大晦
「うん……来ねえな。どうやら嘘じゃなさそうだ。」
都の真ん中、ただ一つ残りし宵闇の欠片・胴の在り処にて守りを固める半兵衛たちであったが。
あれより幾日も守りを固め、待てども待てども。
やはり鬼神は来ぬまま、こうして大晦の朝を迎えた。
毛見郷の時の虻隈らと同じく、言葉通りに大晦に攻めるようである。
「しかし、今でも胸を撫で下ろしたき心持ちでございます……阿江殿が命を取り留められましたこと!」
半兵衛と共に胴の在り処を守りし義常が、嘆息をもらす。
「いや、まだだ……まだ目は覚ましちゃいねえだろ?」
半兵衛はため息をつく。
あの夜、半兵衛の屋敷に刃笹麿の従者が駆け込み、刃笹麿が苦しんでいることが告げられ。
一時は命を危ぶまれし刃笹麿であったが、何とか命は取り留めた。ただ、未だに目は覚まさぬ。
半兵衛はそこが、気がかりであった。
「まあ、ここで俺たちがくどくど憂いた所で……それこそ詮無きことってな!」
「さようですな!」
とはいえ、もはや刃笹麿にしてやれることなど半兵衛らにあるはずもなく。今はただ、刃笹麿の働きを無駄にせぬがため宵闇を守り切らねばなるまい。
「中宮様……お身体の具合はよろしいのですか?」
氏式部が尋ねる。
「よい。そなたもあまり憂いてばかりいてくれるな、私はどうということはない!」
中宮は氏式部に、声を張って見せる。
鬼神らは中宮も狙っているということで、内裏の守りも外は言うまでもなく、中は隅々まで侍たちが鎧を着込み。
狼藉を働く者がいないか見て駆け回る。
「……やはり騒がしいのう。」
「恐れながら……これも中宮様を守らんとしてのことでございますれば。」
「……うむ、そうだな。ありがたい。」
「失礼いたします、中宮様。」
にわかに襖の外より、侍たちの駆け回る音ではない一一女御の声が響く。
「……女御殿か。氏式部、入れて遣わせ。」
「……はっ。」
襖を氏式部が開けるや、女御は素早く中まで進み入る。
「この前は影の中宮に襲われたとお聞きしました……中宮様、ご機嫌麗しゅうございます。」
「よい、堅苦しさは無用である。すまぬ、そなたにも気苦労をおかけしておる。」
「いえいえ、さようなことは……ただ、私もあの鬼神とやらの攻めは恐ろしき故、一度長門の屋敷へ退がらせていただこうかと。内裏で年が越せぬはなんとも惜しゅうございますが……」
「……なるほど、まあやむを得ぬな。」
中宮はため息をつく。
「ああ、いえ……中宮様のせいでは……では、お暇いたします。」
女御は一礼するや、そそくさと部屋を出る。
「何でしょうか、あれは?」
「まあ、怖気付いたとのことであろう……しかし、私は退がる訳には行かぬ。内裏から私は引かぬぞ!」
「中宮様……」
氏式部は心配げに、中宮を見つめる。
「父上! いよいよ今日はあの妖喰い共との終の戦でございますな! 何卒、此度こそは私たちを」
「はい、父上! 私も!」
長門の屋敷にて。
今にも出陣せんとする道虚一一鬼神に、伊末、高无は懇願する。
「ふふふ……可愛い息子たちじゃ。……よかろう、妖喰い使い共も、連んで刃向かってくれば私もいささか心許ない。助けてはくれぬか?」
「はっ! ありがたきお言葉。我らもこの上なき」
「父上! 只今戻りましたわ。」
「おお、冥子よ!」
「な……(おのれ、いつもいつも何と間の悪き妹よ……!)」
伊末らの喜びの声を遮り、女御が屋敷へ戻りしことを告げる。
「おお、我が愛しい娘よ! よくぞ……我が子らよ、皆がこうして揃いしこと、父として誠に喜ばしく存ずる!」
「はっ……父上!」
道虚の言葉に、伊末、高无、冥子はその前に跪く。
