影后
「あ、あああ! か、顔にも……腕にも傷がない! わ、忘れてはならぬ屈辱の印が!」
「……な、何?」
中宮は、にわかに取り乱しし影の中宮――冥子の姿に驚く。
鬼神一派が率いし、再びの百鬼夜行。
鞍馬山にて一人戦う夏を助けるべく広人を送り込みし矢先。
鬼神一派は、皆それぞれに付けし面を取り長門一門としての素顔を晒す。
鬼神――一門が長・長門道虚。
二人の翁面――道虚が長子・伊末と次子・高无。
そして狐面の影の中宮――道虚が娘にして帝が女御・冥子。
そうして道虚は、半兵衛に斬りかかり。
半兵衛の秘事たる、彼が妖の――それも、かつての百鬼夜行の棟梁たる白郎の――子であると、皆に暴き立てんとするが。
半兵衛は自ら、そのことを明かし。
皆がどう思おうと、都を守ると宣う。
さらに、母を自らが手にかけしことも明かす。
そのことに、かねてより半兵衛を母のことについて妬ましく思っていた道虚は怒り。
半兵衛を自らの手で滅ぼさんとする。
しかしその矢先、大内裏より十拳剣による光の刃が聳え立つ。
それは密かに大内裏に忍び込みし中宮が、何故か目の前に現れし十拳剣を振るいしことによるものである。
それに活気づけられし鞍馬山の広人・夏は今、天狗らを相手に戦う。
そして半兵衛は。
母が再びの百鬼夜行に加わる気などなかったことを道虚より知らされ、改めて都を守るべきか苦悩してしまう。
しかし母の、我が子らを止めよとの言葉を思い出しし半兵衛は迷いを再び捨て、道虚と斬り合いの果てに勝つ。
だが、止めを刺す前に隼人を殺しし時について道虚に問い、返って来た答えにより。
半兵衛は影の中宮の、真実に気づいたのであった。
そうして今、大内裏に向かっているが。
今、その大内裏にて。
「あ、ああ……」
「何が、起こっているのだ?」
尚も顔や腕を押さえ苦しむ冥子を、中宮はただただ訝るのみである。
と、その時であった。
「その者は、所詮私の――影の中宮の、影武者にすぎませぬわ。」
「なっ……!」
中宮はにわかに響きし声の方を見れば。
そこには、狐面を被りし鎧を纏いし女が。
「そ、そなた……」
「申したでしょう? あなたは私自ら手を下しますわ、異母姉上!」
「くっ!」
未だ泣き喚きし冥子をよそに、狐面の女――曰く、真の影の中宮はゆっくりと中宮へ歩み寄る。
この者は自ら手にかけねば。
歩み寄りつつ真の影の中宮は、考える。
そう、同じ父を持ちながらも愛に恵まれぬ自らとは違い、恵まれし者。
「さあ、中宮……お覚悟!」
「くう!」
真の影の中宮が刀を振り上げ、中宮は恐ろしさ故に目を瞑る。
その、刹那であった。
「なっ!?」
「くっ……」
「中宮様! ……だから、帝の所へ行けって言ったろうに!」
「何……? は、半兵衛!?」
すんでの所にて、半兵衛が前に出て真の影の中宮が刃を紫丸にて止める。
「邪魔立てするな! 此奴は」
「ああ、止めろ! あんたが真に憎むべきは……俺だろうに、影の中宮さんよ!」
「……なるほど、何もかもお見通しですか。義兄上!」
半兵衛の言葉に、真の影の中宮は自らの刃を紫丸に打ちつけ間合いを取る。
「ああ……誠に、どうかしてたみてえだ! お前を忘れるなんてな……随子!」
「な……何!」
半兵衛と真の影の中宮との話に、中宮はついて行けず戸惑う。
「……ふん、今更に思い出されたとて!」
「!? な……」
真の影の中宮が苛立ち混じりに狐面をとり晒しし素顔に。
中宮は息を呑む。
「ま、まさか……そなたが真の影の中宮だったというのか!?」
「氏式部内侍!」
狐面の下は、今化粧をしておらぬが故に中宮の素顔と瓜二つの顔。
