大義
「父……上!」
刃笹麿は三途の川のほとりにて、叫ぶ。
話は、刃笹麿が夢の中にて彷徨っておった頃に遡る。
三途の川を彷徨いし刃笹麿は、向こう岸に父・瑠璃麿の姿を見る。
「父上……父上ー!」
刃笹麿は声の限り叫ぶ。
よもやかような所で、相見えようとは。
「陰陽師よ。」
「……分かっておる。しかしすまぬ、死神よ。……ほんの少しだけでよい、外してはくれぬか?」
死神綾路の咎めるが如き目を横目に、刃笹麿は恐れ多き様にて乞う。
「ふむ。……それは私では決められぬな、十王に確かめて来ねばなるまい。しばし待て。」
そう言うや綾路は、外す。
いや、この場は外してもよいか確かめるために外しては、いかぬのではないか?
刃笹麿はもやもやとしつつも。
改めて向こう岸の、父を見る。
「父上……私は、この刃笹麿めは! あの時父上が亡くなることを知りながらも、それを変えることができませんでした! この不孝者を許せとは申しませぬ! 私は」
そう言うや、三途の川の縁に足をかけ。
今にも川を、飛び越えんとする勢いである。
「いかぬ、刃笹麿! 止めぬか!」
瑠璃麿は刃笹麿を、きつく叱り止める。
刃笹麿は我に返り、その場に糸の切れし傀儡の如くへたり込む。
「父上……私に生きろと」
「そうじゃ、刃笹麿……そなたに今死なれては困るのじゃ。」
「父上……!」
刃笹麿は涙を流す。
そう言えば死にかけし時に、三途の川の向こうにかつて先に逝きし親などと会ったが、ここへ来るなと言われ目が覚め、死を免れたという話を思い出した。
親思う心に勝る親心というが、誠に一一
「父上……ん?」
そこまで考えかけ、ふと首をかしげる。
父の言葉に引っかかったからである。
今死なれては困る?
「父上、それは一体……」
言わんとせしさなかである。
たちまち瑠璃麿の背より、ひょっこりと人影が顔を出す。
「じ、じじ上! ひいじじ上!」
明久、吉原も現れた。
「さあ刃笹麿! そなたにはわしらを蘇らせるという大役があるんじゃ! こんな所で死んでおる場合ではないぞ!」
「さようじゃ! さあ、刃笹麿!」
「な……な……」
(刃笹麿が生まれし時には既に世を去っておった吉原はともかくも)久しぶりに会ったというにそれを懐かしむこともなく自らの望みのみをまくし立てる明久に。
刃笹麿は。
「……承知いたしました。」
「ほほう? ほほほほ! 出来したぞ我が孫よ! 皆喜べ!」
「ははは、さすがは我らの子ですな!」
「……霊魂降伏」
「……何???」
「……式神招来、急急如律令!」
「な、何を! この父不孝者めがーー!!」
たちまち彼らの魂を、式神にしてしまう。
「……ひいじじ上、じじ上、父上も、少しは懐かしむということを覚えてください!!」
刃笹麿は、すっかり怒り心頭である。
「……戻ったぞ。やはり見張っておけと。何やら十王の顔に青筋が浮かんでおったが陰陽師、あれは……あ?」
死神綾路が戻りし時には、時すでに遅し。
そして、今に至る。
今一一まさに宵闇の力が暴れ、鬼神・長門道虚が大いに苦しむ、今この時に。
「さて、この落とし前は如何にせん、陰陽師?」
それを尻目に、綾路は話を進める。
「それは、誠に申し訳ない。……くっ、まあそれは」
言いつつも刃笹麿は、結界の外に迫る宵闇の殺気に耐える。
綾路の力により勢い余りし宵闇は、今纏う主人・鬼神の身を蝕むのみならず、刃笹麿や半兵衛ら、妖喰い使いにも迫りつつあった。
刃笹麿は何とか、半兵衛らを囲む結界の眼前にて新たに他の結界を張り防ぐ。
「くっ……死神にてあの宵闇を暴れさせるなどと! 兄上、どういたします!? 我らはまんまと乗せられ」
「うるさい! さようなことぐらい見れば分かるわ、この阿呆弟めが!」
「ぐ……ぐはあ!」
慌てぶりを見せる高无を、伊末は手を上げて黙らせる。