「我ら長門一門! 我らが父・長門道虚の大願はたさんと、今まで、そしてこれからも邁進して行く所存にございます!」
伊末、高无、冥子は寸分違わぬ様にて父に言葉を返す。
道虚はそれを見、より満たされし様である。
「よしよし……誠に可愛い奴らじゃ。さあ、今宵こそは! 我が大願の邪魔立てをする妖喰い使い共に一泡吹かせてやらねば! そのために力を貸すがよい、我が子らよ!」
「は!」
道虚はそう言うや、素早く先陣を切り屋敷の外へと向かう。
父のいなくなった屋敷にて。
長門一門の心は同じ。父・道虚の大願を叶えんとすることにおいては。
しかし、それでも。
滞りなく仲良くできるかと言えばさようなこともなく。
「……妹よ。前はあの一国半兵衛とやらを取り逃がしたようであるな。我らが父の足手まといとなるなど許されぬであろう……?」
「それは……確かに私の不徳の致すところ。……しかし、兄上とてあの、水上とやらの輩を打ち損じたと聞いておりますが。それでも許されているのですね? ……なるほど、父上より愛されているか否かの違いでしょうな。」
「なっ……そなた!」
「あ、兄上!」
冥子の言葉に、伊末は殴りかからん勢いにて近づき。
驚きし高无は割って入る。
「これはこれは……申し訳ございませぬ。私は愛されず、兄上方は愛されているのかと思い申し上げたのですが?」
「……さようか。すまぬ、私とせしことが。」
「あ、兄上……冥子も、兄上の心煩わせるようなことを言わぬように。」
「……私こそ、申し訳ございませぬ。……さあ、急がねば。」
そのまま冥子は、屋敷を出て行く。
「あ、兄上……私はどう申せばよいか」
「……ふん! 黙っておればよい!」
「も、申し訳ございませんっ! 私は何と軽々しく……」
「……よい、すまぬ高无……くっ、取り乱すとは……おのれあの妹め……!」
伊末は低く吼える。こともあろうに、自らの最も心揺らすものに触れられ激しく揺らいでおるためである。
「し、しかし兄上……冥子とてわざと言ったわけでは」
「……わざとでなければ何と申すのだ! 忌々しくもあの妹は、この兄の琴線に触れおった! ……しかしよかろう、今は戦の時。この寛大な兄は目をつぶってやる……行くぞ高无!」
「はっ、ははあ!」
伊末は足音を激しく立て屋敷を出んとする。
高无もそこに続く。
かくして、宵闇を巡る戦は終いの夜を迎えるのである。
「……やっぱり、あいつら言ってた通りか……」
都の真ん中、宵闇の残るただ一つの欠片一一胴の封じられし所にて。
ついにこうして、大晦の夜を迎えたのであるが。
場はあり得ぬほどに、静まりかえっておる。
「……義常さん。嵐の前の静けさってこんなもんか?」
「……申し訳ございませぬ、主人様。私もここまで静かであるのは……」
「……だよな。」
半兵衛がこの静けさに呑まれぬよう苦し紛れに始めし話であるが、義常もどう繋げるべきか図りかね、話は続かぬ。
「(うーん、寒さはともかくも、この静けさはなあ……)」
そう考えかけた刹那である。
にわかに目の前に、闇色の殺気が滾り。
姿を現したるは。
「……失敬。待たせてしまったようであるな。」
「……! 来たか!」
鬼神であった。
「何だ? あんた自ら、一人で来るとは。お付きの方々はどうしたよ?」
「ふふふ……」
半兵衛の問いに、鬼神は答えぬが。
「……主人様。おそらく内裏かと。」
「……ならいい、ここは俺たちが!」
義常と半兵衛らは、すぐに合点する。
「おやおや……なるほど、ここにおらぬ妖喰い共も」
鬼神はふっと、笑い声を漏らす。
「何と、そなたらか。」
