傀儡
「くっ……ふああ……妖は馬鹿正直に、今日攻めて来るってか……」
半兵衛は朝日を前に、大きなあくびを上げる。
虻隈が戦を仕掛けると宣い、その次の日。
半兵衛と広人は代わる代わる、村の番をしておった。
虻隈が必ずしも、宣いし通りに攻め入るとは限らぬためである。
しかし、夜通し待てども妖は来ぬ。
やはり虻隈は、宣いし通りに今日攻め寄せるようである。
「さあて……ん?」
番をしておった、伊尻の屋敷の屋根の上より下を見れば。
伊尻が何やら、屋敷より出ていくところであった。
「伊尻さん!」
半兵衛が声をかけ、屋根より降り立つ。
「これはこれはお侍様……おはようございます。」
伊尻は驚きつつ、挨拶を返す。
「ああ、おはよう。……伊尻さん早いな。」
半兵衛も挨拶を返す。
「ほほほ……何かしておりませぬと、落ち着きませぬもので。」
伊尻は目を伏せる。
半兵衛はその伏せんとする目を見やる。
心なしか、隈とも皺ともつかぬものが。
やはり伊尻は、疲れているようであった。
「伊尻さん……案ずるな、必ず夏ちゃんは取り戻すよ!」
半兵衛は伊尻を、励ます。
「はっ! ……ありがたき幸せでございます。」
伊尻は幾分かは、明るくなりしようである。
「それで、やはり夜の間には妖は出なかったと?」
広人が眠たげにあくびを堪えつつ、半兵衛に問う。
「ああ、やはり奴は今日、片を付けるみてえだぜ……ておい、聞いてるか?」
半兵衛は広人に言うが、ついに堪えきれずあくびをせし広人に問う。
「あ……ああ、すまぬ! だ、だがこの通り、体は恙無いぞ!」
広人は胸をどんと叩き、エヘンと威張りたげな顔にて言う。
「なら、いいんだ……今日はよろしく。」
半兵衛は力無く言い、そのまま屋敷の外へ出る。
「……何だ、あやつは? まったく、張り合いのない。」
広人は密かに憎まれ口を叩くが、半兵衛を直に責める気にはなれず。そのまま胡座をかき、思いを巡らせる。
「兄者、何かあったか?」
所は変わり、都の半兵衛の屋敷にて。
起きるなりぼんやりと庭に出し兄の様を、頼庵が訝る。
「ああ、頼庵か。……何か胸騒ぎがしてな。」
義常は頼庵をちらりと見遣り、そのまま顔を前に向け。
何やら物思いに、沈みし様である。
「そうか……まあ戦を前に、胸騒ぎのせぬ輩はおらぬだろうしな。」
頼庵は兄の心が分からず、かけるべき言葉が見つからぬ。
そこへ従者が、朝飯を支度できしことを伝えに参る。
「ああ、すまぬ。……頼庵、行こうぞ。」
義常は従者に答え、頼庵に言う。
「ああ、兄者。」
頼庵はやや素っ気なく返す。
頼庵も考えていた。これは久しぶりの大戦であるが故か、はたまた他の訳かーー
「虻隈、どうや?」
再び所は変わり、毛見郷にほど近き所。
戦の支度をする虻隈に、向麿が声をかける。
「ああ。思いしより、心、は、高ぶっている。」
虻隈は言葉とは裏腹に、静かに答える。
「ほほほ、それはそれは。……では虻隈や。それがしの策を話すで。」
向麿は虻隈の耳元に顔を近づけ、虻隈も耳をそばだて。
「なる、ほど。これまでの行い、は、全て、このためか……」
虻隈は向麿の言葉に、目を伏せる。
「何や? まさか、怖気づいたんか?」
虻隈の顔を、向麿が覗き込む。
「……い、や。全て、は、夏の、ためだな……!」
虻隈はあたかも、目の前に仇がいるかのごとく虚空を睨みつける。
今にもやらんとする、気迫に満ちておる。
「ええ……それでええんや、虻隈よ! それがしとあんたとで幾年月も育てし種が、ようやく花咲かせ、実を結ぶ時や……!」
