鬼親
「ほほう、お互いに求め合ってたとはな……そりゃあ話が早い!」
言うが早いか、半兵衛は鬼面の男が持つ闇色の刃めがけ、紫丸を振るう。
「く、半兵衛!」
刃笹麿は半兵衛を止めんとするが、間に合うはずもない。
少しは恐れてもよかろうにーー
刃笹麿は半兵衛にそう、言ってやりたい心持ちであったのだが。
そんな刃笹麿の心など尻目に、半兵衛はひたすら、取り憑かれしが如く鬼面の男に刃を打ち込む。
が、いずれも尽く受け流され、全く効かぬ有様である。
「ち、父上!? 何故このような」
「これ高无! 父上のされしことに疑いを持つのか!」
高无の言葉は兄に、遮られし。
しかし、揺らぎしは伊末もまた同じである。
何故だ、我らに足止めを命じられたのではなかったのかーー
「恐らく、ただの人っ子殺すの飽きたんやないですか? そうでなければ、お父上自ら出向かれるなどないでっしゃろ。」
向麿は先ほどの、高无の問いに彼の父・道虚の代わりに答える。
「ふん、さようなことは分かっておるわ……高无、恥を知れ! 父上の全ては正しきこと、そこに疑いを挟む訳などあるわけなかろう?」
伊末は向麿に返し、改めて高无を責める。
「しかし……全くあのお方の心は! 気まぐれ極まりなしというもんやなあ! あれほどこだわっておったはずの宵闇を揃えることを差し置き、使い手とお戯れになりたいとは……」
向麿はしかし、自らの主人について愚痴をこぼす。
「向麿、無礼であるぞ! 後で父上に言いつけてくれる、心得よ! 高无、もう退くぞ!」
「な、兄上?」
引き上げんとする兄の様に高无も、目にて訴える。
何故ここで退くのか、と。
「決まっておろう? 父上が現れし以上、我らはここにいるに及ばぬ。かような所で油売りをしておるよりは、屋敷へ戻りお帰りに備えて出迎えの支度をしようぞ。」
伊末は言い放つ。
「……はっ、ごもっともでございます。ただちに戻りませねば」
高无は少し躊躇いつつ、腰を上げる。
「ふう、従順すぎる子も、親はつまらんと思いますが?」
「黙れ! 逆らうと言うか!」
自らの言葉に易々とは従わぬ向麿を相手に、伊末は苛立ちをぶつける。
「ほほほ、これは言葉が過ぎました。申し訳ございませんなあ」
向麿は不敵な笑みを崩さぬ。
「なるほど……思いの他耐えられるようじゃな!」
鬼面の男は半兵衛に言う。
二人の鍔迫り合いは続いておる。
鬼面の男の方が攻めに転じたものの、押し寄せる攻めの中にあっても何とか守りきる半兵衛を、彼は讃える。
「ああ、ありがたい。お褒めに与り、な!」
半兵衛も此度はそこまでゆとりがないのか、あまり軽口は叩けぬ様である。
「……なるほど、ではこれならばどうか!」
と、これまでは一つの闇色の刃を両の手にて扱い戦いし鬼面の男は、それを右腕のみに持ち。
そのまま何も持っておらぬ左腕の握り拳を、半兵衛の紫丸の刃へと叩きつける。
「うぐっ! ……なっ、二刀流だと!」
半兵衛は驚嘆する。
先ほどまで何も握られていなかった左腕にはもう一つ、闇色の刃が。
「はははは、隙だらけであるぞ!」
鬼面の男はその半兵衛の驚嘆による隙を見逃さず、刃が二つに増えしことでより隙なき攻めを繰り出す。
「くっ! ったく!」
刃を刃にて受ける度、半兵衛の口より悪罵が漏れる。
もとより二刀を扱う敵など、これまで相手取りしことはない。慣れぬ敵を前に、半兵衛はよりいっそうの苦しき戦を迫られる。
「く……だから言うておろう、少しは恐れぬかと!」
この戦を遠巻きに見ておった刃笹麿が、声を上げる。
一体どうしたものか。
半兵衛を少しは助けられぬか考える刃笹麿であるが、何も思い浮かばぬ。
「はざさん……あんたは逃げな! ここじゃあんたに、もう出る幕はない! だから……」
「軽口をまだ叩くか!」
半兵衛が刃笹麿へ声をかける間も、戦、もとい鬼面の男は待ってくれなどせぬ。
両の腕に持ちたる、二振りの闇色の刃。
その両の刃を次々と半兵衛の持つ紫丸へ叩き込む。
「くっ! こりゃあ激しい舞いだねえ、昂ぶっちまうよ!」
「ふうむ、ゆとりは未だ続くか……よい、そなたは相手にふさわしい者である!」
