終哭
「さて……行かねえとな。」
半兵衛は紫丸を構え直し、目の前の虻隈を睨む。
「広人、世話になったな……ほら、もう行けよ。」
半兵衛は広人を目の端に捉えて、言い捨てる。
「待て、半兵衛!」
広人はそんな半兵衛の背中に、呼びかける。
「先ほどから何なのだ! 人を荷物扱いしおって!」
広人は半兵衛に、怒声を浴びせる。
「ああすまねえ、そんなつもりはなかったんだがな……
ただ、要るだろ? 虻隈の最期を見せねえために、夏ちゃんを連れ出す奴が。」
半兵衛は言葉は力なく、しかし目には、確かな光を持って答える。
「くっ、半兵衛……」
広人は返す言葉もない。
広人は夏を横目にて見やる。
夏は憂いを帯びし顔にて、虻隈を見つめておる。
「さ、あ……斬れ、使い手共! お、れを……斬れ!」
大鬼より、虻隈の言葉が返る。
いや、虻隈のみにあらず。
「お侍様、早く!」
「お侍様、我らを解き放ってくださいませ!」
「お侍様!」
「お侍様!」
弥助やその母、そして村の者たちの声も。
半兵衛は改めて、紫丸を構え直し。
広人に、言う。
「早く夏ちゃん連れて行け! あと広人……すまなかったな。あんたの友を俺は殺めた。そしてここでは、隼人の時とは違って、村人の変じた傀儡を斬ること、躊躇った。」
「半兵衛……!」
広人は首を横に振る。
が、半兵衛は未だ続ける。
「俺は昔、村を妖から救えなかったことがあった。だから此度で、再び救えなかったことになる。それでこの村の人たちからできた傀儡を斬れなかった……なんて、言い訳がましいにもほどがあるかな。」
言い終わるや、紫丸の刃に殺気を滾らせる。
刃は青き炎のごとく揺らめき、燃ゆる。
「さあ、早く夏ちゃんを!」
半兵衛は、叫ぶ。
広人は俯き、頷き。
回れ右をするや、夏を抱えるが。
その刹那。
「ぐあああ!」
虻隈の苦しみに悶える声が。
翻って、都にて。
「さあ、私を……」
弓を構える水上兄弟に、伊尻の変じし妖は恐れず。
腕を垂れて俯き、さあ射よと言わんばかりである。
「頼庵、いけるな!」
義常が声をかける。
「しつこい! 私はもう迷わん、信じよ兄者!」
頼庵は顔を赤くし、兄に声を張り上げる。
そうして伊尻を、狙う。
「伊尻殿……そなたとは誠に、死ぬ前にお会いしたかった!」
頼庵はつがえし矢を引き、弦を引き延ばし今にも放たんとするが。
その時。
「う……ぐっ!」
にわかに妖より、伊尻の苦しむ声が聞こえる。
「伊尻殿、いかがされたのか!」
頼庵が案ずるが。
「!? 何だ! ……まさか、傀儡の主人様かよ!」
半兵衛は訝る。
「くっ、向、麿……!」
虻隈は頭の中へと呼びかけるや。
「はははは、虻隈あ! なあに勝手に死のうや思っとるんや! ぬしが主人は、それがしやろ! それがしを差し置いて!」
向麿の声が、返る。
「な、にが……主人だ、こんなもの……!」
虻隈は抗わんとするが、向麿より注がれる妖気は今までで最も大きく抗いきれはせぬ。
「はははは、見たか、所詮は虫けら共の癖しおって! この向麿様の操りに、抗えるとでも!?」
向麿はすっかり、いつものゆとりを取り戻しつつある。
「くっ、傀儡を操る輩はここまでの力を!」
広人が歯ぎしりする。
虻隈の大鬼は、尚も抗わんとしてか身をよじるが、やはり抗いきれずそのまま、半兵衛らに迫る。
「……広人、俺が奴に向かって行ったら、あんたも時同じくして夏ちゃん連れて逃げろ! できる限り、俺が虻隈を斬る様を見せねえようにな!」
半兵衛はそう言うや、虻隈の大鬼に向かい駆け出す。
「な……もう、勝手な!」
広人は少し呆けながらも、急がねばと駆け出さんとするが、ある大事なことに気づく。
抱えておったはずの夏が、いない。
「な、夏殿……まさか!」
広人はある考えに至る。夏がおらぬ、ということは。
翻って、半兵衛は。
大鬼にまっすぐ向かい、紫丸を構え。
今にも斬り裂かんとするが。
その脇を、目にも止まらぬ速さで何者かが通り過ぎる。
「夏ちゃん!」
目にも止まらぬ速さのはずだが、その"何者か"を目にて捉えし半兵衛は、叫ぶ。
