中宮
「刃笹麿の屋敷に皆集まるようにと? 知らぬぞ、私はそのようには言っておらぬ!」
帝からは否む言葉が返る。
「……やっぱり、罠だ。すまねえ帝。罠に落ちて挙句、はざさんを……」
半兵衛は手をつき、床に頭を埋まらぬばかりに下げ謝る。
「……よい、そなたらが事なきを得たというだけでも良かった。」
帝は返す言葉もなき中で、なんとか言葉を絞り出す。
あの洞穴での一件より、一夜明け。
這々の体にて半兵衛らは逃げ帰り、そのまま半兵衛のみ、こうして帝に伝える為に内裏に来たのであった。
「して、刃笹麿は」
「……」
半兵衛は黙りこくる。
「……半兵衛、言わぬか! ……まさか」
帝だけではなく、居合わせる公家らも皆、息を呑む。
誰もが、良からぬことを思い浮かべておる。
「……すまねえ、俺らがついていながら」
「……何と! 刃笹麿が……」
たちまちその場に、ざわめきが起こる。
「ああ、待った! すまねえ、紛らわしい言い方で……はざさんはまだ生きてる。」
「……くっ! 半兵衛! 心の臓に悪いではないか!」
帝は糸が切れたかのごとく、座りしまま身体を前に折り曲げる。傍らの摂政も手を貸す。
「す、すまない……尤も、かろうじてといった所か。」
「……さようか。そこまで重い傷を?」
「いや、身体には幸いというべきか傷はねえ。……ただ、禁じられた術を使っちまったから……だな。」
半兵衛は後ろめたげに、付け足す。
「うむ……千里眼、であるな? 私も話には聞いておったが……ううむ、刃笹麿をできれば止めてくれれば」
「……すまねえ、誠に申し訳ねえ!」
帝がつい漏らせし言葉尻に、半兵衛はその身全てを震わせて詫びる。
「いや、すまぬつい……最も辛きは共におったそなたであろう、今は刃笹麿が治るをただ祈るばかりよ。」
「……相変わらずの寛大さ、誠に有り難い。はざさんは今、従者の陰陽師に囲まれて身体を癒しているが……今夜が峠かもしれないって。」
半兵衛のその言葉には、また場がざわつく。
「……何ということか。刃笹麿は……」
「まあ皆! 帝も! 今ははざさんを信じるしかねえ。だから、静かに待とうや。」
此度は、場を収めしは半兵衛であった。
「……その通りであるな。私たちがここでいくら憂いても詮無きことか……うむ。今はまだ、宵闇の欠片も二つ残っておる! これを守りきらねばなるまい。」
「ああ、そうだな……」
帝は気を取り直し皆を鼓舞する。
しかし、半兵衛には引っかかることが。
無論、刃笹麿のことは気がかりである。
しかし、それよりも。
鬼神は果たしていつ、どの宵闇の欠片を奪い、水上兄弟の父を殺したのか一一。
「半兵衛、半兵衛!」
「え?」
刹那、帝の声に我に返る。
幾度も呼ばれていたようである。
「これ、半兵衛! 如何にそなたといえども帝の御前であるぞ、呆けるでない!」
「……すまない。」
摂政より叱責され、半兵衛は肩を落とす。
「よい、刃笹麿のことはそなたも気がかりであろう? 屋敷へ見舞いへ行くとよい。」
「……お気遣い感謝する。」
帝の言葉に、半兵衛は恭しく頭を垂れる。
「……入っても、いいか?」
所は変わり、刃笹麿の屋敷にて。
半兵衛は中に通され、刃笹麿の眠る部屋へ向かう。
と、その部屋の前に佇む上姫を見つけ、声をかけたのである。
が、上姫は答えず、そっぽを向く。
「(……まあ、当たり前か。どの面下げて会いに来れたって話だよな……)上さん、すまない……」
「……何故謝るんですの? そなたが私の夫を傷つけたんですの?」
「えっ……」
恐る恐る声をかける半兵衛であるが、上姫より返る言葉は思いがけぬものであり。
思わず間の抜けた声を、漏らす。
「いや……はざさんは、俺たちを守ろうとして禁術を……だから、これは俺の体たらくが招いたことで」
「……なら、尚更半人前が謝ることではないですわ。あの人は誠に体たらくな人など、すぐ見捨てる人。命を賭し守らんとしたのであれば、あの人が誠に望むことであればこそですから。」
「……すまない!」
上姫の涙を拭いつつの言葉に、半兵衛も堪りかね。
その場にしゃがみ込み手をつき、頭を下げる。
「……そなたの謝ることではないと申していますわ。だから、さあ。お顔をお上げください半人前。」
「……かたじけない。俺は必ず、仇を」
「……まだ死んでいませんわ!」
半兵衛の言葉に、上姫は思わず声を荒げる。