鬼面の男は言うや、それまで前へ前へと叩き込んでおった刃を、横より半兵衛へ繰り出し。
鬼面の男の刃は円弧を描き、それは鬼面の男と半兵衛を取り囲む陣形となり、たちまち炎のごとく殺気を立ち上らせ二人を包み込む。
「なっ……何だ、これ?」
半兵衛が戸惑っておると。
たちまち、二人を包み込みし殺気が晴れるが、そこは他の、所であった。
「まさか……殺気で瞬く間に場を移したってのか?」
半兵衛は声を上げる。これまでにも、妖喰いの使い手が殺気を用い妖喰いを手元に呼び寄せるという様は幾度か見て来たが、まさかーー
「ほほう、なるほど勘はいいのであるな!」
その声と共に繰り出されし二つの闇色の刃を、半兵衛は何とか受け止め、我に返る。
前には、やはり鬼面の男が。
「ここが戦場ということ、忘れたわけではあるまい?」
笑い混じりに声が、響く。
「ここはどこだ?」
半兵衛は事も無げに、鬼面の男に尋ねる。
「何?」
「どこだって訊いてんだよ。うん? ありゃあ……」
「隙ありであるな!」
この場には場違いな程に暢気さを纏わせ、半兵衛が言葉を紡ぐ。やがて何かを見つけし半兵衛に、鬼面の男は斬りかかる。
「ぐっ! 少し避け損なったじゃねえか!」
「何? くっ、力負けとは!」
刃を躱しつつも頬に刃がかすり、傷がついてしまった半兵衛は、その怒りからか鬼面の男を振り切るほどに力強く、刃を振るい。
鬼面の男は後ろへと、大きく退かざるを得ぬ。
「どういうつもりだ? 俺をわざわざ宵闇の封印に、近づけるなんざ。」
半兵衛は言いつつ、先ほど見つけしものーー祠を指差す。
「なるほど……これまであの妖喰いを解き放つと共に、人を殺して来たよなあ? 次は俺が、その生贄か?」
「ふん……知っておったか。ならば、わざわざ明かす手間が省けしというもの!」
半兵衛の言葉に、鬼面の男は返す。
これまで殺されし人ーーあれは生贄であったのだ。
「同じく分かったことだが……血を流しちゃいけねえんじゃねえか? あんたも、俺も。」
「ほほう、なるほど。……つくづく勘は、いいようであるな!」
鬼面の男は半兵衛を讃える。
これまでの殺され方はいずれも、首絞め、首の骨折り、毒など、血を流すことを伴わぬものであったのだ。
「では……そなたのその話肯んずるならば、此度は私の負けとなろうな。」
鬼面の男は半兵衛を指差す。半兵衛の頬からは血が、流れておる。
しかし、何やらおかしい。
鬼面の男が何故か、得意げであるのだ。
「くくくく……ふふふ、はははは!」
これまで堪えし笑いを一息に吹き出すように、鬼面の男は大声にて笑う。
「何だよ? 何がおかしい?」
「くくく……いやすまぬ。そうか、それが分かっておったからそなたはわざと頬を……!」
鬼面の男の笑いは収まるどころか、さらに高くなる。
その、刹那。
祠より暗き紫の殺気を纏いし宵闇の一つ・左籠手が鬼面の男の元へ、やって来たり。
「なっ……おい! 俺はまだ生きてんだぞ! それに、血だって!」
半兵衛は驚きを隠せぬ。
何故だ、何故ーー
半兵衛の言葉を受けて、鬼面の男の笑いはさらに、高まる。
「ふふふ……愚かなり。まあよい余興にはなった……礼を言うぞ。」
鬼面の男は笑いを小さくまとまるように堪え、半兵衛に言う。
「なるほど……未だに訳分からんが、とりあえず俺は遊ばれたってことかい……!」
半兵衛は自らの中に、これまで芽生えしことのない心が芽生えることを感じとる。
人に侮られしことへの恨み・怒りーー屈辱である。
時同じくして、相手にも一矢報いたいとの心も。
「……似てるねえ」
「何?」
「似てるよ、その太刀筋。あんたの仲間? ……俺にあっさり負けた、弱っちい影の中宮に!」
「……くっ、貴様あ!」
半兵衛は影の中宮の話を持ち出して煽る。
と、先ほどまでのゆとりが嘘のごとく、鬼面の男は今一度両の腕の刃にて半兵衛に激しく攻める。
「へえ、やっぱあんた、影の中宮とは浅からぬ繋がりなんだな! まさか恋人とか?」
「黙れ! そなたごときの口より影の中宮を語るな!」
煽りが効いたと見えるや、半兵衛はより強く煽る。