向麿はそんな虻隈を見、喜びのあまり声を上げる。
「今日の戦、毛見郷の皆のために。……負けられないな!」
伊尻の屋敷の外にて、半兵衛が呟き、腹を決める。
「兄者、これより戦か……」
「ああ。頼庵。……何としても、都を守ろうぞ。」
頼庵は未だ浮かなき様であるが、義常は先ほどまでの迷いを、とうに振り切りしように。
力強く、答える。
「虻隈、あの男は?」
尚も戦の支度にかかる虻隈を呼び止めしは、夏である。
「ああ、もう、行った……」
虻隈は、静かに答える。
「そうか……私はどうも、あの男が好かぬ。」
夏は顔を逸らし、そっと呟く。
「夏。……案、ずるな。俺と、お前の、幸せのため。邪魔立て、するものは、許さぬ。」
虻隈は次には静かながらも、力強く言う。
「うん、虻隈……二人でいられれば、何も怖くはない。」
夏は寂しげな笑みを浮かべ、虻隈に答える。
都で、毛見郷で、毛見郷の近くで。
それぞれに腹を、決める。
そして、その日の夜。
村人たちは、皆都へと逃げさせた。
道中、襲われる恐れもあったが、何ごともなく逃げ切り。
村の周りを半兵衛、広人と、代わる代わる周り。
妖の来る時を、待つ。
「さあて、宵の闇に紛れて。……出てこい、妖男。」
半兵衛は村を周りつつ、未だ現れぬ仇に、声をかけておった。
「ふう、いよいよ……戦となるのか……」
広人も半兵衛とは他の所を見回りつつ。
腹は決めていたつもりであったが、
いざとなれば震えておる自らに、情けなさも憶える。
「くっ……隼人、どうか力を……」
広人は手を組み、祈りの形にし。
今は亡き友のためにも、戦わんと改めて腹を決める。
空に一羽、鳥ーーのごとき物が浮かぶ。
やがて、その"鳥"はーー
「くっ! 紫丸が騒いでやがる! あいつは!」
半兵衛が村へと降り立たたんとする"鳥"を見つけ、急ぐ。
言わずもがな、"鳥"は鳥にあらず、妖である。
半兵衛らを牽制し、空より攻め入ったようである。
「早くしねえと!」
半兵衛は鳥の妖にむけ、殺気の刃を伸ばさんとするがーー
刹那、何者かが襲いかかる。
「ぐっ! ……何者だ!」
半兵衛が叫ぶや、その何者かが止まる。
その姿は、首の無き妖ーー首切れ馬である。
「ほほお……どうやら、一匹じゃないらしいな!」
半兵衛は笑うが、戯れておる場合ではない。
そのまま首切れ馬に、なんと言葉のままに馬乗りとなる。
慌てて走り出す首切れ馬であるが、半兵衛はそれを制し、村の中へと向かわせる。
「さあ!待ってろ鳥!」
半兵衛は村の中へと、急ぐ。
「くっ!妖がもう村の中へ!」
広人も鳥の妖を見つけ、村の中へと急ぐが。
その前に何者かが、立ちはだかる。
「くっ! ……そなたは!」
広人が暗がりの中にて、目を見開くと。
それは、大きな口に、赤き舌を持つ妖ーー赤舌である。
「邪魔立てするな!」
広人は紅蓮より、殺気の刃を伸ばし。
赤舌をに向け、大きく振るう。
「その道を開けろ!」
赤舌はその刃にかぶりつかんとするが、すぐにその刃が殺気と知り恐れ。
素早く、避ける。
「ふん、正直な奴だ!」
広人はこれ幸いとばかり、赤舌の開けし道を行かんとする。
が、赤舌は。
長き舌を伸ばし、広人を捕らえんとする。
「くっ……なんのこれしき!」
広人は舌に絡め取られつつも、尚も抗わんと暴れ。
そのまま舌よりは、逃れるが。
「くっ! ……押し戻されしか。」
広人は先ほどの所へ、突き飛ばされ。
再び前には、立ちはだかる赤舌が見える。
「なるほど……行く手を阻むか!」
広人は尚も、立ち向かって行く。
「ようし、あと少し!」
半兵衛は、首切れ馬に乗りしまま。
