友仇
「あ、妖が……」
広人は尻込み、その場にへたり込む他なき様にて、ただ言葉を唱えるのみ。
もはや気は確かかも分からぬ。その目に宿りし光は見当たらぬ。
「くっ、妖が二つに! 前と同じか!」
そんな広人をよそに、頼庵は悔いる。思い出せば、自らと兄が都に来し昨夜の妖も、戦いのさなか二つに分かれた。半兵衛が先ほど言っておったは、このことであったか。
「頼庵! 大事ないか!」
後ろより兄・義常の声がする。
それに気がつき、頼庵は前を向きしまま答える。
「手は負っておらぬ!」
言うや頼庵は小刀を構え直し、妖に向かう。
「札はどこだあ!」
半兵衛はといえば、紫丸を構え直し、こちらも妖に斬りつける。
見れば、血と肉に塗れし中に、文字らしきものが。
「そこだあ!」
半兵衛が札を切り裂かんとせし刹那。
大蛇の身体が膨らみ、爛れし肉の塊となり。
次には。
「くっ! うおお!」
二つの攻めが、時同じくして半兵衛と頼庵に迫る。二人はどうにか刃にて、受け止めるのだが。
「くっ、何が!」
「頼庵、見よ!」
目の前の尾を刃にて受け止めし頼庵に、義常が叫ぶ。
「首がまた、一つになりやがった!」
次に叫びしは、半兵衛である。
大蛇は、先ほどの双頭より変わり、再び一つの首に作り変えられし。
「……兄上、いささか難かしゅうございます。」
「高无、まだまだであるぞ。」
物陰の伊末、高无の二人は。
手をあらゆる方に振り、指は糸を操り、傀儡を動かすが如し。
「さあ、右より来ておるぞ。」
「はっ、ここは私が。」
二人の動きに応え、妖も動く。
やはり妖を操りしは、この二人であった。
物陰の兄弟は妖を操り、片や妖喰い使いの兄弟たちは、妖を狩る。
「ぐおおお!」
頼庵は妖の身体に刃を刺し、勢いに任せ走りながら切り裂くが。
やはり妖・大蛇の身体は次には尾が二つに分かれしと思えば、また次には再び一つの尾に戻り。
「このままでは、埒が明かぬ!」
頼庵が叫ぶ。
妖は尚も形を変えてはまた戻りを繰り返し、水上兄弟や半兵衛を翻弄する。
「一度下がるぞ!」
半兵衛が叫び、へたり込みし広人を抱える。
水上兄弟もその言葉に従い、間合いを取る。
妖と妖喰い――まさに不倶戴天としか言いようなき仇同士が睨み合う。
「……次には、いつ二つに分かれるか分からん。備えておけよ……!」
広人を自らの後ろに座らせし半兵衛は尚も妖を睨みつつ、そっと水上兄弟に告ぐ。
「ふん、そなたこそ……」
頼庵が答えつつ、やはりこちらも妖に対し構えを解かぬ。
やがて、妖に切れ目が入る。その僅かなる隙に――
「今だあ!」
半兵衛は駆け出す。頼庵も我先にと飛び出す。再びあの大蛇が二つに分かれし時までに仕留めれば――
これは好機。半兵衛と頼庵はそう信じ疑わぬ様であったが――
「な、何だ! あの妖、妙であるぞ!」
半兵衛、頼庵の後ろより義常の声が響く。
見れば、妖より何かが裂ける音がする。それはこの妖にもう一つ、切れ目が入りし音であった。
「な、まさか――」
半兵衛が叫ぶ。一つ切れ目が入ればそこより二つに分かれる。ならば、二つ切れ目が入れば――
と、その刹那。
「! ……くっ、この……!」
「こいつら、何を……!」
半兵衛と頼庵は、妖より伸びし尾に、捕らえられる。
見れば、半兵衛と頼庵は、自らの胴と腕をそれぞれ尾により抑えられておる。
思った通り、妖は四つ又に分かれ、四つの頭に四つの尾を備えておる。
「……兄上、奴ら我らに、遅れをとりしようです。」
「うむ……ふん、見たか。いつまでもこれまで通り行くと思うなよ。」
物陰より妖を操りし伊末と高无。今やそれぞれ、二つの頭と二つの尾を操っておる。
「……しかし兄上。ここで仕留めては、奴らが真に果たすべき務め、果たせぬのでは?」
高无が憂う。
「何よ、ここで終わる奴らではない。よしんばそのような腰抜け共であったとしても、その時はこの場で討ち滅ぼし、代わりを据えるまでよ……!」
伊末が返す。
「くっ、頼庵……」
妖喰いの弓・翡翠を構えながら義常は悩み、唸る。
捕らえられし弟を助けることは、自らにしかできぬであろう。しかし、今矢を放てば、弟にも、半兵衛にも当たりかねぬ。