紛れもなく、中宮が侍女・氏式部内侍の顔であった。
「……答えは最初っから示されてたんだな。"影の中宮"ってのはすなわち、"中宮の影武者"だって。」
「……ええ。」
半兵衛は氏式部内侍――義妹・随子の顔を見つめる。
「わ、私の異母妹というのは……」
「私は、この一国半兵衛が育ての母・白郎と。あなた様が父・氏原道中の間に生まれし娘なのです。」
「なっ!」
「せ、摂政様との……?」
中宮も、半兵衛すらこれは思いの外であり驚く。
そう。
中宮の父・道中がいつしか呟いていた雑仕女の名。
――面女……
それはかつて、半兵衛を一年ほど一人にしし白郎が。
人里恋しくなり、久方ぶりに都に下るために化けし雑仕女の名であった。
「母はいけぬと知りつつも、道中に見染められ……妾として彼と僅かばかりの時を過ごしました。そして私を身籠もりましたが……また人と交わることによりかつての百鬼夜行が繰り返されることを恐れし母は、私を産むと共に私を連れ道中の下を去ったのです。」
随子は訥々と語る。
その言葉からは何の心持ちも察することはできぬ。
ただただ、昔を物語っている。
「そうして私は山奥にて。あなたと共に育ちましたわ義兄上。狩りをして、釣りをして……それはそれは楽しき日々。」
「……ああ。」
随子はこの続けての言葉にて、僅かに心持ちを滲ませる。
昔を懐かしむかのごとく、そして愛おしむがごとく――
しかし、すぐに顔を曇らせる。
「ですが……もはやそれらは昔話。今お話しすることではございませんでしたね。申し訳ございません。」
「随子……俺は、お前に謝らなければ」
「何を……でございますか!」
「ぐっ!」
半兵衛の言葉を遮り、随子は刀にて半兵衛に迫る。
半兵衛は先ほどの義兄・道虚の時と同じく鍔迫り合いとなる。
「義兄上には、何も謝ることなどございませぬ! いいえむしろ、義兄上には礼を申さねばならないとすら思っておりますから!」
「な、何?」
義妹の刀を紫丸にて受け止めつつ、半兵衛は戸惑う。
礼、とは?
「我らにとりて、妖と人の子にとりて! 人らが思うことなど知れています。所詮は我らを廃し、憂いを無くそうとするに決まっておりますから! ……ですから義兄上。母上と義兄のあの村での一件は、まさにその現を私が解すきっかけとなりましたのよ!」
「くっ……随子!」
「ん!」
随子は嬉々として語る。
しかし半兵衛はその言葉に顔を歪め、義妹の刀を思い切り斬り払う。
「随子……いくらお前でも! あの村での一件をそんな風に言うことは許されない! あれは単に俺が起こしたものだ……だから、そんなこと言うな!」
半兵衛は義妹を叱咤する。
「ふん……義兄上! 左様なことではなりませぬ。あの一件での償いなどと、何をされて来るかと思えば……されしことは母上を殺し、自らを満たしたことのみですか!?」
「ぐっ! ……ああ、どうやらそうだったみてえだよ!」
再び自らに斬りかかりし随子の刃を、半兵衛はまたも紫丸にて受け止めつつ言う。
「ふふ……とんだお笑い草ですわね! ……まあよいですわ! 私が含む所のあるお方は、むしろ義兄上ではありませんから!」
「ぐっ!」
随子は笑いつつ、半兵衛の紫丸を斬り払う。
そのまま随子は向きを、中宮へと変える。
「さあ異母姉上……あなたですよ! 私が含む所のあるお方は!」
「くっ、中宮様!」
「くっ……」
随子は言うが早いか、中宮へと走り出す。
中宮は転がりし十拳剣に手を伸ばさんとするが、間に合わぬ――
「待て!」
「……あら?」
しかし、その中宮の前に守りに入りしは。
道虚であった。