「影の中宮も、早く行かねば! それが分からぬかこの阿呆妹が!」
慌てる弟を咎めつつ自らも慌てる体たらくを見せつつ、伊末は横の冥子にも苛立ちをぶつける。
「恐れながら兄上、そうお腰の引けし様を躊躇いなくお見せいただくのはおやめくださいませぬか?」
「な……そなた、兄に向かってその言い草は何事か!」
「見て分かりませぬか? あの殺気が滾る中に飛び込んでは我らとて、深手では済まぬ目にあうやも知れませぬ! 今は隙を伺わねば。」
「ふん……その兄にも身の程を弁えぬ不遜さ! 今に見ておれ、この場でなければすぐにでも咎を受けさせていたものを!」
兄とは裏腹に冷ややかな妹に、伊末は負け惜しみのごとく言葉を吐き捨てるより他なし。
「さあ、咎を受けねばな?」
未だ激しく宵闇の殺気滾る場にて、殺気の他にも死神が迫る中。
刃笹麿も防ぐ結界の強き手ごたえに悶えつつ、努めて顔の色を変えぬようにし。
こんなことを、抜け抜けと言い放つ。
「さようであるな……しかし、死神よ。我が連れがあのような報いを受け、苦しんでおる。ここはそれにて、手打ちにはしてはくれぬか?」
「……!?」
刃笹麿のこの言葉には、後ろの結界にて守られし妖喰い使いたちが驚く。
我が連れとは、鬼神を指して言っておる言葉なのである。
「な……阿江殿! それは」
広人が言いかけ、半兵衛に口を塞がれる。
綾路はそれには見向きもせず、刃笹麿をひたすら見る。
「ほう、あの闇色の輩も、そなたの手の内の者なのか?」
「……ああ、さようだ。」
よくもまあ、言えたものである。
「くっ……!! おのれ、陰陽師……!」
「……承知した、望み通りに。」
「……すまぬな。」
「……しかし、咎としては足りぬな。もう少し強めねば。」
言うや綾路は、結界をすり抜け殺気の滾る中に顔色一つ変えず飛び込み。
そのまま宵闇を、より暴れさせる。
「ぐあああ!!!」
「うむ、これくらいでよかろう。」
「すまぬ、死神。私が犯した罪であるというのに……」
言いつつも刃笹麿の口元には、悪しき笑みが。
「……最も恐ろしいのは人ってか。」
さような様を後ろより見守りつつ、半兵衛は少しばかり身震いする。
無論、武者震いではなく恐ろしさ故であるが。
「心得た。では、魂は返してもらうぞ。」
綾路は既に、吉原ら三人の魂を従えておった。
「くう……刃笹麿よ、話がちと違うのではないか? 我らを蘇らせると。」
「ええ、短い間とはいえ再びじじ上方とお会いできたこと、誠に幸せにございました。式神という形でしたが、この私じじ上方のお望みを叶えられたものと誇りに思います。」
「いや……そこは人という形にてできぬか!」
吉原らは口々に、刃笹麿に物言いをする。
「すみませぬ……ご期待に添いきれず。しかしじじ上方、ここは掟にお従いください。」
「くう……親の心子知らずか!」
「さあ、行こう。」
吐き捨てるかのごとく言葉を残し、吉原らは綾路と共に消える。
「ぐっ……」
鬼神の叫びが、収まる。
たちまち闇色の殺気の滾りは、少しずつ収まっていく。
「……親の心子知らずならば、そちらは子の心親知らずではございませんか。」
「はざさん……」
もの悲しげに言う刃笹麿の言葉に、半兵衛はある思い出を思い起こす。
それはかつて、毛見郷の前に救えなかった村での、出来事であった。
「何でだよ……何で殺したんだ……母さん!」
半兵衛ははっとする。
親の心子知らず一一まさにあの時の自らであると。
いや、今もである。
自らは親どころか今目の前におる相手一一鬼神のことを何一つ、知らぬのではないか。
そう考えし半兵衛は、今一度腹を決め、刃笹麿に声をかける。
「はざさん。」
「ああ……遅くなったな、そなたら。」
刃笹麿は、張っておった結界を全て解く。
