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京都の王  作者: 宇井九衛門之丞
第3章 妖女(毛見郷編)
22/192

乙女

「はあ―、やっぱ冷えて来たなあ!」

 未だ暗さの残る夙(早朝)の空の下にて、半兵衛は無邪気に声を上げる。


「主人様、ならばこれを。」

 半兵衛の言葉に、自らの上着を差し出さんとする義常であるが。


「ははっ! いやいいって。義常さんが困るだろ?」

 半兵衛はそう、笑い返す。


 都の中の市場に彼らはいた。

 食い物の買い出しにと、半兵衛が水上兄弟を伴ったのである。


「ううむ、なるほど……こうして食い物は売られているのだな。」

 頼庵は感慨深げに周りを見渡す。


 二人にとってはこの景色は、見慣れぬものばかりである。

 今水上兄弟は、布を被り顔を隠しておる。気づかれれば、騒ぎになるやもしれぬからである。


「しかし主人様……やはり我らは連れて来ぬ方がよかったのでは?」

 義常が半兵衛に尋ねる。


 やはり罪人である自分たちを連れ歩くということに、申し訳なさを感ずるようである。

「そんなことねえって! ほら、早く買わねえと売り切れちまうぞ!」

 半兵衛は事も無げに二人の肩を叩き、促す。


 やがて一行はとある少女が野菜を売る前に、立ち止まる。

「へえ……いいもんだなあ。嬢ちゃんの家で作られたのか?」

 半兵衛が少女に、問う。


「え……え〜と……」

 少女は恥ずかしげなる様にて、しどろもどろである。


「ええ、さようでございます! すみませぬお侍様、娘はなかなか世間様に出さぬものですから、おどおどしておりまして……」

 少女の後ろより、声と共に一人の男が。

 父だろうか。


「嬢ちゃんの、お父上?」

 半兵衛がまたも問う。


「はい! 恐れながら。私めは都の近くの毛見郷という村にて地主をしております、伊尻と申す者。これは娘の夏と申します。……どうかこれらの野菜、お気に召すものがありましたら是非……」

