墓村
「虻、隈……どこか、虻隈!」
夏は泣き叫ぶ。
虻隈はどこかーー知らぬわけではない。
知っている。しかし、知らぬ。
いや、信じられぬというべきか。
夏の刃のごとき爪に刺さっておったあの札ーーあれこそ……
「な、夏殿ーー」
「止めろ、広人。」
慰めの言葉をかけんとせし広人を、半兵衛が制する。
今はただ、そっとしておこうと目が語っていた。
「半兵衛……」
広人は言い返さんとするが、言葉がない。
「伊尻、殿……」
水上兄弟は呆け、目の前の散らばりし血肉を睨む。
血肉は次々と、緑の光に染まる。
その中にぼんやりと、佇みしは。
既に殺されし伊尻の、魂である。
「……誠に、ありがとうございます! あなた方のおかげで、私は……」
「……よいよい、そなたと我らの中ではないか!」
伊尻の涙ながらの礼に、頼庵も涙を拭い答える。
が、義常は。
「……頼庵、気をつけよ!」
険しき顔にて、周りを見渡す。
「な、何とした兄者! そのような顔で……」
頼庵は驚き、兄に尋ねる。
が、すぐにおかしき様に気づく。
妖喰いーー翡翠が、騒いでおるのだ。
「あ、兄者……! よもや、妖では……」
「あろうな。」
弟に、義常はただそう返す。
「くっ、まだ来るというのか!」
頼庵も周りを見渡す。
と、何やら影が水上兄弟にーーではなく、その前の伊尻に迫る。
それと時同じくして、翡翠のざわめきもより増していきーー
「くっ……まさか……あんの吃り男め! まさか自らあの小娘に命差し出すなんぞ……!」
向麿は一人、悔しさに歯噛みする。
再び毛見郷の近くに戻る。
戦を終え、狂いし様にて虻隈を探し回る夏と、それを見守るのみの半兵衛、広人をよそに、向麿はその様を見て苛立つ。
「おのれおのれ……」
と、その刹那である。
にわかにさめざめとした気を感じ、振り返れば。
目の前には、影のある女子の姿が。
「あ、あんたは!」
向麿は怯える。
その様は、いつもの飄々とせし様とは大違いである。
「地獄道に落つるはずの魂を捕え、人間道にとどめし罪……断じて小さくなどない、らしいぞ……」
女子は笑いもせず、顔色一つ変えずに言う。
「虻隈、虻隈!」
未だ虻隈を探す夏を、もはや見ていられぬは広人である。
「……半兵衛、私は夏殿を止めるぞ!」
言うが早いか、広人はそのまま夏の所へ向かうが。
「やめろ、まだ収まりそうにないって!」
半兵衛は腕を掴み、止める。
と、刹那。
二人は妖喰いの、ざわめきし様を感ずる。
「妖か!」
半兵衛と広人は次には、村中を見渡すが。
妖の姿はない。
であるが、やはり妖喰いはまだざわめく。
それも、これまでになきほどである。
「半兵衛、これはーー」
広人が言いかけし刹那、半兵衛はその妖気を、ある所に感ずる。
「夏ちゃん!」
見れば夏の身体も、青く光る。
そしてその殺気のざわめきも、より強く。
「夏ちゃん、離れろ! そこには妖が……」
半兵衛が大声で呼びかけつつも、夏は未だあちらこちらを見渡し、気づかぬままで。
そのまま"それ"は、顕われし。
「な、何だ……そなたは!」
広人は叫ぶ。
"それ"は、向麿の前に顕われし、あの女子であった。
よくよく見れば、なりこそ社の巫女のごとしであるが。
身体の右こそ暖かな肌の色であり、確かな光が宿りし目を持ちつつも。
身体の左は青白く、さめざめとせし肌の色にて、目は虚ろである。
「綾路、というらしいぞ……」
女子は先ほどの、広人からの何だとの問いに答えて言う。
「そなた……妖か!」
広人は立て続けにて、問う。
妖であるは確かである。
自らの構えし紅蓮の刃は白き殺気を滾らせておるのだから。ただ、その様はこれまでの妖喰いでは見しこともないほどに、激しい。
「妖喰いがこれほど騒ぐたあなあ……あんた、果たしてどんなーー」
言いつつ半兵衛は、綾路に斬りかかる。
が、まったく手応えはなく。
そのまま紫丸の殺気滾りし刃は、すり抜けてしまう。
「くっ……何だ、あんた……」
言いつつ半兵衛は、ひどく驚く。
が、次には。
尚も夏に迫る綾路の様に。
