妖女
「こ、これは!」
広人が叫ぶ。
虻隈より差し出されし傀儡は、昨日半兵衛に親しげに声をかけし男の子・弥助とその母をはじめ、何と伊尻の妻や息子、さらには見覚えのある村人たちであった。
紅蓮も先ほどより、殺気の光を増し。
より高く、吠える。
「何故だ、何故……この者たちは皆、都に逃れ難を逃れしはずであろう!」
広人は驚きながらも、考えをめぐらす。
やがて、思い当たる。
「まさか……村人を真似て傀儡を!」
広人は言う。
村人が元より操られていたのであれば、自らの妖喰いも騒めくはずであるが、そんなことはなかった。
操るための札も昨日、壊したはずである。
が、そんな広人の考えを嘲るように、虻隈は狂ったように笑い声を上げる。
「ふははは! そいつらは村人たちそのものだ!」
「な、何!」
広人は驚嘆する。
ならばいつ、村人から傀儡を?
「ふふふ……如何に傀儡を造ったかと?」
虻隈はにたりと笑いつつ、広人に言う。
「嘘だ……伊尻さんは最初っから死んでただ? 馬鹿も休み休み言えよ!」
翻って、伊尻の屋敷にて。
半兵衛は伊尻の言葉を信じられず、尚も問い返す。
「いいえ、私はとうに死んでおる、これは誠でございますれば。」
伊尻は事も無げに返す。
ならば、屍に傀儡の札が埋め込まれていたということか。
しかし、やはり信じられぬ。
何故ならば。
「なら、何故妖喰いがざわめかなかったんだ!」
半兵衛は問う。操られていたのであれば、妖喰いがざわめくはずである。
「ええ。ですが今は、ざわめいていらっしゃるのでは?」
伊尻のこの言葉には、半兵衛も答えに詰まる。
「ああ、何でだろうな。今日虻隈が現れて、あんたが現れてから」
「それが、何よりの証でございましょう。」
半兵衛の声を遮り、伊尻が答える。
半兵衛は念じる。たしかに、伊尻の体の内に札の気を感ずる。そしてーー
「魂が、囚われてんのか!」
伊尻の体の内には、札のみならず、魂の気も感ずる。
「そう、私は死んだ時にその身に、魂を囚われ札を埋められ、その時よりずっと操られておりました。」
伊尻は答える。しかし、やはり分からぬ。
ならば何故、妖喰いがざわめかなかったのかーー
「妖気が、弱すぎただと!」
自らに迫る傀儡の攻めを交わし受け止めつつ、広人が問う。
「そうだ! 俺は見ての通り、弱すぎる妖気を補い妖を操るためにこうして妖をくっつけている!」
虻隈が叫ぶ。未だ自らは広人を攻めぬが、両の腕、足、胴、顔。全ての妖はざわめき、血に飢えて唸る。
「だがな! この弱すぎる妖気は、妖喰いの前で傀儡を使うには使い勝手がいいのさ! 弱すぎるが故に、妖喰いに勘付かれぬからなあ!」
虻隈は高らかに笑う。
そして尚も、続ける。
「今でこそこれだけの数の傀儡を操れる! しかし、妖をくっつけぬ様では一つずつしか傀儡を操れぬ! だからそなたらの前に出した傀儡は一つずつだったのだ! 気づいたか?」
「気づいたか?」
伊尻より、伊尻の声に重なり虻隈の声が響く。
もはや今の、そしてこれまでの全てが、伊尻らが傀儡であることを物語っている。それでも未だ信じられぬは、半兵衛の腹が、決まらぬが故か。
「伊尻さん! ……いつからだよ、いつから騙していた!」
何を問うても伊尻の言葉は嘘ではないと分かるのみ。半兵衛はもはや受け入れるしかないと悟り、伊尻に問う。
「始めからでございます。全ては、お侍様方が私と夏に出会われしあの時から……」
伊尻の声は元に戻り、伊尻自らの声にて答える。
崩れかけし伊尻の屋敷の屋根の上にて、佇むは夏である。
思い返すは、あの日。
「……私は間違っていない。間違っていたは、父だ母だ弟だ……!」
夏は頭を抱える。
夏はずっと、蔵の中で過ごした。妖喰いを喰らいその力を身に宿せしあの幼き日より、ずっと。
夏を閉じ込めし父は、その訳について、閉じ込めしその刹那にこう言っていた。
「そなたはもはや化け者だ! もはや私の娘ではない!」
だが、夏も実を言えば恐ろしかったのだ。人ならざる力を持つ、自らが。
だから父母に裏切られし時も、始めは悲しんだが大きくなるにつれ悟った。自らは恐ろしき者、故に裏切られて然るべきなのだと。