 顔いっぱいに笑みを浮かべ、ハキハキと話す伊尻。

 なるほど確かに、地主らしい人付き合いの上手さを感ずる。


「ようし……じゃあこれと、これと……」

 半兵衛は並べられし中から、いくつかを選び出し。

 そのまま銭を払いて、買い取る。


「はっ! ありがたきこと! またどうぞ!」

 銭を受け取りし伊尻は、元々浮かべし笑みをより強め。

 そのまま娘を促し、真新しき袋に野菜を詰めさせる。


「……お侍様、お名前は?」

 にわかに声がし、その方を見ると。

 声の主は伊尻の娘、夏である。


「ああ、夏ちゃんか。……俺は一国半兵衛。半兵衛でいいぜ。」

 半兵衛は夏に、笑いかける。


「半兵衛……!」

 夏は驚きし様である。


「こ、これこの馬鹿娘! ……申し訳ございませぬお侍様……」

 伊尻は夏の頭を押さえ込み、平謝りする。


「あ、まあまあ! 俺はむしろ名前聞かれて嬉しかったよ、こんな可愛い嬢ちゃんに!」

 半兵衛が伊尻を宥める。

 夏はその言葉に、やや頬を赤らめる。


「はっ、勿体なきお言葉! 何とお優しい……よろしければお時間のある時に一度、毛見郷までお越しください。此度のお礼をさせていただきたく!」

 伊尻もすっかり、気をよくせし様である。


「あ、ああ。毛見郷な。分かった、都合つけば行くよ。」

 半兵衛はにわかに誘われ戸惑うも、笑顔を返す。


「ありがたき幸せ! では、お待ちしております!」

 伊尻は身体全てにて、喜びを表す。


 尚も喜びを表す伊尻への挨拶もそこそこに、半兵衛らは市場を後にする。


 そうして屋敷に戻る頃には、既に日は先ほどよりは高くなっておった。

 が、屋敷の中に入らんとせし折。

「えいっ、や――!」

 中より何やら、聞き覚えのある声が響く。


「あ、主人様! これは?」

 義常が問うが、半兵衛はそれには答えず、ズカズカと屋敷へ入る。


「広人――! 人の屋敷に何勝手に入ってんだ――!」

 半兵衛は声の主を、一喝する。


「おや! 来たか半兵衛、待っておったぞ!」

 が、広人は事も無げに、半兵衛に返す。


「何けろっとしてんだ! 怪我ある奴はまだお寝んねしてろ!」

 広人のその様が気に入らず、半兵衛は突っかかる。


「ふん、まだ分からぬか! このたわけ! 私はこの通りすっかり治しておるわい! ……痛い!」

 広人は腹をどんと叩くが、すぐに痛がる。


「そら見たことか! 大人しく寝てろって言ってんだろ!」

 半兵衛は鬼の首を取りしがごとく、広人に言う。


「なっ……ち、違うこれは! ちとそなたの様を痛がっただけじゃ!」

 広人は半兵衛に返す。


「んだと! 悪かったなあ、あんたのその様の方がよっぽど痛いわたわけ! こちとら朝可愛い子ちゃんに会って癒された後だってのに」

「可愛い子ちゃん?それはどのような女子なのでしょうか、半兵衛様。」

「へっ?」

 広人に言葉をぶつけし半兵衛に、どこかより声がする。

 思わず半兵衛が、振り返れば。


「あっ……」

 そこには、氏式部の姿が。

 その真の姿は、言うまでもない。


「な、そなたは中宮様の……何か中宮様より御用か?」

 声をかけしは、広人である。


「え、ええ……中宮様よりお祝いを預かってまいりました。

 半兵衛様、少しよろしいですか?」

 中宮は半兵衛に、声をかける。


「あ、ああ……」

 二人は内裏でよくしていたように、空部屋にて相見える。


「……久しぶりであるな、半兵衛。」

 部屋に入るなり、半兵衛に中宮は声をかける。


「ああ、そうだな。……水上の二人のこと、かたじけない。」

 半兵衛は、礼を言う。


「水上のことは、私は何もしていない。ひとえに、帝のお計らいと……恐らくは半兵衛、そなたへの褒美という名の咎でもあるぞ。」

「え、何だって!」

 返されし中宮の言葉に、半兵衛は驚き聞き返す。


「そなたがあまりにも水上、水上とその助命を乞うが故に、帝も難儀しておいでだったのじゃ。これまでの功があるそなたの頼み、無下にもできぬが故な。……であれば、そなた自らに後始末させようという話じゃ。」