口よりも先に、身体が動く。
「止めろ! 夏ちゃんに手を出すな!」
そのまま半兵衛は、夏と綾路の間に割って入り。
先ほどと同じく綾路へ、斬りかかるが。
「くっ!」
やはり綾路はすり抜けるかのごとく躱し、夏の前へ。
「夏ちゃん!」
「虻隈!」
半兵衛は夏に向かい叫ぶが、夏は綾路を目の前にして尚、虻隈を恋しがる。
しかし綾路は、夏の前でぴたりと止まり。
そのまま夏に手を、翳すや。
「あ、虻隈……!」
夏の目の前に、虻隈ーーの魂が顕れる。
「既に死に行く魂よ、人間道に未練など残すな。
魂よ死んで尚止まれば、人間道にいながら地獄であるぞ。
魂よ死んで逝けば、地獄道にありながらまだ極楽であるぞ……」
綾路はひたすらまじないのごとく、虻隈に言い聞かせる。
「止めよ、虻隈を、返せえ!」
夏はそれを許さず、殺気を纏いて姿を変えるや。
綾路に、斬りかかる。
が、斬れるはずもなく。
そのまま向こう側へと、すり抜ける。
「くっ……! あ、虻隈!」
夏は尚、綾路に向かわんとするが。
「やめ、ろ! 夏! もう、来るなと、言ってる! この、悪い子め!」
声を上げしは、虻隈の魂であった。
「虻、隈……そんな……」
恋焦がれし相手に拒まれ、夏はその場に、ただへたり込む。
「!? あれは……」
半兵衛はその綾路の後ろにて、悲しげに佇む伊尻の、魂を見る。
「な、夏殿……」
広人も伊尻に気づき、夏に伝えんとする。
が、夏は。
「虻隈、虻隈あー!」
夏は尚も、虻隈を求めてしゃくり上げる。
その様には広人も、口をつぐんでしまう。
夏にも伊尻は、見えておらぬはずはないが……
「あんた……何者なんだ?」
半兵衛はそんな様を見かね、話を変える。
「綾路、らしい。人は死神、というらしい。」
綾路は半兵衛の問いに答える。
先ほどは気にならなかったが、自らのことについての話に、らしいと言うとは。
「おいおい……自らのことも分からないってか? ……とりあえずあんたは、死神さん、か。妖じゃない……らしいか?」
半兵衛は呆れつつも、話を合わせる。
「これは自らのことではない。この身体はこの女子のもの。私は生くるも死ぬるもせぬ、死そのものであれば。」
此度はらしいとは言わず、綾路は答える。
「死そのもの……だけどあんた、匂いだけはこの上なく旨い妖そのものみてえだな!」
半兵衛は言う。
妖喰いがこの上なく騒いでおるのは、そのためであった。
「半兵衛、こやつの言うこと、信ずるのか?」
広人は訝る。綾路の言葉を、いかにも疑っておる。
「……妖喰いが喰えねえ妖なんざ、いるかよ。」
その言葉には広人も、言い返せぬ。
ひとまずは、それにて納得するようである。
「……さあ、誠であればとうに、地獄道へと輪廻せし者たちよ。せめて少しにても極楽とせんがため、導かれよ……」
綾路は再び、まじないを唱える。
と、綾路のもとには村の者の魂が集う。
「弥助!」
半兵衛は叫ぶ。
やはり伊尻のみならず、傀儡果ては、妖に変えられし人の魂がいた。
「伊尻、殿……!」
広人は声をかける。
そして夏を、見やるが。
「虻隈!」
夏は相変わらず虻隈の他は、目もくれず。
父や母、弟の魂にも。
広人も悲しき顔をし、伊尻に向き直る。
「……仕方ありませぬ、我らの罪を思えば……」
伊尻は、そのような顔の広人に、笑顔で返す。
「……今こそ、地獄へ参らん。」
綾路はそんな半兵衛、広人、そして夏の様など知らぬとばかり、魂たちを促す。
魂たちは皆、ふと消えて行く。
一人、二人、また一人と。
「虻隈!」
「弥助!」
「伊尻殿!」
夏が、半兵衛が、広人が叫ぶが。
それも虚しく。
そのまま魂たちは全て消え去り、後には綾路のみが残り。
「おのれ……よくも虻隈を!」
夏は、そう言い。今にも綾路に向かわんとするが。
刹那、身体の全てが妖喰いの、蒼き殺気に包まれ。
激しく苦しむ。
「ぐっ……ぐあああ!」
夏はそのまま、倒れる。
「夏ちゃん!」
「夏殿! ……おのれ、そなた夏殿に何をした!」
倒れ込みし夏に半兵衛、広人は駆け寄り。