そんな日々の中であっても、虻隈はずっと傍にいてくれた。夏に学問や作法、力の使い方まで教えてくれた。
確かに虻隈がこの毛見郷の者たちに姿を見せしは、二月ほど前である。しかし虻隈がこの村、伊尻の蔵に姿を現せしはそれより遥かに前である。
それがいつであったか、もはや思い出せぬ。気がつけば虻隈は、夏の傍にいてくれた。だからもはやどうでもよかったのである。自らを虐げ、受け入れぬ父も母も弟も、村の者たちも。
だが、あの日。虻隈より聞かされた。親が自らの子を虐げることなど、あってはならぬと。
夏は大きく揺らいだ。これまで自らを虐げて然るべきと信ぜし父母が、間違っていたなどと。
「父母、だけではない。この、村の、者たちもだ……!」
虻隈は尚も続ける。むしろ人でないのは、夏ではない。夏を、娘であるにもこんな目に合わせる父母、村の者たちこそ人ではないと。
「虻隈……私はどうすれば……」
夏は虻隈に縋りつく。昔から、味方はもはや虻隈しかいなかった。この村が夏にとってこの世の全てであり、そしてこの世の全てはもはや夏にとって仇でしかなかった。
夏はそのことを、ようやく悟ったのであった。
その刹那、夏の身体は妖喰いの力にて変じた。そしてその後にーー
それから気がつくまでのことは、よく覚えていない。
気がつけば目の前には、父が、母が、弟が。屍となり転がっていた。
「そう、だ、夏……俺、たちの手でこの村を治めよう! 夏を虐げしこの、村、の奴らに思い、知らせねばな……!」
虻隈は夏を励まし、そして焚きつける。
それからは夏は、村を裏より治めた。客人には愛想よく振舞わせ、誰も虐げぬことを掟とし、それを守らせて。
そして村人たちが掟を破れば、殺し傀儡としてきた。村人たちの多くはまだ、このことを知らぬ。
「悪いのは、父だ母だ弟だ、この村の者たちだ!」
夏は叫ぶ。やはり腹の虫は治まらぬ。
長い間に負いし心の傷。それが父母に負わされし者となれば、尚更である。
悔しさのあまり夏は、自らの立つ屋根をその爪にて叩き壊す。
「それで、村の人たちにかようなことを!」
広人は傀儡をあしらいつつ、虻隈に迫ろうとするが進めぬ。
やはり村人が傀儡となっているとあっては迂闊に手出しができぬ。
「はははは! そうだ、人もこの世をうまく回すだけの駒なれば、人は元より何かの傀儡なのだ!」
虻隈はそんな広人を嘲笑うかのごとく、答える。
「何……人がそなたらの、物だというのか!」
広人は虻隈に、問う。
「そうではない! 人は所詮この世を良くするための駒、傀儡なのだ! 人はただ、自らのことなど鑑みずにただ、世のために身を削っていればそれでよかろうに!」
虻隈は怒りすら感ぜられる声にて、叫ぶ。
「だが人には、心というものがある!そしてそんなものに従っているから人は、掟を破り人を傷つける!」
虻隈は、尚も続ける。
「人の心はただ駒であることを妨げる! もはや掟を守れず、自らの心のために人を傷つけるならば!人が人であることなどもはや不要であろう?」
虻隈はひたすら心を吐き出し、終いにはにたりと笑う。
「だから……人を傀儡にしたのか! 掟さえ守れば、人を傷つけねば、人にあらずともそれでよいと!」
広人は返す。もはや怒りも露わに。
「そうだ、と言えば?」
虻隈は事も無げに返す。
「……そなたらのような輩のために、隼人は! 隼人は!」
広人は槍を振り回す。しかし傀儡はそれを恐れず、尚も向かって来る。
「ふん、言うておろう! そやつらはもはや傀儡! 自らを鑑みずにただ、そなたらを始末せんがためだけに動く!」
虻隈はまた叫ぶ。
「くっ、やっぱり容赦はなしかよ!」
伊尻の屋敷にて、半兵衛は伊尻の刃をかわしつつ、言う。
「何をおっしゃいます! 私めを止めたければもはや斬るより他ありませぬ! これまでとてそうして来たのでございましょう!」
伊尻は尚も刃を振り回し、半兵衛に迫る。
「ああ……何でだろうなあ、今更!」
半兵衛は紫丸にて、伊尻の刃を受け止める。
しかし、伊尻を斬ることはせず、ただ刃を払うのみ。
伊尻の刃はやはり、尚も止まらぬ。