「ああ……なるほど。」

 中宮の言葉に、半兵衛はすっかり一杯食わされしといった顔である。


 考えてみれば、そうであった。あれほど流罪に処さんとしていたのにいきなり、このような形で助命とは。ある言い方をすれば半兵衛もまた、流罪になったようなものである。


「さて、そんなご忠告をくれるために、わざわざ俺を?」

 半兵衛はそこで中宮に向き直り、問う。


「やはり知っておるか。私が話したいことはその……私に刀を教えてほしいとのことであるが……」

「……やはり、か。」

 中宮の言葉は、半兵衛の思った通りであった。


「……また、やっぱりいいとかそういうことじゃないよな?」

「い、いや違う! ……むしろ、その……やはり教えてほしいと言いたいのだが……」

「いいよ。」

「⁉︎ 」

 半兵衛が確かめの言葉をかけし後、中宮が返し、それを半兵衛があっさり受け入れる。


 中宮は驚く。

「な……よ、良いのか!」

 心無しか、かなり嬉しげでもある。


「……但し、そんな短い間に成るもんじゃねえことは言っておく。あと、あくまで身を守るためにだけ使ってくれ。人や妖に進んで挑むには、あまりにも危ねえからな。」

 半兵衛は中宮に、諭すように言う。


「半兵衛!」

 中宮は半兵衛に、飛びつく。


「な……ちょ、中宮様!」

 抱きつかれし半兵衛は、思わず声を上げる。


「……お后様がこんなことして、いいのかよ?」

 大声を上げしことを恥じてか、やや声を潜めて半兵衛は中宮に言う。


「……か、勘違いするな! これはほんの礼の気持ちで……そ、そんなつもりではないのだからな!」

 顔を赤らめつつ、中宮は腕の中の半兵衛に言う。


「……そ――かい、ならこちらも躊躇いなく。」

 半兵衛は中宮を、抱きしめ返す。


「……そのようなつもりではないと言うておろう。」

「こっちだってそんなつもりじゃねえ。……どういたしましての気持ちさ。」

 顔をより赤らめつつ返す中宮に、半兵衛も少しは躊躇いつつ話す。


「……しかし、何とした?」

 中宮は腕の中の半兵衛に言う。

 あれほど躊躇っておった刀の稽古を、半兵衛があっさりつけてくれると言いしことで、中宮はやや訝りの色を示す。


「……中宮様を危ねえ目に遭わせねえと言いつつ、俺はその契りを守れなかった。それで、せめてもの償いとさせてほしいって思ったまでさ。」

 半兵衛は返す。そして中宮を抱く腕の力を強める。


「……そ、そうであったな! 全くこの男は……だが、良い。あの人魚のごとき妖に捕らわれし時にも、助けてくれしはそなたであろう。」

 半兵衛のその様に戸惑いつつも、中宮は半兵衛を労う。


「……聞いたのか。」

「いや。ただ、分かる。……私たちに放たれし矢に、そなたの妖喰いの色が混ざりし故な。」

 半兵衛の問いに、中宮は返す。


「……さて、先ほどの話の続きと行こうか、半兵衛。」

 中宮は呟くや。次には半兵衛を抱く腕の力を強める。


「ち、中宮様?……何だよ、さっきの続きって?」

 半兵衛が問う。


「可愛い子とは、どんな女だ?」

 中宮は問いを、ぶつける。


「ああ、朝市で会った夏ちゃんて村娘で、こう小さくて可愛い……って、中宮様! 何その拳⁉︎ 」

 半兵衛が夏を褒めるほどに、中宮は拳を振り上げ。


「ほほうそれは、……かなり楽しげであるな! !」

 そのまま半兵衛に、振り下ろさんとしておる。


「ちょ、お后様が何やってんの⁉︎ 」

「后が刀をとるは良く、拳を握るは悪しきか!」

 半兵衛の止めも虚しく、中宮はそのまま拳を――


「は、半兵衛! ……様。ちとよろしい……ですか⁉︎ 」

 襖より頼庵の声がし、半兵衛と中宮ははっとする。




「ええ〜、中宮様の侍女殿とお会いになっているさなかすみませぬが……って、お二人とも何かありました?」

 何やらおかしき様の侍女――に扮する中宮――と、半兵衛に、頼庵は尋ねるが。


「い、いや……」

 二人は揃って、歯切れの悪い返ししかせぬ。


 頼庵に呼ばれし二人は、場を母屋に移していた。

 そこには義常と、広人の姿も。


「広人殿……すまぬ! 我らの謀叛にてそなたまで……」

