躊躇
「さあ、どうするんや妖喰い使いらよ!」
「くっ……」
未だ姿は見せぬ向麿の声が響きし中、頼庵ら妖喰い使いたちは歯軋りする。
無限輪廻の後、頼庵・広人・夏・刈吉は。
半兵衛の戻り・そして早々に再び出奔ししことに加え、夏の出家のことも帝に伝えた。
しかしそのすぐ後、妖の匂いを頼庵らの妖喰いが嗅ぎつけ、その場に向かう。
そこには火を吹く鳥のごとき妖・波山がおり、早々に倒さんとするのだが。
にわかに聞こえし向麿の声は、その波山は無限輪廻を肩代わりしし義常らの魂の内いずれかが転生しし姿ではないかと告げる。
それもあり得ると思いし頼庵らは、波山を攻められなくなる。
「さあ……波山、奴らをもっと攻めたれや!」
向麿の命を受けし波山が、翼を広げ甲高く鳴く。
今嘴より吐いている炎に加え、その広げし翼にも。
激しき炎が噴き出し、妖喰い使いらに襲いかかる。
「くっ……殺気、剣山!」
広人はそれに抗さんと、更に殺気の剣山を生み出す。
たちまち剣山は広がり。
尚も激しくなりし波山の炎を、防ぐ。
「す、すまぬ広人!」
「今のうちに攻めよ! 夏殿、早く」
「ん!? ひ、広人!」
「……ん? あっ……」
広人が思わず口にししは。
既に出家し、鞍馬山に向かい今はいぬはずのかつての仲間。
そして、想い人――
「私とししことが……とにかく、私もいつまで保つか分からぬ! 早く奴を」
広人は先ほどの自らの言葉を振り切らんとして叫ぶが。
皆動けぬ訳は広人も分かっており。
言葉が続かぬ。
「おうやおや。そういえばあの化け物娘どこに行ったんや? ……そっか、出家したんやったっけ?」
「なっ!」
向麿の声は、またも響き。
頼庵らはその言葉に、驚く。
「何故、そなたがそれを!」
「ははは、まあ……風の噂って所やけどなあ。」
向麿は、あくまではっきりとさせずに返す。
「おのれえ!」
頼庵は身構えるが。
やはり、動けぬ。
「どうしたんや? 腰抜け共があ! ……波山!」
やはり妖喰い使いらが攻められぬと分かるや、向麿は更に攻勢に出る。
命を受けし波山は、更に更に吐く炎を強める。
「くっ、この!」
広人はそれをひたすら、殺気の剣山にて防ぐが。
防ぐばかりで、やはり攻められぬ。
頼庵も白布も刈吉も、やはり動けぬ。
しかし、その時であった。
「ぐっ! な、何や!?」
「は、初姫!」
頼庵は叫ぶ。
奇しくも、初めて殺気の弓を携えて戦場に出し時と同じく。
初姫は式神・刃白に乗りて来た。
「そ、そなたの母は……治子は何と言っておる?」
「左様なことは後回しです、叔父上! ……この体たらくを、どうにかしませねば!」
「うっ、それは……」
頼庵は言葉に詰まる。
初姫は未だ、治子より妖喰い使いとなることを許されし訳ではない。
頼庵の憂いはそれに加え、あの妖・波山が無限輪廻を肩代わりしてくれし者たちのいずれかの生まれ変わりかも知れぬと聞いていない初姫が、そのことを知らぬこと。
知らねば、攻められるやも知れぬ。
しかし、一度知れば。
ここにいる中で最も幼く、か弱き初姫には耐えうることなのか――
「……ええ。波山、あの娘っ子にも炎をお見舞いしちゃれや!」
「……!? くっ……」
向麿の、波山への新たな命を聞き。
頼庵は走り出す。
「侮りなさるな! ……行きますよ、刃白!」
初姫は自らに向けられんとする攻めも、嬉々として受けんとしている。
「初姫!」
波山は他の妖喰い使いらにも引き続き嘴より火を吐きつつ、初姫の方へ翼の炎を向ける。
たちまち炎の筋は、初姫と刃白めがけ飛んでいく。
「初姫に……手を出すな!」
頼庵は手元の翡翠より、雷纏いし殺気の矢を撃ち出す。
