復村
「あんた……妖喰いなのか!」
半兵衛は驚嘆と共に、目の前の"妖"に尋ねる。
「何だ?よもや、まだ気づいておらなかったと?」
"妖"は嘲りの意を含む言葉を、返す。
「ああ……妖かと思ってたぜ!」
半兵衛が返す。
目の前の、半兵衛と広人の刃を受け止めし"妖"の身には、滾らんばかりの青き殺気が纏われ。
同じく炎のごとく殺気を纏いし半兵衛らと、力にて押し合う。
その刹那。
"妖"の後ろより、呻き声が聞こえる。
「うう……な、つ……」
「!? ……な、何!」
その、虻隈の呻き声に乗せられ放たれし言葉に、半兵衛らは耳を疑う。
「ま、まさか……夏、ちゃんなのか!」
半兵衛は"妖"に、またも問う。
「ふん……まあよい、いずれ分かることだしな。」
刹那、"妖"は、飛び上がり。
くるりと後ろへ宙返りし、虻隈の元へ降り立つや。
"妖"の身体はまばゆき殺気に包まれ、瞬く間に人の姿へと変わる。
その姿は間違いなく、地主・伊尻の娘、夏である。
「何で……何でだ、夏ちゃん! そいつは君の村や、お父上を苦しめる奴なんだぞ!」
半兵衛は信じられず、夏に声を荒げる。
「言ったろう、半兵衛。……私は虻隈に、救われた。であれば私が、次には虻隈を守る!」
夏は力を込め、そう言い放つ。
「そんな……夏ちゃん!」
半兵衛はまたも、夏を呼ぶ。
夏もまた、何やら悲しげに半兵衛を見つめるが。
「な、つ……ここは退こ、う!」
虻隈はふらつきながらも、何とか幾つかは治りし蜘蛛の足にて立ち上がり。
腹より伸ばせし糸を、洞穴の天井につけ。
そのまま上へと、飛び上がる。
「待て!」
「広人、あんたが待ってくれ!」
紅蓮を虻隈に向け、殺気の刃を伸ばさんとせし広人を止めしは、半兵衛である。
「何故だ、半兵衛!」
「夏ちゃんに、当たっちまう!」
驚き、問う広人に、半兵衛は訴える。
「……次には、どちらかが死ぬまでやり合おうぞ!」
夏も飛び上がると、虻隈により、蜘蛛の足により抱かれ。
そのまま天井にぶつかり、砕き割る。
上よりたちまち、石が、砂が、降り注ぐ。
「くっ!この!」
「外へ逃げるぞ!」
広人を引っ張り、半兵衛が洞穴の外へと出る。
二人がようやく、穴な外へと逃げし頃には。
穴の入り口より塵が、周りを白く染め上げるほどに多く舞い。
穴は塞がってしまった。
「……大事ねえか。」
半兵衛が問うと、広人から返りしは、言葉ではなく。
「半兵衛!」
「くっ!」
鋭き、拳であった。
「な、何を……」
するのかと半兵衛は問いかけるが。
明らかに先ほど、夏と虻隈を逃せしこと故と思い当たり、口をつぐむ。
「そなた……何を考えておる! 前のそなたであれば、こんなことは!」
広人は地に伏せし半兵衛の、胸ぐらを掴み。
尚も半兵衛を、責め立てる。
「あの女子も、あの場で捕らえるか何か、せねばならなかったであろうに!」
「……」
半兵衛は返す言葉も拳もなく。
ただただ、広人の心のままに任せ、責められ殴られた。
「何、と……それは誠ですか! ……あ、いえお侍様を疑っている訳では……しかし……」
伊尻邸に戻りし半兵衛らより、事のあらましを聞きし伊尻は、驚きのあまり問いかける。
「ああ、……信じがたいかもしれんが、誠だよ。」
半兵衛も言いつつ、まだ自らも信じられぬ様にて伊尻に返す。
「……まさか、我が娘が……妖などに……」
伊尻も大きく、狼狽えておる。
「……伊尻殿、心中お察しいたす。」
広人はそんな伊尻に、言葉をかける。
「ははっ、恐れ入ります。……申し訳ございませぬ、私も考えがまとまりませぬ故に…」
伊尻は涙目にて、俯く。
「……伊尻さん、夏ちゃんはあの虻隈という男に、救われたと言っていた。……話してくれないか、夏ちゃんが何故妖喰いの力を持っているのか、何故虻隈に恩義があるのか、そのことに心当たりはないかを!」