構わず夏は、そのまま大鬼の顔に張り付く。
見ればその姿はとうに、あの人型の猫のごとし。
「何でだ、力は縄で封じてたはずだ……」
半兵衛は訝るも、紫丸の刃に引っかかりし縄を見て察する。
先ほど脇を通り過ぎし時に、夏はその身を縛りし縄を半兵衛の刃に引っかけ切っていたのであった。
「虻隈、私だ、夏だ! 頼む虻隈、目を……!」
涙ながらに夏は、大鬼に埋まりし虻隈に訴える。
大鬼は顔に張り付きし夏を払わんと手を上げたかと思えば、次には下げ。身をよじる。
虻隈が尚も、死にものぐるいにて抗っておる様が見てとれる。
「……虻隈も夏ちゃんも、助けられねえか。」
前より聞こえし声に、広人ははたと気がつく。
半兵衛のその言葉は、広人に己が耳を疑わせるに値するものであった。
「な、何を申すか! 虻隈はもう……」
声を上げかけし広人に、半兵衛は続ける。
「なあ、広人……ここまで来たら、もう虻隈を救わねえと夏ちゃんも救えねえ。もっと早く仕留めてりゃ、虻隈を屠って夏ちゃん救う手立てもあっただろうがな。」
半兵衛はそう言うや、広人の右肩に手を添える。
「……それは、そうやも知れぬ。しかし半兵衛! 元はといえばそなたが」
「わあってらあ! …… だから、嫌ならあんたはここで退いてくれ。自分のケツぐらい、自分で拭くっての!」
責めの句を次ごうとせし広人に、半兵衛が返し。
再び大鬼に、向き直る。
「……そう言われては、まるで私が責められおる思いである! よい、私もそなたの尻を拭ってやろう!」
「かたじけない!」
広人も、大鬼に向き直り。
「行くぞ広人、遅れるなよ!」
「こちらの言葉だ!」
半兵衛、広人は共に、踏み出す。
未だ大鬼は、夏を顔に貼り付けしまま悶えておる。
翻り、都にても。
伊尻はあのまま、ずっと悶え続けておる。
「水上の、ご兄弟……どうか私を、早く!」
そして水上兄弟に、訴える。
「……兄者、もう終わりにしようではないか。」
「……ああ、この罪も我ら、共に背負おうぞ!」
水上兄弟は息を大きく吸い込み。
二人、時同じくして殺気の矢をつがい、放つ。
「くっ、何やて! 都の妖がやられたやと!」
所は再び毛見郷の近くにて。
都の近くにて伊尻の変じし妖を操っておった僕より、
やられたとの言葉を聞きし向麿は揺らぐ。
「くっ……どいつもこいつも!」
向麿は悔しそうに歯を食いしばる。
目の先にても、夏を貼り付けしままの大鬼に斬りかかりし半兵衛たちが、手足を削ぎ、今にも胴を掻っ捌かんとする。
「くっ……このこのこの! ……こうなりゃあの娘も、使わしてもらうでえ!」
向麿は尚も、足掻く。
「おい、何だあれは!」
またも毛見郷にて。大鬼を掻っ捌き虻隈を取り出さんと斬りかかりし半兵衛は、その大鬼のおかしき様に気づく。
夏の貼り付きし顔が、歪になったかと思えば。
次には肉が蔦のごとく、数多伸び。
そのまま夏を、中へと取り込む。
「くっ、夏ちゃん!」
半兵衛はそのまま大鬼の顔の上へ降り立ち。
そのまま斬らんとするが。
大鬼より言葉が、響く。
「いいのか、使い手よ! 中の娘が、虻隈がどうなろうと?」
「くっ……」
半兵衛はためらう。
「半兵衛!」
広人は大鬼の側に降り立ち、声をかける。
「……わかってる! だけど!」
半兵衛は言う。このまま斬れば、夏をも……
と、その刹那。
腕も足ももがれし大鬼の、腕と足のもがれし傷跡より。
先ほどと同じく肉の蔦が伸び。
もがれし手足と、半兵衛らを捕らえる。
「くっ!」
「おのれ、離せ!」
半兵衛らは大いに暴れるが。
またも大鬼より、誰ともつかぬ声が響く。
「ははは! 今中のあの娘と痛みを分けた。これで我を傷つければ、あの娘にも伝わるぞ!」
「何!」
半兵衛も、広人も、これには手をこまねく。
夏をも傷つけるとはーー
そして攻めて来ぬと見るや、絡まりし肉の蔦の、縛る力が強まる。
「くっ、ぐっ!」
「この!」
半兵衛らは悶え、暴れるが。
やはり傷つけることはできず。
「はははははは! これにて終いやな!」
物陰にて向麿は、高笑いをする。