「いや、もういいと言っておろう! しつこいな!」

 先の謀叛にて、頼庵が広人に傷を負わせしことを平謝りするは義常である。


「そうだよ義常さん、広人もこう言っているんだし。」

 半兵衛が横より口を挟む。


「な……半兵衛! そなたが言うな!」

 広人はそんな半兵衛に、怒る。


「ああ、広人殿……そなたに傷を負わせしは私! どうか私を煮るなり焼くなり!」

 頼庵も手をつき、広人に謝る。


「もう……よいと言っておろう!」

「そうだぜ、頼庵さん! 広人もこう……」

「いやだから半兵衛! そなたは言うなと言っておろうにこれ!」

 広人はまた水上兄弟を宥め、半兵衛が口を挟むことに突っ込み。

 それを中宮がクスクス笑いながら見る。


 このやりとりはしばし、続いた。



「……それで、その手紙っていうのは?」

 半兵衛は気をとりなおし、頼庵に問う。


「半兵衛、……様。先ほどこれが私の着物が中に忍ばされしことに気づき……まして。」

 頼庵は、半兵衛への慣れぬ言葉遣いに四苦八苦しながらも、手紙を取り出し差し出す。


 半兵衛が封を切り開けるや。


 お助けください。

 我が村は今、妖に脅かされております。


 夏



「……そういえば夏ちゃん、俺を知ってたみてえだった。あの時これを……」

 半兵衛は手紙より顔を上げ、皆に言う。


「しかしあの娘は、いかにして半兵衛様を?」

 頼庵が問う。


「まあ我らが主人様は、都の外にても名を知られておろうなあ。」

 義常が呟く。


「……しかし、誠なのだろうか?これは。」

 広人が半兵衛に、問う。


「何だよ、夏ちゃん疑うってか?」

 半兵衛は少し機嫌を損ねる。


「……その娘が半兵衛様に気があり、気を引きたいがために嘘をついている恐れもございますわ。」

 中宮が半兵衛を睨みつつ、答える。


「……う、うん。まあ無きにしもあらずか……で、でも無下にはできないだろ⁉︎ 」

 中宮の目を受け気まずい半兵衛は、その気を振り払うために大声を上げる。


「……さようですな。ここで話すのみにても埒は明きませぬ。一度毛見郷へ参りましょう。」

 義常が半兵衛の、肩を持つ。


「そ、そうだよ! さすが義常さん!」

 半兵衛はすっかり、気を良くする。


「まあさようですな。一度参りますか!」

 頼庵も、重い腰を上げる。


「……決まり、か! よし行こうぞ!」

「あ、いや。あんたは残れ。」

「な……何故じゃ!」

 立ち上がりし広人は、半兵衛に出鼻を挫かれ。

 大声を上げる。


「言うておろう、もう傷は!」

「じゃあ都に残って守りに当たれ! 誰かは残らねえと。」

 またも言い争いになる、半兵衛と広人である。


「ふん、半兵衛。……その娘、私も見てみたいものだ。」

 その様を眺めつつ、中宮が言葉を漏らす。




 その後も粘りし広人であるが、半兵衛による帝への許しを得る時には広人のみ得られず。

 広人は都にて留守を預かることとなり、半兵衛と水上兄弟はその夜、毛見郷を目指す。

 無論中宮は、内裏に戻るが。


「半兵衛。……くれぐれも、その娘が女狐でないと祈るが。」

 中宮は帰り際に、そう呟く。


「え?化け狐?おいおい、まさか夏ちゃんを妖扱いかい?いくら中宮様でも……」

「もうよい! 半兵衛など、どこの女子とでも逢瀬を楽しめばよいのだ!」

 中宮の乙女心は分からぬ、半兵衛である。



「……全く、女ってのはよくわからんな!」

 水上兄弟と毛見郷へ向かう道すがら、半兵衛は声を上げる。


「まさか半兵衛様、あの侍女を?」

 松明を持ちながら頼庵が笑いつつ、半兵衛に問う。


「止めぬか、頼庵! 主人様に。」

「兄者は、気にならぬか?」

「それは……少しは。」

 弟を止めに入りつつ、やはりこの兄は甘い。

 終いには弟に、乗せられし始末である。


「もう! 義常さんまでそっち側かよ!」

 半兵衛は声を上げる。


「も、申し訳ございませぬ主人様!」

 義常は頭を下げる。


「おや、もしやあれでは?」

 頼庵の声に前を向けば。


 夜闇に紛れておるが、ぼんやりと村が見える。

「よし、あと少しだ!」

