白布
「なるほど……どうやら神や仏は俺を休ませる腹はないらしいな。」
馬にて駆けつつ、半兵衛は言葉を漏らす。
半月ばかりはるばる京から奥州に来て、まだ二日目である。旅の疲れなどはまだ抜けておらぬ為かだるさを感ずる。
「とはいえ、戦は待ってくれないってか……!」
半兵衛は再び目を擦り、先を急ぐ。
「半兵衛殿、よろしく頼みますぞ……!」
斜め前より、同じく馬にて駆ける秀原がちらりと半兵衛の顔を見て言う。
「ああ、無論だ! ……ただ、昨日言い忘れたことが。」
「何ですかな?」
秀原の問いに、半兵衛は答える。
「……妖喰いの力は、あくまで妖にだけ向ける。蝦夷の軍勢は、秀原さんたちの方でどうにかしてくれ!」
「うむ、帝からもそれは聞いておる。……心得た。元より、妖は我らでは手に負えぬが故にお越しいただいたのであるからな。」
「……ありがとう。」
顔をしかめられると思っていた半兵衛は、秀原の言葉に胸をなでおろす。
もっとも、未だに引っかかることはあったが。
それは、清栄に言われしあの言葉が元であると半兵衛は考えていた。
その言葉とは一一
「半兵衛殿! 間もなく戦となります!」
半兵衛の考えは、再びの秀原の言葉により遮られる。
「ああ、承知した!」
半兵衛は頭を切り替え、戦に臨む。
「ようし、じゃあ……おっと!?」
馬にて駆ける半兵衛の前に、にわかに大きな影が躍り出る。驚いた馬も、にわかに立ち止まり暴れる。
「ああ、もう! いい子だから大人しくしてろ!」
半兵衛が馬を宥めることに四苦八苦していると。
やはりこれを好機と目の前の大きな影は、たちまち右腕を半兵衛めがけ振るう。
「くっ! いきなり容赦なしってか、まあ当たり前だけどな!」
すんでの所で馬より飛び降りし半兵衛は影一一妖の攻めを交わす。
妖の名は、スムグウクアイ。
毛むくじゃらの山男のごとき見た目である。
「半兵衛殿!」
「ここは引き受けた、秀原さん! そっちは早く蝦夷の方を」
「心得た……かたじけない!」
秀原は前を向き、後ろの兵にも前へ進むよう命じる。
しかし後ろの兵たちは、スムグウクアイに阻まれそうになる。
「あんたの相手はこっちだ!」
すかさず半兵衛は、スムグウクアイに斬りかかる。
が、躱される。
「くっ……しかし確かめなきゃならないことがあるな!」
半兵衛は念じる。
妖の中より気配を感じとらんとする。
妖は人により操られている。
となれば、蝦夷たちがどう妖を得たかなどということに心当たりは一つしかない。
「! やっぱりあったか!」
はたして、半兵衛は妖の中に妖傀儡の札を見つける。
やはり、鬼神一派の仕業である。
「こんな北まで遠出とは、精が出るな!」
半兵衛は言いつつ、スムグウクアイに再び斬りかかる。
此度はスムグウクアイは避けず、腕にて受け止める。
と、その刹那。
「くっ! おうやこれは!」
半兵衛が驚く。
見れば、妖の腕より鋭い爪がにわかに生える。
「脅かしやがって……でもな!」
半兵衛はそのまま、妖の腕を斬り払い。
がら空きとなりし妖の胴を、真っ二つにする。
たちまち妖は、札まで斬られ血肉となり紫丸を染め上げる。
「ふう……思いのほか呆気ねえな。」
「半兵衛殿、すまぬ! こちらもお願いする!」
「!? 秀原さん!」
秀原の言葉に、その方を振り向き見れば。
スムグウクアイが一つ、二つ、三つ一一数多現れ氏原の軍勢を襲う。
「俺が行く! 斬るまで、できる限り持ち堪えてな!」
「心得た!」
「えい!」
半兵衛は素早く馬にて駆けつけ、スムグウクアイを一つまた一つと斬り伏せる。
「おお……何ということか! 我らでは手も足も出ぬ様であった妖共が、かくも容易く……!」
