妖村
「な、何と! それは誠ですか?」
あわや手の茶碗を落としそうになるほどに、伊尻は慌てる。
虻隈と一行が戦いし、夜が明けて。
半兵衛らは毛見郷に入り、伊尻の家にて歓待を受けておる。
「嘘など言うか。」
「これ、頼庵!」
ややつっけんどんに返す頼庵を、義常が宥める。
「はっ、すみませぬお侍様方! 余りにも驚きしもので……」
伊尻は申し訳なさげながらも、人懐こい笑みを浮かべ、うなじに手を回し掻く。
その様はどこか、愛嬌がある。
「いや、すまぬ伊尻殿!」
頼庵も思わず言ってしまったとばかり、謝る。
「いえいえ、そんな……しかし、我が村が妖に狙われているなどと、果たして誰が?」
伊尻は頼庵に笑みを返し、また訝しげなる顔となる。
「ああ、それはーー」
「いや、それは風の噂よ!しっかし、てこたあ、これまで妖による害はねえってことかい?」
夏の手紙のことを言いかけし頼庵を、半兵衛が遮り話を変える。
「ええ! それはそれは。もともとこのような村、都に近いという他には利がありませぬし、さほど豊かでもございませぬ故。」
伊尻が返す。やはり笑みは、崩さぬ。
「いやいや、いい所だと思うぜ。村の人たちは皆にこやかだし……なあ、義常さん?」
半兵衛が義常に、話を振る。
先ほどより何やら、義常は上の空にて。
何やら考え事をしており、半兵衛からの問いにも答えぬ。
「……義常さん!」
「はっ!……も、申し訳ございませぬ、主人様!」
半兵衛からの問いかけに、義常はようやく気がつく。
「兄者、どこか悪いのか?」
頼庵が首をひねる。
「い、いや……すまぬ、そなたにも心を乱させてしまい……」
義常は頼庵にも、謝る。
「いや、私は……」
頼庵が言いかけし、その刹那。
にわかに手を叩く音が、聞こえる。
「いやー、素晴らしき様! 何と弟様思いの兄上、兄上思いの弟様なのでしょうか!」
驚いて半兵衛、水上兄弟が振り返ると、伊尻が目に涙を浮かべ、手を叩き賞賛の言葉を贈っておる。
「あ、ああ! そうだろ? この二人はとても、中がいいんだぜ!」
やや戸惑いつつも、半兵衛も伊尻の言葉を肯んじる。
「お、おやめください主人様、伊尻殿! 兄弟が仲良くするは当たり前ではございませぬか!」
顔に照れを浮かべつつ、義常が答える。
「いえいえ! この家にも娘の他に息子がおりますが、まあこれが仲は悪くはないものの、かといってそこまで良くもない有様でして……」
伊尻がやや気まずげに、半兵衛らに返す。
「まあまあ! ……えっと、夏ちゃんには兄上?それとも弟さん?」
半兵衛は尋ねる。
「はっ、弟にございます!」
「なるほど、姉と弟であるか……しかし、確かにそれならば仲良くできそうではあるがな。」
答えし伊尻に、やや食い気味に話に割り込みしは頼庵である。
「これ、頼庵! 今は主人様と伊尻殿のお話のさなかであろう!」
義常が窘める。
「ああ、すまぬ! つい……しかし私は、姉のように慕っていた乳母子より、誠の弟のごとく可愛いがられしが故、少しそう思ってしまうのだ。」
頼庵はやや気まずげに、伊尻や兄に返す。
乳母子と聞いて、義常は少し項垂れる。
それは言うまでもなく、治子のことである。
「何と! それはそれは羨ましき限りで……おや義常様、いかがされましたか?」
頼庵の言葉に返す伊尻であるが、義常の様に気づき、尋ねる。
頼庵も兄のその様にポカンとせし様であったが、やがて自らが治子について語りしが故と思い当たり、恥ずかしげに項垂れる。
すっかり場には、しんみりと空気が流れておる。
「……まあまあ頼庵!兄弟にもいろいろあるんだって!殊に姉と弟、兄弟とはいえ女と男だもの、そりゃあお互い気まずいものだってあるだろうからさ!」
そんな様を変えようと、半兵衛がにこやかに呼びかける。