鬼面の男もまた、より一層攻めの手を強める。
「なあ、何故あんたらは京の都を襲う? 何故、人々を苦しめ、傷つける?」
「黙れと言っておろう! ふん、戯れほどにして今日の所は見逃してやってもよいと思っていたのだが……」
「ぐっ!」
鬼面の男の、刀の振りによる勢いにて半兵衛は、大きく後ろへ飛ばされる。
「ちょうどよい、今しがた得たばかりのこの左籠手の力……試す的となってもらう!」
鬼面の男は先ほどより宙に漂わせしままであった、宵闇の左籠手を左手に着かせる。
たちまち両の腕の刃は、より炎のごとき滾りを増し。
その気は周りの風向きすら変え、激しき震えとなり半兵衛を襲う。
「くっ! こりゃあ、たまげた。やっぱり、かけらが集まりゃそれなりに力は強まるってことかい?」
「ふん、それが終いの言葉か……せめて終いくらい、言葉を選ばぬか!」
鬼面の男はそのまま、両の刃を振り下ろす。
長く勢い付きし殺気の刃が、そのまま半兵衛に迫りーー
その刹那。
「……結界封呪、急急如律令!」
呪文を読み上げる声が、響き。
時同じくして半兵衛に、殺気の刃が達しーー
は、せず。
半兵衛はにわかに、その前に張られし結界に守られ何者かにより連れ出されし。
「ふん、さあ……おや? 使い手がおらぬ。」
殺気の刃が届いた後の、更に土煙が晴れし後に。
鬼面の男は半兵衛を探すが、周りを見渡せども見つからぬ。
「ふうむ……逃したか。しかし私ともあろう者が心のままに暴れるとはな。……次はこの償い、しかとあの男にさせねばな……!」
鬼面の男は己を鎮めつつ、尚も冷めぬ怒りを敢えて抑えずに言う。
「痛っ! 何だこれ?」
半兵衛は未だ戸惑いしままである。
何者かに助けられ、半兵衛は既に自らの屋敷の、屋根の上におった。
半兵衛を助けし何者かーー今は半兵衛を抱える者は、折り紙のやっこと袴を合わせしような、大きななりの者。
妖かと思ったが、紫丸は騒がぬ。
「妖かと思うたか? これは式神じゃ。前に語っておった、な。」
「はざさん! そうか、あんたが……」
いつの間にか半兵衛の横には、刃笹麿が。
「よく、あの鬼面の男に俺が連れ去られた所が分かったな。」
「私は大概のことは見通せる。我が陰陽道の流派・亜御門流の究極奥義"千里眼"によってな。」
刃笹麿は、得意げに自らの右目を指差す。
「……すまなかったな。俺が自ら勢いこんで飛び出しといて。」
「まあ、まったくその通りであるな! この体たらくでは。」
「……返す言葉もねえな。」
半兵衛は頭を掻く。
「ち、父上!」
長門の屋敷にて。
半兵衛との戦より帰りし鬼面の男ーー道虚を、その子である伊末、高无が出迎える。
否、二人のみではない。
娘である冥子もである。無論、未だ床に伏せしままであるが。
「これはこれは、我が愛しき子たちよ……この父を少しでも喜ばさんとは可愛い者たちじゃ。しかし、よい。そなたらの顔見せだけでも喜ばしい。今宵は休むがよい。」
「し、しかし父上……」
「は、勿体なきお言葉! 誠にありがたき限りにございます! ほら高无よ、行くぞ!」
父の言葉に何やら思う所があってか、伊末は弟を引きずり部屋を後にする。
「……そこで聞いておろう、入って参れ。」
道虚が部屋の外へ声をかけるや、入ってきた者は向麿であった。
「は、道虚様! この度は新たな宵闇の一つの取り戻し、祝着に存じ……」
「虚礼は無用じゃ。……私は今宵、虫の居所が悪い中少しばかり心遣いに欠けるやも知れぬが、聞いてくれるか? 私の頼みを。」
向麿の言葉は遮られ、道虚は先を急ぐように喰い気味に向麿に迫る。
「女御を、すぐ目覚めさせよ。」
道虚はこれのみ言い、部屋を後にする。
向麿は、床に伏したる女御を見て。
ため息をつく。
顔の傷と腕の傷。女御のこれらの傷を治せば、屈辱の証がなくなったなどと騒ぐであろう。そうしてまた、床に伏したるままになってしまうことは目に見える。
かといって、傷も治さねば道虚から何と言われるかーー
体の傷と心の傷。この二つを治すには。
「もはや、やり方は選べませんからなあ……そやろ? 影の中宮様!」
向麿の顔には、不気味な笑みが浮かぶ。