たちまち幾らかの矢が、宙を舞い。
雷の網を編む。
それらは初姫と刃白の前にて盾となり、波山の炎を防ぐ。
「くうっ! 波山、負けるなや!」
波山は向麿の命を受け。
これまで片手間であった初姫への攻めをそれのみに纏めて放つ。
「初姫え!」
頼庵は再び、雷纏いし殺気の矢を数多放つ。
矢の編みし雷の網にて波山の炎はまたも防がれる。
「くっ! 我らは狙わぬというのか!」
広人は手ごたえがなくなりしことに気づき、声を上げる。
そう、片手間であった初姫への攻めを止めるということは。
広人・白布・刈吉への攻めを止めたということである。
「当たり前やがな! どうせ、怖くて攻められやせんやろ? なんなら、いっそそなたらなんぞ捨ておいた方がええわ!」
「おのれ……おのれえ!」
「広人様……」
「くっ、我らも……」
先ほどの広人の言葉に答える形にて響きし向麿の声に、広人らは歯軋りする。
我らは取るに足らぬということか。
「ならば……私も!」
そして、叔父が自らを守るために放ってくれし技を見て。
負けん気は強き初姫は、真似をせんとする。
たちまち見よう見真似にて、殺気の弓に番られし矢に雷を纏わせんとする。
すると、たちまち矢には雷が。
「初姫! 止めよ、そなたには早すぎる!」
頼庵は尚も波山の炎より初姫を守りつつ、叫ぶ。
「叔父上! 申しましたでしょう、左様なことはこの体たらくをどうにかなさってからおっしゃって下さい!」
「くっ……この放蕩娘め!」
叔父にも臆せず言い返す初姫に、その叔父たる頼庵は肩をすくめたき思いである。
まったく父か母か、誰に似たのやら。
しかし。
「……よい! ならば射てみよ、我が姪よ!」
「……はい!」
頼庵は矢を波山の炎に射掛け続けつつ、姪を敢えて焚き付ける。
果たして、初姫は。
「えい! ……ぐっ!」
殺気の弓より雷纏いし数多の矢を撃ち出す。
その勢いにて自らは転げるも、矢そのものは波山めがけ飛ぶ。
「何の! ……何やて!?」
向麿はこれを見て、驚く。
矢は波山の炎とぶつかり合い、爆ぜつつも。
幾らかは、波山そのものへと届く。
たちまち波山の身体のうちいくらかは爆ぜ、血肉となり翡翠に喰われる。
「叔父上、今です!」
「初姫……」
頼庵は構える。
確かに、千載一遇の機ではある。
しかし。
「(あれが、もしも……無限輪廻を肩代わりしし誰かであったなら。)」
頼庵は翡翠に殺気の矢を番えつつも、躊躇ってしまう。
広人らも、手が出せぬ。
「叔父上! ……皆様も! 何故妖喰いの使い手でありながら、妖に手をこまねくのですか!」
「うっ……」
「初姫、様……」
「それは……」
初姫の、知らぬが故の鋭き言葉に、皆言葉に詰まる。
「はーっ、ははは! 教えたるわ、あの妖は」
「……うおおお!」
しかし、向麿の再び響きしこの言葉を初姫に聞かせるかという心が。
そして、初姫に、姪にこれより先みっともなき真似を見せるのかという恥入りが。
ほんの刹那ではあるが頼庵の背中を、押す。
たちまち頼庵の翡翠に番えし矢は、数多雷を纏い放たれる。
「なっ……波山!」
これに驚きし向麿は、波山に命じるが。
先ほど深傷を負いし波山には抗い切れる訳もなく、時既に遅し。
たちまち頼庵の矢は波山を貪り、爆ぜさせる。
その場は雷鳴と緑の殺気により光り輝く。
「くっ……覚えちょれや!」
向麿は捨て台詞を残す。
たちまち妖の気配が、ふと消える。
「……どうだ、初姫!」
頼庵は初姫に、笑顔を向ける。
「はい! それでこそ妖喰いの使い手でございます!」
初姫も頼庵に、笑顔を向ける。
「頼庵……すまぬ! 私たちは」
「申し訳、ございませぬ!!」