「どうしましたお侍様! よもや私には手出しできぬとでも!」
伊尻は半兵衛を、煽る。
どうしてだ、どうしてーー
半兵衛は刃を尚も受け止めながら、自らに問う。
いつもであればその場で、斬ることに対し腹を決められていたはず。なのに何故。
これでは、あの時と同じではないか。
半兵衛の頭に浮かぶは、ある村の様。
死屍累々とし、血の臭いの立ち込めし村。
半兵衛はその様を前に、ただ呆然とし。
そのまま目の前にいる者に、問うていた。
「何でだよ……何で殺した!」
「奴らは、掟を破りし極めて悪しき者たち! そんな者、肉の傀儡にしてしまった方が良かろう?」
広人の何故殺したかとの問いに、虻隈が返す。
「何が掟だ! さような息苦しき掟、守れる訳がなかろう!」
広人は怒りの声を上げる。
目の前にいるは、助けようとして助けられなかった、弥助とその母だ。おそらくあの洞穴で自らと半兵衛が戦う間に殺され、傀儡とされたのであろう。
傀儡とされかかりし人を救えなかった。もはや、隼人の時と同じである。そして傀儡とされし者がもし都に出れば、帝やそこに住まう者たちが危うき目に晒される。
また、隼人の時と同じか。自らはただ、手をこまねいておるしかないのかーー
「はははは! やはりたかが屍とはいえ友誼を結びし者たち、斬れなくて然るべきか!」
虻隈の笑い声が、響く。
たかが屍、だとーー
広人の中で、怒りが沸き立つ。
「まさか、かようなからくりであったとはな。」
この毛見郷の様を物陰より見し伊末は、そう呟く。
「ふ、ふん! 何だかような小細工! 見抜ける訳がなかろう!」
高无ももはや、返す言葉が見つからぬ。
「ほほほほ! 有り難き、勿体なきお言葉! 全てはあの村の輩を信じ込ませて、妖喰いの使い手どもを一息に潰さんとする企みでしたわ!」
向麿はすっかり勝ち誇りし様にて、長門兄弟に言う。
「ふん、なるほど。如何に野蛮な猿どもとはいえ、友誼を結びしものは斬れぬと……」
伊末は言いつつ村の方を見、言葉を失う。
「何や? 如何がしました伊末様……!?」
広人は紅蓮に、力を込め。
今や傀儡らに、組み付かれておるが。
それを勢いよく、振り払う。
「! まさか、斬れるというのか!」
虻隈も驚嘆する。
広人はその言葉を裏付けるかのごとく、まず弥助へと、紅蓮の刃先を突き刺す。弥助の中より傀儡の札が、貫きし刃先が刺さり出でる。札は立ち所に血と肉となり滅びる。
弥助はただの屍となり、広人に寄りかかる。広人はそんな弥助を、抱きしめる。
「な、何と!」
虻隈が尚も驚嘆する中、広人は構わず、次は弥助の母に紅蓮の刃先を、突き刺す。またも札は血肉となり、滅びる。
広人はただの屍となりし二人を自らの後ろに置き、高らかに叫ぶ。
「聞け、半兵衛! 我らが守らんとせし弥助とその母は、傀儡であった! そしてその二人は、私が今この場にて再び殺した! 私は腹を決められたぞ、半兵衛!」
広人の声は、村中に響き渡り。
それは半兵衛の耳にも、届いていた。
「誠かよ……広人、まさかあんたに抜かされるたあなあ……」
半兵衛は感嘆の意を、漏らす。
「隙ありですぞ!」
伊尻が刃を向け、迫る。
半兵衛は刃を斬り払い、伊尻の身体に刀傷を負わせる。
「くっ! ……お侍様、ようやくその気になってくださいましたか……」
伊尻は笑う。
「おのれ、傀儡とはいえ人を……!」
虻隈は広人を責める。
広人は虻隈を見据え、言う。
「たかが屍と言いしはそなただ! そして私はその言葉に怒りを覚えた! だから私は、誓った。」
広人の話は、続く。
「この親子を殺せしは、そなたらの計略にまんまと乗せられし我ら、それはまごう事なきこと! だから私は、この罪を生きる限り背負うと誓った!」
広人は言い切り、虻隈を睨む。
「だが……たかが屍などと思うな! 私はこの者たちを墓に入れ、葬いたい! それを邪魔立てする者は、断じて許さぬ!」
広人は二人の屍の前に、立ちはだかる。
「邪魔立てする者……虻隈と私を邪魔立てするならば、許さぬ……!」
伊尻邸の屋根の上にて広人の言葉を聞きつけし夏も、怒りを燃やす。
毛見郷での戦は、これより始まるのだ。