いかにして助け出すか。義常には未だ分からぬ。
「くっ、私は……ここで待つしかできぬのか……」
義常は唸る。妖はひとまず目こそこちらから離さぬが、よもやただ一人では攻めて来ぬと考えておるのか、ただ弓を構えるのみの義常は攻めようとはせぬ。
「おのれ、私は敵にならぬというのか……侮るな!」
義常は悔しさのあまり叫び、今にも矢を放たんとする――が、趨勢は何も変わらぬ。未だ妖は、捕らえし頼庵と半兵衛を弄び、こちらを睨むのみである。
「兄者……」
頼庵は縛られ抗いつつ、弓を構えしままの兄を見る。
兄は手をこまねいている様である。自らが縛り上げられしが故に何もできずにいるのだ。
「くっ、これでは何も……変わらぬではないか……」
頼庵は昨夜のことを思い出す。
戦のさなか自らが呆けてしまい、それを咎めたが故に兄は妖に捕まってしまった。その時と今とではまるで立場が逆さまであるが、自らのせいで兄に面倒をかけたることにおいては同じである。
「く、くそ!」
頼庵はこの様を変えんと試みる。しかし焦っても、何も変わらぬままである。
「ははははは!」
にわかに笑い声が響く。見れば半兵衛が、狂いしように笑っておる。
「な、何を……」
頼庵は問うが、半兵衛はそれには答えず、
「義常さんよ! あんた見損なったぜ! 俺はどうでもいいかもしれんが、弟が捕らえられてるからって、手出しできねえのかい?あんたも腹の決まらねえ人だな!」
義常を煽る。
「お、おのれ! 兄者を愚弄しおって!」
頼庵は怒りの声を上げる。
が、半兵衛はまたもそれに答えず、
「なあ義常さんよ、今は俺も、弟をも構わねえ強さが、あんたには必要なんじゃないか?躊躇うことないって、どーんと行っちまえばさ!」
尚も、義常を煽る。
「な、何と……兄者、惑わされるな! あ、でも……確かに私はかまわんでも良いぞ!」
半兵衛の言葉には怒りを覚えながらも、確かに自らに構い手をこまねいては欲しくなきが故に、頼庵は兄に言う。
「弟をも構わぬ、強さ……?」
義常は煽られし怒りは憶えず、むしろ半兵衛の言葉の意味を考える。
「……! そうか!」
義常は力を込め、矢を射らんとする。
まだである、まだ――
「……ふうむ、あれだけ煽られてもまだ射ぬとは。高无、潰せ。所詮奴らは腰抜けだったとは、とんだ見込み違いということよ。」
伊末は弟に命ずる。
「承りました、兄上。……少し惜しき気もしますが。」
高无は未練を語りつつも、兄の言葉に従う。
「くっ、ぐああ!」
頼庵は悶える。彼らを縛りし尾に、よりましの力が込められたのである。
「ふん、これまで、かな……」
半兵衛も少しは苦しみに顔を歪めつつ、やはり未だにゆとりは崩さぬ様である。
大蛇は今にも、二人を絞め殺さんとする勢いである。
その刹那。
「……今だ!」
義常は叫び、矢を放つ。
矢は二つ飛び、それぞれ半兵衛、頼庵に迫る。
「……な、何と!」
頼庵は恐れる。確かに構うなとは言ったが、よもや兄が自らを――
が、矢の当たりしは半兵衛、頼庵――ではなく、それぞれを縛りし尾である。
矢は尾を浅く捉える。縛られし二人を貫かぬようにである。そのまま刺さりし周りの肉を緑の光に染め、抉り取る。
半兵衛と頼庵はその隙に抜け出す。
「よし、頼庵! 早く……」
半兵衛は再び妖との間合いを取らんとするが、
「先に行け! 私はこやつに!」
頼庵は妖に一矢報いんと向かう。
「止めろ、一度引くぞ!」
「わ、何をする!」
半兵衛は頼庵を強いて後ろより抱え込み、そのまま走り去る。
すると、痛みに悶えておった妖が気づく。
再び妖は肉の塊となり、次には元の頭一つに尾一つの大蛇の姿へ戻り、半兵衛らを追う。
「こ、これ半兵衛! 敵に背中を!」
「あんたがすぐ引かねえからだろ!」
抱えられつつ半兵衛を責める頼庵に、半兵衛は怒声を浴びせる。
「頼庵、半兵衛殿! ここは私が!」
自らの立ちし所に迫る二人と妖を前に、義常は妖めがけ弓を構える。
「待て、義常さん! ……ここはそこで呆けている、広人さんに出て来てもらうとしようじゃねえか!」
