餓鬼
「……ここは?」
半兵衛はふと、目を覚ます。
そこは何やら、荒れ果てし野原であった。
しかし半兵衛は。
何やらその野原に横たわり。
ただ空を、見上げている。
半兵衛が死神・綾路による地獄の十王による裁定の執行により、無限輪廻の罰に処され既に幾日か経ち。
天道、阿修羅道と転生しては死に、その度にそこにての思い出を全て忘れを繰り返している。
次に転生ししここは、餓鬼道。
先ほど土手を切り流れ込みし大水が、今まさにこの村の全てを流してしまいし後。
「おっ……母……!」
「目を、目を開けよ!」
「うわあああ! お、おっ父ー!」
人々が何やら、涙する様も見える。
「(な、何だここは……)」
と、その時である。
「(⁉︎ な、何だあんたは!)」
にわかに半兵衛に歩み寄り、憐みの目を向ける者がいた。
「(……? あんたは……)」
半兵衛は首を傾げる。
「……かわいそうに。」
「(……何?)」
その者は半兵衛が入りし揺籠(⁉︎)を持ち上げ、彼を連れて行く。
「ど、どうじゃ上姫殿?」
「あ、阿江殿は」
「だ、大事ないか?」
「もう! 少し静かにしませぬか!」
翻って、こちらは人間道。
阿江家の屋敷にて。
野鉄砲との戦の後、にわかに倒れし刃笹麿をここに担ぎ込みし頼庵・夏・広人は上姫に尋ねる。
が、上姫は尤もな叱りの言葉を彼らに返す。
「す、すまぬ……」
さすがの頼庵らも、これには萎れる。
「今宵はもうお帰りなさい。あの半人前めが、待っているのでしょう?」
「え? あ、ああ……」
しかし次には、上姫より気遣いの言葉が。
これには頼庵らも、思わず面食らうが。
「わ、分かった。では、阿江殿を頼む。……我らは、行こう。」
「う、うむ!」
「あ、ああ。」
頼庵はその言葉に甘えんとばかり、広人と夏を連れそそくさとその場を後にする。
「いやあ、上姫殿は……どうしたのだ?」
「ああ、柔らかくなっておったな。」
「……きっと、新たな命のせいよ。」
「……そう言えば。」
阿江の屋敷より帰路につきつつ、夏の言葉に頼庵・広人らははたと気づく。
そう、上姫の腹は――
「……はっ!」
次に半兵衛が、気がつきし時には。
何やら石の前にて、自らでも分からぬ内に祈っていた。
「そうかここは……母さんの」
半兵衛は気づく。
ここは、餓鬼道における母。
自らを育ててくれし母の、墓である。
と、その刹那。
「⁉︎ なっ」
何やら、半兵衛の着物の裾を引っ張りし者が。
驚き、半兵衛は自らの腰より。
刀を抜かんとするが。
ないので空振りに終わる。
「⁉︎」
「……〇〇、お腹空いた……」
「あ、ああ……綾路か。」
半兵衛の裾を引っ張りし者は。
あの死神・綾路に似し姿の幼女。
此度も、半兵衛についている。
「今あるのは……よし、粉をまた湯で解くか。」
「やったあ!」
半兵衛の手をとり、綾路は喜ぶ。
しかしその動きは、力ない。
「……っ!」
「あ、綾路! ……無理をするな。」
「う、うん……」
半兵衛はよろめきし綾路を抱きかかえ。
そのまま家路を、急ぐ。
「くっ、流された田畑がまったく直せん……」
「皆、一大事じゃあ!」
その頃顔色を変え、村に飛び込みし者がいた。
村の皆は徒らと知りつつも、田畑を耕すさなかである。
「何じゃ、こんな時に田畑も耕さんと」
「まさか、また大水が?」
「ち、違うんじゃ! 畑が、田が……戻るかもしれん!」
「な、何い⁉︎」
しかし、その言葉には皆驚く。
田畑が戻る?