「……さ、さようでございますな! では我が村を、案内いたしましょう! これ夏! 夏はおるか!」
伊尻も気を揉み、半兵衛らに呼びかける。
そして娘を呼び出し、案内役を命じる。
「へえ、ここらが田んぼか!」
伊尻の導きの通り村を周り、田畑に辿り着きし半兵衛は呟く。
「なるほど……しかし、稲がないぞ?此度は不作か?」
頼庵はまたも、やや興ざめさせる言葉を紡ぐ。
「こ、これ頼庵!」
義常が窘める。
「い、いや……それはその……刈り入れの後でして……」
夏はたどたどしく、答える。
先ほどにこやかに答えてくれていた父の伊尻とは、見事に違う。
「何だ、はっきりせんな……男なら、はきはき喋らんか!」
「これ頼庵! 夏殿は女子であろう!」
堪りかね思わず声を荒げる頼庵に、義常は突っ込みを入れる。
「す、すすすすみませぬ! 慣れていなくて……」
夏は更に縮こまり、答える。
頼庵もつい言ってしまったとばかりの顔をするが、かける言葉が見当たらぬ。
たちまち場には、気まずさが立ち込めるが。
「はははは!」
にわかに上げられし、半兵衛の笑い声にて気まずさは消える。
「そうだよな? 刈り入れがもう終わって、これから田植え前に田を整えなきゃならねえんだよな? 夏ちゃん、すまねえな! この頼庵は田畑の仕事なんざしたことないから……」
半兵衛は夏を庇う。
「な……半兵衛様、それは!」
頼庵は半兵衛に食ってかかる。
「嘘じゃないだろう?」
半兵衛は尚も笑い、頼庵に返す。
「くう……ならば、半兵衛様は!」
したことがあるか、問う。
「あるぜ、少しだけだがな!」
半兵衛は胸を張り、得意げに返す。
頼庵はすっかり、返す言葉もなく。
と、そこへ。
「おお、噂のお侍様でございますか!」
「こ、此度は誠にはるばると…」
田畑にて仕事をしておる二人の若者が、半兵衛らに気づき、高らかに挨拶する。
「おお、ご丁寧にどうも!まあそう堅くなりなさんな。」
半兵衛が二人に、労いの言葉をかける。
「おお、お侍様!」
「この度は……」
その後も会う者は必ず、半兵衛らに丁寧な挨拶をする。
「うーん……すごくいい人たちだな、この村の人たちは!」
半兵衛はその様に、感嘆する。
「は、はあ……あ、ありがとうございます!」
夏は尚もたどたどしいが、答える。
「半兵衛様……先ほどは」
「ああいいって。……だけど、女の子相手だぞ? そんなムキになりなさんな。」
謝りかけし頼庵に、半兵衛は返す。
「なあ夏ちゃん……いただいたあの手紙だけど……」
半兵衛は夏に、声をかける。
「はっ……す、すみませぬ! ……あの手紙のことは、お忘れください……」
夏は前を歩きながら、一時半兵衛を見、また目をそらし話す。
「まったく……あの娘、誠に人騒がせな!そうでしょう、半兵衛様!」
頼庵は半兵衛に、小声で呼びかける。
「ああ、そうだな……あの虻隈自ら、この村を脅かしてるとは言ってたんだがな。でも確かにこんなのどかな村、とても妖に狙われてるとは……」
半兵衛が答えし、その刹那。
「お、お侍様! ご、ご機嫌麗しゅう!」
半兵衛らが歩く畦道の隣の田より、一人の子どもがかけよる。
子どもは田より道に出る所で転び、泣き叫ぶ。
「そなた! 何をしておる!」
半兵衛らはその言葉に、思わず夏を見る。
今の言葉は夏の言葉である。
これまでのたどたどしさはまるでなく、何やら獲物を見るかのごとく鋭き目にて、子どもを睨みつける。
その様には半兵衛らも驚き、言葉を失うが。
すぐに気を取り戻せし半兵衛は。
「はは、元気があっていいじゃねえか!」
半兵衛は駆け寄り、子どもを起き上がらせる。
「さようでございますぞ、夏殿!子どもはこうでなければ。」
義常も駆け寄り、子どもを庇う。