鬼神と同じく、その闇色の殺気にて来し翁の面をつけし伊末・高无。そして影の中宮一一女御冥子は、内裏を守る頼庵・夏・広人と対峙する。
「そなたらかとは何じゃ!」
「広人殿。……久しぶりに相見えたな、翁の面の者共! 半兵衛様や兄者が相手するまでもない。そなたらは我らで片付けてくれる!」
「私はお初にお目にかかるな……我が名は伊尻夏! そなたらより中宮様のお命、お守り致す!」
妖喰い使いたちは、皆思い思いに言葉をぶつける。
「ふん、一度は帝に刃を向けし罪人風情が! 虻隈とやらと連んで自らの故郷を悩乱に陥れた小娘が! ……そなたらはここで、帝に代わり私が死罪にしてくれる!」
「さようですな兄上……ええと、そこの広なんとやら! そなたのことはよく分からぬが、この手で葬る!」
「ふうむ、私はあの一国半兵衛をこの手にて葬りたかったのですが……伊尻夏とやら! 同じく女として、そなたと一戦交えたく存じますわ!」
言うが早いか、長門一門の三兄妹は妖喰い使いたちに飛びかかる。
「死罪はそなただ! 行くぞ広人殿、夏殿!」
「おのれえ、私の扱いを蔑ろにしおってえ!」
「半兵衛から聞いた影の中宮か……その申し出、承る!」
夏は手に、蒼き殺気を纏わせ。影の中宮の刃を、爪にて受け止める。
広人と頼庵は、伊末と高无へ向かう。
「見た所、刃も持っておらぬな! それで何とする!」
頼庵が煽る。
「ふん……こうするのだ!」
伊末が、指を鳴らすや。
地を割り、出しは。
蛇のごとく身体をくねらせしトカゲのごとき妖・野守虫である。
「くっ! 妖が!」
「さあ、挑んで来るがよい!」
伊末・高无が野守虫の背に飛び乗るや、野守虫は舌を伸ばし振り回す。
「頼庵殿!」
「心得ておる!」
舌は二股に分かれ、頼庵・広人をそれぞれに襲うが。
頼庵は小刀にて、広人は紅蓮にて、これを防ぐ。
「ふん! 防ぐとは。」
「やはり分かれるが常套であるか……だがまだ如何なる仕掛けが隠れているか分からぬ! 気をつけよ広人殿!」
「心得ておる!」
「なるほど……仇として侮ってはくれておらぬとは、光栄であるぞ!」
伊末の叫びと共に。
野守虫の舌はいくつにも分かれ、襲いかかる。
「くっ!」
「やはり……広人殿、避けてくれ!」
「なっ……?」
言うが早いか、頼庵はさっと身を翻し。
手に緑の殺気にて弓矢を形作り。
身をひねりながら矢をつがえ。
次々と放つ。
「なっ……頼庵殿! もう!」
広人は慌てふためきつつ、野守虫の舌を紅蓮にて薙ぎ払い、翡翠の矢をことごとく、避ける。
紅蓮を喰らいし野守虫の舌は、次々と血肉となり。
紅蓮の刃を、紅に染め上げる。
矢を喰らいし野守虫の舌は、次々と血肉となり。
緑の殺気に、染まる。
「くっ、兄上!」
「一度退がれ!」
押されしと見た伊末は、妖を後ろへと下がらせる。
「なるほど……これは一筋縄では行かぬな。」
伊末は面の下にて笑みを浮かべる。
「なるほど……なかなかですわ!」
「そなたこそ!」
夏と影の中宮の争いにて。
夏は先ほどまで左腕のみ妖喰いに変えておったのを、右腕もまた、妖喰いへと変え。
影の中宮の刃に、次々と叩き込む。
「ふうむ……隙が突きづらいです!」
しかし、影の中宮も臆せず。
次々と叩き込まれし夏の爪を、ことごとく受け止め。
そのまま守りに徹しておった刃を、大きく振りかぶり夏を振り払う。
「くっ! 何の!」
しかし、夏も。
振り払われながらも、宙にて回り。
その勢いにて再び、影の中宮へ突っ込む。
「ふん! ……これは、押し返せそうにありませぬね!」
影の中宮は受け止めきれず、後ろへ大きく飛ばされる。