「神主様が、生贄の娘を、人柱を一人見繕い……豊穣のための祈祷をしてくれるんじゃと!」
「な、何と!」
「ほら、あれじゃ!」
村人らが指し示されし方を向けば。
そこには近くの社を司りし神主の、鏑矢を放つ様が。
「どうだ綾路? ……不味いだろ?」
「うん。」
「こらこら! 人が作ってやった者を!」
半兵衛は綾路に、抱きつく。
「むう、〇〇! 食べているさなかに!」
「いいじゃねえか……っ⁉︎」
と、その刹那である。
何やら屋根に、刺さりし音が。
「たのもう! ……私は近くの神主である。この家に、娘がおったな?」
「あ、はい……」
半兵衛はにわかに戸の向こうより響きし声に、答える。
「……人柱?」
半兵衛は神主の言葉に、耳を疑う。
「そうじゃ、そなたの所の綾路を差し出せば……この村は救われるのじゃ!」
「おお!」
神主について来し村人らが、声を上げる。
「こ、この飢えから解き放たれる!」
「米が食える!」
「ちょ……待ってくれ! いくらなんでも」
勝手に綾路を生贄にせんとする皆に、半兵衛は呆れ返るが。
「半兵衛よ! ……これは村の皆のためである。よいな?」
「そんな……いくらなんでも村の皆を……っ!」
しかし尚も拒まんとしし半兵衛の目に、にわかに浮かびしは。
村人らが血塗れとなり倒れし姿。
何で、何で殺した!
母さん!
「半兵衛、よいな?」
「……っ!」
半兵衛は神主の言葉に、我に返る。
「……ああ。」
承諾の言葉が、口をついて出た。
「さあ皆、人柱を連れて行け!」
「応!」
神主を最も前とし、綾路を連れし村人は連なり川辺まで歩く。
綾路を埋め、人柱とするためである。
「やっと飯に!」
「この苦しみから、解き放たれる!」
村人らは、浮き足立っている。
「(何で……受け入れちまったんだ俺は!)」
半兵衛は左様な村人らはよそに。
浮かぬ顔である。
あの時、おかしき様が目に浮かんだ。
あれは――
「(よく分からないが……俺はこの時こそ、村を救わにゃならんと思っちまったんだ……)」
半兵衛が見し有様は無論。
今こそ思い出せぬが人間道にて、かつて村を救えず終いであった思い出。
しかし。
あれはただ、村を救えぬというのみの思い出ではない心持ちもしている。
あれは。
母さん!
ならば問おう、半兵衛よ。
何故、村人らの前に立ち彼らを庇わなかった。
或いは、私たちの暮らしを守らんとして村人に牙を剥くこともしなかったのだ?
そうだ、思い出した。
あれは、選べなかったのである。
母か、村かを。
「なら……俺が此度にやるべきことは一つ!」
「な、半兵衛⁉︎」
半兵衛は連なりより飛び出す。
そのまま目指すは。
「綾路!」
「あ、〇〇! な、何で⁉︎」
「な、何をする!」
目指すは、綾路のいる前の方。
そのまま綾路を抱き抱えて翳め取り、連れ去る。
「追え、追ええ!」
神主は怒り、皆に命じる。
「〇〇、何故……」
「綾路、しっかり掴まっていろ!」
半兵衛は山の奥へと、逃げて行く。
「何故、こんなことを?」
「俺は……村より綾路を選んだ。それだけだ。」
「でも……」
「綾路。……案ずるなよ、俺が守るからさ!」
半兵衛は綾路の手を取り、励ます。
「早く、人柱を……綾路を連れ去った半兵衛を見つけ出すんじゃ!」
このような目にあったのは人柱になるべきであった綾路を半兵衛が連れ出したからだと彼らに憎しみを向けていた。
「ワシらの苦しき暮らしも、何もかも。」
「全て、あの子らのせいじゃ……」
人は、自らではどうにもならぬことを他の者のせいにすることにより責を逃れんとする。
村人らは自らに降り掛かりし災厄の全てを、半兵衛・綾路のせいにしていた。
