后意
「光明って……何だよいきなり褒めてくれるなんて、どういう風の吹きまわしだ?」
半兵衛は自らの傷を庇いつつ、声を抑えて中宮に問う。
「ふん、何か他に思うところあってのことではない。私はひとえに、そなたを真に光明と思いしが故である。」
中宮は返す。
半兵衛は訝しげに中宮を見つめるが、やがて
「……傷を負った俺を見舞ってくれてるたあ、どうも。」
話を変える。
「ここに運ぶよう計らってくれたのも、中宮様かい?」
「ああ、そなたの身体は既にそなたのみのものにあらぬ故、丁重に扱わねばと考えてな。」
中宮は尚も半兵衛に労わりの言葉をかけるが。
「……用があんなら、手短に済ませるのがいいんじゃねえか?」
半兵衛はあたかもそのような前置きなど無用と言いたげに、つれない様で中宮に返す。
「……そなたをここへ運びしは父上の計らいに他ならぬ。私はただ、話があり参りしのみ。」
中宮も甘い言葉がこの男に響かぬと見るや、ようやく己が目的を語らんとしている。
「そなたに、頼みがあってな。」
「頼み?」
中宮は半兵衛を見つめ、切り出す。
「そなたはこれより帝のご意志に沿い、妖を喰らう任につこう。であるが、それのみにあらず……我が刃として、"影の中宮"を倒す任にもついてはくれぬか?」
中宮のこの言葉に、半兵衛は。
「影の、中宮?」
まずは疑問に思うことを尋ねる。
中宮は影の中宮について一通り話した後、
「……そのように恐ろしき者、我が前に、否、この内裏にあってはならぬ。今すぐ刃にて斬りぬべき。そうは思わぬか?」
改めて半兵衛に、問う。
「……心から、そう思っているんだろうな?」
問うているは中宮の方であるはずなのに、半兵衛はその中宮に問い返す。
「……何を、申したい?」
中宮もさらに問い返す。もはや問い合いの合戦である。
「言葉通りさ。中宮様、どうも見え隠れするんだよな。あわよくば自らの手は汚さないって心がさ。」
次は半兵衛は答えを返す。
「……そのこと、果たして何が悪しきことか。私は中宮、何故私が自らの手を!」
中宮は驚き、その勢いのままに言葉は、怒りをも帯びて出る。
「……腹が決まってねえってことさ。あんたは心から、その影の中宮を殺そうなんざ思ってねえ。いや、自らで殺せねえとすら思っている。」
半兵衛は鋭く中宮に目を向ける。
「な、何と! 戯言を抜かすな、私とてあのような者を!」
中宮も引かぬが、
「……揺らぎもまた、見え隠れしてるぜ。」
半兵衛は尚も中宮に目を向ける。あたかも心の内を、見抜かんとするが如く。
「ふん、分からぬ者め! これであるから下賤な者は……」
中宮は苦々しげに半兵衛より顔を逸らし、苦し紛れに言う。
「……そうだな、俺のような下賤な者に、中宮様みてえな貴いお方の気持ちなんざ分からねえな。だがなあ、中宮様よ、一つ聞く。その、影の中宮とやらが俺のいぬ間に、あんたを殺しに来たらそいつを殺せるか?」
目を合わせぬ中宮に敢えて目を合わせんとするが如く、身を伸ばし半兵衛は中宮に問う。
「……ふん、影の中宮がそのようなことはすまい!あのように影に隠れ、子飼いの妖を仕向ける他に能なき者に、何ができようか!」
中宮はますます半兵衛より顔を逸らし、言い放つ。
「……そうかい、ではあんたには従えねえな。」
半兵衛も中宮の調子に合わせるが如く、言い放つ。
「ふん、半兵衛! 既に聞き及んでおるぞ! そなたが人の変じし妖を、妖が盾とせし人に構わず妖を、躊躇いなく殺し申したとな! 」
中宮のこの言葉には半兵衛も、やや目をそらす。
「 それにより私は、そなたが人を躊躇いなく殺しうる者と見ておったが……もしや人を殺せぬのではないか? 妖であったが故に殺せたのであろう! 」
中宮は尚も、続ける。
「 ……半兵衛、そなたも所詮は、影の中宮を殺すことなどできぬということじゃ。」
中宮はしたり顔で言葉をぶつけ、半兵衛を微笑みつつ見下ろす。
「そなたとて、人を殺す腹など決まっておらぬ癖しおって!」
追い討ちとばかり、中宮はまたも半兵衛を責める。
「……そうだな、俺も人を斬らなくて済むならばそれでいいと、そう考えている。」
半兵衛は先ほどの威勢はどこへやら、すっかり気を落とした様である。
「ふん、私に向けし無礼此度は許そう。しかし時間を徒らに過ごしたな……まったく、所詮は使えぬ者め……」
まだ半兵衛に対し恨みの晴れぬ中宮はこう続け、もはや長居は無用とばかり、御簾のすぐ傍らの襖を開け、部屋を出て行く。
中宮が半兵衛の寝る部屋より出てそのすぐ後、中宮の部屋。
