狼煙
「ふん、粋がるな! 妖喰いの力もない身のそなたに、何ができようか!」
鬼神は目の先にいる陰陽師一一刃笹麿を睨み叫ぶ。
「ああ、確かに……しかし忘れたか! 私は陰陽師、元より妖喰いの力など持ってはおらぬ。であれば今こそ、その力のみにて抗うまでよ!」
刃笹麿は返す。
「ふん、戯言を! ならばよかろう……この宵闇の真の力、黄泉帰り早々冥途の土産としてそなたにくれてやる!」
「ほう、それはありがたい!」
「いかぬ、阿江殿! 逃げよ!」
鬼神は刃笹麿に、抑えられし空きの腕を振り払い結界を切り裂き。
そのまま空きの腕の刃の斬りを、刃笹麿めがけ飛ばす。
斬りは刃笹麿の目の前にて、大きな砂煙を巻き起こす。
「阿江殿!!!」
「待て……はざさんにはきっと考えがあるんだ!」
皆が刃笹麿の身を案ずる中、半兵衛は刃笹麿を信ずる。
「ふははは! 大ボラを吹こうと所詮は力無き者が……ん?」
その刹那である。
「ほう……冥途の土産か。ならばこちらは、冥土からの土産にてお返しいたそう!」
「何!? 生きておるのか?」
砂煙の中より、姿は見えぬが高らかに声が響き。
鬼神がそれに驚く間に。
砂煙は吹き飛ばされ、そこには。
「名乗り遅れた……これらこそ、我が曽祖父、祖父、そして父である!」
刃笹麿が無傷な様にて立ち、周りには三人の老爺の姿が。
「阿江吉原じゃ」
「阿江明久よ」
「阿江瑠璃麿と申す」
老爺たちは、刃笹麿の曽祖父、祖父、父の順に名乗る。
「なっ……はざさんのジジ上方ってか!」
「主人様、さようなおっしゃり方では……阿江家のご当主方ということか!」
半兵衛と義常も、驚きの声を上げる。
「さあて明久よ、我らは何とする?」
「さあ父上。それについては我が孫より話があるかと。」
「さようですな父上。さあ行かねば。」
「うむ、我がご先祖方。……一度黙っていただけますか?」
「ええい、騒がしい!」
鬼神は自らをさしおいて話をする刃笹麿らに怒鳴り散らす。
「おほん。……此度ばかりは鬼神に同意ですな。さあ、ご先祖方!」
「……心得た!」
先祖の式神らは動き出す。
「さあさあ、鬼神とやら! この我らが打ち滅ぼしてくれようぞ!」
「ほう、それはさぞかし恐ろしかろう……などと恐れると思うたか、老いぼれの爺どもが!」
鬼神も動き出す。
とはいえ、それぞれの腕には妖喰い使いを抑えつけており、すぐには動き出せぬ。
「おっと! 我らがいること忘れたか!」
「少しばかり緩んだ……今こそ!」
「兄者、千載一遇の機かもしれぬ!」
「頼庵! 侮るな!」
鬼神が式神らに気をとられし隙をここぞとばかり、
妖喰いたちも打って出んとする。
「忌々しい……者共め!」
鬼神はいきり立ち。
たちまち宵闇より殺気が、雷となり散らばる。
「ぐあああ!」
未だ抑え込まれし妖喰いたちは、苦しむ。
「皆! ……くっ、まずはその抑えつけし腕をどうにかせねばならぬか……ひいじじ上!」
「承知しておる、我がひ孫よ!」
刃笹麿は式神を動かす。
「ふん、近づくことすら危ういと分からぬか!」
鬼神は吠え、妖喰い使いたちを抑えるのに余りし腕を刃笹麿に向ける。
たちまち腕は殺気の雷を帯び、より大きな腕となりて刃笹麿を襲う。
「案ずるな、ひ孫よ! ……結界封呪、急急如律令!」
「ぐっ! ……ありがたい、ひいじじ上!」
式神ーー刃笹麿の曽祖父・吉原が結界にて彼を守る。
「我らも負けてはいられませぬな、父上!」
「応、瑠璃麿よ!」
他の二人の式神一一刃笹麿の祖父・明久、父・瑠璃麿も動き出し。
「結界封呪、急急如律令!!」
共に吉原の結界の上にさらに結界を重ね、宵闇の雷の腕より刃笹麿を更に守る。
「何と!」
「あれが、阿江家の力か!」
「ふうむ……あの鬼神の攻めを防ぎきるなど。」
「これは兄者、我らも!」
「皆……そうだな、俺たちだって!」
「うおおお!!!!!」
刃笹麿や式神たちの戦い振りを見し半兵衛らも、負けじと力任せに抗い続ける。
「ふん……! 陰陽師といい妖喰い使い共といい……もはやここには命知らずしかおらぬか! ならばよかろう、まとめて黄泉へ送ってくれる!」
敵の抗いが強くなれば、鬼神はより怒りを強くし。
殺気の雷を、より強める。
「ぐう! ……皆!」
「半兵衛こそ、くたばるなどと許さぬ!」
