刺客
「見なはれ、虻隈を。」
向麿が声をかけしは、自らに付き添う長門伊末・高无の兄弟である。
虻隈と半兵衛・水上兄弟の戦いが始まり、僅かばかり経ちし後。
彼らは今、物陰よりその戦いを見守る。
「しかし、我ら長門の血筋でもなき者に、妖など操れぬ筈では?」
問いの声を上げしは、高无である。
「それがしかて、血筋ではございまへんが?」
向麿も問う。
「…では、何かからくりがあるのか?」
伊末が向麿に問う。
「よくぞ聞いてくれまして!…あの虻隈は、操れんが故に、ああやって妖を身体にくっつけているんですわ!」
向麿が嬉しそうに言う。
「…では、そなたも身体に?」
伊末が再び問う。
「いえいえ!…それがしは、これとか。」
そう言って、向麿は妖の噛み付きし杭を取り出して見せる。
「…うむ、なるほど。」
伊末はやや戸惑い、そう返す。
「おりゃ!」
「ふん!」
半兵衛が紫丸を振り下ろし、虻隈が受け止める。
「くっ、主人様!」
義常が守りのために矢を放つ。
が、虻隈は半兵衛の刃を軽くいなし、素早く矢を躱す。
「おのれ!」
頼庵も小刀にて斬りかかるが、虻隈はこれも躱し。
右腕の妖を頼庵に向け、吹き飛ばす。
「頼庵!このお!」
半兵衛は再び虻隈へ、刀を振り下ろす。
虻隈は再び受け止める。
「あんたか!夏ちゃんの村を脅かす輩ってのは!」
半兵衛は虻隈に、問う。
「ふん。そう、だ。それの、何が悪い?」
虻隈は事も無げに返す。
「なるほど…ようく分かった、あんたはここで成敗だ!」
半兵衛は刀に込める力をさらに強め。
次には大きく、縦に斬りはらう。
「くっ!」
受け止めきれず虻隈は、後ろに下がる。
右腕の妖に、斬り傷ができておる。
「よし、まだまだだ!」
半兵衛が声を上げる。
「ああ…くた、ばるつもりはない!」
虻隈も負けじと声を上げる。
右腕の妖の傷は瞬く間に、塞がる。
「何!?…くっ、傷も癒えるのかよ…」
半兵衛はその様に驚く。
「主人様、我らを海にて襲いし妖も傷を治せていました…これは一息に、息の根を止めた方が良さそうです!」
義常が半兵衛の後ろより、声をかける。
「そうか…心得た!」
半兵衛は再び、虻隈に斬りかかる。
「ふん!こ、れを、喰らえ!」
虻隈はそれに対し、右腕の妖の尾を振りかぶる。
「くっ…この!」
紫丸にてその尾を受け止め、次には振り払って切り裂くが、やはり尾の振りも強く、半兵衛も後ろに飛ばされる。
「半兵衛様!」
頼庵が、半兵衛を受け止める。
「ああ、頼庵。かたじけねえ!…しかし、あいつも中々手強いな!」
半兵衛と頼庵が虻隈を見やる。
虻隈には数多の矢が、義常より迫り。
虻隈は、未だ傷の癒えぬ右腕の妖を振るいながらも、見事に矢を躱しきり、後ろに下がる。
「ふん、な、かなか…やるな!」
しかし虻隈もやられてばかりではない。
右腕の妖の傷口より牙を生やすや、それをクナイのごとく、半兵衛らに投げつける。
「くっ…えい!」
「主人様、頼庵!後ろへ!」
「兄者、兄者だけでは戦わせぬ!」
半兵衛は紫丸より殺気の刃を伸ばし、義常は先ほどと同じく、矢を数多放ち、頼庵は小刀にて牙を斬りはらい。
三人は牙を、何とか防ぎきる。
が、次には。
牙の雨が切れてすぐに、素早く虻隈が迫る。
「はっ!」
「くっ…ぐわああ!」
虻隈は三人の真ん中の半兵衛に迫り、それに気づきし水上兄弟も戦うが、虻隈の勢いは激しく、三人は飛ばされる。