やや躊躇いつつ、有無を言わさぬ勢いにて半兵衛が問う。
「お、お侍様…」
伊尻はその様に、怖さを憶える。
「これ、半兵衛!」
広人が窘める。
「……すまねえ。でも伊尻さん! 早くしないといけねえかもしれないんだよ! 夏ちゃんは虻隈に、すっかり心奪われて……もう間に合うか分からないんだ、だから!」
「お侍様……」
はっとしつつ、半兵衛は尚も求める。
伊尻もその言葉には、拒む方なしといった様である。
「……分かりました。お話ししましょう。」
伊尻は観念し、語り始める。
ことの起こりは、夏がまだ幼き日。
今より八年ほど前になる。
まだ五つほどであった夏は、いつも屋敷の中を駆けて遊んでおった。やがて夏は、蔵の中に辿り着く。
そこには鉤(カギ状の刃を持つ刀)の形の妖喰い・蒼士が仕舞い込まれており、断じて触れてはならぬと言いつけられていたのであるが……
「夏はその妖喰いを見つけて取り出だし、そして……私が駆けつけし時には。」
伊尻の話は続く。
伊尻が駆けつけし時には、何と夏はその妖喰いを呑んでいた。
あまりのことに半兵衛も、広人も。
言葉を失う。
「私もその時は、夏はそれにて亡くなりしものと思っていました。しかし……」
夏はなんと、目を覚ました。
それを気味悪がりし伊尻や、噂にて知った村人たちは。
夏をそのまま蔵に押し込めてしまった。
しかし、そのまま殺すには忍びなく、飯は与え身体は養った。
そのまま月日が流れ、やがて夏の弟となる伊尻の息子が生まれ。伊尻は息子を可愛がりつつも、やはり夏は疎んじたまま育て続けた。
「……まあ頭ごなしに、責められることじゃないかもな……」
一通り聞き終えし半兵衛も、返す言葉が見つからぬ。
「し、しかし…我が子を閉じ込めるなど……」
広人も未だ、自らの心まとまらぬ様であるが、やはり伊尻をひたすらに責める気には、なれぬ。
「……あの虻隈って男は、いつからこの村に?」
半兵衛は話を、変える。
「はい、あの男は。二月ほど前に、この村に現れ。
……夏を世間に出すこと、そして、誰にでも優しくあるようにとの掟を出し、破れば村ごと妖にて喰い尽くすと……」
そこまで言いかけ、伊尻も堪えられぬようになったか。
大きく、しゃくり上げる。
「……悪かったな、伊尻さん。そんな苦しい思いを……」
半兵衛は何とか言葉を見つけんとするが、見つからぬ。
「……まったく、半兵衛。誠にこの男は……」
広人も半兵衛を責めんとするが、やはりこの場を変えるだけの言葉を思いつけず。
そのまま、半兵衛も広人も黙りこくる他なし。
「いえいえ、申し訳ございませぬ……しかし我らはもう、終わりでございますな……」
伊尻は泣くを止めたようではあるが、やはり悲壮な思いを漏らす。
「……伊尻さん、夏ちゃんやあの男を捕らえられなかった体たらくで申し訳ないが……今一度この村を、守らせてはくれやしないか!」
「な……お侍様!」
半兵衛が手をつき、勢いよく放ちし言葉に、伊尻が驚く。
「そうだな……伊尻殿、私からもお願いする!」
広人もまた、手をつき頼み込む。
「……私はできればもう、あなた方の手をさらに煩わせるなどしたくはないのですが……」
伊尻はすっかり恐縮し、断り文句を口にする。
「……伊尻さん、まだ諦めないで……」
「……はい、しかし私も、ここで諦めとうないというも誠であれば……どうかお願いいたします!」
半兵衛が挙げかけし声に、伊尻の方より手をつき、頼み込む。
「伊尻さん……!」
半兵衛は嬉しさのあまり、声を上げる。
「ふ、ん!愚かな者、共め!ならば咎を受けさせるのみよ!」
外より太い声が、響き渡る。
村人たちの騒めきも聞こえる。
半兵衛が外へ出れば、そこには。
「……虻隈、か!」
両の腕につきし妖の、翼を広げ空に浮かぶ、虻隈である。