「けが、ないか?」
半兵衛が優しく、子どもに問う。
子どもは、男の子である。
「う、うう……お侍様……」
子どもは泣きじゃくる。
「泣くな、ほら、笑え! 男の子が泣いてはいかぬぞ。案ずるな、そなたは強い! 泣くことはない!」
義常は男の子を、奮い立たせる。
「う、うん……泣かない!」
男の子は涙と鼻水を拭い、半兵衛と義常を見比べる。
「うむ、それでこそ男よ!」
義常は柔らかな笑みを浮かべ、男の子の頭を撫でる。
「も、申し訳ございませぬ! お侍様方!」
子どもの後ろよりにわかに、女の声がする。
半兵衛らが顔を上げるや。
慌てて男の子に駆け寄りしは、その子の母親である。
「ああ、この子のお母上かい! いやいや、謝ることなんて」
「申し訳、ございませぬ! 誠に、申し訳ございませぬ! 申し訳…」
宥めし半兵衛の言葉を遮り、母親は大声にて謝る。
幾度も、幾度も。
「い、いや……そんな……?」
半兵衛は尚も宥めんとしかけて、ふと言葉を飲み込む。
母親の目は、右左どちらも大きく見開かれ、瞳が大きく揺れる。あたかも、妖でも見たかのごとくーー
「お侍様方! ここにおられましたか!」
そこへ伊尻が、やってくる。
やはり顔には笑みを浮かべ、やや小走りにて。
「あ、ああ! 伊尻さん!」
半兵衛ははたと気がつき、返す。
「おや? 如何いたしました? ……もしやうちの娘が……?」
伊尻は、一行のただならぬ様を訝り、夏を睨む。
「いやいや、夏ちゃんはよく案内してくれてるって! ただ、この親子に謝られちゃってさ……」
半兵衛は訳を話す。
伊尻の夏を睨む顔は、緩み。
「さようでございましたか! いやはやすみませぬ! お侍様方を誠であればもてなさねばならぬ所を、反対にこの娘を盛り立てていただく形になってしまいまして……」
半兵衛らに、謝る。
「いやいや、誠によくやってくれたんだって! なあ、義常さん、頼庵!」
半兵衛は、そんな伊尻を宥める。
「そ、そうですぞ伊尻殿!」
義常も伊尻を宥め、頼庵も伊尻に笑い返す。
「さ、さようでございますか。なんとお優しい……さあ、そろそろ日も高くなってきましたし、屋敷にてお昼にいたしましょう!」
伊尻はまた、笑みを浮かべ半兵衛らに言う。
「え、いやしかし……」
頼庵が渋る。
先ほどの夏や、子どもと母の様を見、どうすべきか計りかねているようである。
「ああ…すまねえ伊尻さん!少し用事があったのを思い出したよ!今日はこれにて。ありがとう!」
半兵衛は伊尻に、語りかける。
「……そう、ですな。お昼までいただいては……」
義常も戸惑いつつ、伊尻に返す。
「それはそれは……惜しい限りで。では、またいらっしゃいませ!」
伊尻は半兵衛らに、返す。
「それで、帰って来たということか?」
飯を飲み込んでから、中宮が尋ねる。
半兵衛の屋敷の空き部屋にて、中宮と半兵衛はいた。
半兵衛らが毛見郷より帰ると、いつもの通り氏式部のなりにて中宮が訪ねて来ておった。
やはり、昨夜より半兵衛の様が気にかかっていたようである。
昼時であったため、とり急ぎ従者らに飯を作らせ、中宮は半兵衛と二人で話したいと言ったため、二人のみ部屋を変えて今に至る。
「ああ、まあのどかな村ではあったんだがな……あの母親の様は、ただごとじゃなかったぜ。」
まだ飯を飲み込まぬうちに、半兵衛は語る。
「これ、食いつつ話すでない!」
中宮が窘める。
「ああ、悪い……」
半兵衛も少し、決まり悪げに返す。
そのまま互いに茶をすすり、少し黙って、考えを巡らせる。
「……もしや、何か咎があるのやも知れぬ。」
「咎って?」
おもむろに口を開きし中宮に、半兵衛が尋ねる。
「村には皆、常に礼儀正しくあらねばならぬと掟があり、それを破れば何らかの咎がある、などはないか……」