「なかな、か、やるが…これっきり、か!」
虻隈は背を向けしまま、横顔を三人に向け。
にやりと、笑う。
「くっ…まだまだ!」
半兵衛が立ち上がり、水上兄弟も立ち上がる。
「ふ、ん…よい、それでよい!」
虻隈は振り返り、身体の前を三人に向け。
再び、三人に迫る。
「お互い…まだまだやれるみてえだな!」
半兵衛は声を上げ、水上兄弟と共に虻隈へと迫る。
「…弱めの妖をくれてやった割にゃあ、よくやるやないか!」
物陰の向麿が、声を上げる。
「あれで弱めか…なるほど確かに、奴らを追い詰めておるな。」
伊末も、感嘆の声を漏らす。
「そやろ?追い詰められとった誰かさん方とは違ってな!」
向麿は当てつけの意を隠さず、二人に言う。
「むう…何を!」
高无が悔しさのあまり声を上げる。
「待て高无!…しかし、向麿よ。奴らを始めは追い詰めしは我らとて同じ。まだ戦は始まりしばかりなれば、まだまだ安泰とは言えぬぞ!」
伊末は弟を宥めるが、やはり先ほどの向麿の言葉は気に入らぬのか、嫌みを返す。
「ふふ…それはどうぞ、おん自らお確かめあれ!」
向麿は尚も、ゆとりを崩さぬ。
「さあ、斬、ってみよ…使い手共!」
虻隈は右腕の妖を、布のように広げ、身を守る。
「ああ、お望みとあらばなあ!」
半兵衛は紫丸を振るい、切り刻まんと叩きつける。
「えい!」
「これでどうじゃ!」
頼庵も小刀にて斬りつけ、義常も矢を放つ。
が、虻隈はくるくる回り、刃を物ともせず、矢を尽く、躱す。
「さ、て…喰らえ!」
虻隈は回りを強め、風により三人を吹き飛ばす。
「く…ぐわああ!」
三人は空へと、飛ばされる。
「…終、いだ!」
虻隈が叫び、刹那。
身を布のように覆いし右腕の妖は、その身を螺旋のごとく畝らせ。その螺旋の端に沿って牙を生やす。
そのまま虻隈も、飛び上がり。
再び回り、竜巻となって三人に迫る。
「義常さん!…このままじゃ埒が明かねえ。そろそろ区切りつけねえとな。」
宙を舞いながらも、半兵衛は義常に呼びかける。
「はっ、主人様!頼庵!」
義常が受け、頼庵にも呼びかける。
「心得た、兄者!…しかし、何とする!」
頼庵が返す。
「…こうするのさ!」
言うが早いか、半兵衛は空を泳ぐように進み。
竜巻のごとき虻隈の前を、阻む。
「ふん!飛んで火にいる夏の虫だ!」
「あんたおかしくない喋り方できるじゃん!」
叫ぶ虻隈に、半兵衛が笑い返す。
「主人様!」
義常が声を上げる。
あわや半兵衛は、今にも迫る虻隈の餌食にならんとしておる。
「…案ずるな!」
次の刹那、半兵衛は素早く身を翻し、虻隈にまとわりつく風に、乗る。
「何、の!真似だ!」
虻隈は叫ぶ。
話し方はいつものように、戻っておる。
「だから、こうするんだって!」
半兵衛は声と共に、紫丸の殺気の刃を伸ばし、螺旋の形の妖の隙間をついて虻隈に突き刺す。
「くっ…ぐわっ!」
虻隈は苦悶の声を上げ、回るを止めたため竜巻が消える。
「く、おの、れ!」
虻隈は身を捩り、殺気の刃より抜け出す。
傷口より迸る血が、紫丸の殺気を紫に染める。
「主人様、今お助けいたします!」
義常も声と共に、いつの間にやらつがえし矢を一息に、放つ。矢は数多に分かれる。
矢は半兵衛を避け、虻隈へと迫る。
「くっ…かく、なる上は!」
虻隈は右腕の妖を、再び布のごとく広げる。
刹那、半兵衛はおかしき様を感ずる。
「なっ、妖気が!」
先ほどまで虻隈自らよりも感ぜられし妖気が、ふと消え。
