贖罪
「半兵衛、広人。そして……水上兄弟よ。此度の毛見郷での一件、誠に大義であった……」
帝は半兵衛らに、労いの言葉をかける。
「いえ、大義などと……」
広人は俯く。
その顔には、嬉しさの色は僅かにもない。
内裏にて。
毛見郷及び、都での一件にて半兵衛、広人、そして此度だけ内裏に上がることを許されし水上兄弟は、帝と謁見していた。
だが、この四人はいずれも、浮かぬ顔である。
帝もその訳は分かっておったため、敢えて聞かぬ。
「……そなたらの心中、察するに余りあるというものであるな。改めてそなたらのみにかような苦しみを強きしこと、誠にありがたく思うと共に、申し訳なく思う。」
帝は四人に、一礼する。
「いえ、帝……滅相もございませぬ……」
義常が宥める。
しかし、やはり義常の顔もまた、他の者と同じく浮かない。
「毛見郷での一件については、私も摂政を通じ半兵衛より聞き及んでおる。そして、その夏という娘のことであるが……」
帝は些か躊躇いつつも、続ける。
「妖喰いをその身に宿す……いわば、妖喰人の類であろう。」
その言葉に半兵衛らは、思わず目を見張る。
妖喰人ーー妖喰いの使い手たちにとりても、初めて耳にする。
「そのような言葉は我ら兄弟も聞いたことがありませぬ。帝、果たしてどちらでーー」
「これ、頼庵!」
帝のことに踏み込まんとせし弟を、義常は止める。
「……帝、夏ちゃんは……」
そのような中、ぽつりと半兵衛は、切り出す。
「うむ。……今術を施し、牢に入っておる。しかし、何としたものか……しきりに虻隈、虻隈とうなされ、飯にも手をつけぬ様でな……」
帝も歯切れは悪く、半兵衛に答える。
「……帝、頼みがある。」
半兵衛は、居ずまいを正す。
「……述べよ。」
帝は半兵衛を促す。
「……俺とあの娘を、一手"死合わせ"てもらいたい。」
半兵衛は深々と、頭を下げる。
「……ううむ半兵衛。これはあまり言いたくなきことではあるが……そなたに罪を犯せし者の処遇を任せることは、もうなきようにしたい。」
帝は言う。
その言葉に水上兄弟は、身を縮こませる。
「帝……」
半兵衛もそう返されては、また返す言葉もない。
「……帝、恐れながら。私からも、お願いしとうございます。何卒、半兵衛と夏殿を戦わせてくださいませ。」
広人も恐る恐るであるが、帝に訴える。
「これ、広人!」
同席しておった摂政道中は、広人を窘める。
「広人……そなたまでも……」
帝は頭を抱え、考え込んでしまう。
「……申し訳ございませぬ、帝。しかし……」
「……いや、広人いい。……帝、夏ちゃんに自らの父母と、弟を殺してしまった罪を思い知らせなきゃならねえ!
だから、頼む!」
尚も言いかけし広人を制し、半兵衛は再び自ら、頼み込む。
「帝、恐れながら……何卒我らが主人の、思い通りにさせてはくれませぬか!」
水上兄弟もまた、帝に頼み込む。
「これ、そなたらまで……」
摂政は顔に、渋き色を浮かべるが。
「……良いであろう。しかし、一手だけじゃ。そこで決められねば、処遇はこちらに委ねてもらうぞ。」
帝は渋々といった様にて、承諾する。
帝との謁見より、三日ばかり後。
半兵衛の屋敷の庭が、夏と半兵衛の手合わせ、否ーー
戦の場となる。
陰陽師の立会いのもと、夏は引き立てられ。
半兵衛との戦の場に、連れ出されし。
「夏ちゃん、久しぶりだな……」
言いつつ半兵衛は、夏より目を逸らす。
未だ目を、見れぬ様である。
「半兵衛……」
夏もまた、渋き顔にて半兵衛を見やり。
すぐに目を逸らす。
夏もまた、半兵衛の目を見れぬ様である。
そうして、お互いに気まずき様にて。
この場には見届け役の陰陽師や検非違使、そして広人、水上兄弟、摂政も立ち会っておる。
皆、戦の場となる庭を、母屋より見つめておる。
否、それだけではない。
立ち会ってはおらぬが、物陰よりこの場を見つめる者が。
「半兵衛……」
侍女に扮せし、中宮である。
見届け役の陰陽師が、手を上げる。
夏の傍らの陰陽師が、夏にかけられし術を施せし縄を切り。
夏は妖喰いの封印より、解き放たれる。
「始め!」
見届け役の陰陽師が、声を上げ。
「夏ちゃん……"死合わせ"願うぜ!」
半兵衛は夏に、斬りかかる。
「くっ……!」
夏は半兵衛の紫丸を、一度はその爪にて受け止めるが。