にわかに庭の方の襖が破られ、月の光が覗く。微睡みし"中宮"は、その様に怯える。
「この時をどれほど待ったか……あの妖喰いの使い手が倒れし今、この女をここで殺めるに絶好の機である!」
庭の方の人影より、女の声がする。
人影の方より月の光が射しておるため始めは誰と分からなかったが、やがて月が雲隠れにし後、その姿は明らかとなった。
狐の面と鎧を身につけ、袂より覗く女の着物の袖を翻し佇む者――それは今まで見たことなきものであるが、"中宮"は、それが何か悟る。
「影の、中宮……!」
時は半兵衛が妖と刺し違え、傷を負い倒れし頃に遡る。
自らの放ちたる山猫の、喰われし様を見届ける者がおった。
その"影"より妖を見届けし者ーー女御冥子である。
「ふうむ、あの広人という男ーーあの妖喰い使いに付き纏い我らが助けとなったか……父上のあのお言葉、やはりその通りであった……!」
女御は高らかでありながら、静かな笑いを上げる。
「ふうん、あの妖喰い使いが広人ゆう男と共にいる時を狙うたら、より仕留めやすくなるっちゅうあの言葉のことですか?」
傍らの醜き男、向麿は女御に問う。
「さよう、そして今あの男が倒れしということは……いまこそあの女を斬り捨てる絶好の機ということ……!」
女御は目を、爛々と輝かせる。
「父上に申し上げておけ、今宵この影の中宮が、光たる中宮を討ち、真の中宮となる!」
向麿に女御は、高らかに叫ぶ。
そうして、"中宮"を討たんと影の中宮が部屋を襲いし時。
部屋には"中宮"の他は、誰もおらぬ。いつもは侍っておるはずの侍女の姿すらない。
「ふん、自らを守る刃も無き時に、なんとのうのうとした様よ……!」
影の中宮は思わず言葉を漏らす。
面により声はくぐもり、"中宮"には誰の声か分からぬ。
「まあよい、誠に今宵は全ての風がこちらに吹く時ということよ……!」
影の中宮はーーこれまた面により見えぬがーー笑みを浮かべる。
顔は見えぬとはいえ、"中宮"も影の中宮の声より、笑っておることは分かる。今噂に聞きし者を目の前に、"中宮"は死を感ずる。
「さあ、今地獄へと送らん……!」
影の中宮は刃を鞘より抜き、"中宮"に向ける。
と、そこへ。
光の如き速さで、中宮の部屋に迫るものが。
「おりゃあ!」
それは中宮の部屋に入るや、凄まじき勢いにて影の中宮に刃を振り下ろす。
影の中宮は自らの刃で受け止めるが、にわかに割り込みしそれを見るや驚嘆の声を上げる。
「一国、半兵衛……!」
目の前にいるは傷付き臥したるはずの妖喰い使いである。
「来ると思ってたぜ!」
半兵衛は影の中宮へ、尚も斬り込み続ける。
「見くびるな!」
影の中宮も半兵衛の刃を尽く受け止め、打ちはらい間合いをとる。
「……ほう、こんな使い手とは思わなかったぜ……」
妖を幾度も斬り伏せし半兵衛も驚嘆する、影の中宮の剣の腕である。
「刃がまったく響かねえ。あんた、人か?」
妖の前ならば青く光ろう刃の変わらぬ様を見て、半兵衛が問う。
「ならばどうした!よもや、人は殺せぬと申すのではないな?」
影の中宮がそのくぐもりし声を上げる。
「……そうだな、俺に人は斬れねえ。」
半兵衛がわずかに目をそらす。
それを好機と、
「隙ありである!」
影の中宮が迫る。
「だがなあ!」
半兵衛の刃は中宮の刃を受け止めたばかりか、力強く打ちはらう。
「……! く、先ほどよりも強く……」
押されし影の中宮は、半兵衛に驚嘆する。
「俺はこの場で、あんたを殺す腹を決められるぜ?」
半兵衛はにたと笑う。
影の中宮は少し慄きし様を見せるが。
「そうか、それはよい!」
再び、半兵衛に迫る。
「そなた、傷はいかに? あれほどの深手を負いながら、よもやもう治るなどあるまい?」
半兵衛と再び刃を交え、影の中宮が問う。
「その、"よもや"ってえ奴だな!」
半兵衛が影の中宮の刃を打ちはらうが、影の中宮はすかさず再び食らいつくがごとく刃を向ける。
「何と! そのようなことある訳が……」
「自分の目に映りしままってえ奴さ!」
半兵衛が高らかに唱え、再び影の中宮と刃を交える。
「ふん、やはりそなたは生かしておくには我らにとりて危うき者……しかし一国半兵衛! 何故そなたは中宮などを守らんとする!」
「何?」
影の中宮は刃にも声にも力を込める。半兵衛はその影の中宮の言葉に問いを投げかける。
「何が言いたい?」
半兵衛は問いとともに、刃を影の中宮に向け叩きつけんとする。
「中宮とは確かに、帝の后において最上の位にあるもの。
