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京都の王  作者: 宇井九衛門之丞
第3章 妖女(毛見郷編)
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墓村

「虻、隈……どこか、虻隈!」

夏は泣き叫ぶ。

虻隈はどこかーー知らぬわけではない。

知っている。しかし、知らぬ。


いや、信じられぬというべきか。

夏の刃のごとき爪に刺さっておったあの札ーーあれこそ……


「な、夏殿ーー」

「止めろ、広人。」

慰めの言葉をかけんとせし広人を、半兵衛が制する。

今はただ、そっとしておこうと目が語っていた。


「半兵衛……」

広人は言い返さんとするが、言葉がない。





「伊尻、殿……」

水上兄弟は呆け、目の前の散らばりし血肉を睨む。


血肉は次々と、緑の光に染まる。

その中にぼんやりと、佇みしは。


既に殺されし伊尻の、魂である。


「……誠に、ありがとうございます! あなた方のおかげで、私は……」

「……よいよい、そなたと我らの中ではないか!」

伊尻の涙ながらの礼に、頼庵も涙を拭い答える。


が、義常は。

「……頼庵、気をつけよ!」

険しき顔にて、周りを見渡す。


「な、何とした兄者! そのような顔で……」

頼庵は驚き、兄に尋ねる。

が、すぐにおかしき様に気づく。


妖喰いーー翡翠が、騒いでおるのだ。

「あ、兄者……! よもや、妖では……」

「あろうな。」

弟に、義常はただそう返す。


「くっ、まだ来るというのか!」

頼庵も周りを見渡す。


と、何やら影が水上兄弟にーーではなく、その前の伊尻に迫る。


それと時同じくして、翡翠のざわめきもより増していきーー





「くっ……まさか……あんの吃り男め! まさか自らあの小娘に命差し出すなんぞ……!」

向麿は一人、悔しさに歯噛みする。


再び毛見郷の近くに戻る。

戦を終え、狂いし様にて虻隈を探し回る夏と、それを見守るのみの半兵衛、広人をよそに、向麿はその様を見て苛立つ。


「おのれおのれ……」

と、その刹那である。


にわかにさめざめとした気を感じ、振り返れば。

目の前には、影のある女子(おなご)の姿が。


「あ、あんたは!」

向麿は怯える。

その様は、いつもの飄々とせし様とは大違いである。


「地獄道に落つるはずの魂を捕え、人間道にとどめし罪……断じて小さくなどない、らしいぞ……」

女子は笑いもせず、顔色一つ変えずに言う。





「虻隈、虻隈!」

未だ虻隈を探す夏を、もはや見ていられぬは広人である。


「……半兵衛、私は夏殿を止めるぞ!」

言うが早いか、広人はそのまま夏の所へ向かうが。


「やめろ、まだ収まりそうにないって!」

半兵衛は腕を掴み、止める。


と、刹那。

二人は妖喰いの、ざわめきし様を感ずる。


「妖か!」

半兵衛と広人は次には、村中を見渡すが。


妖の姿はない。

であるが、やはり妖喰いはまだざわめく。

それも、これまでになきほどである。


「半兵衛、これはーー」

広人が言いかけし刹那、半兵衛はその妖気を、ある所に感ずる。


「夏ちゃん!」

見れば夏の身体も、青く光る。

そしてその殺気のざわめきも、より強く。


「夏ちゃん、離れろ! そこには妖が……」

半兵衛が大声で呼びかけつつも、夏は未だあちらこちらを見渡し、気づかぬままで。


そのまま"それ"は、顕われし。

「な、何だ……そなたは!」

広人は叫ぶ。


"それ"は、向麿の前に顕われし、あの女子であった。

よくよく見れば、なりこそ社の巫女のごとしであるが。


身体の右こそ暖かな肌の色であり、確かな光が宿りし目を持ちつつも。

身体の左は青白く、さめざめとせし肌の色にて、目は虚ろである。


綾路(あやじ)、というらしいぞ……」

女子は先ほどの、広人からの何だとの問いに答えて言う。


「そなた……妖か!」

広人は立て続けにて、問う。

妖であるは確かである。


自らの構えし紅蓮の刃は白き殺気を滾らせておるのだから。ただ、その様はこれまでの妖喰いでは見しこともないほどに、激しい。


「妖喰いがこれほど騒ぐたあなあ……あんた、果たしてどんなーー」

言いつつ半兵衛は、綾路に斬りかかる。