半兵衛は走りながら、離れし所におる義常を声にて制し、
その後ろの広人に声をかける。
「な、何……?」
やはり尚も呆けしままの広人は、かろうじてといいし様にて立ち上がり、半兵衛を見る。
「そこにあの妖喰いがあるだろう――! 刃先をこちらに向けるだけでいい、その槍を構えろ!」
半兵衛は頼庵を抱え、妖より走り逃げつつ言う。
「妖喰い……?」
広人が見れば、その傍らにはあの妖喰いの槍・紅蓮が。
「こ、これはあの妖喰い……! ……いや、私ではどうせ……」
広人は槍より目を逸らし、目を瞑り、歯を食いしばり、
拳を震えながら握りしめ――その身全てにて苦悩を表す。
「何してんだ! 友の仇友の仇とあれだけほざいて! そんなんじゃ討てねえぞ!」
半兵衛は尚も逃げつつ、広人を一喝する。既に少しずつであるが妖との間合いは、近づきつつある。
「広人殿! そなたにその思いがあるならば私とて無碍にはできぬ!」
広人が見れば、そこには弓を下ろせし義常が。義常もあくまで、広人に槍を取らせる腹づもりのようである。
「義常殿……! そなたまで……」
既に周りは、広人が動けと言うばかり。追い込まれし広人であるが、果たして。
「……私が! 誠にこの槍に選ばれるのか! そうなると誰が言い切れる!」
広人は再び苦悩する。やはり、まだ腹を決められぬ様である。
「……もう遅い! 義常さん、やっぱり矢を!」
半兵衛が叫ぶ。義常も仕方なしといいし様にて、弓を構え直すが。
「くっ、間合いが……」
義常は唸る。既に妖は近く、矢に殺気を込めるに間に合うか。
「……しかし、いいのか広人!」
尚も逃げ走る半兵衛はにわかに、再び広人に声をかける。
「……妖と俺、隼人を殺した奴らを一息に死なす好機だってのによ!」
その言葉に。広人が、義常が、頼庵が。息を呑む。
「……殺せしと……それは何ということであるか半兵衛!」
半兵衛に抱えられながら、頼庵が叫ぶ。
「半兵衛殿、くっ……?」
驚きながらも弓を構えしままであった義常は、にわかに押し退けられる。
それは、あの広人である。
「ひ、広人殿!」
義常が叫ぶが、広人はそれには構わず、
「……半兵衛、そなたにもはや恨みはない! つもりであった! だが今は!」
腕を前に、前に迫る妖、その更に手前を走る半兵衛へと突き出す。その手にはあの妖喰いの槍・紅蓮が。
「……心の底より憎い!」
広人がそう叫ぶや、刹那。
槍の穂先より、白き光――紅蓮の殺気が出でて、半兵衛へと迫る。
「……よく言った!」
半兵衛はそれを恐れず、むしろ笑みすら浮かべ。すんでのところにて殺気の刃を躱す。
そのまま殺気の刃は、半兵衛の後ろの妖へと迫る。
「くっ、避けよ!」
「できませぬ!」
物陰より妖を操りたる伊末、高无らも。このことは思いもかけぬことにて、ただただ驚嘆するばかりである。
次の刹那。
殺気の刃は妖を捉え、妖の頭を吹き飛ばす。妖の血肉が舞い、白き殺気の刃を、紅く染める。
「なるほど、それで紅蓮か!」
半兵衛が叫ぶ。義常が見るや、いつの間にか半兵衛と頼庵は、既に義常の傍らに来ておった。
「は、半兵衛殿! 頼庵!」
義常が叫ぶ。
と、妖はどうと倒れる。先ほどの斬りにて、既にかなりの手負いである。
「こ、これは……」
無我夢中といいし様にて槍を握っておった広人は、はっと気づき、再びその場にへたり込む。
「や、やったのか!」
広人は信じられぬと言いたき様であるが。
「いや、まだだ!」
半兵衛が叫ぶ。
見れば倒れし妖は、再び立ち上がる。
「な、何故……?」
義常が首をかしげる。
「札がまだ、除けてないからさ!」
言うや半兵衛は、義常の元へ来る。
「止めよ! 兄者に何をする!」
その声に振り返るや、既に半兵衛の腕より抜け出せし頼庵は、少し離れし所にて声を上げる。
「先ほどの話故、か……」
義常は頼庵の態度の訳を察する。広人の友を殺せしは、妖と半兵衛――先ほどのあの話である。
が、今は戦うのみと思い直せし義常は、半兵衛に向き直る。
「半兵衛殿、どうすればよい?」
義常は語る。既に妖との間合いが近すぎるため、矢が妖を仕留めるに要する殺気を溜められる時が稼げぬと。