すぐにその力を、弱める。
「な、何……!」
声を上げしは、広人である。
半兵衛も紫丸を振り下ろせし手より力を抜き、そっと刃を引く。
「どうした? 夏ちゃん。ここは戦の場だ、戦わないと死んじまうぞ?」
半兵衛は夏に、そっと言う。
であるが、夏はその場にへたり込んでしまう。
腕も守りの構えを取らず、あたかも死んでもよいとでも言いたげである。
「……死んじまうぞって、言ってるだろ? それとも、よもや……」
半兵衛は言いつつ、ズカズカと夏へ近づく。
そしてなんと、その喉笛に紫丸の刃を、翳す。
「……よもや、死んでもいいとか考えてるんじゃねえだろうな?」
半兵衛は、夏に厳しく問いかける。
その目には今までとは比べものにならぬほどの、激しい光が宿り。
今にも夏を、斬らんとする。
「待て、半兵衛!」
声が響き、横より夏を庇い飛び出せし者がおる。
その者は夏を押しのけ、半兵衛の刃より守る。
その者は、広人である。
「広人。戦を妨げるなんざ、無粋の極みだぜ?」
半兵衛は顔色を変えず、広人に言う。
「何が戦じゃ! 抗うこともせぬ女子に刃を向けるなど、戦ではない!」
広人は半兵衛に向かわんとするが、手元に妖喰いのなきことに気づく。
「ふん、あんたも戦の場を舐めるな!」
半兵衛は広人を、力強く押しのける。
「くっ! 半兵衛、ならぬ! 夏殿を……」
広人は半兵衛の背中に言いかけるが。
「男子だろうが女子だろうが、知るか。ここは戦場。戦のやめ時があるとすればそりゃあ……どちらかが死んだ時さ!」
半兵衛は、まるで聞く耳を持たぬ。
「くっ……半兵衛!」
広人は半兵衛に向かわんとするが、陰陽師がそこへ立ちはだかる。
「くっ、何を!」
広人が問うが。
「帝の命にては、半兵衛殿に今は全て任せることになっておる。すなわち、そなたの今の行い帝への謀叛に等しいぞ!」
陰陽師は言い放つ。
「……くっ!」
広人も此度は、引くより他なし。
「さあ、夏ちゃん。」
半兵衛は、刃を振り上げしまま、尚も逃げ回る夏に迫る。
「そっか、分かった。……夏ちゃんに足りないのは、戦うための口実だな。ようし、そうだなあ……思い出せ、俺が夏ちゃんの大好きな虻隈を、刀で斬っている時を!」
半兵衛は未だ戦わんとせぬ夏を、煽る。
夏はその言葉に、立ち止まる。
「うん、あの時は……悪くなかったよ! あいつに貼り付いた妖を斬って引っぺがして、終いには……」
「……黙れ!」
半兵衛の言葉を、夏の言葉が遮り。
言うが早いか、夏は妖喰人としての姿へと変わり。
半兵衛へ弾かれしように、襲いかかる。
「……そうだよ、それだよ!」
半兵衛は夏の爪を、紫丸の刃にて受け止める。
「そうだよ、夏ちゃん! それでこそ戦だ!」
半兵衛は喜びの色を露わにし、大声で叫ぶ。
「半兵衛……よくも虻隈を!」
「ああ、そうだな……あんたも、よくも伊尻さんを!」
夏の叫びに、半兵衛も返す。
「忌々しい! あんな父も、母も弟も……毛見郷など、憎いものたちばかりだ!」
「そうかい……それが夏ちゃんの考えか! でも、お生憎様……親や血を分けた弟を殺すことは、まごうことない大罪なんだよ!」
夏の言葉と共に繰り出されし爪の攻めを、紫丸の刃にて受け止めつつ半兵衛が返す。
「ふん! 黙れ、虻隈を返せ!」
夏は右の腕の爪を振り払われながらも、すかさず左の腕の爪を繰り出す。
「どうした? まだ力出しきれてないだろ? 分かった、なら……虻隈は全く手ごたえがなかった! 少しこの紫丸の刃をひねりゃあ、もうあっという間だったよ!」
「おのれ、おのれ!」
半兵衛はまだ手ぬるいとばかり、夏を煽り。
夏はおのれの手に、憎しみをさらにこめる。
「くっ! しかしこの男はーー」
夏は怒りに頭を満たされつつも、その頭の片隅にて考える。
この男は虻隈を殺していない。殺せしはーー
と、その刹那。
半兵衛より繰り出されし紫丸の刃が、夏を振り払う。
「ぐ! あああ!」
夏は大きく、後ろへ飛ばされる。
「さあどうしたよ? 呆けてる場合じゃねえんだぞ! やっぱり育ての親に似て、手ごたえがねえな!」
半兵衛の煽りは、より勢いを増す。
「……おのれ! もはや、容赦はせぬ!」
夏はその身に纏いし殺気を強め、半兵衛に斬りかかる。
そうだ、この男は虻隈を殺していない?