氏原の兵らは、驚嘆の声を上げる。
「さあ、今こそ好機じゃ! 蝦夷の兵共を打ち倒せ!」
「はっ!」
妖は半兵衛に任せ、氏原の軍勢は先を急ぐ。
「ixefxouhaxungu nyxeuxa、gxeixa uxai utxo mxigu ugxeryxu hyxa nyxan! haxo tsxi fxagxe」
「ixetu munwxamyxun ywxo、gyxonhyxu! ixon、uxai utxo tsxi fxasxo-rigyxonhyxu hyxun ywxo?」
氏原の軍勢より少し離れた、蝦夷の本陣にて。
蝦夷の指導者・イエフオウハウングは怯える従者を諌めていた。その顔には、入れ墨があった。
「tu、txu gyxosi! gxeixa utxo txaixongu myxomyxun ixufu、uxai utxo一一」
「txamyxomyxun! ixori gxeixa txahyxoryxugu gxe!」
尚も怯える従者に、イエフオウハウングは残りの妖も出すよう命ずる。
「ixu……bxomi nyxa! ixa hyxa ixufu yxisxosxa utxo gxeixa tsxi txasxogxeryxu hyxun gyxosi……txu ryxurxa utxo haxi txanwxu!」
先ほどは従者を宥めていたイエフオウハウングであったが、紫丸という思いがけぬ客人には思わず、悪罵が漏れる。
「半兵衛殿!」
「待ってな……斬ってやるから!」
半兵衛は乞われるままに、妖スムグウクアイを次々と斬り倒す。
「なるほど、群れりゃあ中々に大敵だが……あの鬼神には及ばないな!」
「ふうむ……秀原様。」
「ふふふ……聞きしに優るな、妖喰いとやらは!」
向かう妖を次々と斬り伏せる半兵衛に、秀原は何やら含みのある笑みを浮かべる。
「皆、進め進め! これで道は開かれた。蝦夷の長の首のみを狙え!」
笑みをすと真顔に戻し、秀原は再び進む。
「ixefxouhaxungu nyxeuxa!」
「bxomi……fxasxoyukyxarxan!」
妖は全て倒され、向かい来る軍勢に。
イエフオウハウングは未だ、退かぬ様を見せるが。
「……sunxon sxogugxe ixe! sunxon sxogugxe……」
「!? haywxo、txu syxu ixu utxo!」
にわかに聞こえし女の声に、驚く。
しかし、この声には聞き覚えがあった。
その声の主を思い出せし時。
「……yukyxarxan ixe in!」
「nyxeuxa!?」
「yukyxarxan ixe in!」
「……uximyxun。」
イエフオウハウングは、退け時を告げる。
だが。
「ixotiri……yxisxosxa fxakxinwxogyxonhyxu ixufu myxomyxun……!」
その目には、憎しみが。
「何じゃ……蝦夷の奴らめ、尻尾を巻いて逃げて行きますぞ!」
「ふははは、半兵衛殿に恐れをなしたか、腰抜け共め!」
氏原の軍勢が見る先には。
先ほどまで妖の後ろへ控えていた蝦夷たちが、次々と退いて行く様がある。蝦夷たちは間もなく、誰もいなくなった。
「……皆、大儀であった! これより平泉へと戻るぞ!」
「エイエイオー!」
秀原の叫びに、兵たちは勝鬨にて返す。
「いやあ、かたじけない半兵衛殿。来て幾分も経たぬうちに。」
「いや、いいよ。戦は待ってくれないっていうしな。」
「ははは、今宵も祝いをしなければなりませぬな!」
「え? 昨日の今日でまたやるのか?」
半兵衛は驚く。
「さよう、今日はまたこのお祝いをせねばならぬではないですか。」
