……白布、何故あのような男に自らの真の名まで!」
それは、あの直されし蕨手刀を携えし。
野代であった。