「……すまない、軽はずみだった。……いずれにしても、はざさんを傷つけてくれた借りは、件の鬼神にしっかり返さなきゃいけねえ。だから、必ず返す。」
「……そう。ならばくれぐれも、あの人と同じにはならないで……」
「……ありがとう。」
半兵衛の謝りに、上姫は尚も涙を堪えつつ返す。
「中宮様! どちらへ?」
再び内裏にて。
氏式部はにわかに部屋を飛び出せし中宮に、尋ねる。
「……昨夜、半兵衛らが洞穴に囚われたと耳にした。あやつは今どこに?」
「さ、さあ……そういえば先ほど、帝とお会いになったと」
「誠か! ならば今も内裏に?」
「い、いえそこまでは……」
「すまぬ、氏式部!」
そこまで話すと、中宮はいても立ってもいられぬ素振りにて早歩きになる。
と、その刹那である。
「おやおや……中宮ともあろうお方が、妖喰いの刀使いごときにご執心とは……誠に嘆かわしや!」
「!? この声は!」
中宮が声の主を思い出すよりも早く、声の主自ら庭の物陰より中宮のいる、渡殿へ飛び出す。
「そ、そなたは……」
「……お久しぶりでございます、いかにも私が影の中宮でございます!」
「!? 中宮様!」
言うが早いか影の中宮は、そのまま刀を抜き中宮に斬りかかる。
氏式部は慌てて中宮の前に出んとするが、間に合いそうにない一一。
「!? そなたは!」
と、影の中宮と中宮の間に割って入るは。
「こちらもお久しぶりさ……影の中宮様よお!」
半兵衛である。
「一国半兵衛……! 中宮様の守り刀を続けられていたのかな?」
「いいや、中宮様だけじゃない……俺はこの都、全ての守り刀だ!」
半兵衛は受け止めていた影の中宮の刃を跳ね除け、斬りかかる。
「都全ての守り刀……なるほど。しかしならばあの陰陽師は、都の人には入らないのでしょうな!」
「ああ、そう皮肉言われちゃ受け止めるしかねえ! 俺ははざさんに守られた、だから! 此度こそ守りきる!」
影の中宮も半兵衛の刃を一度は跳ね除けるが、再び半兵衛も刀を振り下ろす。
「しかしあんた……あの影の中宮と同じお方か? なんか成りが違うぞ!」
刀を続け様に振るいつつ半兵衛は尋ねる。
「……! そういえば……」
半兵衛の後ろに佇む中宮も、はっとする。
影の中宮は前とは、装いが変わっておった。
鎧に狐面の組み合わせこそ変わっていないが、その狐面が変わっていた。
狐面は、より真の狐に近い見た目となり。
更にそこから尾のように毛が伸び、首に飾りとして巻きついているのである。
いや、違うは成りだけではないのかもしれぬ。
「ふふふ……より美しくなったでしょう? さあ……戦を楽しもうではないですか!」
前の、どこか気の激しき様とは異なり、落ち着いていてゆとりのある様である。
「ああ……だから同じ奴だとは思えなかったんだよ!」
言葉を交わす間にも、激しく刃は交わされ。
火花が散るほどである。
「嫌ですわ……まあ、そなたに言われたところで何も思いませぬが。」
「そりゃどうも!」
と、その時である。
「動くな! 影の中宮!」
にわかに声が響く。
影の中宮が半兵衛の紫丸に、自らの刃を打ちつけ。
その勢いにて半兵衛を引き離し、周りを見渡せば。
半兵衛と影の中宮は、侍たちに取り囲まれておる。
「おや……今更手柄目当ての侍たちとは」
「口を慎め! 中宮様に刃を向けるとは、一度は半兵衛殿に退けられていながらなんと懲りぬ奴!」
影の中宮の言葉を遮り、清栄が叫ぶ。
「ふふふ……はははは!」
しかし、影の中宮はその笑みもゆとりも、絶やさぬ。
「あの侍女がいませぬな……なるほど、いつの間にやらこの侍たちを呼びに……これは私とせしことが。」
「減らぬ口を聞くな! 既にそなたは囲まれておる、さあ!」
「ふふふ……」
影の中宮と睨み合う清栄や侍たちであるが、にわかに後ずさる。
影の中宮の笑い声には影の中宮自らの声のみではない、男の一一鬼神の声が混じっているためである。
「はははは! それで追い詰めたつもりとは……つくづくめでたき奴らめが!」
声と共に鬼神が、闇色の殺気をその場に滾らせ現れる。
「鬼神……! おのれ、宵闇を奪いに!」
清栄が再び叫び、後ずさりし侍たちは再び鬼神を狙う。
「おやおや……これはこれは、あの時私が喰らいし間抜けな侍共の親玉ではないか!」
「我が名は静清栄! ……これよりそなたの首をとり、散りし我らが同胞への手向けとしよう!」