「行けるな、頼庵!」
「言うまでもなかろう、兄者!」
「私も忘れるな!」
しかし妖喰い使いたちも、臆せず。
尚も手は、緩めぬ。
「さあさあ、我らもまだまだ続くぞ!」
「……いや、これではいかぬ。」
式神たちもより勢い盛んになる中、刃笹麿は今一つ浮かぬ顔である。
何故ならば。
「もう時はない。……何としても攻めねばならぬ、じじ上ら! 少し力押しをお願いしたい!」
「何と……? ここは耐えて機をゆっくりと待つべきであろう、我がひ孫よ!」
「いずれにせよ、力を使い続けて耐えれば長くは保たぬ! ここは出来得る限り、短くすますのじゃ!」
刃笹麿には策があった。
しかしそれは、時をかければなし得ぬものであり一一
「頼む! じじ上方!」
「……どうしようかのう、明久?」
「……ふうむ、迷いますな、瑠璃麿はどうじゃ?」
「ふうむ、さようですな。……じじ上のおっしゃることはご尤もであるが、刃笹麿の」
「もうよい! かくなる上は!」
痺れを切らせし刃笹麿が、地に五芒星を描き。
「な、何をする!」
「……霊魂降伏、式神招来! 結界変陣、攻呪!」
刃笹麿が唱える度、彼に向けられし雷の腕より彼を守る結界が、さらにその源たる式神たちが、捻じ曲げられる。
「何じゃ? 何を血迷ったか、陰陽師!」
結界の勢い弱まりし隙を突き、鬼神は雷の腕をより深くねじ込む。
「くっ!」
雷の腕にはまだ触れられておらぬものの、その雷により途切れ途切れとはいえ攻められ。
刃笹麿も苦しみ出す。
「阿江殿!!!!」
「待て、皆! 今は自分を押さえつけるこの腕を、それぞれ何とかすることだけ考えるんだ! はざさん、持ち堪えろ!」
「くう……止むを得まい!」
刃笹麿の身を案ずる妖喰い使いたちも、半兵衛の言葉に従う他なく。
刃笹麿もまた、痛みに負けず。
「……急急如律令!」
終いの呪いを、唱える。
刹那。
捻じ曲げられし結界が、たちまち宵闇の雷の腕を囲み抑えつける。
「ぐっ! ……ふん、小癪な!」
鬼神は一度は驚きつつも、すぐに刃笹麿へ向き直り。
そのままより、腕の雷を強める。
「くっ! ……攻呪、急急如律令!」
刃笹麿も呪いで返し、力比べとなる。
「ふん、勝てると思うてか!」
「いいや、思っておらぬ。」
「何?」
鬼神がその言葉に戸惑いつつも、より雷を強め。
刃笹麿も結界による抑えを強めると思われし、その時であった。
「今だ! 皆鬼神より離れよ!」
「何? ……ぐっ!」
刃笹麿はにわかに、抑えの結界の力を弱める。
抑えに抗わんと強められし雷は、たちまちにわかに強まりしことで、鬼神の舵取りを超える力を出し。
「ぐあああ!」
刃笹麿に差し向けられていた雷の腕は、自らの雷の勢いにて爆ぜ、吹き飛ばされる。
たちまち鬼神の身体は、舞い上がりし土煙にて見えなくなる。
「皆!」
「ぐうう! 大事なし!!!!」
妖喰い使いたちは、これにより宵闇の腕より何とか抜け出していた。
「皆、ここへ!」
刃笹麿が、妖喰い使いたちを呼び集める。
「はざさん! よかった……!」
「すまぬ、まだ喜ぶのは後じゃ……結界封呪、急急如律令!」
「えっ!!!!!」
集められし妖喰い使いたちは、たちまち刃笹麿の結界の中へ囚われてしまう。
「な、何だはざさん!」
「案ずるな、今は大人しくしておれ!」
「阿江殿!!!!」
結界の中より妖喰い使いたちが、騒ぐ。
「はざさん、何を……」
半兵衛は考えを巡らせる。
自らは一人残り、妖喰い使いたちは危ない場より逃す。
これではまるで一一
「あの時と、同じじゃねえか……!」
思い浮かぶは、あの洞穴の一件である。
「阿江殿、此度もまた我らだけ逃がすのか!」
「それではまるで、あの時と何も変わらぬぞ! なあ兄者!」
「そうであるな……阿江殿! 悪いが大人しくなどできぬ!」
「そうだ、私の爪で」
「大人しくしておれと言うのが聞こえぬのか!」
刹那、刃笹麿が一喝する。
今までには聞いたことなき太き声。
しかし、やはり病み上がりであるためか、すぐに咳き込む。
「ほ、ほれ! そんなに……」
「ふん、半兵衛には言うたが……病み上がりはこれで初めてではない!」
「しかし、阿江殿……」
「皆。……俺もさっきはああ言ったが、ここははざさんに任せるとしよう。」
「……」
