守心
「すまねえ母さん……俺は忘れていた! 母さんに産んでもらっていたことを、育ててもらっていたことを!」
「何を……言っておる!」
半兵衛は、白郎に謝る。
白郎は戸惑うばかりである。
都が危うくなると知りつつも、出奔しし半兵衛は。
かつて救えずじまいであった村へ向かい、次こそはかつて討てなかった亡き友、春吉・吉人の仇を討つことを決めていた。
そうして、母と対峙し。
戦いつつも母への思いに揺らぎ、母からは自らを憎むよう促されるも、一度は敗れる。
しかし半兵衛は、にわかに母に謝る。
「半兵衛、まさか忘れた訳ではあるまいな! 私はそなたの友を殺した! この村も」
「そんなの……全て俺のせいだ! 母さんだってあの時言ってたじゃねえか、あれは俺が!」
「左様に……誠に考えているのか! 友を殺されし憎しみは、村を焼かれし憎しみは! そなたにとりて左様に軽いものなのか!」
白郎は九尾を広げつつ言う。
これまでよりも更に。
これ見よがしに滾らせし妖気を纏わせながら。
しかし。
「俺は……仲間に教えられたんだよ! 憎しみなんて、どんなに虚しいか!」
「!?」
白郎は、半兵衛のその言葉に。
かつての百鬼夜行を思い出す。
――おっ……母……!
――目を、目を開けよ!」
――うわあああ! 父上ー!
焼け野原となりし都にこだまする人らの泣き声。
築かれし人や妖の、骸の山。
これが、自らの望みしことなのか。
ならば、自らは何と愚かであったのか。
その時。
ふと、自らの足元にて泣く赤子を見つける。
「そなたは……何だ?」
赤子は答えず、というより答えられる訳もなく。
ただひたすらに、泣き声が返る――
「だからさ、母さん!」
「……ん!」
半兵衛の言葉に、思わず自らが呆けてしまっていたことに気づき白郎は半兵衛を見つめ直す。
「俺は……確かに母さんへの恨みを捨てることはできねえ! だが……母さんに受けた恩も忘れることができねえんだ!」
「ふん……よくも、さような戯言を!」
白郎は更に、九尾を広げる。
そのおぞましき妖気を纏いくねる様は、さながら八岐大蛇のごとく。
「それで私とは戦えぬというのか! 甘えるな!」
「いや違う! 俺は母さんと……戦いたい!」
「何?」
しかし白郎は、半兵衛のこの言葉に意表を突かれる。
てっきり、戦えぬと言われると思っていたのだ。
そう、半兵衛も。
憎しみがなければ戦えぬ。
そう、思っていた。
だが中宮の言葉により、水上兄弟がかつて彼らの父の仇たる叔父・夕五に突きつけし答えを思い出し。
半兵衛はようやく戦う訳を他に見出した。
それは。
「言ったよな……再びの百鬼夜行に加わるって! 俺はそんな母さんは許せねえ……俺が! 仲間たちが! 命をかけて守ってきた都を、母さんが再び踏みにじろうなんてなあ!」
「ほう……憎しみではなく、その守心にて私を討たんとするか! 面白い……ならばその思いの強さ、しかと見せてもらおう!」
守心を戦いの訳とするよう腹に決めし半兵衛は、今一度母とぶつかり合う。
「半兵衛……そうだ、そなたはそれでよい!」
早く半兵衛に、再びの百鬼夜行のことを伝えねば――
陰からこの有り様を見し中宮はそう考えつつも、半兵衛とその母との戦を、止めることはできぬと思った。
だからこそ、見守ることにした。
それしか、できぬと思ったからである。
「私にも守るものはあるぞ! 初姫・竹若・治子! そして……半兵衛様、刈吉殿、白布殿! さらにこの都! それに夏殿とそなたじゃ、広人!」
「頼庵……」
頼庵・広人・夏・刈吉。
四人は横に並び、今共に、妖・どうこうより放たれし炎の玉による攻めを防いでいる。
彼らもまた、半兵衛と同じく。
憎しみではなく守心を、妖らと戦う訳とした。
「さあ皆! 守りたき者は何だ!」
「うむ! 私四葉広人は! ……半兵衛や頼庵、白布殿! この都! そして……私が惚れし女子、夏殿を守りたい! 今更、遅いやも知れぬが!」
広人も叫び地より生やしし剣山を次には、どうこうへと向けて行く。
「遅くなどない! ……さあ、刈吉殿と白布殿は!」