たちまち右腕の妖より先ほどより遥かに高い妖気と、札の気を感ずる。
「な、何と!」
義常も驚くが、矢は確かに、右腕の妖を狙う。
刹那、妖に数多の矢が刺さり、たちまち迸る血が、肉が。
緑の光に染め上げられ。
「ぐっ…ぐああ!」
虻隈の苦悶の叫びと共に、右腕の妖も散る。
「…見えたぜ、札が!」
半兵衛はすかさず殺気の刃を伸ばし、今や緑の光に染め上げられし妖の血肉の中にある、札を狙う。
札は殺気の刃に捉えられ、刹那。
血肉となりて散り、殺気の刃を紫に染める。
先ほどより響きわたる翡翠の音と合わせ、紫丸の音が、咆哮とも嵐ともつかぬ調べを奏でる。
半兵衛、義常、頼庵は地へと降り立つ。
虻隈も降り立ち、すぐに倒れ込む。
右腕より赤き人の血が、迸っておる。
「驚いた…あんた、妖とくっついている間だけ妖なのかよ?」
半兵衛がうずくまる虻隈に、紫丸の刃先を向けつつ問う。
「…ふ、ん。誰、が、お主らなどに…」
虻隈は顔を逸らす。
「…主人様、この者は?」
義常がその、処遇を問う。
「…うーん、そうだな…。」
半兵衛は悩む。こいつは人。ならば、無下に殺すのも忍びない。
「…ふむ、そら見たことか!大口を叩いておきながら、この様とはな!」
高无は鬼の首を取りしがごとく、向麿に言う。
「いや、虻隈は何も言ってまへんが…」
「ともかく!あやつがここで助かる術など到底ありそうにない!ふん、ここで終わりとは無様な男よ!」
言い訳をしようとする向麿に割って入り、伊末も鼻を鳴らしながら言う。
「ふふふ…ほほほほ!」
にわかに声を上げしは、向麿である。
その恐ろしき様に、思わず長門兄弟は後ずさる。
「な、何だ!そのゆとりは!」
高无が責める。
「ふん、向麿!負け惜しみはせめてもっと静かに」
「誰が負けやって!?それがしの蒔いた種が、これっきりとでも?」
尚も嫌みを言ってやらんとせし伊末に、向麿は尚もゆとりを持ちつつ、高らかに言う。
「な、何?」
「言ったやないか…それはおん自ら確かめなはれと!」
訝る長門兄弟に、向麿が指さして見せんとせし者は。
「…捕らえよう。妖のことをいろいろ聞き出せるやも知れん。」
半兵衛は、答えを出す。
そして懐より、魔除けの施されし縄を取り出だす。
元は水上兄弟を縛るための物である。
「はっ、主人様!」
「うーむ…それでよいのでしょうか?」
水上兄弟は、兄と弟で見方が割れる。
そうして半兵衛が、虻隈を縛り上げんと
近づきし、その刹那。
「止めよ…虻隈に手を出すな!」
何やら響く女の声がする。
半兵衛らが周りを見渡すや。
にわかに茂みより、どうと出でし者が。
「あ、妖!?」
頼庵が声を上げる。
しかし、その者は大変すばしこい。
故に、その姿はよくは見えぬ。
「くっ…何者であるか!」
義常が叫び、翡翠を構えんとするが。
刃のぶつかる声が、響き渡る。
先ほどの者が、刃のごとき物を義常に振り下ろしたのである。
「くっ…くぬぬ!」
義常はそれを翡翠にて受け止め、力による押し合いとなる。
見れば、刃を振り下ろせし者は、体中を刃のごとき物に覆われ、形は人型の猫のようであった。
さらに爪や牙は、これまた刃のごとし。
振り下ろせし刃も、この者の爪である。
「く…負けぬ!」
義常が叫びし、その時。
翡翠より、人の呻きとも、風の音ともつかぬ声が響き、緑の殺気が、妖しき光のごとく。
「やはり…ん!?」