綾路に言葉を、浴びせるが。
「止めろ広人! 夏ちゃんが倒れたのはその綾路ちゃんの、
匂いのせいだ。でも綾路ちゃんに悪気がある訳じゃねえ、
それよりも……」
半兵衛が止め、何かを言いかける。
「何だ、それよりも、何……」
半兵衛の言いかけし言葉を、広人は問わんとするが。
刹那、広人の紅蓮からも殺気が滾り。
「ぐっ……この……」
広人も同じく、倒れ込む。
「広人! ……くっ、こちらも……」
半兵衛の紫丸もまた、殺気を滾らせ。
半兵衛をも、苦しめる。
「ふっ……未だ死なぬ者を地獄へと誘うは違う。此度は、これにて……」
綾路は相変わらず、顔色一つ変えずに言うや。
そのままふと、消え去る。
「ふん、可愛い顔してやってくれるな……!」
半兵衛はふらつきながらも、笑いつつ呟く。
そのまま、倒れ込みし夏と広人を前に、しばらく佇んでおった。
毛見郷での一件より、一月あまり後。
毛見郷には死に行きし者を弔うがための墓が、多く建てられ。
村人たちも、他に行き場がないとのことから、戻る者も多く。
村は前と同じではないが、勢いを取り戻しつつあった。
そこを、訪れしは。
半兵衛と、広人である。
二人とも村の人に合わせる顔がないと、敢えて人の行き来の少なき時に訪れた。
「じゃあ広人、俺は弥助の所へ行くから……」
「いや、私もまずはそちらじゃ。」
半兵衛と広人は、揃って弥助とその母の墓へと行く。
墓に香を添え、花を手向け。
二人は、手を合わせる。
「弥助……」
「弥助殿……すまぬ、私はそなたの屍くらいはせめて、守らんと誓いし身でありながら……!」
広人は言いつつ、泣き崩れてしまう。
半兵衛は、かける言葉もなく。
「……すまねえ、あんたらを守れなくて……」
代わりに、墓にせめてもの言葉をかける。
あの時、虻隈に仕掛けられしこの村のからくりに、気づいてさえいればーー
しかし自らの頭に浮かびしその悔いの心に、半兵衛は首を激しく横に振る。
「広人。……まだ、俺たちには向き合わにゃならん人たちがいるだろ?」
半兵衛は広人の肩に、手を置き。
ようやく言葉を、かけたのであった。
伊尻とその妻、息子の墓の前にて。
二人は再び、手を合わせる。
「なあ、半兵衛。……弥助殿はまだ、救えたやもしれぬ。だが……伊尻殿たちは既に、殺されていたとは。我らはどう、伊尻殿たちを救えばよかったのであろうな……」
広人は半兵衛に、問いかける。
「救う、か。……せめて、俺たちの手で葬ってやるしかなかったんじゃないか……?」
半兵衛は、そう返す。
「ふっ……はははは!」
広人は低く、笑う。
「……何だよ、何が……」
おかしいのか。そう問わんとし、半兵衛は口ごもる。
広人の答えが、大方分かるからである。
「……ならば、我らは何であろうな? 仇の術中にはまり、まだ救えたやも知れぬ者も救えず、せめて自ら葬るべき者も葬れず。……我らは、まるで何もできなかったではないか……!」
広人は大方の思われし通り、答える。
半兵衛は、ふっと立ち上がる。
「……どこかへ行くのか?」
広人は顔の見えぬほどに、項垂れて尋ねる。
「……まだ救えるやも知れねえ奴なら、まだいるだろ?」
「……夏殿、ということか?」
半兵衛が返し、広人がそれにまた返す。
「ああ、でもそれだけじゃねえ。……伊尻さんや、奥方や、息子さんもさ。」
「なっ……何を!」
半兵衛からの答えに、広人は驚きを返す。
「ああ、勘違いするなよ? 夏ちゃんはともかく、もう死んじまった伊尻さんたちは蘇れねえ。だけど……せめて夏ちゃんを立ち直らせて、親兄弟を殺めた罪を悔いらせるはできると思う。」
「な……」
半兵衛のこの言葉は、広人の考えをより超えておった。
「いくら夏ちゃんが、この親にむごいことをされてたからといって、それで親兄弟を殺めていいなんてあるはずがねえ。」
半兵衛は続ける。
「……でも、今の夏ちゃんは虻隈や自らのことの他には、何も考えられてない。ならせめて。……親兄弟殺しの罪を悔いるきっかけでも与えてやらねえと、この人たちは浮かばれねえだろ。」