中宮は此度は、独り言のように呟く。
「村に掟……かもしれん!だとしたら、あのくそ丁寧な様にも合点がいくぜ!」
半兵衛は立ち上がる。
「でもそうなると……あの親子が!」
半兵衛は言うが早いか、部屋を出んとする。
「待て、半兵衛!……また行くのか?」
半兵衛を呼び止め、中宮が尋ねる。
「ああ。考えたらもう、立ち止まってられねえや!」
「妖とは無縁のことであろう!村とはそこに住まう者たちの物ぞ。そこに首を突っ込むと?」
尚も歩みを止めぬ半兵衛を、中宮は引き止める。
「……いや、とも限らん。言ったろ?あの親子、殊に母親の目が、まるで妖を見るようだって!」
半兵衛は大きな声にて、中宮に返す。
「では、その場に妖はいたのか?」
「いや、妖喰いは騒がなかった……」
中宮の言葉に、半兵衛はそう言えばと思い返す。
まさか誰かが、あの妖の札で操られているとしたら?
そしてその誰かが、あの親子に咎をーー
そこまで考えて、半兵衛はその考えを振り払う。
いや、だとしても妖喰いは騒ぐはずである。
半兵衛が初めてこの都を訪れ、氏原の屋敷に泊まりしあの夜。半兵衛を部屋に入り襲いし隼人に、妖喰いは騒いだ。であるからこそ、半兵衛は隼人に気付けたのである。
だがーー
ここで半兵衛は、もう一つの考えに至る。
まだ誰かが操られておらず、札を持っているだけだとしたら? それならばあり得る。あの氏原の屋敷でも、操られる前の隼人には妖喰いも騒がなかったためである。
「……半兵衛、半兵衛!呼んでおるというのに!」
中宮の声に、半兵衛ははたと気がつく。
先ほどからずっと、呼びかけられていたらしい。
「あ、ああ……すまん、考えごとを……」
「……あの、夏とかいう娘のことか?」
中宮は睨む。
「いやいやそんな!……そう言えば、気がかりだな……」
半兵衛は夏に、思いを馳せる。
夏は去り際、半兵衛に礼を言ってくれた。
半兵衛はそんなことはいいと言ったのであるが、それでも尚礼を言う夏の顔は、これまで見たことなき穏やかなものであった。
しかし、まだあの親子に向けし鋭き目の訳は聞けておらぬ。半兵衛はそのまま、襖を開ける。
「これ、半兵衛!」
「……すまねえ。帰ったら続きはきちんと聞くから!」
此度は中宮の引き止めは聞かず、半兵衛はそのまま外へ出る。
襖の閉まる音が、部屋に響き渡った。
「……この勘繰りが、杞憂であればよいが……」
一人残されし中宮は、胸の前に手を、祈るがごとく組み。
ため息をつく。
「なるほど、それはおかしいな!」
食いし後の茶を飲みながら、大声で叫ぶ者がいる。
広人である。
半兵衛が中宮と二人きりになりし間に、訪ねて来ていた。
「ああ。しかし兄者、あの母親の様はーー」
広人に返しつつ、頼庵は兄に言いかけ。
ふと言葉を、止める。
兄は何やら、考えを巡らせておる。
「兄者!」
「……あ、ああ!すまぬ、頼庵……」
またの頼庵からの呼びかけに、義常はようやく気がつく。
「誠に何もないのか?どこか悪いのではないか?」
頼庵は兄に、問いかける。
「……何もない。誠であるから、案ずるな。」
義常は返す。しかしまだ、考えは巡らせておる。
義常が考えるは、あの"妖"のことである。あれはーー
「義常さん、頼庵! すまねえ、また毛見郷へ行くぞ!」
そこへ半兵衛が、渡殿をドカドカと走り、兄弟や広人の部屋に来る。
「半兵衛、ようやく来おったか!」
「あ、なんでいるんだよ!」
自らに声をかけし広人に、半兵衛はすかさず嫌みをぶつける。
「やはりそなたには、私がおらねばなあ!」
「鬱陶しいって!」
広人は半兵衛と、やりとりを繰り広げる。
「主人様、また毛見郷へ?」
義常が尋ねる。
「ああ、やっぱりあの親子や夏ちゃんが気がかりだ!