こやつも妖か。そう言わんとせし義常であったが、何やらおかしき様を感ずる。
妖喰いの音が、二つ重なっているのである。
「こ、これは…」
義常が揺らぎし隙を、目の前の"妖"は見逃さぬ。
たちまち、"妖"の振るいし爪の力にて、義常は後ろへと飛ばされる。
「くっ!…くそ!」
飛ばされながらも何とか立て直せし義常に、またも"妖"が迫る。
「兄者!」
「義常さん!」
横より頼庵が、半兵衛が、助けに入る。
「おりゃあ!」
「えい!」
二人は"妖"に、刃を振り下ろすが、"妖"に軽々と、二人とも受け止められる。
「くっ…半兵衛様!」
頼庵が叫ぶ。
こやつは強すぎる。頼庵がその力に歯ぎしりせし、
刹那。
「半兵衛…?」
その声に、半兵衛も頼庵も耳を疑う。
"妖"より言葉が、放たれたのである。
「ば、馬鹿な!」
頼庵がまたも、揺らぐ。
妖が口を聞くなど、これまで聞いたことも、見たこともない。では、こやつはー
が、"妖"は、その隙を見逃さぬ。
再び"妖"は、爪に力を込め。
二人の刃を、薙ぎ払う。
「ぐっ!」
「くう!」
二人は後ろへ、大きく下がる。
「…まったく、妖が口を聞くとは驚いた!あんた、どんなからくりを?」
半兵衛が問うが、"妖"からは返ってこない。
そしておかしきことに、先ほどまで勢いに満ちていた"妖"も、今や周りを窺うのみにて、攻めんとする素振りはない。
何やら、戸惑っているようにも見える。
「何だ?口が聞けなくなったか?…まあいいや、そちらさんから来ないなら、こっちから!」
「心得た!」
半兵衛と頼庵が、再び"妖"に迫る。
と、その刹那。
「…退、け!退くんだ!」
にわかに虻隈の、声がどこかよりする。
その声に、半兵衛と頼庵を迎え討たんとしていた"妖"も、半兵衛と頼庵も、動きを止める。
「俺、は、もう退いた!だ、から、退、け!」
その言葉に半兵衛が周りを見渡すや、確かにいつの間にか、虻隈の姿はどこにも見えぬ。
「…心得た。」
"妖"より虻隈へ、声が返り。
"妖"は飛び上がり宵の闇へと、消える。
「あ、この…待て!」
頼庵が追わんとするが。
「いいよ、頼庵!追わなくていい。」
半兵衛に、止められる。
「し、しかし!」
「どちらにせよ、この闇に紛れられたら探しようがねえ。いいんだ、今日の所は!」
「は、…かしこまりました。」
尚も向かわんとする頼庵を、半兵衛はまた止める。
頼庵は、不承不承といいし様ではあるが、引き下がる。
「義常さん、傷はないか!」
半兵衛は次に、先ほどより呆けておる義常に声をかける。
「…あ、主人様!すみませぬ、虻隈もあの妖も逃してしまい…」
はっと気がつきし義常は、半兵衛に謝る。
「いや、いいよ!…でもどうしたんだ?にわかに呆けちまって。」
「そうじゃ兄者、何とした?」
半兵衛も頼庵も、憂いの言葉をかける。
「…いえ、何でも…」
義常は目を逸らす。
あの"妖"、まさかー
「ふ、ふん!やはり敗れ、退かざるを得ぬようになったではないか!」
高无は戸惑いつつも、勝ち誇りし様である。
「まあ、今日の所は小手調べや!次をお楽しみに!」
捨て台詞のごとく言い放ち向麿は、そのまま立ち去る。
「これ、負け惜しみか!他に言うことはなしか!」
「待たぬか、向麿!…しかし確かにあの"妖"、果たして…?」
向麿を嘲りし弟をよそに、伊末は訝る。
彼とてあのような妖は、見覚えがないのである。
向麿の蒔きし種は、まだ芽吹きしばかりー