頼庵も更に、翡翠より矢を放ちつつ刈吉と白布を促す。
「私は! 半兵衛様や頼庵殿や広人殿! そしてこの都! そして今は奥州におります、父母、そして私に狩りや蝦夷の言葉、習わしを教えてくれし白布のイオフヤ――祖母を! そして……白布を!」
「えっ!」
刈吉は言いつつ、雷纏う黄金色の光の刃を飛ばす。
白布はその言葉に、驚く。
「あっ……そ、それは! 幼なじみとして! 何より、イオフヤが悲しまぬようにだ!」
「……はい、刈吉! 私も刈吉を! 半兵衛様を! 頼庵殿や広人殿……そして、今奥州にいる全ての人を!」
白布も言いつつ、黄金丸の力纏いし矢を数多放つ。
それらはやはり、雷を帯びる。
「うむ……皆! よいぞ、それぞれに守りたきものを!」
「私もよいか?」
「私もよいですか!」
「何!?」
にわかに、声と共に。
妖喰い使いらが今放ちし攻めに重ねる形にて、緑の火と雷纏いし殺気の矢が数多放たれる。
「は、初姫!」
「刃白……阿江殿!」
頼庵らが声の方を見れば。
そこには、刃白に乗りし刃笹麿と初姫が。
「叔父上! 私は母より許しを得ました! 私は母と弟、半兵衛小父様や広人小父様! そして、刈吉殿や白布殿とこの都に生きる方々を……何より、頼庵叔父上を守るため戦います!」
「なっ! ……そうか、まったく! 父に似たな!」
姪の物怖じせぬ言葉に、頼庵は納得する。
「結界封魔、急急如律令!」
「うお!」
刃笹麿は妖・どうこうの攻めを結界にて防ぐ。
そして。
「私は……妖喰い使いら程には、都そのものを守り切れるほどの力はない! であればせめて……私の妻・上姫とその腹の中の子は必ず守る!」
「阿江殿……」
刃笹麿も高らかに、言う。
「ははは! ……なるほど、少しは答えを出したか! ならば、我らも行くぞ!」
「はっ!」
「かしこまりました。」
妖喰い使いらの宣いに、長門兄妹も。
「我ら、鬼神一派! 鬼神様と、鬼神様が果たさんとする大願を守る! しかし、我らも鬼神様と一身同体ならば……我ら自らも守る!」
高らかに、宣う。
「鬼神一派から、守るなどという言葉が出るとはなあ! ……ぐっ!」
「! あ、阿江殿!」
鬼神一派の力が強まりしか、妖・どうこうの攻めが、妖喰い使いらの攻めや刃笹麿の結界を押し除ける。
「くっ! 皆!」
「応!」
「はい!!」
「はあっ!!」
頼庵・広人、刈吉・白布、刃笹麿・初姫はそれぞれに攻めを繰り出す。
たちまち、妖喰い使いの緑の矢・剣山・黄金の刃と矢・刃白の矢と炎、妖・どうこうより放たれし数多の凄まじき妖気がぶつかり合う。
「はあー!!!!!!」
「うおお!!!」
妖喰い使いらと長門兄妹の力は、しばし拮抗し合う。
どちらも、心にあるは。
それぞれに違えども、何かを守らんとする心。
しかし、やがて――
「はあー!!!!!!」
「くっ!」
頼庵らの攻めが、妖・どうこうの攻めに打ち勝つ。
たちまち妖喰いや黄金丸、刃白よりの攻めがどうこうに当たり、爆ぜる。
「ぐうっ!」
「高无! 繋がりを断て!」
どうこうの受けし傷が、高无に影を落とさぬよう伊末は。
妖との繋がりを絶たせる。
「ぐっ! ……あ、ありがとうございます兄上……」
「退きましょう! これは、彼奴らは再びの百鬼夜行へのお楽しみにせよということですよ。」
「……うむ、影の中宮よ。此度ばかりはそなたの言う通りよ。……退くぞ!」
「はっ!」
長門兄妹はその場より、退く。
「聞くがよい、妖喰い使いらよ! 再びの百鬼夜行、既に知りし通りこの年が明けてより後! 内裏よりこの都を攻めさせていただく。首を洗い待っておれ!」
「何! くっ……」
退き際に伊末が吐きし言葉に、妖喰い使いらは驚く。
しかし、周りは土煙ばかりにて何も見えぬ。
「……逃げられたか。」
やがて、先ほどの爆ぜによる土煙が晴れる。
周りを見渡しても鬼神一派は、見当たらぬ有様になっていた。
「逃げられたか。」
「よい。……さあ、我らも帰り、都の守りに備えるぞ!」
「応!」
「はっ!!」
こうして再びの百鬼夜行を前にしし都での戦は、ひとまず終いとなる。