 半兵衛が前に歩み出し、その刹那。


「主人様、危ない!」

 義常の声に、振り返るや。

 にわかに白き漂う物が、半兵衛に迫る所であった。


「うわ!」

 すんでの所で躱すが、その妖は。

 身を翻し、宙にて止まる。


 その様は、まるで白き布でできた竜――白溶裔(しろうねり)である。


「あ、妖! あの手紙のこと、誠であったか!」

 頼庵が声を上げる。


「……こりゃあ、止むを得んな。」

 半兵衛は水上兄弟を縛りし縄を、紫丸を抜き、斬る。


「有難うございます、主人様! ……さあ、頼庵。」

「うむ、兄者。」

 義常は手に妖喰いの殺気を浮かべ、たちまち妖喰いの弓・翡翠が現れる。


 頼庵は松明を投げると、義常がそれを殺気の矢に刺し、そのまま弓につがえず、空に投げる。

 松明は上より、闇を照らす。


「ようし、戦を始めるぞ!」

 半兵衛も紫丸を構え直し、水上兄弟も戦の構えをする。


「さあて、札だな!」

 動きを止めし妖は、たちまち気づき。

 半兵衛らへと迫りつつある。


 半兵衛は念ずる。

 妖を操りし、札は――

「……無い! 内裏で出た奴と同じか!」

 妖からは札の気は、感じられぬ。


「主人様、ここは私が!」

 義常が前に出る。

 いつのまにか矢を、弓につがえ。


 と、その刹那。

 にわかに妖は身を翻す。


「⁉︎ 向かって来ぬのか!」

 頼庵は叫ぶ。



「……さあ、い、い子だ。来、い。」

 妖の向かいし方より、声がする。


 半兵衛らが見れば、そこには男がノロノロと、半兵衛らのいる方へと歩く。男は口元より手足まで、布で覆いしなりをしている。


「⁉︎ あんた、危ねえ!」

 半兵衛が声を上げる。


 今にも妖は、男を喰わんとしておる。

「くっ、間に合え!」

 義常が矢を放つ。

 矢は妖へと飛ぶ。男が喰われるより前に、届くか――


「喰、え。喰え!」

 男は意に返さず、ひらりと妖を躱し、矢を素手にて受け止める。


「な、何!」

 義常は叫ぶ。

 矢を素手で?あり得ぬ。

 よくよく見れば男は。


「な……何者だ、あんた!」

 半兵衛はその様に、思わず声を上げる。


「……虻、隈。」

 男――虻隈は名乗る。


「……虻隈?」

 半兵衛、水上兄弟も、呆けて言う。


 と、その刹那。

 虻隈の後ろより妖が、再び迫る。


「……! あんた、後ろ!」

 半兵衛もはたと気づき、虻隈に向かい叫ぶ。


「喰、え。喰え!」

 虻隈は矢を投げ捨て、体を覆いし布のうち、右腕に掛かる布をはだけさす。


 露わとなり、妖に差し出されし右腕に、半兵衛らは驚く。

「な、何だ……!」

 腕の下より肉のようなものが、受け皿のごとく腕の下を包み込み、数多の牙がそこより生える。

 それはあたかも、獣の下顎の如く。


 妖にも変化が。妖は尚も男に迫る速さを緩めず、やがて体の下に牙が、生える。あたかも獣の、上顎の如く。


 やがて妖の牙と、虻隈の右腕の牙が、噛み合い。

「……俺、は喰われし。後は……あ奴、ら!」

 虻隈は目を、半兵衛らに向ける。

 たちまち半兵衛らは、おかしき様を感ずる。


 先ほどまで感じられぬままであった札の気が、強く感じられ。そして妖の気も、より強まりし様。


 何より、これは――

「あの男からも、妖の気が!」

 半兵衛は驚く。

 紫丸も翡翠も、あの男を妖と見なし、より一層の殺気の光と共に呻きを、上げる。


 これはあの時。内裏の中にて隼人が、鬼に作り替えられし時を思わせる。ただの人であった者が、妖に変えられし時の様である。


「……あいつ、妖になっちまったってのか!」

 半兵衛が声を上げる。

 水上兄弟もその言葉には驚くが、やはり同じように感じ、見ているため。

 この有様は信じられぬが、誠である。


「さあ、……喰わ、せろ! お前ら、喰、わせろ!」

 右腕を妖と一つにせし虻隈は、半兵衛らに向けて走り出す。


「……そらあ、こちらの言葉だぜ!」

 半兵衛らも走り出す。


 妖喰いと妖、二つの呻きがこだまする。

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