村の中、鳥の妖が降り立ちし辺りを目指す。
後ろよりまた、他の妖が迫っておるが。
半兵衛は殺気の刃を伸ばし、狙いは外すも突き放すことは成す。
そのまま尚も、目指す。
「くっ……どうにか間に合え!」
半兵衛はひたすら、首切れ馬を駆り立てる。
やがてあの鳥の妖が、近くに。
「見えた!」
ようく見れば、鳥の妖は、そのなりを鷺のようにして。
その身を炎のごとく、滾らせておる。
青鷺火である。
「これでも、喰らえ!」
半兵衛は再び、殺気の刃を伸ばす。
刃は妖へ、まっすぐ進むが。
刹那。空より降りし岩に、阻まれる。
「な、何!」
半兵衛が驚きし時。
乗っておった首切れ馬が、半兵衛を振り落とし、青鷺火の元へ駆ける。
「なっ……くっ!」
半兵衛は落馬しかけるが、かろうじて地に降り立つ。
「再び、相、まみえたな!」
空より虻隈の声が、響き渡る。
半兵衛が見上げれば。
その左腕にムササビのごとき妖ーー野衾を付け。
虻隈が青鷺火の前へ、降り立つ。
刹那、青鷺火は獲物を睨むかのごとく、息を荒くし。
首切れ馬も、足踏みを始める。
「ふ、ん。俺を、喰いたいか……はははは、妖共お!!」
虻隈はたちまち、大きな叫びを上げる。
「な……」
半兵衛は思わず後ずさる。
虻隈のその叫びは、これまでのたどたどしい喋りではない。地に響く、激しき声である。
「うわー!」
にわかに横より叫び声が聞こえ。
半兵衛が見れば。
広人が、飛んで来る。
「おっと!」
「うおお!」
半兵衛は自らにぶつからんとする勢いであった広人を、すんでの所で躱す。
「危なかった!」
「おい半兵衛!受け止めぬか!」
広人が半兵衛に、軽口を叩く。
「ふん! このような時に! なんと呑気な!」
虻隈はまた、激しく叫ぶ。
気がつけば、半兵衛らは先ほどの赤舌や、猿のごとき妖--狒々にも囲まれておる。
「おっと……まずいねえ。しっかし虻隈さんよ、あんただって喰われんとしてんだろ!」
半兵衛は紫丸を構え直しながらも、軽口を叩く。
「そ、そうであるな!そなたも狙われておること、忘れるな!」
広人は立ち上がり、紅蓮を構え直し、自らも再び軽口を叩く。
「ふん! そうだな妖共お! 喰え、心ゆくまで! 四つの妖たちよ!」
が、虻隈は恐れず。
半兵衛はその言葉に、驚嘆する。
「なっ……まさか!」
喰えとは、虻隈が妖と一つにならんとする時の言葉。
それが、四つの妖とはーー
刹那、虻隈は右腕にて、自らをいつも覆いし大きな布を、脱ぎ捨てる。
虻隈の身が、露わとなった。
見れば、獣の下顎のごときものは。
腕や足のみならず、虻隈自らの胴や、下顎にも備わり。
そこをめがけこの場におる四つの妖が、虻隈へと喰らいつく。
虻隈の身に備わりし下顎より、牙が生え。
己に喰らいつきし妖より生えし牙と、噛み合い。
青鷺火は右腕、首切れ馬は足、狒々は胴、そして赤舌は頭へ。
群がられ虻隈は、一時は悶えるかのごとき動きを見せるも、すぐに立ち上がり。
その身全てに、元より左腕に噛み付きし野衾と合わせ五つの妖が、鎧のごとく絡みつく。
「ふっ……はははは! 見たか使い手共! この村こそぬしらが墓場よ!」
虻隈はその異様ななりにて、先ほどよりもさらに激しく、叫ぶ。
もはや人とは、呼べぬ姿である。
「こんなの……聞いてないぞ!」
広人が、声を上げる。
いや、声を上げしは広人のみではない。
紅蓮と紫丸、二つの妖喰いの刃もまた、各々に殺気の輝きを見せ。
妖喰いの声を、放つ。
「はははは、どうや! あれぞ虻隈や!」
毛見郷を見渡せる崖上より、この様を見しは。