が、まったく手応えはなく。

そのまま紫丸の殺気滾りし刃は、すり抜けてしまう。


「くっ……何だ、あんた……」

言いつつ半兵衛は、ひどく驚く。


が、次には。

尚も夏に迫る綾路の様に。

口よりも先に、身体が動く。


「止めろ! 夏ちゃんに手を出すな!」

そのまま半兵衛は、夏と綾路の間に割って入り。

先ほどと同じく綾路へ、斬りかかるが。


「くっ!」

やはり綾路はすり抜けるかのごとく躱し、夏の前へ。


「夏ちゃん!」

「虻隈!」

半兵衛は夏に向かい叫ぶが、夏は綾路を目の前にして尚、虻隈を恋しがる。


しかし綾路は、夏の前でぴたりと止まり。

そのまま夏に手を、翳すや。


「あ、虻隈……!」

夏の目の前に、虻隈ーーの魂が顕れる。


「既に死に行く魂よ、人間道に未練など残すな。

魂よ死んで尚止まれば、人間道にいながら地獄であるぞ。

魂よ死んで逝けば、地獄道にありながらまだ極楽であるぞ……」

綾路はひたすらまじないのごとく、虻隈に言い聞かせる。


「止めよ、虻隈を、返せえ!」

夏はそれを許さず、殺気を纏いて姿を変えるや。


綾路に、斬りかかる。

が、斬れるはずもなく。

そのまま向こう側へと、すり抜ける。


「くっ……! あ、虻隈!」

夏は尚、綾路に向かわんとするが。



「やめ、ろ! 夏! もう、来るなと、言ってる! この、悪い子め!」

声を上げしは、虻隈の魂であった。


「虻、隈……そんな……」

恋焦がれし相手に拒まれ、夏はその場に、ただへたり込む。


「!? あれは……」

半兵衛はその綾路の後ろにて、悲しげに佇む伊尻の、魂を見る。


「な、夏殿……」

広人も伊尻に気づき、夏に伝えんとする。

が、夏は。


「虻隈、虻隈あー!」

夏は尚も、虻隈を求めてしゃくり上げる。

その様には広人も、口をつぐんでしまう。


夏にも伊尻は、見えておらぬはずはないが……


「あんた……何者なんだ?」

半兵衛はそんな様を見かね、話を変える。


「綾路、らしい。人は死神、というらしい。」

綾路は半兵衛の問いに答える。


先ほどは気にならなかったが、自らのことについての話に、らしいと言うとは。


「おいおい……自らのことも分からないってか? ……とりあえずあんたは、死神さん、か。妖じゃない……らしいか?」

半兵衛は呆れつつも、話を合わせる。


「これは自らのことではない。この身体はこの女子のもの。私は生くるも死ぬるもせぬ、死そのものであれば。」

此度はらしいとは言わず、綾路は答える。


「死そのもの……だけどあんた、匂いだけはこの上なく旨い妖そのものみてえだな!」

半兵衛は言う。


妖喰いがこの上なく騒いでおるのは、そのためであった。

「半兵衛、こやつの言うこと、信ずるのか?」

広人は訝る。綾路の言葉を、いかにも疑っておる。


「……妖喰いが喰えねえ妖なんざ、いるかよ。」

その言葉には広人も、言い返せぬ。


ひとまずは、それにて納得するようである。

「……さあ、誠であればとうに、地獄道へと輪廻せし者たちよ。せめて少しにても極楽とせんがため、導かれよ……」

綾路は再び、まじないを唱える。


と、綾路のもとには村の者の魂が集う。

「弥助!」

半兵衛は叫ぶ。


やはり伊尻のみならず、傀儡果ては、妖に変えられし人の魂がいた。


「伊尻、殿……!」

広人は声をかける。

そして夏を、見やるが。


「虻隈!」

夏は相変わらず虻隈の他は、目もくれず。


父や母、弟の魂にも。

広人も悲しき顔をし、伊尻に向き直る。


「……仕方ありませぬ、我らの罪を思えば……」

伊尻は、そのような顔の広人に、笑顔で返す。


「……今こそ、地獄へ参らん。」

綾路はそんな半兵衛、広人、そして夏の様など知らぬとばかり、魂たちを促す。


魂たちは皆、ふと消えて行く。

一人、二人、また一人と。


「虻隈!」

「弥助!」

「伊尻殿!」

夏が、半兵衛が、広人が叫ぶが。

それも虚しく。


そのまま魂たちは全て消え去り、後には綾路のみが残り。

「おのれ……よくも虻隈を!」

夏は、そう言い。今にも綾路に向かわんとするが。


刹那、身体の全てが妖喰いの、蒼き殺気に包まれ。

激しく苦しむ。

「ぐっ……ぐあああ!」


夏はそのまま、倒れる。

「夏ちゃん!」

「夏殿! ……おのれ、そなた夏殿に何をした!」