「先ほどの話は、全て聞いた……そなたか! そなたが我が娘を」
「ええ……私があの女御・冥子を影の中宮の影武者に仕立てましたわ。あなた方長門一門を手中に収めんとしてね!」
「くっ……おのれ! まさか……母上がそなたのような娘を!」
真の影の中宮たる随子を目の前に。
道虚は怒りを滲ませる。
「ええ……異父妹としてはお初にお目にかかります。異父兄上。」
「くっ……そなたごときに!」
道虚は随子の言葉に、更に怒りを滾らせる。
「うう……く、屈辱の証が!」
「! 冥子……くう、向麿よ! 冥子の心の傷も癒せと申したはずであるぞ! 何故、冥子の気の病は治っておらぬ!」
しかし冥子の呻めきに。
道虚は、今どこにいるかも分からぬながらも向麿に怒る。
「ふふ……異父兄上。申し訳ございませぬ、私は異父兄上の娘御が塞ぎ込みしことをいいことに。娘御の心をほぼ掌握し、半ば傀儡としていたのでございます。」
「な……ぐっ!」
随子の言葉に、道虚は歯軋りする。
そう、あの時。
――女御を、すぐ目覚めさせよ。
都中に封じられし宵闇を巡る戦のさなか。
道虚より命じられし向麿は、床に伏したる女御を見て。
顔の傷と腕の傷。女御のこれらの傷を治せば、屈辱の証がなくなったなどと騒ぐであろう。そうしてまた、床に伏したるままになってしまうことは目に見える。
かといって、傷も治さねば道虚から何と言われるか――
体の傷と心の傷。この二つを治すには。
――もはや、やり方は選べませんからなあ……そやろ? 影の中宮様!
向麿は不気味な笑みを浮かべた。
そしてその言葉に対し。
――ええ、ならばよい機ですわ。……その娘の心を、私に掌握させてしまいなさい!
真の影の中宮たる随子は、向麿に冥子を傀儡とするよう命じたのであった。
「なんと……向麿め! そなたと共に示し合わせ……我が娘を使い我ら一門を操っていたというのか!」
道虚は随子と尚も鍔迫り合いをしつつ、怨嗟を漏らす。
それと共に、自らにも怒りがこみ上げる。
何故見抜けなかったのか。
どこかに綻びはなかったのかと。
「ええ……しかし異父兄上。娘御が、傷の治る前後とで変わっている所はありませんでしたか? 誠に、気付けなかったのですか?」
「くっ……ぐうう! 黙れえ!」
随子の煽りが、更に道虚に追い討ちをかける。
確かに、彼らにも気付けずじまいであった落ち度はある。
だが。
「我らを……愚弄しし罪を! 今この場にて雪がせる!」
「ふふふ……ええ、どうぞ! まあ、できるならばですが!」
「ぐっ!!」
道虚の刃は、随子により斬り払われる。
よくよく見れば、随子の刃には妖気が纏われている。
「さあ……異母姉上! ようやくあなたと!」
「待て、随子!」
「ぐっ……! 義兄上、またあなたですか!」
道虚を振り払い、邪魔者がいなくなったとばかり随子は中宮へと斬りかかるが。
そこへ守りに入るは、半兵衛である。
「半兵衛!」
「中宮様、逃げろ! 外はまだ危ないが……都の守護軍に助けを求めれば!」
「半兵衛……」
「お喋りをするゆとりなどありませぬでしょうに!」
「ぐっ!」
半兵衛は後ろの中宮に、逃げるよう促すが。
そうはさせじとばかり、随子は半兵衛に受け止められし妖気の刃の勢いを強める。
「異母姉上! 先ほどのお話には続きがありましてね……義兄上の村での一件の後、人との交わりを全て諦めし母は! 私を氏原の遠縁に預けました。……そして、十四の齢にて宮中に出仕しました私は……あなたと出会ったのですよ、異母姉上!」
「……そうであったな、氏式部。私とそなたが初めて出会いしは、そなたが十四の齢であったか。」