「あ、ああ……まあお手柔らかに……」
「は、半兵衛殿! あれを!」
「え? ……な!」
秀原と半兵衛の話は、兵の一人に遮られ。
半兵衛がその声に振り返るや。
遠くに。
何と、先ほどの妖が一つ、見知らぬ人を追い回す様が。
「くっ、行かないと!」
「は、半兵衛殿!」
「案ずるこたあない、すぐ戻る!」
半兵衛は一人、妖に追われし人を助けに行く。
「半兵衛殿!」
「待て! あれしきの妖、半兵衛殿お一人で事足りるであろう。我らはそれよりも、まだ潜んでおるかもしれぬ蝦夷の残党を探すぞ!」
「はっ!」
秀原は半兵衛を追わんとせし兵を止め。
自らは次にあるかもしれぬ戦に備える。
「くっ! さっきから思うが、この馬は足が速い! そう言えば奥州は、駿馬を産すると聞いたことがある……よし、これならあの人を救えるぞ!」
半兵衛は一人で話しつつ、馬を駆る。
そうして、思ったよりも早く。
先ほど妖がいた辺りに至る。
「妖い! どこだ! 追われている人も、大事ないか!」
「うわあ!!」
「!? あっちか!」
にわかに聞こえし声に、半兵衛は馬の向きを変え再び駆る。
「! いた、あれだ!」
見れば、先ほどの妖スムグウクアイが。
顔はよく見えぬが、女を襲っておる。
「野郎!」
半兵衛はすかさず紫丸を引き抜き、妖の後ろより斬り裂く。
妖は、振り向く間も無く。
たちまち血肉となり、紫丸に嵐のごとき咆哮と共に吸い尽くされる。
「怪我はないかい、嬢ちゃん……!」
「は、はい……え?」
半兵衛は手を差し伸べかけ、半ばで止まる。
目の前の顔は、見まごうことない。
この顔は。
「し、白布……ちゃんだっけ?」
「は、はい……一国、半兵衛様……?」
あの踊り子、白布であった。
「ああ、半兵衛でいいよ。……いや〜、こんな所で会えるとはな! ……ん? そもそも何でここに?」
「は、はい半兵衛様……ええ、これは」
「!? 危ない!」
「え……?」
半兵衛は白布を押しのけ、その後ろより迫る妖スムグウクアイの右腕を受け止める。
「あ、妖……!」
「案ずるな白布ちゃん! こいつは群れりゃあ大敵だが、一つなら」
と、その時である。
にわかにスムグウクアイの右腕の力が強まり、半兵衛とは鍔迫り合いとなる。
「くっ! 何だ、中々」
その刹那。
スムグウクアイの腕より爪が、にわかに生え。
半兵衛の身体を、貫く。
「ぐはあ!」
「半兵衛様!」
「……なんてな!」
半兵衛は一時、苦しげにしつつも。
爪を引き抜き、そのまま紫丸にて妖を真っ二つにする。
たちまち妖は、血肉となり紫丸に喰われし。
半兵衛はそのまま、紫丸を納刀するが。
「ははは……ったく、大敵は俺の中の侮りとはな……」
そのまま、倒れ込んでしまう。
「半兵衛様、半兵衛様!」
白布は半兵衛に、駆け寄る。
どのくらい、時が経ったか。
半兵衛は目を覚ます。
ここは一一
奥州氏原の屋敷、ではなさそうである。
と、襖を隔て隣の部屋より。
節をつけた声が、聞こえる。
老婆の声にて。
そして、何より。
「……kyxautu utxo……」
「(!? これは)」
訳の分からぬ言葉。
この北の地で、解せぬ言葉など一つしかない。
「蝦夷の言葉か……!」
が、半兵衛は自らの声にはたと気付く。
心で発したつもりが、いつの間にやら漏れていた。
が、時すでに遅し。
たちまち隣の部屋では、声が止み。
襖が勢いよく開けられ、人影が躍り出る。
「!? なっ!」
人影は半兵衛に覆い被さり。
小刀を突き立てんとする。
「くっ……なん、で……」
半兵衛は驚嘆する。
何故なら、目の前にあるのは。
いつもの美しき顔が怒りに歪んだ、
白布であったからである。