倒れ込みし夏に半兵衛、広人は駆け寄り。

綾路に言葉を、浴びせるが。


「止めろ広人! 夏ちゃんが倒れたのはその綾路ちゃんの、

匂いのせいだ。でも綾路ちゃんに悪気がある訳じゃねえ、

それよりも……」

半兵衛が止め、何かを言いかける。


「何だ、それよりも、何……」

半兵衛の言いかけし言葉を、広人は問わんとするが。


刹那、広人の紅蓮からも殺気が滾り。

「ぐっ……この……」

広人も同じく、倒れ込む。


「広人! ……くっ、こちらも……」

半兵衛の紫丸もまた、殺気を滾らせ。


半兵衛をも、苦しめる。

「ふっ……未だ死なぬ者を地獄へと誘うは違う。此度は、これにて……」

綾路は相変わらず、顔色一つ変えずに言うや。


そのままふと、消え去る。

「ふん、可愛い顔してやってくれるな……!」

半兵衛はふらつきながらも、笑いつつ呟く。

そのまま、倒れ込みし夏と広人を前に、しばらく佇んでおった。





毛見郷での一件より、一月あまり後。

毛見郷には死に行きし者を弔うがための墓が、多く建てられ。


村人たちも、他に行き場がないとのことから、戻る者も多く。

村は前と同じではないが、勢いを取り戻しつつあった。


そこを、訪れしは。

半兵衛と、広人である。


二人とも村の人に合わせる顔がないと、敢えて人の行き来の少なき時に訪れた。


「じゃあ広人、俺は弥助の所へ行くから……」

「いや、私もまずはそちらじゃ。」

半兵衛と広人は、揃って弥助とその母の墓へと行く。


墓に香を添え、花を手向け。

二人は、手を合わせる。

「弥助……」

「弥助殿……すまぬ、私はそなたの屍くらいはせめて、守らんと誓いし身でありながら……!」


広人は言いつつ、泣き崩れてしまう。

半兵衛は、かける言葉もなく。

「……すまねえ、あんたらを守れなくて……」


代わりに、墓にせめてもの言葉をかける。

あの時、虻隈に仕掛けられしこの村のからくりに、気づいてさえいればーー


しかし自らの頭に浮かびしその悔いの心に、半兵衛は首を激しく横に振る。


「広人。……まだ、俺たちには向き合わにゃならん人たちがいるだろ?」

半兵衛は広人の肩に、手を置き。

ようやく言葉を、かけたのであった。





伊尻とその妻、息子の墓の前にて。

二人は再び、手を合わせる。


「なあ、半兵衛。……弥助殿はまだ、救えたやもしれぬ。だが……伊尻殿たちは既に、殺されていたとは。我らはどう、伊尻殿たちを救えばよかったのであろうな……」

広人は半兵衛に、問いかける。


「救う、か。……せめて、俺たちの手で葬ってやるしかなかったんじゃないか……?」

半兵衛は、そう返す。


「ふっ……はははは!」

広人は低く、笑う。


「……何だよ、何が……」

おかしいのか。そう問わんとし、半兵衛は口ごもる。

広人の答えが、大方分かるからである。


「……ならば、我らは何であろうな? 仇の術中にはまり、まだ救えたやも知れぬ者も救えず、せめて自ら葬るべき者も葬れず。……我らは、まるで何もできなかったではないか……!」

広人は大方の思われし通り、答える。


半兵衛は、ふっと立ち上がる。

「……どこかへ行くのか?」

広人は顔の見えぬほどに、項垂れて尋ねる。


「……まだ救えるやも知れねえ奴なら、まだいるだろ?」

「……夏殿、ということか?」

半兵衛が返し、広人がそれにまた返す。


「ああ、でもそれだけじゃねえ。……伊尻さんや、奥方や、息子さんもさ。」

「なっ……何を!」

半兵衛からの答えに、広人は驚きを返す。


「ああ、勘違いするなよ? 夏ちゃんはともかく、もう死んじまった伊尻さんたちは蘇れねえ。だけど……せめて夏ちゃんを立ち直らせて、親兄弟を殺めた罪を悔いらせるはできると思う。」

「な……」

半兵衛のこの言葉は、広人の考えをより超えておった。


「いくら夏ちゃんが、この親にむごいことをされてたからといって、それで親兄弟を殺めていいなんてあるはずがねえ。」

半兵衛は続ける。


「……でも、今の夏ちゃんは虻隈や自らのことの他には、何も考えられてない。ならせめて。……親兄弟殺しの罪を悔いるきっかけでも与えてやらねえと、この人たちは浮かばれねえだろ。」

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