いや、違う。苦しむ虻隈を目の前に、この男は何もできなかった。
虻隈は自らが殺したのではない。この男が見殺しにしたのだ。そうだ、この男がーー
夏はもはや止まらぬ。
半兵衛が、この男が虻隈を殺したーー
「容赦はせぬ、ねえ……大口叩いてくれんじゃねえか!」
半兵衛も夏に、斬りかかる。
「く……半兵衛、何を言っておる……?」
広人は戦いを見つめつつ、呟く。
あれほど夏を守らんとしておった半兵衛が、今は夏の傷を抉るかのごとき言葉を紡いでおる。
が、広人の傍らの水上兄弟は、半兵衛のその様に心当たりが。
「兄者、あれは……」
「うむ。主人様のあの様は、まるであの時の広人殿に対する時のようじゃ……」
「ん? あの時の私に対する時? なんだそれは?」
水上兄弟の話に自らの名が出て来しことを、広人は聞き逃さなかった。
「あ、広人殿! それは……」
義常が気まずき様にて、渋き色を顔に浮かべる。
言ってもいいものか、迷っておる様である。
「構わぬ、義常殿! さあ、何なりと。」
広人は有無を言わさぬ様にて、強く問い質す。
「……心得た。広人殿、我らが共に、大蛇の妖に立ち向かいし時を覚えておるか?」
「……何?」
義常より返りし言葉は、広人の考えを超えたものであった。
それにより広人は、考え込む。
あの時は大蛇が、二つや四つに分かれ。
自らは恐ろしさ故に、へたり込むより他なき有様であった時ーー
そこで広人は、ようやく思い至る。
「半兵衛が、自らと妖、隼人の仇を一息に討てる時と言いし時か!」
義常はやや躊躇いがちに頷く。
広人は考える。
確かに、今の半兵衛の夏への言いようはまさにそれである。しかしーー
「……しかし、分からぬ。何故半兵衛は、さように自らを憎ませるようなことをする?」
広人は水上兄弟にーーというより、自らにーー問う。
すると義常は、またも躊躇いがちではあるが、広人に言う。
「あの時、広人殿は主人様ーー否、半兵衛殿にどのような思いを、抱いておいでであったか?」
広人は、久しぶりに半兵衛を、その従者でなかった頃の呼び方にて呼びし義常に躊躇いつつ。
「……既に、分かっておったのかも知れぬ。半兵衛が隼人を殺したのではない、むしろ側にいつつ、何も出来ずじまいであった自らをこそ責めたき気でいることを……」
その頃の様を、初めて他の者に打ち明ける。
義常は柔らかな笑みを浮かべる。
「さよう、そなたは苦しんでおった。半兵衛殿は、その苦しみをせめて一時は忘れられるよう、自らに憎しみを向けさせたのではないだろうか?」
笑みを浮かべつつ、義常は言う。
広人、頼庵は、その言葉にはっとする。
「まさか……兄者、何故そのような……」
頼庵は驚き、兄に尋ねる。
「……主人様の心持ちを察すればの話である。全ては我が考えにすぎぬ故、主人様が如何なるお考えかは、主人様のみぞ知ることよ。」
義常は笑みを薄れさせてゆき、今一度、庭にて戦う主人と夏を見る。
広人も頼庵も、庭を見やる。
夏の爪は、やはり勢いを増しておる。
爪を繰り出す度、半兵衛への怨嗟を漏らす。
「半兵衛、そなたが見殺しにしなければ……虻隈は!」
「そうだよ……最初っから言ってんじゃねえか! 最初っからそうやって、憎しみを俺にぶつけていればよかったんだ!」
夏の爪による攻めを、半兵衛は全て紫丸の刃にて受け止め。
尚も半兵衛は、夏を煽る。
夏の憎しみは、それにより更に勢いを増す。
「……半兵衛え!」
「……来いよ、夏ちゃん!」
広人は、その様に更に歯ぎしりする。
「なんということ……あれではまるで、憎しみにて殺されてもよいとでも言わんばかりではないか!」
物陰より見つめし中宮も、祈るように手を組む。
「半兵衛……」
それぞれの想いが、交わるーー




