小筒
「ど、どうした阿江殿!」
「い、いや……何でもない。」
母屋に青き顔をして帰りし刃笹麿を、頼庵らが憂う。
半兵衛が何故か、死神・綾路の手により六道輪廻転生を永遠に繰り返す『無限輪廻』の罰を負わされてしまってより、次の日。
刃笹麿はこのことを頼庵らに聞きし後で、帝にあらましを話す。
かくてその後に、刃笹麿は自ら死神・綾路と相対する。
そこにて刃笹麿は、半兵衛に無限輪廻の罰が負わされしことの訳を問いただす。
しかし、綾路はただ十王の命に従いしのみと言いはり、刃笹麿の話には仔細は分からぬと返すばかりである。
痺れを切らしし刃笹麿であったがその時、見し物があった。
それは今、母屋で出迎えてくれし頼庵らにも――いや、頼庵らには話せぬというべきか。
それは半兵衛が、人の首を取りし有り様。
「阿江殿。もしよければ我らに、何があったか話してはいただけぬか?」
「……いや、何もない。」
「……そうか。」
刃笹麿はひたすら黙る。
何故見しかは分からぬが、今半兵衛は六道のいずれかにて他の者を殺めた。
それを他の妖喰い使いには、話す訳にはいかぬ。
と、その時である。
「!? これは……」
「妖じゃ……さあ妖喰い使いたちよ、行かねばならぬであろう?」
「う、うむ……」
にわかに感じるは妖気。
刃笹麿に促されつつも、頼庵・夏・広人は半兵衛を欠きし今不安のようである。
しかし。
「……行こう、夏殿、広人! 半兵衛様も、兄者もおらぬ有り様であるが……それでも我らは!」
「うむ……そうであるな!」
「うむ……」
頼庵の慰めにより、夏・広人も腰を上げる。
かくして、一行は妖を喰らいに向かう。
「くっ……」
「何じゃ、その緩い太刀筋は! さような心にては戦場になど、誠であれば立てぬのだぞ?」
「分かっている……つもりだったんだがなあ!」
「ぐっ! 小癪な、にわかに勢い付きおって!」
川にて、半兵衛は相手方の侍と戦う。
こちらは阿修羅道。
半兵衛の目には、戦乱の世に見えている。
時の流れは六道の中で互いに異なる。
既に時は、この阿修羅道では多く過ぎていた。
信中は義友を討ってより、津々浦々へその手を伸ばしていた。
「おら、そっちこそどうした!? さっきあれだけ言った割にこのザマか!?」
「くっ、何を……」
「はっ!」
「ぐうあ!」
半兵衛は相手を組み伏せ、そのまま叩き斬る。
「もはや、我ら尾田方の勝利は確かである! 今こそ攻めよ!」
「エイエイオー!」
勢い付きし尾田方は、未だ勝たぬうちに勝鬨を上げる。
「半兵衛か、こちらへ来い。」
「ああ、上がらせてもらう。」
信中のいる部屋へ、半兵衛は入って来る。
「あのさ、信中さ」
「……桶狭間より、よくぞ働いた。褒美をより求めるならば、わしにできる限り与えよう。」
「……」
「……ふむ、何か言わぬか、半兵衛?」
「……申し訳ねえ。」
信中の言葉に何も返せぬことを問われ、半兵衛は謝る。
「まあ、よい。……して。わしに話したきこととは何か?」
「ああ、お尋ねする。……後どのくらい、人の命を奪えばいい?」
「ほう?」
信中は半兵衛の言葉に、彼を見遣る。
「ほほう? 戦乱の世に生まれた者にしては、珍しき問いではあるな。」
「そう言われるのは分かっていた。……だが、時々分からなくなる。何故人の命を奪わなきゃならない?」
信中に、半兵衛は更に問いを重ねる。
それは、今の半兵衛こそ覚えておらぬことではあるが人間道の頃に、遠巻きであるが見ていた京での大乱。
そして、この阿修羅道に転生してよりもはや数え切ることは叶わぬほど自らの手により葬りし人々。
未だに半兵衛は、それらへの思いにより人と人との戦を忌む心を持っているのである。
「そうじゃな……それはわしのみならず、そなたら家臣の腕にも掛かっておる。」
「……へ?」
半兵衛は、信中の言葉に面食らう。
先ほどのごとく、戦乱の世に何たる問いかと一笑に付されることは読めていたが。
「……これから先、人を殺めなくて済む日が来ると?」
「ああ、その通りじゃ。」