「〇〇……村の人らのためなら私、生贄になる。」
「綾路、何を言うんだ!」
山の奥にて。
綾路を抱きかかえし半兵衛は、追手たる村人を振り切りここに逃げ延びた。
「私が助かったら、皆……死ぬ!」
「綾路!」
尚も続けんとする綾路を、半兵衛は抱きしめる。
「〇〇……」
「いいんだって言ってる。……言ってるだろ? 俺は村じゃなくて綾路を選んだんだ。それだけさ。」
「〇〇……」
「……ぐっ!」
「⁉︎ 〇〇!」
しかし、半兵衛はにわかに背に何か刺さりし様を覚え。
振り返れば、背には矢が。
「ははは、不届き者め! そなたの罪は村人らを見捨てしことのみではない、神に背きしこともだ!」
「おうやおや……これはこれは神主様じゃねえか。」
半兵衛は矢の放たれし方を見る。
そこには、弓を構えし神主が。
「さあ皆よ、不届き者と綾路を捕らえよ!」
「応!」
「くっ……この!」
神主の言葉と共に。
彼の後ろより這い出しし村人らが襲いかかってくる。
ならば、仕方ない。
半兵衛は、腰よりあれを抜かんとするが。
「なっ……あれ?」
あれ――刀など、あるはずもない。
魂に刻まれし癖とでも言うべきか、人間道での思い出が蘇ったのか。
いずれにせよ半兵衛は、刀を持たぬ。
よって抗う術もなく。
「くっ、ぐっ!」
「わ、私は! こんなことをされなくても生贄になるつもりだっただから! どうか、〇〇だけは……」
綾路は泣きじゃくりつつ、皆に懇願する。
「ほほ、半兵衛などとは打って変わりいい子じゃ! ……よかろう。半兵衛、綾路が埋められるその刹那まで睦み合わせてやろう。」
神主は抑えられし半兵衛を見て、笑う。
「さあ、神主様!」
「早く、ワシらに実りを!」
縄にて繋がれし綾路を連れし神主は、村人らより喝采を浴びる。
「ほほほ……ご覧あれ、神よ! ここに生贄たる娘・綾路をお連れした! ……今こそこの村に、飢え無き時を!」
「おおお!」
神主は空を見上げ叫ぶ。
村人らは更に喜ぶ。
「くっ……綾路い!」
半兵衛もこの場に引き立てられつつ、叫ぶ。
綾路が人柱とならん様を、ただ指を咥え見ておれというのか。
「〇〇……きっとまた、会おう?」
「……綾路い!」
「さあ、我らのために人柱となれ綾路!」
優しく笑みを向けし綾路に、半兵衛は泣き叫ぶ。
しかし、神主は無情にも穴を掘らせその穴に綾路を入れる。
土が瞬く間に被せられ、穴は埋まる。
「そ、そんな……神様あ!」
半兵衛はただ、その様を見るのみ。
「はーっ、ははは! ……さあ村人らよ、これにて豊かになるぞ!」
「おおお!」
「やった! これで!」
泣きじゃくる半兵衛をよそに、神主も村人も大いに笑い喜ぶ。
と、その刹那である。
「……何を、笑っている?」
「……綾路、か……?」
「……許さぬ。」
「⁉︎」
今しがた埋められし穴より響き渡るは、綾路の声。
「な……く、土の被せが甘いか! 皆、より土を」
「許さぬ!」
「ぐうっ!」
しかし神主が、更に土を被せんとしし時。
たちまち土煙が激しく立ち、中より綾路が現れる。
「私を……贄にして他の者たちは悪びれもせず、のうのうと生きながらえるなどと!」
「綾路……!」
「や、止めろ! わ、ワシらが悪かった」
「はっ!」
その恐ろしき様に、村人らは罪を悔いる言葉を口にし始めるが。
綾路は、我が身可愛さに形ばかりに罪を悔いる村人らの言葉など聞く耳持たぬとばかり。
力強く、声を出す。
刹那、土手は切れ。
先ほどまで穏やかであった川より、水が溢れ出す。
「うわああ!」
綾路を埋めし神主も、村人らも、果ては半兵衛さえも。
瞬く間に一人残らず、流されてしまう。