であれ后とは、他に代わりの多くあるもの。然るに……死んでもよき者である!」
半兵衛の刃を軽くいなせし影の中宮は、お返しとばかりに自らも力強く刃を振り下ろす。
「……そうだな、なら俺が戦う道理なんてねえってことよ。」
自らに振り下ろされし刃を半兵衛は躱し、そのまま自らも攻めに打って……出ず、刃を引く。
「何故そうあっさりと引く! 何を企んでおる!」
あまりに素直すぎる半兵衛を見し影の中宮は、呆れも混じりこの隙を突くことも忘れ、守りに入る。
「言葉のままさ。ほら、そこに隠れてる奴! 確か侍女だろ? なら俺より、あんたが中宮様を守ってやれよ!」
半兵衛が声をかけるや、隣の空きし部屋より"侍女"が出る。
「……!? そなた、いつの間に……?」
影の中宮も気付かぬ様であった。
「ほら、俺の刃を譲る。次はあんたと、影の中宮との問いだ!」
半兵衛は既に鞘に収めし刃を、"侍女"に向け転がして寄越す。
「何を考えておるのだ! 汝ら示し合わせているのだろう!」
半兵衛が刃を捨て、目の前に"中宮"と"侍女"がただ震えるのみと、そのまま見れば好機と呼ぶ他なき様であるが、もはや影の中宮の目にはそう映らぬ。
あるはただ、ひたすらに謀られるを恐れし心のみ。
"侍女"は震えながらも自らに寄越されし刃をとるがーー鞘より抜くには至らず、刃を抱え震えるのみである。
「……来ぬか、よくも私にそのような見苦しき様を!」
その様を見し影の中宮は、ようやく好機と気付き獲物を狩らんと迫る。
と、そこへ。
横より影の中宮を、一振りの刃が襲う。
刃を取るは一国、半兵衛。
「おのれ、謀ったな!」
かろうじて迫る刃を受け止め、影の中宮は怒りに声を震わせる。
「……申し訳ねえ、さっきまでは心からあんたと、"侍女"をやり合せるつもりだったんだがなあ、あの様を見て気が変わったて奴よ!」
半兵衛は笑いも交え、尚も影の中宮に振り下ろせし刃に力を込める。
「…おのれ、おのれおのれおのれ!! もはや中宮などまたの機でよい……一国半兵衛! 私を騙せし報いしかと受けよ!」
影の中宮は狂うほどに怒りを身に纏わせ、力任せに半兵衛の刃を押しのけるや、その身を二つに斬らんと怒涛のごとく迫る。
相対する半兵衛は静かに刃を構え直すや、これまた静かであるがはやき動きにて影の中宮に迫る。そのまま彼我の刃は、空にて交わるがごとく競り合い。
刹那、二人の影がすれ違う。
「……くっ、……」
痛みに悶えし声を上げるは、影の中宮である。
右の腕より血が、ほとばしり流れる。
「あの山猫を使った時、偽の札を掴ませたんはなかなかだったが……相変わらず横に隙が出来すぎだよなあ。」
半兵衛は傷などなき様で、笑いながらに刃を収める。
「……私に、このような辱めを!」
影の中宮は腕を押さえながらも、尚も衰えぬ怒りに身を、刃を、声を震わせる。
「……あんたも腹は決まってんだろ? なら、一手"死合う"としようぜ!」
半兵衛は再び、鞘に収めし刃に手をかける。
しかし刹那。
「手負いとあっては、早く退くに越したことなしやで!」
影の中宮とはまた違うくぐもりし声が響く。そして庭より土が手の形となり出でて。
そのまま影の中宮をさらう。
「な、何をする! 今こそこの辱めを……」
影の中宮はその言葉も虚しく、土の手により庭の地の中へと消える。
「……替え玉たあ、中々やるじゃねえの中宮様。影の中宮に襲われてもいいように、ってか?」
未だ震える"中宮"ーーにではなく、半兵衛は"侍女"に問う。
「……気づいておったか。」
"侍女"、否、中宮は半兵衛を苦々しげに見上ぐ。
いつからこの男は気づいておったのか、私と侍女の入れ替わりしを。
「……思った通り過ぎだったぜ、中宮様。刃を構えるどころか、震えるのみとはな。」
半兵衛はそのまま部屋を出んとする。
「待て! 私は……刃など取りしことはない……故に」
「言い訳なんざ聞きたくねえ。」
半兵衛を呼び止めるが如く声を上げかけし中宮に、半兵衛は背を向けしまま静かに返す。
「……何はともあれ、中宮様。あんたの腹は常にも、その場にも決められぬってこった。俺と違ってな。」
半兵衛のこの声からは、いかなる心も読み取れぬ。
ただ言葉を吐き出すのみといった様に、中宮は目を落とし、ただただ座りしのみ。
「……案ずるな、守ってはやっからよ。ただ、影の中宮を殺しには……行けねえ。」
半兵衛は背を向け、言葉の様はそのままに部屋を出る。
中宮と侍女が呆けておったはどれほどの間か、先ほどの騒ぎを聞きし内裏中の者たちが部屋へと参る音に、ようやく気が付いたのであった。