「(夏殿。……そなたにはまた、会いたい……)」
広人は鞍馬山の方を向き、一人想いを馳せる。
同じ頃、鞍馬山にて。
「ふう、まだ終わらぬか……」
夏は箒にて寺の周りを掃きつつ、ため息を吐く。
その姿は、まさに尼そのものである。
「皆を……妖喰い使いとしての務めを半ば放り出す形にて出て来てしまったが……これで正しかったのかどうか。」
夏は悩んでいた。
全ては、虻隈や海人、義常らの供養のため。
そして、自ら手にかけてしまいし毛見郷の皆の供養のためである。
が、やはり務めを放り出してしまいしは誠である。
このままでよかったのかどうか――
と、その時であった。
「ご機嫌麗しゅう、鞍馬山の天狗の方々よ。」
「そなたは……」
「(!? な、何だ!)」
夏はにわかに、聞き覚えのある声を聞く。
それは、あの忌まわしき薬売りだ。
虻隈を使い毛見郷を滅ぼし、その虻隈すらも使い潰し。
更には海人をも使い潰しし、彼らには薬売りとか呼ばれていたあの男である。
「また、そなたか。」
「はいな。……お心は変わりましたかいな? 大天狗様の。」
「(!? これは……)」
夏は、身体の中の妖喰いが騒がぬよう抑えつつ聞き耳を立てる。
「幾度尋ねられても、我らにはそなたらに従う意などない! 帰れ。」
「あちゃー、つれんお方々やなあ。再び、あの百鬼夜行が起こるんやで? あんたらは新しき世が来る刹那に、立ち会えるんやで?」
「(!? ふ、再びの百鬼夜行!)」
夏は自らの腸が縮み上がる思いである。
かつて、都を焼け野原に変えし百鬼夜行。
それが、再び起こるというのか。
「帰れと言っておる! 帰れ、もはや二度とその醜き面を晒すな!」
向麿に会いし烏天狗らは、向麿に情け容赦なく罵声を浴びせる。
「じゃ、分かりましたわ。……ま、あんたらは再びの百鬼夜行に、加勢せざるを得ぬようになりますがな!」
「何?」
「(何?)」
向麿は捨て台詞を残し、去る。
「まあよい……さあ、戻ろうぞ!」
烏天狗たちは訝りつつ、山奥へと帰って行く。
「(薬売り……何を企んでいるのか。)」
夏は未だ、自らの中の妖喰いを抑え込みつつ訝る。
「……邪魔する。」
「はい、お待ちしておりましたわ帝。」
その夜、内裏では。
帝が影の中宮の下に通う。
無論、帝は目の前にいる者が影の中宮とは知らぬが。
さておき。
「すまぬな、そなたにも心労をかけてしまって。」
「いえ、私は……帝は、大丈夫なのですか?」
添い寝しつつ影の中宮は、帝に問う。
「私は、大事ない。……しかし、公家らからは、再びの百鬼夜行に備えて都を離れた方がよいと。」
「……まあ。」
帝の言葉に、影の中宮は少し驚く。
「しかし……左様でございますね。都が守れたとしても、帝の御身がご無事でなければ元も子もございませぬし。」
「うむ……」
影の中宮に肯じられ、帝は少し心が軽くなる。
「しかし……皆が戦う中にて、帝たる私がそうしてよいのであろうか?」
帝は、影の中宮に問う。
「すまぬ、そなたの元にこうして甘えに来てしまいしことも……氏式部が、半兵衛を呼びに行っておる今、許されることなのかと思えてしまってな。」
「……そうでございますか。」
帝の言葉に、影の中宮は少し萎れる。
それを見し帝は。
「あ、いいや! そ、そなたには責はない。単に、私の至らなさ故よ……かように至らぬ私を受け止めていただき、ありがたい。」
「……いいえ、むしろ私の方が光栄ですわ。」
影の中宮は、帝を抱きしめる。
「しかし、氏式部は自ら半兵衛を呼びに行きたいと。氏式部は……半兵衛に惚れているのであろうか?」
「おや、帝。……もしや、氏式部にお心が?」
「い、いや! そんな」
帝は危ないと、口を噤む。
他の女の話はするなと、前にも咎められていたことを忘れてしまっていた。
そのまま夜は、更ける。
「母さん!」
「半兵衛え!」
再び、半兵衛と白郎の戦場にて。
時は少し、遡る。
都にて妖・どうこうと頼庵らが、戦っている時であった。
「かつての百鬼夜行は……なんで起こした!」
「ふふ……言うまでもなかろう! 私は全てを憎み、そして呪ったからだ! 妖であるというだけで私を受け入れぬ愚か者共! 其奴らが憎かった!」