終いには妖喰い使いたちは皆、半兵衛のその言葉に頷くのであった。
「ふん、戦場で何を、戯れあっておる!」
「! 鬼神。」
土煙を引き裂き、三面六臂の宵闇の姿が再び相見える。
「何じゃ? 結界で他の仲間を囲むなどと。優しさのつもりか!」
「ああ、まあ……そんな所よ。」
鬼神は周りを震わせるほどに吠え。
その中にあっても刃笹麿は、しっかりと鬼神と相見える。
「まったく……我がひ孫よ! 何をする。」
「すまぬじじ上方……今は後ろの、妖喰い使いたちの結界を守っていただきたい!」
「何?」
「うむ、我が子よ……よかろう、任せよ!」
阿江家当主の式神たちは、打って出る。
「ふん、陰陽師よ! さようなじじ共が冥土からの土産とは、いい見世物であるな!」
鬼神は腕の一つに持つ、闇色の弓に矢をつがえ。
たちまち矢を、数多放つ。
「ふん、侮るでないぞ若いのよ! 結界封呪、急急如律令!」
「結界攻呪、急急如律令!」
「破呪、急急如律令!」
吉原が矢を防ぎ、その間に明久、瑠璃麿が攻める。
「ふははは! やはりそれまでであるな老いぼれ共め!」
向けられし攻めを、鬼神は嘲笑い。
明久の攻めは自らの右腕の闇色の槍にて、瑠璃麿の攻めは左腕の爪にて、容易く打ち払い。
そのまま式神らに、迫る。
「じじ上方!」
「案ずるな! さあ明久、瑠璃麿!」
「応!!」
「ふん、老いぼれ共はただ寝ておれ!」
「ぐあああ!!!」
鬼神は右腕にて明久、左腕にて瑠璃麿を攻め。
更に左肩より生える腕の、左の腕にて吉原も攻め。
それぞれの腕に、式神を掴み上げる。
「じじ上方!」
「ふん、自らのことを案じてはどうじゃ! 陰陽師!」
再び、鬼神より闇色の矢が数多、放たれる。
「くっ、結界封呪! 急急如律令!」
すんでのところで、妖喰い使いたちの結界の前に立ちはだかり。
矢を全て、おのれの結界にて受ける。
「ぐあ!」
矢が刺さり、結界を食い破り。
刃笹麿にもいくつか、刺さる。
「はざさん!」
「阿江殿!!!!」
妖喰い使いたちが、悲鳴を上げる。
「ふははは、陰陽師よ! なんとも滑稽なことよのう……あれだけの大口を叩いておきながら、再び死に損とはな!」
「くっ……ぐっ!」
それにひきかえ、笑いを上げる鬼神は。
刃笹麿に食い込みし矢を滾らせる。
刃笹麿を喰らうつもりである。
「ぐあああ!」
「ははは!」
「くっ、阿江殿!」
「案ずるな……そなたらもすぐに追わせてやるぞ。ただし、目の前でこやつが喰われる様が繰り広げられしのちにな!」
「はざさん!」
鬼神は笑いを増し、刃笹麿を喰わんとさらに矢の殺気の滾りを増す。
しかし。
「まだ……結界を破るな!」
「くっ……一体どうするってんだ!」
刃笹麿は未だ半兵衛らを、引き止める。
「はははは! 兄上、見ましたか! あの奴らの顔の引きつる様を!」
「うむ……何とも滑稽な、ははは!」
長門兄弟は高みの見物にて、笑う。
しかし、ただ一人は。
「ふうむ……あの陰陽師、何を」
ただ一人、影の中宮は未だ、訝る。
その、刹那であった。
「ぐっ……ぐあああ!」
「な……鬼神が!」
悶え苦しむは、此度は鬼神であった。
見れば、鬼神の身体より殺気がいつもよりさらに激しく。
まさに地獄の炎のごとく、さらにその炎に包まれし鬼神は、あたかも焼かれるがごとく。
「な、何だ……? また鬼神の新たな手か!」
半兵衛は身構えるが、とてもさような風体ではない。
鬼神は自らが纏う宵闇の、殺気に焼かれているのである。
その姿は、三面六臂の形をかろうじて保ちつつも。
形は次々と歪み整い、また歪みと、目まぐるしく変わる。
「ようやく届いたか……冥土からの土産が。」
さっきまで苦しんでおったはずの刃笹麿は、けろりとし。
それどころか、ゆとりに溢れておる。
と、そこへ。
「勝手に魂を持ち出すとは……十王は許すまじぞ、阿江の陰陽師よ。」
「……遅かったぞ、そなた!」
刃笹麿は屈託なく、駆け寄る。
そこでようやく、半兵衛も合点する。
「そっか……はざさん端っから、死神の嬢ちゃんを来させるために!」
半兵衛は刃笹麿の駆け寄りし相手・死神綾路に目をやる。
「さあ……私はあやつに借りを返し、狼煙を上げた! 後はそなたらが借りを返すのじゃ、半兵衛たちよ!」
刃笹麿は半兵衛らに振り返り、力強く叫ぶ。