「いや、清栄さんはいい!」
鬼神に斬りかからんとした清栄を止め、半兵衛が鬼神に斬りかかる。
「半兵衛!」
「鬼神様の邪魔立ては許しませぬ!」
「影の中宮さんよ! 悪いがあんたと戯れてる暇はねえ!」
立ちはだかる影の中宮と、半兵衛は再び刃を交わす。
「戯れ? さような心持ちでは、真っ先に討ち死にしますよ!」
「分かった、なら死合おうか!」
半兵衛は紫丸の刃を、より力強く振るう。
「ふふふ……影の中宮よ、そなたの斬り合いは邪魔立てせぬ。……さあて。」
鬼神は影の中宮を優しげに見つめ、すぐに周りの侍たちに目を向ける。
「皆、宵闇を守れ!」
「ふうむ。一つ正さねばならぬな。……この内裏にある宵闇の欠片は、とうに我が手中にある!」
「な、何と!」
「何!」
清栄をはじめとする侍たちのみならず、半兵衛も刃を交えつつ耳を疑う。
「戯言を抜かすな!」
「……ならば見せようか。これを!」
鬼神が指を鳴らすと、その手元には。
「くっ、兜が!」
それは見まごうことなき、この内裏にあるはずの宵闇の欠片・兜であった。
「なっ……貴様、いかにして奪った!」
「ふふふ……そこの影の中宮が起こせし、再びの百鬼夜行の折。もぬけの殻となりしこの内裏より持ち出すことなど、造作もなかった! これまであるように見せかけておったのは、この殺気にて形のみ作りし張り子である!」
「なるほど……なっ!」
鬼神の言葉に、半兵衛は合点せし様にて影の中宮の刃を、力強く跳ね除ける。
「ふむ……前よりも腕を上げましたね。」
「よい、影の中宮よ。……見てのごとく、誠であればこの内裏に用はない! しかし、聞け! この鬼神、告げたきことがあり参った!」
跳ね飛ばされし影の中宮と背中合わせになりつつ、鬼神は高らかに叫ぶ。
「年が明ければ、中宮が変わる! しかしそなたらは、その前に戦の行方を決めたいであろう? よって、あと一つの宵闇の欠片・胴を巡る戦は大晦日に行う! 年の明るまでにそなたらが勝つか、私が奪うか……決めようではないか!」
「何、中宮様が変わる!?」
鬼神のその言葉は、その場の全ての者を凍りつかせるには過ぎるほどに事足りた。
「おいおい……中宮様が変わるって、影の中宮を中宮様とすげ替えようってか!」
半兵衛のこの言葉に、鬼神や影の中宮が面の下にて笑みを浮かべしことが見てとれた。
「何と……もはや許さぬ! この場で倒せ!」
「ふん……まったく、今の言葉を聞いておらぬのか!」
清栄の言葉と共に鬼神たちに斬りかからんとせし侍たちであるが、刹那鬼神は、炎のごとく闇色の殺気を吹き上げて自らと影の中宮を覆い消える。
「くっ……どこへ消えた!」
周りを見渡し、鬼神を探す清栄や侍たちを尻目に、その場に声が響く。
「はははは……言うておるに、大晦日に戦をすると! 名残惜しきも分かるが、少しは待たぬか!」
「おのれ……探せ、隈なく探せえ!」
声ははたと消え、清栄らは再び探し回るためその場を後にする。
「……中宮様、お怪我は?」
「……ない。氏式部よ、皆を呼んでくれたこと、大儀である。」
「……もったいなきお言葉。」
「……半兵衛も、私を守らんとしてくれしこと大儀である。」
中宮は氏式部と、半兵衛に感謝する。
「あ、いや……中宮様。」
半兵衛は照れくさげに笑いを浮かべ、すぐに真顔となり中宮に言う。
「何か?」
「……俺は必ず、鬼神を倒す。はざさんの借りを返すためと、何より中宮様を守るために!」
「……ありがたい、半兵衛。」
中宮は笑みを、浮かべる。
「な、何と! あれが罠であるとは……阿江殿はさようなことで」
「兄者、嘆いても仕方あるまい! ……半兵衛様、大晦日のその戦、負ける訳には参りませぬな。」
「私もそう思う。……阿江殿にはまた目覚め、占ってもらわねば!」
「いや、夏殿? それが目当てか?」
半兵衛は屋敷に戻り。
屋敷にいる水上兄弟や夏、そして広人に真実を告げる。
しかし、ざわめく皆をよそに、半兵衛は考え込む。
「主人様?」
「……あ、いや。何でも……」
と、その時である。
「たのもう! は、半兵衛殿お!」
「!? あんたは、はざさん所の!」
にわかに屋敷へ駆け込みしは、刃笹麿に付く陰陽師である。
「は、はい……い、一大事でございます、我が主人が!」
「!?」
その言葉には皆、息を呑む。