帰還
「何を、言ってんだよ……義常さん!」
半兵衛は目の前に現れし数多の魂に、そしてその中の義常の形をしし魂に問う。
半兵衛が死神・綾路を介し地獄の十王より受けし罰・無限輪廻。
それは、かつて人間道にて暮らしし日々を忘れ、六道を輪廻転生し続けるという苦しき罰であった。
そのまま天道での、母と近くの村人たちと暮らしし幸せではあったものの最も苦しき人間道での頃と似し暮らし。
そして戦乱の世、阿修羅道での人の血に手を汚しし暮らし。
餓鬼道での、飢えに苦しみ何もできぬままであった暮らし。
畜生道での、妖に生まれ変わりかつての仲間らと戦わねばならぬという暮らし。
そして今、半兵衛らは地獄道。
これまでとは異なり六道全ての思い出を保ちしままの半兵衛は、かつての自らの罪を呆れるほどに味わされつつも頼庵らとの誓いを果たすべく、無限輪廻より脱せんとして道虚と戦うが。
にわかに地獄の鬼たる獄卒らが現れ、半兵衛と道虚は共に戦うことを余儀なくされる。
そして半兵衛・道虚はそれぞれの同胞より分け与えられし力にて獄卒らを振り切らんとして戦ったが。
そこに現れしは、六道輪廻転生を司りし地獄の十王。
いや、正しくは十王は、現れしことも直には確かめられぬほどの大いなる力なのであるが。
それでも尚半兵衛と道虚が立ち向かわんとしし矢先、にわかに人間道より力を分け与えられし時の繋がりが切れる。
そのまま力が減りし半兵衛・道虚を尻目に、彼らの前に現れしは。
この地獄道にて助言をくれし、今は亡き妖喰い使い・義常の魂。
いや、それのみならず。
広人の亡き友・隼人や、白布・刈吉の友たる野代。
夏の父たる伊尻や、母・弟含む毛見郷の村人たちに夏の育ての親・虻隈。
さらには古の蝦夷たる凶道王や黒乙、妖・赤鱏の魂たる海人や刃笹麿の曽祖父から父までの祖たち、白布の父母、水上兄弟の父・義夕の姿まで。
「何で、皆が……?」
未だ半兵衛は目の前の有様を呑み込み切れず、戸惑うばかりである。
――……我らは、この魂の片割れには恨みが、そしてもう片割れには恩義がある! 此度、仇まで救わねばならぬは納得のいかぬことであるが……恩義あるもう片割れのため、我らは喜んで無限輪廻の咎、肩代わりする!
「……片割れ? 何の、ことだ……?」
「私とそなたの魂は、今二人にて一つになっているということよ!」
「!? なっ……」
未だ呆けつつ言葉を絞り出しし半兵衛に、後ろより道虚が言葉を浴びせる。
半兵衛はその言葉に、驚く。
「あの死神めは、我ら二人の魂を"たち"とは呼ばなかったであろう? それが何よりの証よ! 私はそなたを、私と二人で一人の魂として、私の片割れとしてこの無限輪廻に巻き込んだのだ!」
「……何だと……!」
半兵衛は呆けし頭に、ふつふつと怒りが湧く様を感じる。
確かに、思えば死神・綾路は半兵衛と道虚を呼びし時、二人として扱わなかった。
"百八獄卒とともにこの罪人に、裁きを下す!"
"罪人よ……見るがいい! そなたへの怒り、頂きまで届き……十王御自ら、お出でになられたのだ!"
いずれも罪人であり、罪人たち又は罪人共ではない。
そもそも、半兵衛の母について道虚が知っていることについても。
半兵衛の魂と二つで一つの魂として無限輪廻を共に過ごしていたとすれば合点はいく。
「なあるほど……鬼神さん! どこまでも俺を使ってくれやがったということか!」
半兵衛は怒りを顔に表し、道虚の方を振り向く。
「ふふふ……何と怖き顔じゃ! 恐ろしいのう。」
道虚は事も無げに、受け流す。
「……あんた、よくも!」
半兵衛は、改めて紫丸を握りしめる。
そうして、道虚へ――
「……動くな。」
「ぐっ!」
しかしその刹那。
にわかに、先ほどまで空にて静観しし死神・綾路が現れる。
たちまち半兵衛の持つ紫丸は激しく、蒼き殺気を放つ。
「ははは! 宵闇の一件の時のお返しであるぞ!」
苦しむ半兵衛を見、道虚は高笑いをする。
見れば、その両の手は空である。
既に宵闇を使いし折に、刃笹麿の策により暴れし宵闇により弱らされ、ついには倒されてしまいしことを道虚は忘れてはいなかった。
それにより学び、今は逆さまに半兵衛を妖喰いの暴れに巻き込むことを成し遂げたのである。
「ぐっ、鬼神……!」
半兵衛は顔を上げて道虚を睨む。
鬼面により顔は見えぬが、未だ笑いしままである風は伝わって来る。
それが半兵衛の怒りを、より湧き上がらせる。
「は、隼人がそこにいるのか!」
「兄者、父上……」