「……なかなかにいい相手です。」
「……そなたこそ。」
影の中宮と夏は、睨み合いつつもお互いを讃える。
「清栄様……これでは我らには手出しが!」
「まあ待て! ……この場ではまだ我らに見せ場は来ぬ! しばし待つのじゃ。」
声を上げし兵を宥めつつ、清栄も目の前の様に滅入る。
内裏の門にて。
今妖喰い使いと長門一門一一無論、清栄らも妖喰い使いたちも分からぬが一一の戦いを、後ろに次の守りとして控えておる侍たちは指を咥えて見ておる他、なし。
しかし、その悔しさよりさらに、清栄は初めて目にする妖と、妖喰い使いの戦に心を奪われておった。
これは、美しい一一
戦に心を奪われるは悲しいかな、侍の性である。
「ふふふ……互いにそれぞれの務めとはなあ!」
鬼神は楽しげに、闇色の刃を振り回し。
半兵衛はそれを、ことごとく防ぎ。
後ろに控える義常が、翡翠の矢を放つ。
鬼神はその矢を刃にて振り払い。
その勢いを使い、半兵衛の紫丸の刃へと叩きつける。
「くっ!」
「どうした! そなたの力はこれしきか!」
「ああ、そうだな……何のこれしき!」
一度は押されし半兵衛も、すぐに押し返す。
「ふん……よいぞ、それでこそ我が仇よ!」
「私も忘れるな! ……それにその言葉は我ら妖喰い使い全ての言葉ぞ! 我らが憎き仇、鬼神よ!」
義常も半兵衛の後ろより素早く打って出るや。
鬼神の刃へ、自らの刀を打ちつける。
「ふふふ……そうであったな! さあ討ってみよ、そなたら全ての仇を!」
「言われなくても! 皆と、そしてはざさんを傷つけてくれた仇は! 討つ!」
「ほほう……なるほど、まだ毒は効いておらぬか!」
「なっ、何!」
鬼神の刃に打ちつけられし半兵衛と義常の刃の勢いは、ほんの一時緩み。
その隙を見逃さず、鬼神は二人の刃を振り払う。
「ぐっ!」
「ははは……! あの時刃を刺せし、あの陰陽師の式神となっておった宵闇の欠片! その殺気の繋がりを通じ、毒を打たせてもらったまでのこと! もう間もなく、効くか……」
「くっ……おのれ!」
「待て、義常さん! ……共にぶっ殺そうぜ!」
「主人様……はっ!」
義常を止めるかと思いきや、半兵衛の顔にはすっかり怒りが刻まれ。
そのままさながら鬼神のごとく、強く鬼神に斬りかかる。
「ははは! 憎しみに身を委ねる、それぞ人の醜き真の姿ぞ! よくやった!」
「ふざけるなあああ!」
半兵衛の紫丸は、いつもより更に殺気を滾らせ。
爆ぜるがごとく殺気を吹き。
その勢いゆえか素早く、鋭き刃が鬼神の闇色の刃へ打ちつけられ。
闇色の刃が折れ、そのまま紫丸は鬼神の殺気にて守られし胴へと、打ちつけられる。
「があ! ……ぐう!」
鬼神は苦しみ、勢いにて後ずさる。
殺気の守りにて、斬られはせずとも。
その勢いは、殺気の鎧の下の鬼神の臓腑へと、伝わる。
「ふふふ……ははは! そうだ、より……解き放つがいい、醜き人の性を!」
「黙れえ!」
「主人様! 私も!」
再び鬼神へ追い討ちをかけんと、半兵衛が迫る。
義常も、主人の後を追う。
「くっ……ぐう!」
「どうしたんですわ! あなた!」
刃笹麿の屋敷では、果たして鬼神の言葉通りに。
目を覚まさず、しかし峠と、ひとまずの苦しみより脱した筈であった刃笹麿が、苦しんでおった。
「あなた!」
「上姫様、お下がり下さい!」
「これは……呪毒の類か! 早く、術の書を!」
「まずは主人様を冷やさねば! 水で濡らせし布を持て!」
お付きの陰陽師も、薬師もてんやわんやである。
しかし、刃笹麿が毒で苦しみつつ見し夢は。
三途の河の縁に立つ、夢であった。