「夏ちゃんはどこだ!あの子に何かしたら許さねえぞ!……いや、この村を弄んだってだけで、もう許せねえがな!」
半兵衛は空に向け、怒りの声を放つ。
「ふ、ん…案、ずるな!夏は俺の、愛しき、娘。その幸せ、のためならば!何だってする!」
虻隈が、返す。
「まさか、それでこの村を弄んでんのか! 夏ちゃんに惨めな思いさせた伊尻さんや、村のみんなを苦しめて! それで夏ちゃんのためになるとでも!」
半兵衛はさらに、怒りの声を上げる。
「ふ、ん……そう、だ。夏を苦しめし報、い!とくと、味わせる!」
虻隈は言うや、先ほどまで空に止まりし様より変わり、空を飛び回る。
「くっ!何を!」
半兵衛は地より見上げ、追いかける。
「聞、け! 毛見郷の、者共! 明日こ、の、毛見郷を攻め。
落と、せし暁には! ここより、都、を、攻める! せいぜい、首を、洗っておけ!」
虻隈は叫ぶと、どこかへと飛び去る。
「待て! ……くそ、逃げられたか……」
半兵衛は追わんとしたが、追いつける筈もなく。
そのまま伊尻邸へと、帰る。
「お、お侍様!……この村を落とすなどと、我らは果たして何をすれば……」
伊尻は顔を真っ青にし、既に落ち着きを失っておる。
「案ずるなって、伊尻さん! …しかしこうなったら、帝にもお知らせしないとな。それは俺がやる。だから伊尻さんは、ひとまず皆を集めてくれないか?」
半兵衛は伊尻を宥め、頼み込む。
「か、かしこまりました……で、では、皆を!」
伊尻は言うや、屋敷を出て行く。
「……しかし半兵衛、帝にどうお知らせするのだ?」
伊尻を見送り、広人が半兵衛に問う。
「ああ、こうするのさ!……こんなこともあろうかと義常さんとの繋がりを、直しておいた!」
「……繋がり?」
半兵衛の言葉が、広人にはさっぱり分からぬ。
「まあ、見てろよ!」
半兵衛は広人に、笑い返す。
「何と、それは誠か!」
内裏にて帝は、驚きの声を上げる。
「はっ! ……水上義常の語りし所によれば、妖喰いの殺気を通して半兵衛殿からの声を聞いたと!そして語られしが、今の言葉でございます!」
水上兄弟の目付けに任ぜられし陰陽師の一人が、帝に話す。
半兵衛より知らされしは虻隈、そして夏のこと。そして何より、明日奴らが毛見郷へと攻め入ることである。
「直ちに衛士らを集めよ! ……いざという時のため、水上兄弟も待たせておけ!」
「はっ!」
帝からの命を受け、内裏中が騒めく。
「皆! 焦ることはない! 落ち着き、備えるのだ!」
帝は騒めく従者や公家、女官らを宥め、促す。
「帝、案ずることはありませぬ! ……半兵衛や広人が、きっと。」
摂政道中が、帝を宥める。
「……うむ。」
帝はしかし、物憂げな顔をする。
「……いかがなさいましたか?」
摂政は訝る。
帝は俯き、言う。
「……さらに大きな嵐の前の、ほんの小さな嵐であるように感ぜられるのだが。」
翻り、夕暮れ時の毛見郷。
伊尻邸の前には、村中より人が集まる。
「これで、全てでございます。」
伊尻が、皆を前にする半兵衛、広人に言う。
「ああ、ありがとう。……行くぞ、広人!」
「お、応!」
示し合わせるや、二人は。
目にも止まらぬ早さで、村の皆の群れを、搔きわける。
「な、お侍様!」
「きゃっ!」
半兵衛は村人の、老いも若きも幼きも。男も女も、全てその身を調べ、"ある物"を見つけるや、素早く斬り伏せ。
そのまま村人の間を駆け回り、"ある物"を見つけては、斬り伏せ、全て調べ終わるや元の、皆の前に戻る。
僅かな間の出来事であった。
「お、お侍様……? これは?」
伊尻が聞くや、半兵衛は伊尻の身体も掻き回し、"ある物"を見つけ取り出だす。
「お、お侍様!」
驚き叫ぶ伊尻をよそに、半兵衛はその"ある物"ーー妖を操る札を、皆に向けて掲げる。