「父上……」
「虻隈よ……海人よ、父よ、村人よ……」
「祖父上方……」
「野代……」
「父母よ……」
「半兵衛……」
尚も殺気の刃越しに聞こえし音や声にて、地獄道の今を知り。
頼庵・初姫・夏・広人・刃笹麿・白布・刈吉はそれぞれの肉親や仲間を思い涙を流す。
中宮は尚、半兵衛を思い涙を流す。
また所は、人間道の半兵衛屋敷に戻る。
「しかし……無限輪廻を肩代わりなどと……」
「あ、阿江殿……無限輪廻を肩代わりすると、何があるのだ……?」
刃笹麿の呟きに際し、広人が問う。
「……もう、親しき者とは永遠に会えぬか……最も会いたくなき形にて会うことになる。」
「……!?」
刃笹麿が躊躇いつつも放ちし言葉に、皆絶句する。
それは、これまで皆が知りし通り。
此度無限輪廻の罰を受けし半兵衛が、通りし道である。
「そ、そんな! 今すぐに隼人を……いや、義常殿らを止めねば!」
「し、しかし……半兵衛は戻って来られぬのでは?」
「!? ……くっ!」
「くうう……」
「父上……」
「皆……」
「そんな……」
広人の叫びに対し、中宮は返す。
それにより妖喰い使いらは、刈吉・白布は。
やり場なき怒りを悔しさを、堪える。
今繋がりの切れし彼らには、既に地獄道へ介入する術はない。
かろうじて音のみ聞こえ、それにより地獄道の有様を知ることはできても今の有様を、ただただ指を咥え見ているより他なし。
これぞ地獄の沙汰である。
「我らは……ただ見届けるしかあるまい。」
刃笹麿はようやく、皆にそう言う。
皆、頷くでも否むでもなく、ただただ黙り込む。
「ふむ……まあ、これでは宵闇の力を使えずそなたを倒すこと能わぬな……致し方ない、彼奴らの策に乗らせていただく!」
道虚は鬼面越しに今一度笑い、再び義常らの魂に目を向ける。
またも、所は地獄道に戻る。
「ふざ、けんな……! 義常さん、こんな奴巻き込んでまで……あんたらが贄になってまで! 俺を救おうなんて」
――さあ、十王よ! まだ足りぬと思っておいでか、ならば!
半兵衛は義常に、十王より自らを庇い立つ魂たちに呼びかける。
しかし、義常はそれには答えず。
ひたすらに十王を、諭さんとしている。
「待てって、言ってるだろ! ……ぐっ!」
「こちらこそ待てと言っておる。十王とのお話の邪魔立てはさせぬ。」
「くっ……死神い!」
半兵衛は義常らの所に這いつくばってでも行かんとするが。
そうはさせじと枷を強める綾路である。
これには半兵衛も、いつもの軽口ではなくゆとりなき言葉になる。
と、その刹那である。
――うむ、ありがたき幸せ。
「なっ……? よ、義常さんたちい! 何が」
半兵衛が死に物狂いにて、尚も義常らの下へ行かんとしし時。
にわかに、目の前の――十王の気配がふと、消える。
「なっ……?」
半兵衛は目を見張る。
十王は半兵衛と道虚を罰せんと、直々に出て来た。
左様な十王が、姿を消したということは。
「そんな……そんなの! ……止めろ、俺はそんなの!」
「十王の意のままに。……六道輪廻転生の均衡破りの咎肩代わりにより、無限輪廻の罰に処す。」
「止めろー!」
半兵衛の言葉も虚しく、綾路は義常の魂らに、そう告げる。
たちまち周りは暗くなる。
そして。
「義常さん……皆! 何でだよ、皆……」
半兵衛は尚も、義常らに問いかける。
その魂らは今にもこの場より消えんとしているのか。
光の粒が魂たちより舞い上がる。
――主人様。……よいのです。
「……へ?」
半兵衛は手を伸ばすが、魂らは皆半兵衛の方を振り向き。
笑顔を浮かべる。
「皆……!」
その刹那、魂らは皆消えた。
「ふふふ……一国半兵衛よ、此度ばかりは礼を言う! そなたの同胞ら……実によく働いてくれた!」
未だ周りの暗き中にて。
半兵衛・道虚も潮時とばかり、その身体、否魂より光の粒が舞い上がる。
道虚は半兵衛に、礼を言う。
「ああ……要らんお言葉だな……だがありがとう、お陰で腹は決まった。」
「……ほう?」
半兵衛は道虚の方を振り向く。
その目には、無論憎しみが。
「……俺は、いや俺たちは! あんたら鬼神一派を必ず許さない! このお返しは……幾重にもお釣りつけて返してやるから、せいぜい僕共と首を洗って待ってろ!」
半兵衛が道虚に叫び、彼を指差しし刹那。
その魂は、消える。
「ふふふ……はははは! ああ、精々抗うがよい一国半兵衛、妖喰い使い共お! この世が滅びる、その刹那まで!」
道虚も高笑いし、その刹那。