向麿や長門伊末、高无である。
「まさか……その身全てに妖を鎧うとは……」
伊末は呆け、すっかり感心する。
「ふ、ふん! こんなもの思いの他ではないわ! 兄上、恐るるには足りませぬぞ、あのようなもの!」
高无は頗る揺らぎつつ、兄に言う。
「そうであるな……向麿、まさか面白き物とはこれしきではなかろうな? そうであればただでは……」
「ほほほほ!」
向麿は、にわかに笑い出す。
「案じなさんなや! 真のお楽しみはこれからや!」
「はははは! さあ、勝ち目はあるか!」
虻隈は高らかに、笑う。
今や赤舌が顔に被り、目のみが赤舌の上顎と虻隈の下顎の間より妖しく光るが、その笑いは声の様にてよく、分かる。
「ああ……言ったろ、あんたは成敗するって!」
半兵衛は虻隈に、言い放つ。
「そうだ、そちらは一人に、こちらは二人!多勢に無勢であるな!」
広人もまた、半兵衛に続き言い放つ。
「はははは! 愚かな、こちらは一人ではない!」
虻隈が叫ぶや、茂みより身を翻し躍り出る者が。
言うまでもなく、夏である。
「夏、殿か……!」
広人が、叫ぶ。
姿はそのまま夏であるが、たちまちその身を殺気にて覆い。
その身を刃に覆われし、人型の猫のごとき姿に変わる。
「夏ちゃん……!」
半兵衛は歯噛みする。
「夏のみではない! 既にこの村に傀儡を、放っておいた!」
「何!」
虻隈の言葉に、半兵衛はまたも驚嘆する。
村人は全て逃してある上に、傀儡の札も見つけ出して壊したため、村人から傀儡は作れぬ。であれば、また新たに傀儡を……?
「さあ、それでは行くぞ!」
夏が飛び出し、半兵衛めがけ襲いかかる。
「夏ちゃん…… 止むを得ねえよな!」
半兵衛は腹を決め。自らに向けられし夏の爪を、紫丸にて受け止める。
「ふん……甘い!」
夏はすかさず、自らの受け止められし爪を大きく振り払い、その勢いにて半兵衛を伊尻の屋敷まで吹き飛ばす。
「半兵衛!」
広人が叫ぶ。
「ふん!そなたの相手は俺と……こいつらよ!」
虻隈が広人に迫る。
と、何やら幾つかの黒き影がどこかより飛んできて、虻隈の後ろに降り立つ。
「さあ相手してやれ……傀儡どもよ!」
そう言って、虻隈が差し向けしその影たちを見た広人は。
「な、……何!」
驚きのあまり、言葉を失う。
「痛た、少しは手ェ抜けや!」
「するか!」
夏は幾度も幾度も襲いかかり。
半兵衛はその度に紫丸にて、斬りかかる。
爪と刀は、鍔迫り合いとなり、お互いを吹き飛ばし。
伊尻の屋敷を、壊して行く。
「くっ……くそ……」
半兵衛は屋敷の中を隠れつつ駆け回るが、そのさなか。
「……お侍様!」
暗がりの中で、何と逃げしはずの伊尻の声が響く。
「……伊尻さん! もう、何でいるんだよ!」
半兵衛は伊尻に駆け寄る。
「はは……すみませぬ。やはり気がかりであったもので……」
「まったく……」
そこまで伊尻と話していて、半兵衛ははたと気づく。
紫丸が、殺気の光を。
より強めているのだ。
待てよ、虻隈は確か言っていた。
既に傀儡は、この村の中にいると。
確かに伊尻も、都へ逃れたはず。
「……あんた、伊尻さんか!」
半兵衛は伊尻より間合いをとる。
「何をおっしゃいます? 私めはただ」
伊尻の手に握られしものが、暗がりの中で僅かな光を集めきらめく。
それは刃で、あった。
「くっ! あんた、伊尻さんの姿した傀儡か!」
半兵衛は刃を躱し、伊尻に問う。
「いいえ、お聞き下さいお侍様。伊尻は」
しかし、伊尻より返りし答えは、思いもよらぬものであった。
「伊尻は、元より死んでおります故。」