随子――氏式部内侍からの半兵衛越しの言葉を聞きし中宮は、努めて穏やかに言う。
「ふん、もはや主人面などならないで下さいまし! ……私はそこにてあなたを嫉みましたわ。同じ顔でありながら、私が得られずじまいであった愛を! 位を! ……あなたは何不自由なく得て、そして豊かに育った! 私はその怒りにより……影の中宮として! この都を悩乱しようと決めたのですよ!」
「随子……」
「氏式部……」
「……おや? 義兄上、何故刃に籠めしお力が弱っていらっしゃるのです? ……そうですか、この期に及んで情けでございますか!」
「くっ……随子!」
随子が語る間にも、半兵衛は押されていく。
随子は容赦なく、刃にて半兵衛の紫丸を押す。
「……言っただろう! お前が誠に恨むべきは俺だと! だから随子……中宮様を恨むのは、御門違いなんだよ!」
「くっ! ……いいえ、義兄上!」
しかし半兵衛は、随子の刃に紫丸を打ちつけ間合いを取る。
随子は間合いを取り、刃を構え直す。
「私こそ申しましたでしょう? 義兄上には」
「はあ!」
「!? おや、これは異父兄上!」
が、再び半兵衛に――正しくはその後ろにいる中宮に斬りかからんとしし随子の横より。
怒りの形相なる道虚が斬りかかる。
その身には殺気の炎を滾らせし、宵闇が再び纏われていた。
随子はすんでの所にて、道虚の刃を受け止める。
「そなたごときに……そなたごときに!」
「おやおや……あなたと私は似し者なのやも知れませぬね異父兄上。私もあなたも、母に」
「黙れえ! ……いや、認めよう! 我らは愚かにもそなたごときの奸計に騙された! であればその汚点……そなたの首にて雪がせていただく!」
「ふうむ……やむを得ませぬね。」
「何? ……ぐうっ!」
「!? なっ……」
「に、女御!」
しかし、随子と鍔迫り合いとなりし道虚は。
後ろよりにわかに、貫かれる。
貫きし者は、女御・冥子。
そう、真の影の中宮たる随子の、影武者である。
「わ、我が娘よ……何故……」
「ほほほ、申し上げたではありませぬか。その者の心は、既に我が手中にあると!」
「ぐっ……かはあ!」
随子の高笑いに応えるがごとく、冥子は道虚より刃を抜く。
先ほど半兵衛が斬り合いにて斬りし時と同じく、殺気によって埋められしはずの宵闇の胴と草摺の隙間が貫かれていた。
「ば、馬鹿な! 妖喰いもなしに」
「ええ、妖喰いではございませぬが……その力の源はあなたの中に!」
「何? ……ぐうっ!」
半兵衛が訝るが。
やはり、これまた随子の言葉に応えんが如く。
半兵衛の紫丸は、にわかに青白く光る。
やがて青白き光より白き光が、抜け出し。
それが取りし形は。
「なっ……か、母さん!?」
「なっ……!?」
「は、母上!」
半兵衛・中宮・道虚は驚く。
その白き光は白毛九尾の化け狐――半兵衛らの母・白郎の姿が。
「いいえ、その者は母の力のみが残りし式神・白郎。……さあ、参りなさい!」
「ぐうっ!」
「ず、随子!」
随子は式神・白郎に飛び乗るや。
式神の九尾より出でし九つの白き光が天を衝き。
天へと飛び上がる。
「なっ……あ、兄上! あ、あれは!」
「なっ……何だあれは!?」
「ち、中宮でしょうか?」
再びの百鬼夜行の後方、羅城門より離れし所にて。
尚も攻め入りし都の第一陣を迎え討ちし長門兄弟は、父の身を案じつつも。
にわかに天高く飛び上がりし随子に驚く。
「母よ……娘の私をかような憂き目に合わせし罪、しかと雪いでいただきます。これからは我が、式神として。」
「随子!」
随子は首に纏わり付きし式神・白郎に口づけし微笑む。