その魂も、消える。
「半兵衛様……」
「半兵衛……」
「半兵衛……」
「半兵衛様……」
人間道の、半兵衛の屋敷にて。
未だその目より涙を溢れさせ、半兵衛を迎える。
「半兵衛……なのか?」
「ああ……ただいま、皆。」
中宮の問いかけに半兵衛は、答える。
「うむ……よくぞ。」
「お帰りなさいませ。」
皆、半兵衛に返す。
「ち、父上!」
「よくぞ。」
「よくぞお戻り下さいました。」
床より起き上がりし父を、長門の兄妹らは恭しく出迎える。
長門の屋敷にて。
地獄道での経緯は、こちらにも殺気の刃を通じて届いていた。
しかし長門兄妹は、ただただ待っていた。
単に、彼らが父を信じていたためである。
果たして、彼らの信じし通りに。
父・道虚は、長き眠りより舞い戻る。
「うむ、大儀であったぞ我が子らよ! そなたらの力あってこそこの父は、ようやく戻ることができた。」
「ははあ!!! 勿体なきお言葉。」
父のこの言葉に、兄妹は改めて跪く。
「ほっほっほっ! いやあ、鬼神様よくぞ!」
そこへ向麿が入って来る。
一礼すらせずに。
その有様に長門兄妹は、下げしままの顔にて眉を顰める。
「うむ、向麿よ! そなたも大儀であった。」
「いやいやそんな……しかし鬼神様や。今思い返しても、正気の沙汰とは思えんなあ。」
向麿はゆっくりと手を振り、道虚に近づきつつ言う。
「……御自ら地獄に堕ちて、そこから恨み辛みを蓄えて這い上がられるなんてなあ。」
「ふふふ……あの妖喰い使いらは! 一度堕ちて這い上がるほどの腹を決めねば太刀打ちできると思ったが故な!」
道虚は誇らしげに言う。
「……さあて、そなたも目覚めねばな。我が妖喰いよ!」
道虚は次に、高らかに唱える。
すると、その身の周りに。
闇色の殺気が溢れ、大鎧の妖喰い・宵闇が目覚める。
そのまま宵闇は分かれる。
そして主人の目覚めを寿ぐかの如く周りに集まり。
そのままその身を、鎧う。
「おお……これぞ鬼神たる、父上のお目覚め!」
「何と……美しい。」
「ち、父上がお目覚めじゃ! お目覚めじゃ!」
その姿に長門兄妹も、歓喜する。
それは兜に鬼面を備えし、闇色の妖喰い。
やはりそれは、既に直されていた。
「ふふふ……さあ我が子らよ! 今こそ、私が"京都の王"となる! 妖も人も、この世そのものでさえ! この都を掌握し思いのままとしようぞ!」
「はっ、父上! 我ら長門一門、父上にこの血の一雫まで尾いて行きまする!」
道虚の言葉に、長門兄妹は改めて宣う。
半兵衛、そして道虚が、無限輪廻より解き放たれ一月ほど経ち。
「南無妙法蓮華経……」
半兵衛の屋敷にて、尼の読経が静かに響きし中。
侍女らが後ろに座し、髪を切る。
左右にそれぞれ、一人ずつ。
そして髪を、切られし者は。
「(……全ては、虻隈のため、海人のため。そして……義常殿を初め半兵衛を救うため、その魂を引き換えてくれし全ての魂のため。)」
その想い抱きし、夏であった。
そう、夏は出家し妖喰い使いの任より離れる。
「夏殿が、出家とは……」
「ええ、我が亡き夫を初め……夏殿自らの罪との向き合い方を、夏殿なりに考えていらっしゃったようです。」
「母上。」
剃髪が行われし部屋の外にて。
広人の言葉に、治子は返す。
初姫も、部屋を見つめる。
「我らは……ただ見守るより他あるまい。」
「夏様……」
頼庵も白布・刈吉も。
ただただ項垂れる。
「夏ちゃん一人に、苦しみを負わせるようだが……夏ちゃんなりの、罪との向き合い方なんだな。」
半兵衛は呟く。
「(俺も……俺は……けじめをつけなけりゃならねえ!)」
半兵衛もまた、夏のその姿に絆され。
自らに言い聞かせる。
彼が思い浮かべしは。
「(……母さん。)」
かつて自らがその下より逃げし、母である。
時同じくして。
とある山の奥にて。
「母上……お久しぶりでございます。」
「そなたは……」
道虚は、目の前の母上に恭しく頭を下げる。
その母上は。
道虚を訝しげに見つめるが、やがて合点する。
「……敦読、か。」
「はっ。その名は今も捨てし訳ではありませぬが……今は名乗っておりませぬ。今の我が名は、道虚と申します。」
道虚は再び、頭を下げる。
その母上の姿は。
九尾白毛の、狐の如き姿。
まごうことなき、妖である。
「(母さん……)」
そして半兵衛が思い浮かべし母の姿は。
奇しくも、道虚の母上と同じであった。
次回より、第10章 白郎(百鬼夜行前夜編)が開始。