今すぐにでも行かなきゃ!」
半兵衛が返す。
その日の夕暮れ時。
「これはこれはお侍様!お早いお戻りで……おや?」
伊尻は、毛見郷を再び訪ねし半兵衛を出迎える。
しかし、その隣に見たこともなき者がいることに気がつき、半兵衛に訪ねる。
「ああ。こいつは、広人といってーー」
半兵衛は広人のことを伊尻に語らんとして、言葉に詰まる。
あれ?そういえばこいつは自らにとって何だ?
半兵衛らは再び毛見郷へ行くため、帝より許しを乞うた。
半兵衛は大いに渋ったのであるが、広人がついて行くと言って聞かなかった。
このため、水上兄弟の目付けを帝に仕える陰陽師に任せて広人を連れ、毛見郷にやって来たということである。
「お侍様?」
言葉に詰まる半兵衛を、伊尻は訝る。
「おほん!お初にお目にかかるな、伊尻殿!私は四葉広人と申す。半兵衛の師匠だ!」
「は、はあ……これはこれは。」
「し、師匠だと!」
広人はそんな半兵衛をよそに、勝手に話を進め。
伊尻は一応頷くが、半兵衛は怒る。
「……まあ、いいや。伊尻さん、昼はすまなかったな。」
気を取り直し、半兵衛は伊尻に謝る。
「はっ!いえいえそんな滅相もない……こちらこそお引止めして申し訳ございませぬ!」
伊尻は恐れ多いと言いたげに畏るも、愛嬌を浮かべ。
半兵衛に返す。
「……それで伊尻さん、不躾だが問わせてもらいたい。」
半兵衛は息を吸い込み、そう伊尻に伝える。
その日の夜。
二人の男に担がれし籠が、夜の毛見郷の道を行く。
その先を松明を持ち男が歩き、その傍らに伊尻が付き添う。
一行が辿り着きしは、村にほど近き洞穴の中である。
二人の男は籠を下ろし、その場を立ち去る。
松明の男も、その場を立ち去る。
洞穴の中には伊尻と、籠のみ残されし。
伊尻はコホンと咳払いをし、叫ぶ。
「……さあ、持って参りました! ここにおりますは、昼間大切なお客様たるお侍様方に無礼を働きし母と子! さあ、成敗下さいませ!」
言うや伊尻も、洞穴の外へ出て行く。
洞穴の奥よりにゅるりと、湧いて出しは。
大蜘蛛の妖である。
大蜘蛛は籠の様を窺う。籠には二人、確かに入っているようであるがーー
「……さあ、始めようぜ!」
にわかに大声とともに、籠が破られ。
中より出でしは、人は人でも。
妖を喰らう物、その使い手二人。
半兵衛と、広人である。
「ふ、ん!来ると、思っていたぞ!」
上より声がし、その方を見れば。
上より虻隈が、躍り出る。
大蜘蛛は糸を伸ばし、半兵衛らを襲う。
「ふん!」
半兵衛らは、後ろへ下がる。
「さあ、喰らう、ぞ!」
虻隈は妖の上に降り立ち、体の布を捲り、両の足を露わとす。
やはり二つの足にも、獣の顎のごとき物が。
やがてそこより牙が生え、妖より生えし牙と噛み合わさり。
虻隈の腰より下は、大蜘蛛と化す。
「成敗、すべきものはいずこ、だ!!!」
虻隈は力強く叫ぶ。
いなければならぬ親子がおらず、妖喰い二人しかおらぬ様に、苛立ちを隠せぬ様である。
「そなたが相手は……我らよ!」
広人はしたり顔にて、虻隈に言い放つ。
「虻隈……」
夏は茂みの影より、洞穴の入り口を眺める。
誰であれ、虻隈や自らの邪魔立てはさせぬ。
夏は一人、腹を決めておった。