信中も、この戦は終わらせるべきと思っているのである。
「……すまん、聞いといて何なんだが……信中さんも、戦乱の世に生まれたにしては変わり者だねえ。」
「……ふふふ、ははは!」
半兵衛の言葉に、信中は何がおかしいのか笑う。
「目当てあってこその戦乱よ! ただただ戦をしていたいなどとは所詮、蛮族。」
「蛮族、ねえ……」
半兵衛は蛮族という言葉に、感じ入る。
「そうよ! 侍とは蛮族と見做されること多き者、いやはやなげかわしい! ……しかし! わしは違う。ならば侍は蛮族ではないとの勲を立てて見せようではないか。」
信中は、半兵衛を改めて見る。
「なるほど……そのために、天下を?」
「ふふふ……左様! この戦ばかり続く世にも、このわしが生まれた限りは、戦は終わる!」
信中は高らかに宣う。
と、その時である。
「一大事にございます! た、猛田の軍勢が長篠へ!」
「何? ……よし、今すぐ向かわねばな!」
にわかに入って来し従者の声に、信中は返す。
「……また、命を奪うんだな?」
「うむ。しかし、案ずるな。」
半兵衛の言葉に、信中は彼に近寄る。
「もうすぐじゃ! あと少しで……この戦ばかりの世にも太平が訪れるであろう。」
信中は次に、縁側へ出て空を見る。
その目の先には、京があるのである。
「……分かった。」
「さあ、急げえ!」
更にそれより、幾日か経ち。
長篠の城へと着きし尾田の軍勢は、運び込みし縄と棒を使い柵を築き、堀を掘る。
細やかな、城である。
無論、その中には。
「ったく……こんなんで何ができるってんだ?」
半兵衛もいた。
猛田の軍が来る前に、この柵と堀は作り上げねばならない。
猛田優頼――かつて信中をも追い詰めたが志半ばにて死んだ、猛田信黎の四男坊である。
名高き猛田の騎馬隊。
その巧みなる動きは、数多の戦を勝ち抜きし強さの元である。
それを信黎よりそのまま引き継ぎし、子の優頼。
これに、尾田軍はどう抗うか。
「あ、雨じゃ!」
「か、火薬を守れ!」
しかし折り悪く、雨が降り出す。
これは、柵と堀を築く上で害となるのみならず。
火薬――此度、尾田の力と要となろうこれには、不倶戴天とも言うべき仇である。
「まずいな……こりゃああれを使えなくなる。……いや、いいか。」
半兵衛は空を見上げため息を吐きつつ、腰の刀に目を移す。
「いざとなりゃあ……侍たるもの、己の刀だけが頼りよ!」
半兵衛は嬉しげに刀の柄に手をかける。
実の所、半兵衛は火薬による新たなあれを使うことに躊躇いがあった。
「あんな人の殺め方……あっていいもんかよ。」
半兵衛は息を漏らす。
刀とも、かといって弓矢とも違うあれ。
半兵衛の心には、迷いがあった。
「案ずるな、皆よ……きっと止む。」
馬上より雨雲を見上げる信中は、皆に叫ぶでもなく囁くかのごとく言う。
「頼庵、この当たりであるな?」
「うむ……そのはずなのだが……くっ!?」
再び、人間道は京の都。
妖気の感じし所に赴きし妖喰い使い一行であるが、にわかに彼らを数多の何かが襲う。
それは。
「これは……蝙蝠か!?」
「くっ、かように多く……何故!」
「くっ、あっちへ行け!」
「破魔! 急急如律令!」
「お!」
数多の蝙蝠の攻めにより顔に集られし妖喰い使いたちであるが、それを救いしは。
「阿江殿!」
「うむ、今のそなたらは危なっかしいからな!」
刃笹麿であった。
「かたじけない……しかし、あの蝙蝠たちは」
「ああ……気を抜くな、あれは……野鉄砲という妖の手先共じゃ!」
刃笹麿は妖喰い使いらに妖について話す。
「優頼様、あれを!」
「うむ、信中の兵共は……鉄砲を使うか。」
所は再び、阿修羅道は長篠にて。
鉄砲――半兵衛の生きていた人間道・今上の帝の世にはまだ見ぬ、新しき武具。
しかし、この世の者たちだとて、あまり見ぬは同じであった。
それほどに、鉄砲はまだ珍しき物である。
「鉄砲……ふん! 皆恐れるな、あのような使い勝手の悪しきものでこの猛田の騎馬隊、防ぎ切れるなどと! ひねり潰せ!」
「応!」
優頼が叫ぶと共に、騎馬隊も走り出す。