「……だったら俺の紫丸の殺気も使え!」
半兵衛が言う。
「そのような……?」
ことはできるのか。義常は半兵衛に問う。
「できる、恐らくな!」
そう話す内にも、妖はついに起き上り。吹き飛ばされし頭も、自らの残る血肉で治して行く。
「……考える隙は無しか!」
義常は弓の下を持ちしまま、半兵衛に渡す。半兵衛は弓の上を持つ。
弓の下より翡翠の、上より紫丸の殺気が走り、それぞれに色は混じらぬまま交錯し、離れ。まだらな光にて弓を染め上げる。
「! この色は……」
義常が叫ぶ。
「どうかしたか?」
半兵衛が問うが。
「……いや」
今は戦うのみと、義常は再び腹を決める。
妖は既に頭をあらかた治し、今にも再び瞳開かんとする勢いである。
「さて、紅蓮は……」
半兵衛は広人を見る。再び呆けておる様で、戦うは難しかろう。
「恐らく札は二つだ! どちらも仕留めるんだ!」
半兵衛は義常に言う。
「札の在り処は分かるか?」
「恐らく研ぎ澄ませれば、あんたにも、な。」
弓より殺気の矢を引き出しつつ問う義常に、半兵衛が答える。
「研ぎ澄ませる……」
まだらなる光の矢を弓につがえ、義常はそっと目を瞑り、妖の様を感ずる。札の気配。どこかに――
「ふん、敵を前に目を瞑るなど! 隙ありである!」
「は、兄上。」
伊末の命に、高无は従い。
大蛇は吠えながら、全て治りし頭の瞳を見開き、義常らに迫る。
「兄者!」
頼庵は兄を守らんとするが、半兵衛が目で制す。
その間にも義常は。
自らの殺気を、矢を研ぎ澄ませ、より研ぎ澄ませて――
「……そこかあああ!」
義常は叫び、矢を放つ。
矢は妖の頭へと刺さり、貫く。
矢尻に刺さりし札が、身より出でる。
札は血肉となり、矢の周りの肉と同じく、飛び散る。
大蛇は身悶え、のたうち回る。
「……もう一矢!」
次も義常は目を瞑りしまま、弓の弦を奏でるがごとく弾き。二の矢を引き出し。
「見えた――!」
二の矢を放つ。今度は矢は、大蛇の尾を貫き、中の札は同じく血肉となり、飛び散る。
次の刹那、大蛇の身体は全て血肉となり、飛び散る。
ある血肉は緑の光に染まり、ある血肉は紫の光となり、
それぞれに矢の刺さりし所に吸い寄せられ、吸い尽くされていく。
「……美しい、が、おぞましい。」
広人が呟く。その周りは血肉が舞い、まだらなる光が散り。妖しき絵を描く。
全てが喰いつくされしのち、頼庵はようやく兄に駆け寄る。
「兄者!」
「頼庵! 大事ないか!」
義常は弟を案ずる。
「……いつもそればかりであるな!」
頼庵は兄に笑顔を向ける。――が、すぐに目を写し、その先にいる者を捉え、険しき顔に。
その目の先には広人に駆け寄りし、半兵衛が。
「……あの男は広人殿の友を殺めし。これは疑いなきことであるようであるな。」
「……ああ、だが――」
頼庵は半兵衛に対し敵意を強めるが、兄・義常は何やら煮え切らぬ様である。
「……なかなかやりよるな、あの妖喰い共……」
伊末が呟く。
「ええ、兄上。……では参りましょう。」
「……ああ。」
高无が立ち上がり、伊末も立ち上がる。
二人はどこかへと飛び、行く。
その日の晩。
宵の闇のただ中を歩く二つの影が。それは水上の兄と、弟である。
「……兄者、やはりあの半兵衛という男は、あの紫の刃の男で間違いなかろう。」
「……頼庵、そのことなのだが」
「ようこそ、遠路はるばる。」
弟に何やら告げんとせし義常を遮り、水上の兄弟の向こう側よりこちらも二つの影が。
「……我ら水上の一族を救いし方々よ。」
義常は向かいの影に礼を言う。
と、月が雲の間より出でて、水上兄弟の向こう側の影を照らす。そこには揃いの翁の面を付けし、二人の男。言うまでもなく、長門伊末・高无の兄弟である。ただし、水上兄弟はこのことは知らぬが。
「……会いたいと我らを呼んでいただけたということは、つまりは。」
水上兄弟より向かって左の男が問う。
「うむ、それは」
「兄者、私が。」
義常が答えんとするを、頼庵が遮り、答える。
「……我らの父を殺せしあの紫の刃の男・半兵衛と、それを差し向けし帝をこの手にて討つ。それが我らの答えである。」