戦いつつ、半兵衛が問い白郎が答える。
答えと共に繰り出されし尾の一つを。
「はあ!」
「ぐうっ!」
半兵衛が切り落とす。
「ぐっ……前の日の躊躇いがないとはな!」
「ああ……憎しみじゃねえ、守るためだ!」
半兵衛はまたも言う。
そう、全ては母より都を守るため。
その一心にて半兵衛は、ようやく腹が決まったのである。
「ふふ……図に乗るな!」
「ぐっ! ……何のお!」
半兵衛の右脇腹を、白郎の尾の一つがまたも翳めるが。
半兵衛はその尾を紫丸にて受け止め、切り落とす。
「ぐうっ!」
「どうだ! これで俺の腹積もり分かってくれるか!」
半兵衛は白郎に迫りつつ言う。
「何を……まだまだ!」
「ぐっ、二尾同時か!」
白郎は先ほどまで、一尾ずつであったのを、次には二尾とも繰り出す。
「……なら!」
半兵衛は紫丸を右腕に握り、その右腕を左脇腹に沿わせる。
そのまま刃を左腕の前にて水平にししまま、くるくると回る。
「はああ!」
「むう!」
たちまち差し向けられし二尾とも、半兵衛は斬り捨てる。
「くっ……そなたは誠に守るというのか! 大方、そなたが妖の子とは知らぬ者たちであろう! 所詮左様な者たちなど、知らぬ内はそなたを散々に持て囃し!」
「ぐっ!」
「誠のことを知ればきっと、手の平を返す! それが、人という者じゃ!」
白郎は叫びつつ、残り六尾のうち五尾を差し向ける。
しかし、その形は。
半兵衛を迎え入れるかのごとく袋のようにまとまり、入り口をがぱと開ける。
中には、数多の牙が。
「これは……影の中宮の時と同じか!」
半兵衛は驚く。
それは、百鬼夜行という程ではないが、影の中宮率いる妖の軍勢が都を襲いし時。
その時、影の中宮が白郎を真似て創りし妖がしたことと同じである。
「何だ? まあ、よい……そなたが誠に守るというならば、都の前に一人の人を守って見よ!」
「何? ……くっ、そっちか!」
「う、うわあ!」
白郎の五尾を纏めしものは、半兵衛を襲わず。
大回りして半兵衛を避け、物陰に隠れし中宮を襲う。
「中宮様!」
「何?」
半兵衛は駆け出しつつ、思わず叫ぶ。
目の前の、氏式部を装いし者の正体を。
「さあ! 半兵衛! ……くっ!」
「……半兵衛!」
しかし、すんでの所にて。
半兵衛は身体を大の字にて広げ。
中宮の前に守りに入る。
「くっ……半兵衛!」
「母さん……もう、言っちまったから言う! この方は今の帝のお后、中宮様だ!」
「な……氏原の、娘か!」
五尾の牙に抗しつつの半兵衛の言葉に、白郎は叫ぶ。
氏原の、道中の娘か――
「何故……中宮が!」
「俺を、呼びに来てくれた……そして、改めて思い出させてくれた! 憎しみの、虚しさをなあ!」
「何! ……しかし、半兵衛よ! 其奴もそなたの生まれを」
「いいえ……知っております!」
「何!?」
次は、中宮が声を上げる。
白郎はその言葉に、驚く。
「何と……愚かな女め! 何故」
「半兵衛のお母上……私は、あなたが半兵衛を産んでくださったことに、育ててくださったことに礼を申し上げます。ありがとうございました!」
「くっ……んん!」
「えい!」
「ぐっ!」
白郎は中宮の思いがけぬ言葉に驚く。
半兵衛は白郎の五尾を、斬り払う。
「くっ……」
「……母さん、もう終わりにしよう! 改めて礼を言う。俺を産んでくれて……育ててくれてありがとう!」
「……黙れ!」
「だけど……俺は、再びの百鬼夜行に加勢する母さんは許せない!」
「……ああ、ならば!」
半兵衛の礼にも、白郎は揺らぎつつも。
残る終いの一尾を、半兵衛に向ける。
「……決する時だ! 半兵衛え!」
「母さん!」
半兵衛は、白郎に向け駆け出す。
白郎は半兵衛を引きつけているのか、
未だ尾は繰り出さぬ。
「はああ!」
半兵衛はそのまま、間合いを詰める。
そのまま紫丸を、母に振り下ろし――
「!? か、母、さん……?」
「なっ……」
「ふ、ふふ……」
半兵衛、中宮は戸惑う。
白郎はさして防ぐでもなく、刃を自ら受けたのである。