狙うは騎馬を防ぐべく築かれし堀・柵の中の仇共だ。
「ひいい、来る!」
「まだじゃ……まだ、その時ではない。」
兵らは鬼気迫る様の猛田の騎馬隊に、恐れ慄く。
しかし、信中はじっと待つ。
鉄砲は、今撃つ時ではない。
そして、更に猛田軍が間合いを詰し頃。
「……今じゃ、鉄砲隊撃てええ!」
「応!」
信中の命と共に、兵は柵の隙間より筒先を少し出し。
狙いを定めて持ち手の上にある火蓋を開く。
そのまま引き金に、人差し指をかける。
狙いとなる猛田の騎馬は、自ら近づいて来る。
それを好機とばかり、兵らは引き金を引く。
それにより火の点きし縄の備えられし撃鉄が降り、開けられし火蓋の下の火皿にある火薬に火が点き。
たちまち火薬は爆ぜ、筒先より弾を撃ち出す。
「うぐっ!」
「ぐうあ!」
弾はそのまま、尚も走り来る猛田の騎馬を捉える。
鎧を着し侍ですらこれには、耐えられず。
ある者は脇腹に喰らい、ある者は頭に喰らい、馬より落ちる。
「ぐう……怯むな! 二の矢を番えるにはまだ時がある! ならば」
「ぐあっ!」
「な、何!?」
二の矢、まあ鉄砲であるから二の弾と言うべきか。
一度撃てば二の弾までは暫し間がある。
つまり、一つ弾込めをするのに暫し時が要る――それこそが鉄砲の弱みである、はずだった。
しかし。
「ま、優頼様! か、仇共は弾込めの隙間短く」
「くっ、分かっておる! しかし進め、矢を放て!」
驚きしことにその弱みが見えぬ。
優頼は激しく揺らぎつつも、飛び道具には飛び道具とばかり騎馬隊に矢を射るよう命ずる。
「弾を運ぶぞ!」
「ああ受け取った! ……よし、さあ込めた!」
「ああ、かたじけねえ……さあて。」
こちらは尾田方。
最も後ろの者より弾が運ばれ、真ん中の者が弾を込め。
半兵衛はその、既に弾を込められし鉄砲を受け取り構える。
この三段分けにより一人毎の手間を省きしことが、先ほど猛田の騎兵が驚きし弾込めの隙間が短きことの所以である。
そして、その鉄砲にて半兵衛が狙うは。
「……これで、人を」
猛田の騎兵である。
「殺めたなんてなあ!」
「ぐあっ!」
自棄じみし半兵衛の撃ちし弾はそのまま、彼に向かい来る猛田の騎兵を捉え貫く。
弓矢とは異なり、手元にて物の爆ぜし手応え。
そして何より、瞬く間に人を葬るその力。
「つくづく……これはあっていいものなのか分からなくなるな。」
半兵衛には、これは手応えなく人の命を奪える物としか映らず。
感じるはただただ、それ故の恐ろしさである。
「弓矢も飛び道具だけどよ……あれの方が、まだ人の命を奪うって重みはあるぜ!」
「うぐっ!」
半兵衛は軽口を叩きつつ、再び運ばれし弾を込められし鉄砲を受け取り、目の前の猛田の騎馬に撃つ。
たちまち弾を喰らいし騎兵は、落馬する。
「認めたくねえなあ……これが、戦いなんてよ!」
言いつつも半兵衛は、鉄砲を撃ち続けるより他なし。
この戦は猛田の大敗による撤退により、幕引きとなる。
「猛田の騎馬隊めに一泡吹かせた! よくやった皆よ!」
「エイエイオー!」
勝ち戦に沸き、尾田軍は勝鬨を上げる。
やがて、再び年月が流れる。
「はっははは! ……あとは西国、四国、九州を平定すればよい。終わりが見えて来たということよ!」
「……そうだな。」
信中はすっかり気をよくしている。
半兵衛はその酒の席を同じくしつつ、浮かない有り様である。
「ふふ、相変わらずであるなそなたも。……しかし、その西国は高松攻めを任せし猿めが、うまくいっておらぬという。」
「へえ、珍しいな。」
信中はしかし、次には真顔に戻る。
彼が猿と呼ぶ大名は今、高松の攻めに手間取っているのである。
「こうなれば仕方あるまい、わし自ら高松に。」
「……そうか。」
「さあ来い、綾路丸、光出!」
「……はっ!」
襖越しに信中が声をかけるや。
襖が開き、中に入るは二人。
一人は幼いと言ってもよき侍・綾路丸。
そして、もう一人は。
「お呼びでしょうか、殿。」
それは信中の腹心の一人・明地光出である。