「ぐっ……許さぬ、許さぬぞ陰陽師い! よくも図りおったな!」
鬼神が立ち上がる。
敢えて力を抑えているのか、殺気の形は阿修羅を成していない。
それどころか、宵闇の殺気は大人しくなっており。
鬼神もかなりよろけ、ふらついておる。
「言ったであろう? 私は元より妖喰いの力など持ち合わせておらぬと! ならば陰陽師の力、何より……人ならば誰でも持っておろう頭を使い打ち勝つまでのことよ!」
刃笹麿は鬼神に、言い放つ。
「ぐっ……おのれえ!」
鬼神が吠える。
それと共に殺気が広がり、阿修羅の形を成すが。
形はまるで定まらず、揺らぎばかりを見せる。
「明らかに、弱っているな。」
「ああ……阿江殿のおかげじゃ!」
「これならば兄者、片を容易くつけられそうであるな!」
「いや、頼庵! 侮るべきでないぞ!」
「この夏も! あの鬼神を狩る!」
妖喰い使いたちは再び、鬼神と対峙する。
と、そこへ。
「鬼神様!」
「我ら、お力添えに!」
影の中宮と長門兄弟が、鬼神を守るかのごとく妖喰い使いたちの前に立ち塞がる。
しかし。
「無用である! ここは未だ我が戦場、そなたらの出る所ではない!」
「く! きっ、鬼神様!」
鬼神は六つの腕のうち、右肩の右腕、左腕、そして左肩の右腕にて影の中宮らを掴み上げ。
退ける。
「へえ……一人で事足りるってか、その傷で。」
「ふん……侮るな使い手共! 未だ戦は終わってはおらぬぞ、勝ったつもりになるな!」
半兵衛の言葉に鬼神は、吠え返す。
「主人様、まず我らが」
「まあ待ってくれ、まずは俺からさ。」
先に出んとする水上兄弟を制し、半兵衛が前へと進み出る。
「……何じゃ? そなたから先に逝きたいか。」
「……なあ鬼神さんよ、あんた方は何の大義があってこんなことをしてるんだい?」
「何?」
半兵衛の思わぬ問いに鬼神は、拍子抜けする。
「な、何を言っておる半兵衛?」
「そうですぞ、主人様」
「はざさんも皆も、黙っててくれよ! 俺は鬼神に訊いてんだからさ。」
問いを投げかけてくる他の者を制し、半兵衛は改めて鬼神に向き直る。
「ふん、そなたなどにそれを話して何とする?」
「そういえば知らないと思ってな。……あんたらは何の大義があるのか、そもそもそんなものがあるのか。」
「ふん……話すものか!」
半兵衛の問いを拒み、鬼神は未だよろけ殺気を揺るがせにしつつも構える。
しかし、半兵衛は臆せず、尚も進み出る。
「答えてくれ! じゃねえと戦の相手してもらってるあんたに向かって、無礼だと思うからさ。」
鬼神の顔をじっと見つめ、尚も頼む。
「くくく……はははは!」
鬼神は笑う。
その声は嘲りというよりは、面白いものを見し笑いになっていた。
「くくく……面白き奴よのう。よかろう、我らが大義は……この世を滅ぼし、妖と人が共に暮らす世を作り上げることよ!」
鬼神はついに、自らの大義を話す。
「なるほど……しかしそれなら、何で人を傷つける? 何で妖も札で操って傀儡にしてる? 妖と人が共に暮らす世を目指している者のやることたあ、どうにも思えねえが?」
半兵衛は鬼神に、問い返す。
「ふふ……そなたに分かるか? 今の世は人も妖も、邪な心に満ちておってかなわぬ! ならばそやつらを、この世諸共作り変える、これぞ我の望む所よ!」
鬼神は上を向き、高らかに叫ぶ。
「分からねえが……分かったよ。あんたらのしようとしてることは、俺たちとも、帝とも合わねえ! やっぱりあんたらは仇だ!」
半兵衛の言葉に、後ろの妖喰い使いたちも前に、進み出る。
「ふふ……だから言うておろう! そなたらごときに我が想いは解せぬ! ならばここで今一度、死合うとしようぞ!」
鬼神も傷つきし身体を押しつつ妖喰い使いたちと、対峙する。
「ああ……望む所さ!」
かくして、戦は再び始まる。