「これでまた、もがれた腕も足も引き込んで、大鬼の蘇りや! そしてその中に、使い手共も練り込んでくれるわ!」
向麿はより妖力を強める。
これで奴らもーー
が、またも大鬼は。
ぴたりと動きを止め、尚も悶える動きをする。
「な、何やと!」
向麿は驚く。まさか、中でーー
「何だ、ここは……?」
夏は目を覚ます。
何やら、水の中にいるかのごとき光景。
「な、つ……夏!」
「うっ! ……あ、虻隈……!」
夏を後ろより抱きしめるは、虻隈である。
「虻隈……私は、そなたの傀儡だったのか……?」
夏は虻隈に、胸のわだかまりをぶつける。
「そんな、ことはない! 断、じてない! そなたは、俺の、娘だ!」
虻隈は夏と向かい合い、次には正面より抱きしめる。
「虻隈……!」
夏は泣く。やはり虻隈は、ただ一人私をーー
「……た、だ。 夏、すま、なかった……!」
虻隈は抱きしめを緩め、夏の顔を見るや。
涙を流し、詫びる。
「何を謝る? 謝るべきは、私なのに……!」
夏は涙をより流し。
虻隈の背に手を回し、自らも虻隈を抱きしめる。
「……そな、たが誠には、何を、望むか。それも、聞かず。俺は、みず、からが。正しいと、思う、ことを押し付けてきた、だけだった……!」
虻隈は尚も、詫び続ける。
「虻隈、もういい。私は虻隈と共にいれればそれだけで、よい!」
夏は返す。力強く。
が、虻隈は。
夏を抱きしめし腕を、そっと離す。
そのまま夏からも身体ごと、離れる。
「虻隈!」
夏は手を伸ばす。
が、虻隈はより、離れて行く。
「よ、い! もう、俺に……かま、うな……!」
虻隈は夏に、呼びかける。
「……私の真なる望みを聞いてくれるのではないのか、ずっと共にいてくれ虻隈!」
夏は尚も手を伸ばし、虻隈を捉えんとする。
が、追えば追うほどに虻隈は、離れて行く。
「な、つ……共に、は、行けぬ……それに、そなた、が、真の願いは……左様なことではないはず!」
虻隈は夏に、呼びかけ続ける。
「いいんだ、私が言っているんだから! 私はずっと、虻隈と共にいるんだ!」
夏も負けじと、呼びかけ続ける。
「な、つ……! そなた、が、真なる願いは……蔵の外に、出たいということだろう!」
「……!」
虻隈のこの言葉に、夏はついに手を、下ろしてしまう。
確かに、ずっと夢見ていたこと。
できるならば今一度、外で暮らしたい。
しかし、それはーー
「虻隈がいなければ駄目だ! 私はいつでも、虻隈と共に!」
夏は叫ぶ。そうだ、私の暮らしには、虻隈がいなければーー
すると虻隈は、寂しげに笑い。
夏に言う。
「なら、ば。俺の、終いの願いを、聞いてくれ……!
……夏、再び外へ、出してくれ……!」
「……! 心得た、虻隈……!」
夏は、もう迷わぬ。
そのまま身の全てに、殺気を込めーー
「な、何や、何やこれは!」
向麿は、この上なく騒ぐ。
妖を突き破り、中より夏が割って出でしためである。
半兵衛と広人も、それにより迷いを捨て。
自らを捕らえし肉の蔦を切り裂くや。
そのまま半兵衛らも飛び上がり、既に飛び上がりし夏と、同じほどの高さまで至る。
そのまま身を任せ、勢いよく夏、半兵衛、広人は共に、落つる。
虻隈を救い出すべく、胴に迫るがーー
「ま、待て! 何やらおかしき様だぞ!」
広人が叫ぶ。
既に妖のいる所より血肉が、舞い散っているためである。
これは、つまりは。
「夏ちゃんが出てきた時に、既に妖は……」
死んでおった、ということか。
血肉は青に染まり、そして紫丸を紫に、紅蓮を紅に、染め上げる。
夏や半兵衛、広人は、そのまま地へと降り立ち。
この様をただただ、見ていた。
「な、つ……」
虻隈の声が、どこからともなく響く。
「虻隈! どこか、どこへ!」
夏は周りを素早く見渡す。
しかし、声の聞こえし方、"あの所"には目を向けなかった。
いや、敢えて見て見ぬふりをした、のやも知れぬ。
「夏、ちゃん……」
「夏、殿……」
だが、半兵衛と広人は"あの所"を見ておる。
そして言葉を、失う。
"あの所"ーー夏の刃のごとき爪。そこでは傀儡の札が刺さり、血肉となり消える所であった。