広人・白布・刈吉は頭を下げる。
「……よい。私もあのままでは、何もできずじまいであったからな。」
頼庵は皆を宥める。
そう、自らもそして、この姪も――
頼庵は初姫を再び見る。
「叔父上?」
「……いや、何でもない。」
頼庵は目を逸らす。
この娘には、あのことは知られぬようにせねば――
「今帰りましたでえ!」
「ふん、よくもまあのこのこと!」
「そ、そうじゃ!」
長門の屋敷にて。
戻りし向麿は、待ち受けし長門兄弟より非難を受ける。
「いやあ、まだ訳を知らん小娘が現れよって、それで」
「言い訳は無用じゃ! ……あの義常の娘か。しかし、所詮は幼き女子」
「女子なれども、弱いとは限りませぬよ?」
「……ふん、兄の言葉を否むか!」
そこへ、冥子が現れる。
「まあ、何者も侮るのはいけませぬわ兄上。侮ってしまわれると……場合によりては、寝首を掻かれることになりますわよ?」
「……ほう。」
冥子と伊末は、静かに睨み合う。
「ひ、ひいい兄上!」
「まあまあ、長門のお子らよ。此度は、大願を前にした時やで?」
「……そうでしたわね。」
「ああ、私とししことが。」
向麿の言葉に、冥子と伊末は互いに矛を収める。
「……ま、次はあの訳を知らん小娘にも伝えますわ! それで妖喰い使いらは……おしまいや!」
向麿は微笑む。
そう、今は知らぬだけである。
「……よし、さあ我らも。父上がいらっしゃらぬ中にても、できることを見つけねばな!」
「はっ、兄上!」
「ええ、ご尤もですわ。」
先ほどまではバラバラであった長門兄妹も、父の大願の前には瞬く間に結束する。
そして、その父は。
「いつまで逃げておるのだ、敦読! 私を説き伏せるなどと抜かしておきながら、いざとなれば尻尾を巻くのか?」
白郎は長門兄妹の父・道虚に問う。
二人が相対しし山の中にて。
道虚は母たるかつての百鬼夜行棟梁・白郎を説き伏せ、再びの百鬼夜行に加わるよう懇願せんとするが。
これを母は頑として受けつけず、道虚を追い返さんと攻めて来たのである。
「母上、何故でございますか? 自らを裏切りし人共への仇討ちに燃えていらしたあなた様が、何故再びの百鬼夜行を望まれぬのです!」
道虚は尚も、母に刃を向ける訳にはいかぬとばかり。
鞘を母に砕かれ収める術なきはずの刃を持て余しつつ、母より逃げ回る。
「そなたにはもはや関わりなきことよ! だが、せめて告げるとするならば……あのような都など、もはや欲しくもなくなったからよ!」
「くっ! 母上……」
白郎も左様な道虚を、息子を情け容赦なく。
鋭き牙を剥き、尚も狙い続ける。
「母上! 母上が左様な風に変わられてしまったのは……あの一国半兵衛めの、せいでございますか?」
「!? そなた、何故その名を……」
白郎は道虚のその言葉に、ふと動きを止める。
息子の口より(白郎にとりては)彼の知る由もなきはずのもう一人の息子の名が出て来しことに、少なからず揺らいだのである。
「やはり……あの者なのですね?」
「……何故、そなたがその名を知っていると聞いている。」
道虚の更なる問いに、白郎も問いを返す。
「あの者は、妖喰いなる物を携え我が一門に楯突く仇! その者も母上の息子とは、私も初めて知りし時は驚きました。……あの者が、母上を変えてしまわれたのですね?」
「(……半兵衛……)」
白郎は道虚のその問いには答えず、昔を思い返し初める。
「母上……ん?」
道虚は母を見つめるが、ふと気づく。
母の腹に、いくらか噛み跡の如き赤黒き傷があることに。
白郎は、道虚のその目には気づかぬながらも。
奇しくも道虚の見つめしその傷は、白郎が今疼きし傷であった。