「いや……これだけでは腹の虫が治らぬな。ここは……苦しみの末の死を!」
「ぐ、ぐああ!」
しかし綾路はそれのみにては飽き足らずと言わんばかりに、村人らを流す流れの中に大きな渦を作り出す。
「ごぼっ、ごぼっ……た、助けてくれ……」
「お、お願いだ……」
「くっ、お前その木に掴まれば助かりそうだな……ワシによこせ!」
「ぐ、や、止めろ! おぼ、溺れ……ごぼっ……」
神主や村人らは大いに苦しむ。
ある者は苦しみつつもすぐに力尽き、またある者は終いまで抗い、苦しみ抜き死ぬ。
「ぷは! ……綾路、よかった。大事ねえんだな?」
しかし、その中にても。
半兵衛は死に物狂いにて水面より顔を出し、綾路に笑みを向ける。
綾路がいれば、何でもよい。
半兵衛はただ、それのみ想う。
「綾路が生きていてくれれば……俺は何もいらん!」
「自らの、命すらか?」
半兵衛の言葉に綾路からは問いが返る。
「ああ、いらねえ!」
「……分かった。ならばもらう!」
綾路は更に念じる。
より一層、水の流れは早まる。
「わぶ! ……ああ、綾路……お前は生きろよ……」
半兵衛は少し苦しみつつも、悔いはなかった。
ここにて思い出ししは、人間道での春吉・吉人らの村を救えず終いであった頃の思い出。
何で、何で殺した!
母さん!
――おのれえ、呪われし奴らめ!
――あんたらさえ……いなければ!
何やら村人らの悪罵も聞こえる。
しかし半兵衛には、それも言われて然るべきことと思えた。
「(ああ、あの時……春吉と吉人たちの村を救えなかった時も。あの村の人たちは俺を罵る間もなく死んでいった。だから……ようやく、咎を受けられたんだな。)」
半兵衛は少し涙ぐむ。
春吉らの村の時、村人か母か、自らの手では選べなかった。
此度は、村人ではなく綾路を選べた。
これにて自らは、ようやく――
「これが私――いや、この死神めの、死神となりし時の有様じゃ。」
「⁉︎ し、死神の嬢ちゃん……?」
しかし、半兵衛が目覚めるや。
次には、周りがただ白き所にいた。
人間道含めこれまでに生きし六道の思い出は、今はある。
「餓鬼道でも一国半兵衛は、綾路か村人かを選べず終いであった……一国半兵衛が救わんとしし綾路は、死神になってしまったからな。」
「そんな……じゃあ今俺がいたのは、死神の嬢ちゃんの思い出を元にした世ってことか……いや、待て。」
しかし半兵衛は、そこにてようやくおかしきことに気づく。
何故今まで気づかなかったのかと、自らを罵りたき程である。
何故、死神綾路に似し姿の女子――否、阿修羅道では綾路丸なる男子であったか――ばかり自らの前に現れるのか。
しかし、それを半兵衛が綾路に尋ねる前に。
「さあでは……次の六道に堕ちよ!」
「う、うわあ! ち、ちょっと!」
そのまま半兵衛は、次の六道に堕ちる――
「お目覚めかいな……両面宿儺りょうめんすくな!」
「(両面、宿儺……?)」
半兵衛は自らの腕を見る。
それは、まごうことなき妖の腕。
両面宿儺――二面四臂の、二つの人が合わさったかのごとき恐ろしき姿の妖。
「……なるほど薬売り。次のそなたの趣向はそれか。」
「はいな。……悪くない思いますがなあ。」
「ほほほ……楽しみですわね。」
伊末・向麿・影の中宮は笑っている。
誠であれば、半兵衛には大いに訝るべき所である。
しかし、またも人間道はおろか天道・阿修羅道での思い出をも失っているために。
「(そうだ……俺は妖だ!)」
半兵衛――いや、両面宿儺の左の顔より咆哮が響き渡る。
あろうことか半兵衛は、畜生道に堕ちしことにより。
妖に、転生してしまったのである。