「皆、ご無礼をすまない! だが聞いてくれ! これは妖や人を、傀儡のごとく操る札だ! それを今皆に仕込まれていたものを探し出し、こうして斬り伏せた!」
半兵衛は札を、ぱっと離し。
漂いし札を、広人が紅蓮の刃にて斬り伏せる。
札はたちまち、赤い血肉となり、紅蓮の刃を赤く染める。
「な、何と……」
驚き伊尻は、言葉もない。
「だが案ずるな!こうして札を仕込み、この村から裏切り者を出さんとするあの男、虻隈の企みは斬り伏せた!これからどんな企みをしようと、俺たちが幾らでも斬り伏せてやる!」
半兵衛は紫丸を引き抜き、その刃を掲げる。
妖も札も既にないため、刃は妖しくも、銀に輝く。
村人は沸き立ち、声を上げる。
目の前の妖喰いの使い手たちを、讃える。
「お侍様!」
話を終えし半兵衛の元に、男の子が駆け寄る。
それは、昨夜あの大蜘蛛に捧げられる所であったあの男の子であった。
「おお!生きててくれて、よかったよ。おっ母は?」
半兵衛は男の子の頭を撫で、尋ねる。
「向こうで待ってて……もう行かなくちゃ。」
男の子は寂しそうに、半兵衛に言う。
「そうか……戦が明けたらまた会おう、おっ母によろしく!」
「うん!」
半兵衛に励まされ、男の子は走り去る。
「坊主、名前は?」
「弥助!」
去り際、男の子に半兵衛が名を尋ね、男の子が返す。
「弥助、か……」
「ふーん、随分と懐かれているではないか。」
弥助に名残惜しげな半兵衛を、広人は少しからかう。
「何だよ、妬みか?」
「な、違う! こう見えて私は!」
「半兵衛様、でございますか?」
二人の言い合いに、割って入りしは。
一人の、男の子を抱き抱えし女である。
「あ、ああ……あんたは?」
「失礼つかまつります。……私は伊尻の妻で、夏とこの子の母でございます。」
半兵衛の問いに夏の母は、返す。
「あ、これはこれは……伊尻さんから聞いた。ようやく出て来れたんだな。その子が寝付いて。」
「はい。」
半兵衛は夏の母に、小声で返す。
無論、夏の母が抱えし夏の弟を慮ってのことである。
「……広人。」
「……うむ!」
半兵衛より言葉を受け、広人が夏の母と、夏の弟より札を取り出だし。
そのまま二つの札を、斬り伏せた。
静かに紅蓮が音を立て、血肉となりし札を喰らう。
「……さぞかし夏ちゃん、ご心配だろう。」
半兵衛は夏の母に、声をかける。
「……はい。私共がもっと、気をつけていたら……」
夏の母は涙ぐむ。
「案ずるなって! ……ただ、お母上様よ。夏ちゃんが帰って来たら、抱きしめてやってくれ。」
「……はい!」
夏の母は、その声と共に涙を拭い。
屋敷へと、戻る。
「ふん、気障な真似を。」
広人はからかいげに半兵衛に、嫌味を言う。
「……いいじゃねえか!さあ、明日は戦だ、備えるぞ!」
やや照れつつ半兵衛は、照れ隠しに声を上げる。
「ふん!まったく、あんな村になぜこだわる?」
半兵衛らが村人たちを奮い立たせし頃、長門の屋敷にて。
高无は向麿に、苛立ち混じりに問う。
「まあ、よもやあの女そのものが妖喰いであったとは……しかし、確かにあんな村にこだわる訳は分からぬな。」
伊末も、首をひねる。
「まあまあ、お父上の邪魔立てを、あないな連中にさせんがため。目くらましには、丁度ええやろ?」
向麿はにこやかに、返す。
「しかし、あの妖喰い共に、果たしてあの虻隈がどこまでやれるか見ものであるな。」
伊末は鼻で笑いつつ言う。皮肉のつもりである。
「ほっほっほ……案じなさるなや。明日は面白いものが、見れまっせ!」
向麿はいつものことながら、まったくゆとりを崩さぬ。
「……此度は、何を企んでおる?」
伊末と高无は、共に尋ねる。
「明日のお楽しみや……しっかし阿保な奴らやなあ!あないなことも見抜けぬとは!」
「……?」
向麿の言葉が、ますます分からぬ長門兄弟である。
向麿の真の企みは、この時はまだ向麿しか知らぬーー